戦友2016年03月29日 15:00

お義母さんが最期にお世話になった特養のスタッフ、K丸さんと最期の書類会わせ。
老人ホームを移った義母を、特に「まだ回復できる余地がある」と見抜き、寄り添ってくださった方。
「実は初めてお会いした時から大好きでした!」
「私もです!」
と別れ際に最期の告白。
この人がいてくれたから義母の飛躍的回復8ヶ月があった。

私たちは戦友だ。

義母、逝く2016年03月28日 08:20

おはようございます。
義母が逝きました。
夜更けに駆けつけた私たちに、ちょっと持ち直して「家族室」での休息を与え、急変して最期はモニターの心臓の波形がパッとクラッシュするという、まことにあっぱれな最期でした。

初夜と中沢先生2015年03月09日 23:34

大人になって男性で恋をしたのは3人である。(小さい頃は「お嫁さんになって!」の嵐で訳が分からん!ちなみに女性はナイショ。)
ひとりは、恋に堕ちたそのとたん「お母さんが倒れて」故郷へ帰り。
ふたり、お母さんが亡くなって、ひとりは「ごめん、故郷に帰らなくちゃならない」で別れ、もうひとりは「ごめんね、残酷だけれど、私あなたのお母さんの替わりにはなれないのよ。」で自然消滅。
しかし私は処女であった。
卒業の日の最後の授業、お堅い中沢先生(女性)が、
「結婚式を迎えて初夜を迎えるまで、守りなさい。私がデートの時は弟が『おねえちゃんこれ』といって純血のお守りを渡してくれたモノです」
とおっしゃったから。
私は中世ヨーロッパで婚儀の閨に、「もし花嫁が出血しなかったらこのハトをナイフで殺してハンカチを染めよ」なんていう貴族風習まで知っていたんだけれど、恩師の教えであるから守ってきた。
以来私は、よっぱらってチューしようとする者や、畳にいきなり押し倒す「さかりのついたオスどもを、蹴り上げ、張り倒し、アルマイトやかんでボコボコにしてきた。
中沢先生、スギウラは、劣等生だったけれど教えを守りました!
んでもって初夜の晩。
「じゃ、つけるね!」
と明るく言い放ったドッコイ氏、彼も純潔。
「あっれー、どっちが表か判らないな~。」
「どれどれ、見してみ。構造上外巻きが表のハズ…」
なんて初夜の晩は、中沢先生のおっしゃるような「天使と飛び交いアヴェ・マリアが鳴り響くような荘厳なモノではありませんでしたとさ。

いまは天国の中沢先生、私は子供も授からず、じーちゃんばーちゃんばかりの団地で暮らしておりますが、結構幸せです。

若桑みどり先生2015年01月13日 18:38

「聖母像の到来」(青土社)が出たので買ったら、あいかわらず分厚く、若桑先生、お元気ですね(笑)。
大学時代の恩師のひとりである。今年もう80におなりですか、紫綬褒章ももらっている、中世西洋画とジェンダー研究の第一人者である。
私の「カラヴァッジオ好き」(ヘンな兄ちゃんだけど!)は、彼女から来ている。
在学中に
「ちょっとシスティナ礼拝堂の『ふんどし』はずしに行ってくるわ!」
と行ってイタリアに渡ったのだけれど、これが数年にわたる大修復。で、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた総壁画「天地創造」、これ、時のローマ法王の逆鱗に触れ、
「オールヌードでイカガワシくてイカン!」
というので、彼の死後、弟子のダニエレ・ダ・ヴォルテッラが、全員にうす水色の「ふんどし」を描いた(よって彼は後生「世界一のふんどし画家」という不名誉な名前で呼ばれたのだが)、それを、
「修復と一緒にはずそうじゃないの。」
ということになり、現在バチカン行くとスッポンポン姿が見られます。
長年のロウソクや香の煤もきれいにしちゃったんで、実物観たときは、なんだかやたらツルツルピカピカしていたな。
日本の寺みたいに、古い物は古くていいと思うのよ。
若桑先生はイキのいい人で、ある朝目を覚ましたら窓の外を通る山手線が「アルミボディー」になっていたので
「あれは美的ではありません!」
とJRに抗議の電話をかけた、という武勇伝が残っている。
基本的に「機械=シルバー」というのが嫌いで、インデストリアル・デザインで「なんでみんな銀色にせにゃならんのか!」というようなことを熱く語っておられた。
「女性画家列伝」(岩波新書・絶版だけどたぶん図書館にあります)なぞ、読みやすくて面白くて、お勧めです。


このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。
発覚した場合は提訴します。

小沢昭一さん2012年12月10日 14:37

小沢昭一さんが亡くなった!ショック!
ナマで拝見したのは1度きりでした。
残念無念…合掌…

Aちゃんと選挙2012年12月09日 01:40

「時々、選挙で投票に行かないことを得意げに語る人がいるけど、反応に困るわ。正直に「ほぅ。『政治に期待しない俺、かっこいい』アピールですか。大人の中二病ですか」と思ったことをそのまま言ったら、角が立つし。」
とのたもうたのは私の好きな作家森奈津子さんである。

今回、東京は都知事選もあり、ドッコイ氏が海外出張の前日、ふたりで期日前投票に行った。
こんなに悩んだ選挙は初めてである。
「日本はこれからどうなってゆくのか…」
投票用紙をもらう直前まで、まだ迷っていた。
が、とりあえず「はげちゃびん」とは書かずに(笑)無事投票を済ませた。

