半世紀2012年05月09日 22:02

ドッコイ氏が今日50歳になった。
ということは、4日後に私も50である。
これからは映画館の「夫婦割引」もJRの「大人の休日倶楽部」もOKである。
「人生7掛け論」じゃないが、子供の頃に抱いていた「50歳」とは手応えがまったく違う。
おまけに私は養母の介護やら・鬱病やら・脳炎やら・事故で頭打って記憶喪失1年やら、なんやらかんやらかしていて、「生きた手応え」が十年くらい欠落しているので、自分で考えるとまだ「30代」の実感である。
もちろん、携帯でメール送れないし、近頃のお若い方がお使いになる文庫版サイズのパソコンのよーなものを使えたりはしないけどね。
(すまんな、絵描きなんで親指がヤワなんだ・笑)
「半世紀生きる」というのは言葉にすると重いが、振り返ってみれば「いろいろ楽しいエピソードの積み重ね」である。
人間の脳は「辛い記憶」を忘れたり薄めたりして、その分、「楽しい・面白いエピソードをふくらませる」自浄力がある。(正式な医学用語で何と言うかは失念してしまったが)
あと4日で私は「半世紀生きるって楽しいなー♪」と実感するのだろう。
そして82年生きた母・芳子さんと、夕食の後にまた「女学生の頃のおてんば話」などするのだろう。
体験は濃縮されて経験となり輝く。
「アンチエイジング」なんていうけれど、生きて日々を積み重ねていくことは、とにかく楽しい。

強姦2011年12月20日 02:59

されそうになったことがある。真っ昼間である。とっさに学生カバン(中に辞書が4冊入っていて15キロくらいある)をブン回したら相手の横ッ面にヒットして、難を逃れた。
私はまだ15~6歳だった。
運良くカバンを振り回すスペースがあったから助かったものの、本当に強姦されてしまっていたら私の後の人生観はまるで違ったものになったしまっていたと思う。

ニュースは消えてゆくものだから、しばらくここにつなぎ止めておきます。

【時事通信】 韓国の季明博大統領は18日の野田佳彦首相との会談で、ソウルの日本大使館の前に元従軍慰安婦を象徴する少女像が設置されたことについて「日本政府がもう少し(慰安婦問題に)関心を見せてくれれば起こらなかった」と指摘した。
その上で「誠意ある措置がなければ、第2、第3の像が建つ」と警告した。
韓国大統領府が明らかにした。(以上)

従軍慰安婦に関する記事をもうひとつ

【毎日JP】質問なるほドリ

質問なるほドリ;慰安婦問題を首脳会談で韓国が取り上げたのはなぜ?=回答・西田新一郎

なるほドリ 韓国の季明博(イミョンバク)大統領が野田佳彦首相殿会談で、旧日本軍の慰安婦問題の解決を求めたね。

記者 大統領は就任以降、表だって慰安婦問題を取り上げてきませんでした。しかし、今回の首脳会談では「両国関係に障害物になっている従軍慰安婦問題を優先的に解決しなければならない」と訴えました。

Q なぜ今回取り上げたの。

A 韓国の憲法裁判所が今年8月、「韓国政府が元慰安婦の賠償請求権問題の解決に向け努力していないのは元慰安婦の人権を侵害していて、憲法違反だ」という判断を示しました。判断の後、韓国側は日韓外相会談などでこの問題を取り上げ、日本政府に応対を求めてきました。しかし、日本政府が応じる姿勢を示していないからだとみられます。

Q 日本政府はなぜ応じないの。

A 日本と韓国が国交を正常化した65年の日韓基本条約に伴う協定で両国間の請求検問題は「完全かつ最終的に解決された」と確認しているからです。ただ、実際に慰安婦問題が注目されるようになったのは90年代初頭からです。韓国側は、国交正常化交渉の時点で議論されなかったことから、慰安婦問題は協定の対象に含まれていないと主張しています。

Q 日本は慰安婦問題で謝罪をしていなかったっけ。

A 93年に当時の河野洋平官房長官が談話を出し、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」とし、お詫びと反省の気持ちを示しました。その上で、道義的責任を果たすために国民からの寄付金と政府が事業資金を拠出する形で95年に財団法人「女性のためのアジア国民年金(アジア女性基金)」(07年に解散)を作り、償い金や歴代首相「おびの手紙」を送りました。

Q 韓国では受け入れられなかったということなの。

A 韓国では償い金などを受け取らなかった人が多かったといいます。日本政府が改めて謝罪と賠償をすることを求めているようです。

Q 接点が見当たらないね.

