描くって…大変!(1)とにかく頑張れ女の子!2023年05月22日 20:26

かつて私は漫画とイラストを描いてご飯を食べていた。
レタリングの勉強もしてオリジナル筆記体を作れたので、南伸坊さん言うところの「イラストライター」もやったし、イラスト抜き、文章だけ、というのもあるが、基本は利き腕である左手でとにかく描く・あるいは書くことのプロでした、ということだ。(信号無視で横断歩道に突っ込んできた車にはねられて、腕含めて左半身潰して一瞬で失業した)

デビューは25歳、当時同世代の女性漫画描きでは相当遅い方で、早い人は高校生デビューがあたりまえ、25ともなると「連載2本で単行本9冊出したし、いま連載中のが終わったら引退して故郷に帰って結婚して、いままでの印税でマンション買うか、実家が広いから庭に一軒立てて新居にしようかなー」なんてケースもあったりする時代であった。今は30代デビューも、一旦引退しけどでもやっぱり描きたくて再デビューも、なんでもありである。いい時代になったなあ。

実は私は小さい頃ほとんど漫画というものを知らなかった。歯医者にある「サザエさん」と床屋にある「週刊少年マガジン」と兄が小さい頃買った「鉄腕アトム」が世の中の漫画の全てだと思っていた。
テレビも父の見るNHKニュースと子供連続人形劇しか見てなくて、アニメも特撮も知らなかった。「テレビはバカになる、特に民放は見ると大バカになる」と信じていた父のせいである。
が、小学校5年生のときクラスに学級文庫を作ることになって、同級生の一人が「お兄さんの本だけどもう読まないっていうから」と石ノ森章太郎さんの「マンガ家入門・続マンガ家入門」を持ってきて、それを読んで「こんなすごい職業があるなら、よし、私は漫画家になる!」と決めてしまったのだ。「なれたらいいな」ではなく「絶対なる!」である。

我ながらたいした自信どころか「おめでたいやっちゃ」だ。
だが、ホントになってしまったあたり、漫画の神様が「めずらしいヤツだ、よしよし」してくれたのかもしれない。
まあ大傑作「寄生獣」の作者・岩明均さんなんて高校卒業まで漫画というものをまったく読んだことなくて、大学入って初めて漫画読んで、大学2年で「描こう」と思って大学の漫画研究会に入って、あれよあれよという間に(卒業前)デビューしてしまったのであるからして、やっぱり「漫画の神様はいる」というのは正しいのだろう。

「マンガ家入門」は「上手な漫画の描き方入門」ではなかった。
実際の「描き方」なんておしまいの方にたった1ページ、しかない。
にっこり笑ったまんまるお月さまと雲を、鉛筆で下書きして、ペンで線を入れて、消しゴムかけて、空を墨で黒く塗って、ポスターカラーの白でちょんちょんと星の点々を入れて、おしまいである。後に色々な漫画のノウハウ本を読む機会があったが、ここまで「描き方」を教えない本は他にない。

内容の99.5%は職業漫画家になるための勉強の仕方やアイディアの出し方、石ノ森さんの実験的傑作少女漫画「竜神沼」全ページの演出法と画像の分析、職業として続けていくノウハウ、著作権問題やプロダクションの作り方、東北の山奥に生まれた石ノ森さんがゼロからどうやってプロになったか、ということを書いてある本で、「さあ、これを読んであなたも漫画家になりましょう!」とは一言も書いていない。
むしろ
「デビューするまでは食えません」
「デビューできてもヒットしなければ原稿料が安いままなので、生活は大変です」
「ヒットしたら仕事が押しかけて、不眠不休になるので寝る間もありません。毎日フラフラでも描かなければなりません」
「ヒットしても、人気にあぐらをかいて勉強を怠ったら、すぐに読者に飽きられて、あっさり潰れておしまいです」
と、本当のことをきっぱり書いているあたり、石ノ森さん正直である。子供向けとしてはものすごく高度な内容で、シビアだ。
シビアだからこそ、小学校5年生になりたての純情少女はいきなり燃えちゃったんである。

確か東京のアルバイト時給が千円近くいった頃(07年だったかな?)に出版された「少女漫画」(松田奈緒子)という少女漫画界をかなりリアルに描いた大傑作漫画があるが、作中、デビューして5年まったく売れない少女漫画家が「時給換算したら200円ですよ!」と悲鳴を上げるシーンがあって、1週間も10日も不眠不休で描き続けても「食えない」のである。だから、アルバイトしたり、売れっ子のアシスタントしたりする。
2020年代になるともうコンピュータ作画が多数派になって、専門学校でノウハウを勉強しようとすると、バカ高いコンピュータと授業料を払わなければいけないので、プロの友人が「漫画家は紙1枚ペン1本でスタート」から「親が裕福じゃないと目指すことも許されない、お金持ちの子供限定の職業になりつつあります」と嘆いた。
むしろアニメーターのほうが、大都市では就職コースの高校に「アニメ科」を設けるところができて、学校の実習室はコンピュータ完備、就職すれば職場に完備で、全部自腹の自由業・漫画家よりもアニメ制作会社に雇用してもらうアニメーターのほうが、職業としてのハードルは低いと思う。

