廃船2011年03月01日 22:47

その光景を覚えている最後の世代か、私は。
今はグラスファイバー製の漁船も、昔は木造だった。
三宅島の漁港には、引き上げられた廃船が何艘か並んでいて、島の子供達はそこで遊んだ。
もちろん私も遊んだ。
港のそばには江戸時代の廃屋もあり、屋根が抜けており、黒い柱々に陽が差し込んで、美しかった。
船は、子供の体格から比べても決して大きすぎる物ではなく、これで太平洋の黒潮の流れに漕ぎ出すのかとかと思うと、少し怖かった。
あばら骨のような柱が何本も並び、それは朽ち果ててゆく恐竜の骨のようでもあった。
美しかった。
人間がまだ石油製品を手に入れる前、木造の文化は、石造の文化は、「滅び行く美しさ」を誕生したときから運命づけられていた。
「我々は美しい廃墟を持ちうるか」というのは大学に行ってから学んだことだが、21世紀の今、答えは「否」である。
私たちは、進歩しすぎた。
願わくはこの進歩を、限られた人の富の極地集中のためではなく、あまねく広く、この惑星全体の幸福のため使って欲しい。