情景2020年05月07日 07:40

薄緑色の乳母車(今のベビーカーと違って対面式)に乗せられてわたしは母を見上げている。

母の片手にあずきミルク色の日傘、その遠くにけやき並木からちらちらもれる木漏れ日。

カラカラと車輪の回る音、母がなにか優しく話しかける声。

オオカミさん2013年03月26日 22:26

母がおもしろいもの を発掘してきた。
子供の頃に聴いていたレコードの数々である。
といっても、枚数はないよ、ウチは貧乏だったから。
稼ぎはよいのだけれど、それに輪をかけて浪費家だった父のおかげである。
だから数枚のレコードを、それこそ溝がすり減るまでくり返し聴いたのだ。
       
出てきたのはキングレコードの「たのしいおとぎ童謡集」つー25センチ盤と (内容が相当古いので兄貴のだね、こりゃ)ソノシート(ぺらんとしたレコードのことよ、ねんのため)NHK「よい子のうた・NHKテレビ うたのえほん」 (「おかあさんといっしょ」の体操の歌なんか入っていて、歌のおねえさんは初代・真里ヨシコさんじゃなくて2代目のみずたにれい子さんだ)
それに「ぶーふーうーのうた」である。
    
この「ぶーふーうーのうた」が、すこぶる良いのだ。
「ぶーふーうー」はNHKの子供向け番組の中でも傑作中の傑作である、知らない人は知ってください、すごいから。 ビートルズを語らずしてロックンロールを語れないように、「ぶーふーうー」は黎明期のテレビ番組の「マスクドプレイ・ミュージカル」(「かぶりもん歌劇」とでも訳すのかな)の金字塔である。なんせ脚本・作詞が故・飯沢匡(ただす)さんなのだからして。
    
内容は童話「3匹のこぶた」を、舞台をメキシコにして連続コメディーにしたような世界で、他に跳ねっ返り娘のオウムの「ペロちゃん」と、全然恐くない「ユーレイさん」が出てくる。 「ぶー」がドラえもんの大山のぶ代さん、「ふー」がパーマンの三輪勝恵さん、「うー」が黒柳徹子さんである。そして、どこか愛嬌があって憎めない「オオカミさん」が永山一夫さん。
    
この「オオカミさん」は本当はこぶたたちと仲良くなりたいのだが、いつも何かしら食い違いがあってイジワル役&負け役にまわってしまうのだ、わたしはオオカミさんが大好きだった。 幼稚園の学芸会で「三匹のこぶた」をやることになって「おおかみ」の大役が回ってきたのだけれども、私の好きな「オオカミさん」とはまったく別人で、泣いて抗議した位!(ふだんはおとなしい、聞き分けのよ い子供だったのよ、一応・笑)好きだった。   
     
永山一夫さんは、調べたら「劇場版アニメ・わんわん忠臣蔵」に出ていたらしい、あとは任侠映画などにも出ていたらしい。
「永山一夫」と名乗っていたのは、本名が「コン・ピョンスン」さんだっからで、この名前ではオーディションに受からないと赤ちょうちんで嘆いていた彼に、居合わせた客が「じゃあオレの名前を使うといいよ」と言ったからだという。
オオカミさんは朝鮮半島から戦前戦中「強制連行」されてきた人、あるいはその
子孫だったのだ。
    
その日、その時間になんでNHKの朝の奥様番組を観ていたのかわからない、(たぶん風邪でもひいて学校を休んでいたのじゃないかな?)1971年の冬のことである。
テレビスタジオには鈴木健二アナウンサーと黒柳徹子さんがいた。
黒柳さんが電話で誰かと話をしながら泣いていた、相手はあの「オオカミさん」の声のひとだった。
新潟から北朝鮮に帰国の船が出る、その船に、永山さんはこれから乗るという。1950年に始まった朝鮮の南北戦争は3年に及び、さらに2年の休戦交渉の末に250キロにわたり朝鮮半島を分断する「38°線非武装地帯」で一応決着?がついて、これからの祖国再建のために、日本を出るという。
その第161次帰国団250余名の中にオオカミさん、いや、永山さん、いや、コンさんはいて、マンギョンボン号の出航する新潟港と電話はつながっていた。
    