コロナ前のクリスマス、夫と地元駅前の大きな家電屋へ行った。
7階建てかな?広いので家電以外にもいろいろある。
「マーカーとメモ帳買いましょう」とステーショナリーコーナに行ったらきれいな箱を抱え「これで私も漫画家ね!」とはしゃいでスキップする小学校高学年くらいの女の子とすれ違った。後ろにニコニコ顔のパパとママ。クリスマスプレゼントらしい。

「何買ったんだろう?」と棚を見たら、ありました「マンガ家スタートセット」透明フィルムの向こうに鎮座ましますペン軸1本、それにつけるGとさじとスクールのペン先1本ずつ、丸ペン専門ペン先に丸ペン先1本、黒インクと修正液のボトル、ミニ定規、「マンガの描き方」の冊子。箱の裏を見たら、他に「ネーム用紙16枚・原稿用紙16枚・ミニスクリーントーン3枚」でワンセット。
職業上それぞれの単価はわかるのでその場でざっと計算したら、セットにすることでかなりの金額かぶせているおいしい商売ではある。まあビギナーが新宿の「世界堂」とか大きな画材店へ行って、広い売り場を右往左往こまかいものひとつひとつ買い揃えるのは大変なので、小学生のクリスマスやお誕生日にパパにおねだりするといいかな、というもの。鉛筆と消しゴムと黒いとこ塗る筆とスクリーントーン切るカッターはお家にあるの使ってね、ということらしい。

でも私なりに考えちゃうんである。
ペン先1本きりというのは、筆圧のコントロールの効かないビギナーは力が入りすぎて先のスリットがすぐに割れて(「日和る」と言う)ダメになっちゃう。下手すると1日で日和るぞ。一度日和っちゃったペン先は細い線は絶対引けないし、線がよれよれになるので大丈夫かな。
それにネーム(本番原稿前、鉛筆でセリフとフキダシやコマ割・人物の位置と顔の向きとだいたいの構図を決める)用紙、16枚で足りるんだろうか。セリフや顔の向きは何度も考え直して、消しゴム何度もかけると薄い紙はもたなくて、数ページ全部やりなおしってのもあるし、私の場合本番原稿のページ数の最低3倍は消費するのが常だった。だから80枚とか百枚とじの計算用紙を使う。そのほうが安いし効率的だと思うけど。

…以前の問題として。
この「マンガ家スタートセット」箱のサイズがA4なのだが…

日本の場合商業マンガ誌の基本サイズはB5判なので(「少年ジャンプ」とか「りぼん」とか)プロの本番原稿はB4版である。線がシャープに印刷されるよう、雑誌サイズの枠線内1.2倍の大きさで原稿を描き、枠線から上下左右はみ出す「タチキリ」、その外側には作者と編集者と製版スタッフが確認する通しナンバーとタイトルスペースでB4になる。プロがA4原稿用紙を使うのは、コンビニ売り専門の小型雑誌の仕事のとき。コンビニは並べるスペースが限られるので、目立つところに置いてもらうには判の小さい方が有利なのだ。

なので、A4原稿用紙に作品を描いて漫画雑誌の編集部に送っても、まず入門の「新人漫画賞」の投稿規定に外れて、入選・落選以前に受け付けてもらえない。プロにはなれない。(まあ、まったくのビギナーということで、アドバイスと「これからはB4判でトライしてね」の一言は添えてくれると思うが)

A4判の原稿用紙が通用するのは同人誌、コミケとかコミックシティーとかいった、自費出版した漫画本の即売会である。アマチュアは学生だったり社会人だったりで漫画執筆の時間が限られてしまう。が、年に2回開催の世界最大の即売会コミケにどうしても好きなアニメの二次創作(つまりパロディー)とか、押しのタレントのコンサート・レポートとか、自分のオリジナル作品とか出したかったりする。で、漫画雑誌より一回り小さい(短時間で24ページとか36ページの執筆ができる)A5判の本を、同人誌専門のオフセット印刷会社で刷ってもらう。印刷所も心得ていて、指定のイベント開催日の朝までに、会場の指定ブースに届けてくれるし、大量に売れ残ったら次のイベントまで倉庫に格安で預かってくれたりもする。アマチュア向け商売はそれはそれでちゃんと成り立っているんである。