繰り返しになるかも知れないが、私の昔の仕事仲間Aちゃんは絶対選挙に行かなかった。
「だってー、私ひとりの一票なんかで日本が変るとは思えないもの。」
と、投票日にも仕事に精を出して稼いでいた。(仕事の腕がすこぶる良かった。)

後にAちゃんは結婚して、いささか山深いところで暮らすようになった。
夫の勤める会社はある国会議員と結びつきが強かった。
Aちゃんは手の平返して「○○先生をかこむフェスティバル」の応援にスタッフとして参加し、選挙の時には駅前まで娘をだっこして手を振りに行き。
時は流れた。

いま、Aちゃんの夫は転職して別の会社に単身赴任である。
3人の娘を授ったAちゃんはいま、未来の日本での子供たちの将来をどう考えているのだろうか。
Aちゃんは投票にいくのだろうか。
それが知りたい。

山口美江さん2012年03月09日 21:08

山口美江さん急死..。
お隣のインターナショナルスクール出身で(同じ修道院が運営)何度か出会っており、
「あー、きれいな人だなー。」という想い出が。
横浜のアンティークショップでも一度お見かけして挨拶しており、51歳の死は早過ぎるなあ、と。ご冥福を祈るばかりである。
(あー、フジッコの柴漬け食べたい。)

ドッコイ氏帰国2011年12月24日 09:04

ドッコイ氏が帰ってくる。
アフリカの、かなり危険な国で、外国人の一人歩きは認められず、食事に行くのにも雇った運転手と車で移動という物々しさだったそうであるがとりあえず「41日の予定が52日で帰国」というのは、延び延びになりがちな会社の仕事にしては、まあ「こんなもんかな」という感じ。
昔はもっとすごかった。

1・「タイに3ヶ月」の予定が、延びに延びて結局「半年」になったりした。しかもその間応援のため「極寒の2月のパリ経由」で「灼熱のでアフリカ班と合流」と、、ビザが切れるので1泊2泊でシンガポールに滞在(そんなら1時間でいいから日本に帰って顔見せてくれ!)とか。
2・イラクに行っていたら戦争始まっちゃって、とりあえず荒れ野を車飛ばしてクルド人居住区へ避難とか。

ひとたび出国したら、待つ方は腹をくくるしかない。
国によってはまったく連絡がとれない場合もあるので、待つ身は辛いが、最近は携帯電話とインターネットの普及で、何とか連絡のとれる国が増えてくれて嬉しい。
ただ今回は電話の電波状況の悪さと(首都近辺以外繋がらない)パソコンの不調が重なって、かなりしんどかった。

何のかんの言ってドッコイ氏は不思議な職業の人である。

「千万(ちよろず)の 軍(いくさ)なりとも
  言挙(ことあげ)せず 取りて来ぬべき 男(おのこ)とそ思ふ」
(万葉集・6巻・972番 高橋虫麿の歌)

(「言挙」とは言霊による祈りで、「エイエイオー」のもっと強烈なヤツのこと。)

「じゃ、行ってきます。」と、よいこらしょっと重い荷物を持ってふだん通りに行ってしまうこの人の,背中を,私は何度も何度も夢に見るのである。

真実と愛はうそと憎しみを克服する・ハベル元チェコ大統領逝く2011年12月19日 03:49

ニュースは消えていってしまうものだから、ここにつなぎとめておきます。

「(毎日新聞)
 【ウィーン樋口直樹】旧チェコスロバキアの共産政権を非暴力で倒した「ビロード革命」(89年12月)の立役者で、民主化後初の大統領を務めたバツラフ・ハベル前チェコ大統領が18日、チェコ北部の別邸で死去した。75歳だった。死因は不明だが、長年肺を患い、96年には肺がんの手術を受けていた。現地メディアなどが伝えた。

 「ビロード革命」--。流血を伴うことなく、ビロードのようになめらかに進んだ民主化革命のことをこう呼ぶ。「反体制派劇作家」と称されたハベル氏は「真実と愛はうそと憎しみを克服する」をモットーに、平和的な民主化移行と自由経済の導入を成し遂げ名声を得た。

 旧チェコスロバキア大統領の後、93年にはチェコとスロバキアの分離に立ち会い、チェコの初代大統領を2期10年務めた。」

まずチェコスロバキアとして共産圏から別れたが、チェコとスロバキアはまったく別の文化を保つ民族なので、手際よく、どちらも納得できる形で分離させた政治家である。
ユーゴスラビアの「ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争」のような悲劇を、まったく起こさなかった。
これは当時としては奇蹟的な出来事だった。

名政治家とはこういう人のことを言うのだろう。
比べて日本は…

他己紹介2011年10月05日 09:45

あんまり「他己紹介」というものを書かない。
舌っ足らずな筆だし、なによりも紹介される側にとって
「意にそぐわないトンチンカンな事」
を書いてしまって、先方にかえって迷惑をおかけすることがあるかも知れないからだ。
私の着眼点は他の人よりぶれていることが多く、書かれた人も困惑するだろうと思う。
しかし「他己紹介された」事はあるぞ、しかも私の兄貴からだ。
     
兄貴に言わせると私は
「まんまる眼鏡の小柄なおばちゃんです。
目だけが異様に輝いています。 
今し方敵陣に切り込んで血刀下げて壕に帰ってきた『夜戦切り込み隊長』か
『アメリカ大使館玉砕占領に向かうヴェトコン』です。
会わない方がいいです。」

なんですって!
何者なのよ、私!!(笑)