船に乗ってしまえば、もう連絡のつてはない。
本当の本当に情報のない時代だったのだ。
「どうぞお身体にお気をつけて、お元気で。」
と何度も何度も繰り返し、黒柳さんは泣いていた、「うー」の声で。
「さようなら。」とコンさんは言った、「オオカミさん」の声で。
    
のほほんと脳天気に育った私には、「大人も泣くのだ」ということがショックだった。 「永遠の別れ」というものが、この世にあるのだということが。
    
出てきたソノシートにはオオカミさんの歌う「おれはのけものだ」という曲がある。 瞼を閉じたオオカミさんがギターをかき鳴らす写真がついている。
    
おれはのけものだ
いつでもいつでもなかまはずれ
どうしておれはすかれない
どうしておれはきらわれる
おれはこんなにいいオオカミなのに
みんなみんないやがるんだ
おれはのけものだ
いつでもいつでもなかまはずれ
   
飯沢匡さんの作詞したこの曲を、オオカミさんは、永山さんは、コンさんは、どんな気持ちで歌っていたのかなぁ、などと、私は考える。
     
オオカミさんは、北朝鮮で亡くなられたという。
享年は、わからない。

兄貴の爆弾2012年04月05日 15:41

「歌のメリーゴーラウンド」という子供向け歌番組が、その昔NHKにあった。(1964年から続いた。)
しゃれた番組で、ペギー葉山さんの歌う「サウンドオブミュージック・ドレミの歌」を、私はここで覚えた。
少年少女合唱団がいつも気の利いた寸劇などしてくれて、忘れられない…はずなのだが、聞くそばから忘れていくのが子供の特権。
ミュージカル「白雪姫」なんかやってくれちゃって、今でも旋律は耳に残っている。
が、歌詞を忘れてしまった私は、翌日兄に聞いた。
さー、ここからがこの頭のいい「悪兄」の出番である。

私が教えて欲しかったのは、白雪姫が毒リンゴを食べて倒れてしまって、小人たちが嘆き悲しむシーン。
「揺すぶったって起きないよ~♪」
「死んだなんてあんまりだ~♪」
「どうしよう、神さま~♪」
「おいらの~なか~よし~♪」と短調でスポットライト!

と~ころが~。
兄貴の「悪」はここで発揮された。
「なんだお前、きのう聴いたのにもう忘れちゃったのか!あそこはな、こうだ!」
最初の2節はあっていた。
しっか~し!

「どうしようデベソん~♪」
「おいらの~とうへん~ぼく~(唐変木)♪」

これを14歳まで信じていた私も私。
学園祭で音楽部が演じたミュージカル「白雪姫」を観るまで気がつかなかった!
なんてこったいっ!

ああ、妹というのは「兄貴にとっては格好の『おもちゃ』」である。
兄はなんでも知っている、兄は頭がいい、兄は頼れる存在である。
しかしどこかに「悪の爆弾」を仕掛けておいたりもする。

いい例がひな祭りの歌で(これは割と早くに気がついたが)
「灯をつけましょ百ワット~♪
おハナをあげましょ豚の鼻♪
五人囃子の愚連隊~、今日は楽しい殴り込み~♪」
なんである!(笑)

先日HNKの動物番組で、やっと「クジラは上を向いて寝る」のがウソだと分った私。
赤道は銅製の幅十メートルの帯で、マラッカ海峡では船を通すためはね橋のように「バンザイ」をしないんだと知った私。
兄の仕掛けた「悪の地雷」はあといくつ残っているのか。
わたしゃそれが恐ろしい(笑)。