だから画材店の漫画コーナーではB4判は「プロ用」A4判は「同人誌用」ときちんと表記して並べてある。
A4判原稿用紙を「マンガ家スタートセット」として売るのは、まあ箱がB4だと店頭に並べるのに場所くうし、でかいといってもその分価格に持ってくととても高くしなくちゃいけないし、「まずは同人誌で腕試ししてね」ということなんだろうなあ。

今年の春、今の小学校高学年の将来なりたい職業アンケート結果が発表になった。男女とも「会社員」が上位に入っていて、ああ、時代は堅実路線なんだなあ。
で、なんと女の子の3位が「マンガ家・イラストレーター」で、マンガ家は昔人気だったが久々のランキング入りである。イラストレーターは私の知る限り初めてのはず。
コロナ禍で外出できない間、おうちでのお楽しみだったのかしら。今はネットで本取り寄せられるし、スマホでも名作から最新作まで気軽に読めるし。

漫画も根気のいるマラソン職業だが、イラストは更に、ものすごく細かいところをちみちみとつつき続ける視力と集中力がとんでもなく必要なので、物語性が優れていれば絵は少し雑でも「それもまた個性」と許される漫画と違って、絵に関する天賦の才をさらにずっと磨き続けなければならない。
あっさりサラサラッと仕上がっているように見えるものほど緻密な構図・色彩計算を事前にみっちりしなければならず、失敗は許されないので自分の持っている技術のどれとどれを組み合わせたら上手くいくかとことん考えねばならず、ホントに「思いつきでチャチャッと描いたらハイ大金」の美味しい仕事では絶対ない。
小学生女子、がんばってね。

まあ今は、小学生でも白い紙に水性ボールペンで描いた線画をスマホに取り込んで、アプリで色つけてSNSにのせて「私の作品見てください」できるので、わりと簡単に「イイネ」もらえて嬉しいかも。
そこから職業にするまでの長い道のりと、職業にした以上「まったく描きたくないもの」でもクライアントに「描いてください」と注文されたら絶対締め切りまでに描きあげなきゃならない大変さにめげないでね。
ジャニーズっぽいの描きたくてプロになっても「芸能人描くの上手い人がいる」と聞きつけたクライアントが「演歌歌手の村田英雄お願いします」って来ちゃったりするのよ。しかも「3日以内に」とか無茶言うのよ。にっこり笑って引き受けて、愛を込めてステキな村田英雄描いてね。
プロになる・職業にするって、そういうこと。

今の日本ではもうとっくに漫画もイラストも「芸術」として認められてはいるけれど、職業としてはアーチストでもありクラフトマン(職人)でもあり、という感じだと思う。まったくアートではない漫画家もいる(例・柳沢きみおなど)
小学校5年の女の子に「それは職人仕事ね」と言っても、まだピンとこないでキョトンとされちゃうとは思うけれど。
幼くても志したからには、くじけずコツコツ励んでほしい。

少女漫画家・内田善美さんとエッセイスト・田辺聖子さん2020年04月22日 01:08

内田善美さんの単行本は、まだAmazonで入手できる。
これはコツがあって、判の小さいものより大きいものを買うこと。
美術大学を出た内田さんの描く世界は、それまでとはまったく異質なものだったので、カラーにせよモノクロにせよ、大きなサイズで見ないとわかりにくいのだ。

いや、ハマったもんだね大学1年の私。
部屋の段ボールひっくり返してて原稿が出てきたら、もうビックリ仰天、ここまで影響受けてたのかー!(笑)

丸ペンという「細い線を書くための専用ペン」(軸が普通のペンと違う)で、エッチングのように人物の影の部分まで紙に「彫り込んでゆく」技法。
細い細い、神経戦である。

それを「若さ」と「好き」にまかせて(近視で乱視なのに~)やっていたのだ。
いっときの「熱」とはいえ、いやはや、若い頃には一生懸命「かいておく(絵も恥も)」もんである。

私にとって生涯の師匠は「手塚治虫さん」で「萩尾望都さん」だが、内田さんの作画技法を学んだことは、無駄ではなかった。

描き込む内田さんから逆転して
「描かない技法」
を追求することによって、自分だけの画法を確立できたのだから。

もちろん大学で私は日本画専攻だったし、「鳥獣戯画・甲巻」が絵本代わりで、安田靫彦先生によって完成された古典的「大和絵」の流れを学んでいたわけだが…
(その点、師・中島千波先生から受けた影響は「素描のみ」というのが、もったいないといえばもったいないが、結果的にはそれで「職業」として成り立ったのだから、まあ良しとしよう)