A 民主党の前原誠司政調会長が10月に訪韓した際、アジア女性基金にも触れながら「人道的見地から考える余地がないか」などと述べました。しかし日本政府は否定的で、新たな措置を取ることは難しい状況です。慰安婦問題は当面日韓関係をぎくしゃくさせそうです。(政治部)

(以上)

(蛇足だが1965年といえば韓国はまだ朴大統領の独裁政権で、戒厳令が敷かれ、夜は11時を過ぎると人っ子ひとり出歩けず、民主主義の波もまだ起きていない、無茶苦茶な時代である。)

昔、日本が戦争に負けて進駐軍が日本にやってきたとき、やはり慰安婦として「パンパンガール」という存在があった。
学生時代の母がこのパンパンガール狩りにあって駅前で無理矢理トラックに乗せられ
「私、女子師範の学生なんですけどー!」
と必死に叫んで降ろされた、あとの若い女性たちはどこへ連れて行かれてしまったのか。
自分から、生きていくためにパンパンガールになる女性もいたし(DVD「浮雲」・主演高峰秀子・傑作である)私が5~6歳の頃、上の世代は
「ヘイ、ミスター、ナイスガールいるよ、ファックOK、カモンカモン!」
などという女衒(ぜげん)の言葉を、どこで聞いたか訳も分らず使っていた。


アメリカ軍の(下請けだろうが、とはいえ)駅前トラックホイホイ乗せも荒っぽいが、日本軍は「まかないの仕事だから」とだましたり、家族の強制連行をほのめかしたり、ねちっこい手を使った。
当たり前である、儒教の韓国で進んで慰安婦になりたいものなぞ、いない。
江戸屋猫八さんだったか、軍隊経験のあるタレントさんが、インタビューで
「小屋のね、前にもうズラ~と列になって待ってるわけですよ、兵隊が。手にはコンドームね、『突撃一号』といってね。」
と悲惨さを語っていたな。

もしも母があのときトラックから降りられなかったら、私はもっとずっと早く産まれ、肌の色は白かったり黒っぽかったり、髪の色は栗色だったり黒いチリチリだった可能性がある。
間一髪で逃れた母はめでたく「小学校の先生」になったが、教え子に肌の色の違う子や髪の色が違う子がいて、周囲から差別されないように気を遣ったという。

儒教の国だから言い出せない恥、独裁政権だから言い出せない言論の不自由、「ハードル」はしつこく、高く、幾つもあったはずである。

『女性の人権』という観点から見れば、従軍慰安婦問題はまだ解決していないし、第2、第3の少女像が建ってもおかしくはないのではないかと私は思う。

(あ~、手書き写しは疲れた~・苦笑)

おかね2011年12月02日 23:01

おかねは借りるもんではなく、貸すもんでもない。
「借りて不仲になるよりも、いつもニコニコ現金払い」
をもじって、
「貸して不仲になるよりも、いつもニコニコ門前払い」
というジョークがあるくらいである。

昔の人はよく言ったモンで
「借りるときはえびす顔、返すときは閻魔顔」
ということわざもある。なるほど、貸してもらうときは「ああ助かった」と笑みもこぼれようが、返すとなると工面をつけてのやりくり算段、表情も渋くなろうというものだ。

もう最初から、絶対に返ってこない借金というものもある。
昔の知り合いRちゃんはオートレースの選手に入れ込んでふだんから貢いでいるようだったが、彼が公道で人身事故を起こして、よりにもよってプロのくせに保険に入っていなくて、
「今日中に500万円作れなければ彼は刑務所行き」
という状況に陥って、知り合い先輩みんなに借りまくって、風のように姿を消した。

久世光彦は「向田邦子との20年」の中で、脚本家として駆け出しでまだ収入の少なかった頃の向田邦子の事を
「天から降ってくるお金は大切に使ったが、決して地面にかがんでまでお金を拾おうとはしなかった。」
と書いている。天から降ってくるお金は「堂々の報酬」だが、地面から拾うお金は「しょせん他人のもの」である。

