「言葉」2010年01月21日 01:29

最近2冊の本を入手した。

アマゾンで中古の「地に消える少年鼓手」(岩波書店)を見つけて、ウィリアム・メイン氏ファンの私は、速攻買った。某市立図書館の処分本であった。
持ってるはずなのにどこかいっちゃったのよ。(最近こればっかり・笑)

メイン氏は「砂」「リンゴ園の少女」「地に消える少年鼓手」いずれもおもしろい。
特に「地に消える・・・」は、リアル派のメイン氏にはめずらしくアーサー王伝説の出てくる幻想文学で、林克巳さんの訳もいいし、ディヴィット・ナイト氏の挿絵もいいし、あー、処分しちゃった図書館、損したね。
この点、岩波の児童書は「プーさん」訳を石井桃子さん(挿絵はE・H・シェパード氏)、「ドリトル先生」(挿絵も作者、H・ロフティング氏)に井伏鱒二さんをあてたくらいだから、良い。

一方で、知人から押しつけられた絵本は(タイトルは書かない)、
「すっごく癒されるの。心がじんわり暖かくなって、元気をもらう感じなの!」
とのお言葉つきなのだが、ナンノコッチャナイ、内容のうすっぺらい自己啓発本だったので、
「ケっ!」
と一読して処分。
まぁ知人といっても親しくも無し、宗教がらみの人らしいので、私なんぞに送りつけてくるくらいだからノルマがあるんだろうな。
「本は尊い物・本はまたいではいけない・本は踏んではいけない・世代」の私でも、ちょっとこれは箸にも棒にもひっかからないものだったので。

見え透いているのである、泣かせようという「特攻精神」、自己消滅によりみんなが幸せになるから「さよなら、ぼくはいくよ」「命はひきつがれて、ぼくらは永遠に生きるんだよ」(さあ、ここで泣け!)狙いが。

そもそも私は「癒される」とか「元気をもらう」とか言う言葉が、安直にバンバン使われるのが大嫌いだ。さすが修道院学校卒というか。

言葉にはそれぞれ意味と重みと方向性があるので、軽々しく使ってはイカンと思う。山上憶良さまものたもうたではないか、日本は「言霊の幸はう国(ことだまのさちわうくに)だと。

「人さまに向かって『どんぶらこ』と挨拶する人」の言えたことではナイのだがね(笑)。