お金は立て替えるものでもない。
かつて私は友人のお祝い事に「4人でまとめて1本(1万)包もう」と言い出しっぺをしたのだが、あとで払ってくれたのはひとりきり、のこりののふたりからは忘れられてしまっている。
それはそれでいいと思う。その程度のことなのだろうから。払わなかった人はすっかり忘れているし、額もたいしたものではなく、この年でいい勉強をさせてもらった、という感じである。
むしろ、それまでが世間に対して不勉強だった。
「スマートに催促するタイミング」を逃してしまった、そのあとも不遇にして催促する機会がなかった、それだけのことである。
ただ、もう私は、冠婚葬祭のドッコイ氏を除いて、誰とも連名ではおかねを包まない。それだけである。

ずっと昔、まだ貧しい頃(といって今が裕福なのでもないが)いちどだけ、おかねをあげたことがある。
相手はドッコイ氏である。急な引っ越しで始まった、養母とそのパートナーあわせてふたり分の介護と、おかね目当ての親戚のゴタゴタと、その合間を縫ってする仕事と、鬱病の発症で、私は彼を置き去りにしてしまった。
やけにたばこ臭く帰りが遅いのも「連日煙草を吸う人達との会議で遅いのかな」と、おめでたく思っていたら、会社近くの金融業各社から(リストに載ったらしい)「お金すぐ貸します」のはがきがジャンジャン舞い込むようになって、やっと気付いた。
たばこ臭いのも遅いのも、ギャンブルゆえであった。
今まで絵や漫画を描いて少しずつ原稿料を貯めていた通帳を崩し、
「いい?この魔法は一度だけしか使えないからね。」
と、彼を銀行に送り出す、その背中を眺めている私の顔は、たぶん「泣いた閻魔さま」のようだったと思う。

と、いうわけで、我が家では「無いおかねは使わない」ことにしている。
今度の引っ越し先も、ローンを組まずに即金で買った。(古い分譲団地だからとても安い。)
実家から徒歩5分。老後を助けると言う名目で、母からはいくばくか「おかねをもらった」。

おかねはきれいに使うのが一番である。
なければ使わないのがよろしい。

小さな生活2011年10月14日 21:37

「滝雨」の予報に、急いで買い物を済ませ、急いで実家に行って、急いで母と夕ご飯を食べて、急いで帰ってきた。
時計を見たらまだ7時前。虫の音が聞える。が、8時になったら予報通りの激しい雨降り。
明日咲く予定の朝顔のつぼみは、はたして開くかな?
ドッコイ氏はあさって長野に「日本一のフランス車のお祭り」に行くのだけれども、ちゃんと晴れるといいな。
海外出張だ、その準備だ、住まいの契約だ、支払いだ、とめまぐるしい毎日、せめて大好きな車の仲間と、出発前に心置きなく遊べると良い。
彼はそのあと用事で実家泊まり、私は留守番。まるで出張の予行演習のようだ。

昨年出版頒布された文部科学省の教材「わくわく原子力ランド」は、事故の後すぐにホームページでの閲覧が中止になって、今日になって180度転換した内容の教材が発表されたけれど、子供たちは何を学び、どう思うのだろう?

私たちの小さな3日間の生活のうちにすらも、世界は、動いてゆく。

大震災から二百日目2011年09月28日 13:36

行方不明者はまだ二千百人近く。
沿岸で発見されるケースが増えているので、今日警察が海岸線を大捜索しているニュースが。
「もう二百日も経ってしまった」と言う気持ちと「まだ二百日しか経っていない」という気持ちが複雑に混じり合う。
この二百日の間にも東北・北関東を中心として中・小規模の地震はたびたびあった。
割と揺れには敏感なタチで、震度1でも「あ、揺れてる」と分る。

この間日赤に寄せられた義援金は29千億円近く、赤い羽根共同募金会が37百億円近く。ボランティア支援金も30億円近く。
先日日赤の義援金受付が来年の3月31日まで延びた、と書いたが、共同募金もいっしょに延びた。
共同募金のボランティア支援は目標が一応30億円なのだそうだが、これはこれからまだまだ必要になると思う。
国の復興規模は兆単位の問題なので、私たちに出来ることは決して大きくはない。

しかし、「ちょっとしてみようか」「しよう」「たとえ少額でもしなければならない」という心が、私たち日本人の心の支えとなる国民性なのだと思う。
立ち寄ったコンビニの募金箱に1円玉2枚でもいい。
「過ぎたこと」にしないで、「もう感心ないこと」にしないで、粘り腰で支援を続けてゆきたい。

ちょっと「天声人語」じみてたかな(笑)。

老女撥ねらる2011年09月08日 16:37

以前、養母の家を片付けていたとき、押し入れから湿気取りの新聞紙が出て来た。
「本日旭区(横浜市)発足」がトップだから40年昔の新聞である。
一面のありがたいことは、ひっくりかえすと社会面になっていることである。
「老女撥(は)ねらる」という見出しで下の方に小さく交通事故の記事が載っている。
さて老女と言うからには腰の曲がったおばあさんかと思ったら、52歳の女性であった。
今だったら婦人団体から抗議が来るな。

私は母方の祖母の顔を長いこと知らなかったのであるが(なにせ戦災で丸焼け)、昨年親戚のつてを頼って、やっとご対面した。
1961年に60歳で、病で逝っているから、それ以前の、50代後半の姿である。
が、これがどう見ても立派な「お婆さん」なのである。
白髪まじりの結った髪、和服、柔和な顔のしわ、パーフェクトに「お婆さん」しているのである。
たぶん初孫が生まれた時だから56~7歳。

これは久世光彦さんの「夢あたたかき」(現在は「ふれもせで」と合本で「向田邦子との二十年・ちくま文庫」になっている)にも似たようなエピソードが出ている。

私は現在49歳だが、「年」を感じると言えば、車のナビ席日焼けで左側だけできた顔のシミがとれないくらいで、老いたと言う実感はない。
あと半年後、50歳で「老女撥ねらる」なんて新聞に書かれたら、抗議するぞ(笑)。

この40年、いや正確には敗戦後の66年間、日本人は平均寿命を延ばしに延ばしてきた。
「定年65歳説」がとりざたされるくらい、「人間五十年」の余命は長い。

養母の家の跡地に球根を植えに行ったら、スーパーの袋を下げた見知らぬ年配の男性に声をかけられた。
聞けばすぐ御近所、ちょっと奥まったところに住んでいる人だった。
「2ヶ月前に妻に先立たれましてね…」
誰でもいい、誰かと言葉を交わしたかったのだろう。
「むさ苦しいもんです、じじいの一人暮らしなんて」
と、苦笑いした、そのスーパーの袋は透けなくても分る、ペヤングソース焼きそばで一杯。
ああ、この人は自分で料理出来ないんだな、それでは味気ない、寂しい一人暮らしだろうなと思った。
私の周りは、父は三宅島暮らしで料理を覚え、兄は山男なので自然と料理が出来、ドッコイ氏はボーイスカウト育ちなので鳥一羽さばける腕前である。

ツレアイをなくしてからの夫婦の平均余命は、女性が十年、男性はたった二年である。

厳しいものである、生きてくということは。

私は普通の人より心拍数が多いので、たぶん平均寿命まで生きないだろう。
のこされたドッコイ氏が、糖尿病と一病息災、あ、心臓もあるか、二病息災で長生きしてくれることを祈るばかりである。
なんと言っても彼の作るオックステール・スープは絶品であるからして。
老後も「料理名人のじいさん」として長く生きてちょ。

私には夢がある。
私を失ってからの彼の食生活を写真を交えた料理本にまとめ、解説を書き、「男やもめのクッキング入門」という本を企画し、出版することだ。
しかし、その時私はこの世にはいないのである、あぁ!

軍足2011年08月15日 16:41

ある方(79才)の、ブログ。
>韓国は国を挙げて日本へ軍足(チャン・グンソク)成る男性を売り込んでいます。
>日本のミーハーの女性軍、今大阪心斎橋大○で、韓国男優グンソク
>(私は敢えて軍足と表記)のポスター団扇などに女性軍が群がっている模様が
>テレビで流れています…

「敢えて」「軍足」とは…あんまりな。(軍手の足版。5本指、または足袋状の簡易靴下のこと)
「軍靴の響き」なーんて、連想しそうな単語。
ちょっと調べれば韓国語表記「張根碩」さんだと分るんですけどね。

私には実はツングースの血がちょっと入っています。(江戸時代頃)
だからかな、わざわざ大切な思いを込めてつけた「グンソク」なり「根碩」なりの名前を悪意を持って「軍足」って言っちゃう性根が分らない。
この方とは残念ですが縁を切りました。

しかし韓流大スター「チャン・グンソクさん」を知らない私も私(笑)。

子どもの被ばく検査結果 削除2011年08月13日 20:23

ニュースは消えていってしまうものだから、ここにこうしてつなぎ止めておきます。
文部科学省のホームページでは閲覧できなくなった学童用副読本「わくわく原子力ランド」も国会図書館ではまだ閲覧可との情報もあり、(もうダメかもしれんが)なんでこんな、必要な情報まで隠すかねーと、おばちゃんタメ息。
居住地区など一部情報のみ消せば済むことじゃんか。

「子どもの被ばく検査結果 削除(NHK NEWSWEBより)

8月11日 5時10分
東京電力・福島第一原子力発電所の事故で、インターネット上で公開されていた福島県の子どもの甲状腺検査の結果について、個人を特定できる可能性があるとして、国の原子力安全委員会が、すべて削除していたことが分かりました。専門家は、「正確な情報提供に逆行する」と指摘しています。
福島第一原発の事故で、国の対策本部は、3月に福島県いわき市などに住む15歳以下の千人余りを対象に、放射性物質が甲状腺に蓄積していないか検査を行い、原子力安全委員会がインターネット上で結果を公開してきました。この中には、いわき市の4歳の子どもが健康への影響は無いとされる、甲状腺に受けた放射線量にして35ミリシーベルトの被ばくをした、とする記述もありました。ところが、詳しい住所が含まれていたことから、原子力安全委員会は、「個人を特定できる可能性がある」として、今月初め、記述をすべて削除しました。しかし、子どもの甲状腺の検査結果は、ほかには一切公表されていないうえ、個人の特定とは関係のない、被ばく線量などの情報まで削除されたことから批判の声があがっています。災害時の情報伝達に詳しい東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授は、「子どもの被ばくに過敏に反応されることを恐れて削除したと言われてもしかたがない。正確な情報提供で対応できるようにしてもらわなければならないのに、逆行するあり方だ」と指摘しています。」

悲しい夢ばかりみている2011年07月19日 17:51

 
スラスラとペンを走らせて絵を描いている夢をみた
それは私の目から見ても美しい線だった
本当は指の痙攣でもうペンは握れないのに

寝転がったままで便箋に文章を書いている夢をみた
それは綺麗な文字で、面白い文章だった
もう字すらまともには書けないで、文章はみんなパソコンにすがっているのに

私は叶わない夢ばかりみている

諦めないと誓ったのに、私の指は悪くなる一方だ

現実は厳しい

母娘の交換日記を書くのも辛いほど、自在に文字を書くのすら難しい

鬱なのは百も千も承知だ

特に今はそれが深いことも分っている
何度もくぐり抜けてきた悪い夢の時間帯だ それだけだ

ただ辛いときには言葉にしたいだけ…

本日もドタバタとしながら考える2011年07月12日 21:43

朝、布団の中で痙攣発作2分ほど。これだから脳炎は困る。
痙攣発作は前回の「江戸桜」会場で起こして以来ちょくちょく出るようになってきていたが、このレベルは2007年の川崎琉球民謡コンサート会場以来か。
あのときはスピーカーの(しかも古い)真ん前の席で、大音量で割れたスピーチを聞いているうちに気分が悪くなったのだった。
今回は前触れも何も無しに寝起きの一発。しかも全身。
続くようなら医者へ行こう。

暑い中、母につきあってもらってお中元(デパートではラッシュピークを過ぎたのでもう「暑中見舞いお届け」になってしまうそうだが)の手配。
直前に変更などあり、あたふたする。兎角浮き世は面倒だ。
が、眼交(まなかい)にもとなかかりて、じゃない、お世話になったあの顔、なつかしいこの顔など浮かび、安寐(やすい)しなさぬ、じゃない、おつきあいというのも人生の味わいのうちだな、と思う。

元歌は山上憶良(やまのうえのおくら・万葉集)

 瓜食(は)めば 子ども思ほゆ

 栗食めば まして偲はゆ(しのばゆ)

 いづくより 来りしものぞ

 眼交(まなかい)に もとなかかりて 安寐(やすい)しなさぬ  

何かのご縁で親しくなった、親戚になった、教えを受けた、大切な方々である。
このご縁は、いずくより来りしものぞ。
生きてゆくこと、それ自体の不思議。