私は「最低限の輪郭線」「影は線よりもちょっとペン先を動かしてポイントだけつける」という基礎の上に、1本の線を引くところを、わざと切って2本にしたり、浮世絵で言う版擦れ、わざとハーフトーンをずらしたり、輪郭線に「下書きの鉛筆線を消しゴムで消し忘れたかな?」というような細い線を描き添える、という画法を編み出した。

その上で
「三頭身から八頭身まで」、つまり「いしいひさいちから少女漫画、青年劇画まで描けます、ご注文をなんでもおっしゃってください」
という間口の広さでスタートできたのだ。

個性が画風と直結する少女漫画からスタートしたことを考えると、これは「特質」だった。

若いウチは逡巡するに限る。
失敗も恥も、みんな「人生のコヤシ」になる。
そして、どんなに年を重ねても、心の中に「若さ」を生かしておくのはけっこう良いことだ。

突然閉塞された社会で戸惑いは大きいだろうが、いろいろ取り入れてみるのもラッキーチャンスだ。

私はとりあえず「1年間関西にステイする気分」になって、昔から好きだった田辺聖子さんのエッセイをまとめ読みしよう、昔読んだのも改めて読もう、若い頃とは考えることが違うかも知れない…と計画中。

毎日全国の古書店からお安くて保存状態の良い文庫本が(文庫だって、読めるのは目が働く今のうちだ!)新聞受けにドサリと届く。

1年後、私は上方弁になっているやもしれぬ。

「一生懸命心を遊ばせること」は、多分幾つからスタートしても、遅くはないだろう。

あと3週間ちょっとで誕生日だ!

記録用2016年03月21日 02:23

とてつもなく長いので、全部見てくださいとはいえません。

記録用。

でも漫画家の仕事も、こんなもんです。

https://www.facebook.com/junggiking/videos/485606504956624/

受刑者はアシスタント!?2015年12月29日 00:13

なんと浅見光彦シリーズ:その漫画…
背景画は受刑者の苦労作 http://bit.ly/1Pr3AMH
専門技術なだけに、集中力が必要。
ちなみに時給7~48円というが、安すぎ。

同じペンは同じ釜の飯感覚!2015年12月08日 00:52

で、田亀源五郎先生が、間違いない、タチカワの日本字ペンつかってた!
やっほう~!!
100人漫画家がいてひとりいるかいないか(いないんじゃないか?)のマイノリティー!
使ってるって漫画家初めて知ったわ。

出来レース2015年10月04日 17:01

「出来レース」とは、結果の決まっているレースのこと。
漫画賞なんかでもあるし、建築業界でもあるし、広告業界、特に「電通」「博報堂」が出てくると、まずどんなコンペも「出来レース」である。

いま、Googleの画像検索で「週刊新潮 オリンピック エンブレム 2位3位」で引くと、たぶん2020年東京オリンピックの、例のあの「サノケン一人勝ちが一転盗作騒動で引き下げ」になったエンブレムコンペの2位3位が見られる。

なんじゃこりゃあ。
2位はまだ定規使っているけれども、3位なんてコドモのラクガキである。
佐野氏には電通がからんでいて、これは完全な出来レースであった。
落ちると分かって出した方は、後日ランクの低いもうけ話が入るシステムである。

出来レース、これは私の暮らしたイラストの世界にもよくあって、
「あさってまでにモーツアルトの横顔・3万現金払い」(新聞広告)なんて、やりましたよ、はい。
本番はないので先のスケジュールを押さえておかなくていい、という話。

「博報堂が本命なんだけれど、出来レース、やってくれる?」
と大学時代の同級生でデザイナーのサトちゃんから電話がかかったのは、
「そろそろ次の締め切りの準備しなくちゃ」
と言う時期
「江口寿史調でお願い」
はいはい、私「のらくろからギャグ・青年劇画まで」画風広いよ。
ラフだったらスルスルッと描けちゃう。
「はい、出来たよ」
と郵送したら3日後、夜遅くサトちゃんから明るい声で電話が。
「あのねー、博報堂に勝って、ウチのデザイン事務所の案が通っちゃったの。本番描いて!」
えーっっっっっっっ!
「江口寿史ってとこがよかったみたい、原稿、雰囲気あったし!」
雰囲気は出せても、江口寿史大先生にはなれません。あれは絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。しかもラフは鉛筆画で、本番はカラー。
パソコン時代の前で手描きのナマ原稿は髪の毛一筋のミスも許されない(最初から描き直し)ものすごく時間と手間を喰うものなのだ。
色計算もせにゃならぬ。
しかも「販売促進ツール」なので、ラフは1枚でも、もう時効だから言いましょう「イシイのミートボールで女子高生のお弁当をカラフルに!」です、これはイメージポスターとして寄り添うふたりの女子高生を、売り場にあわせて縦サイズ・横サイズのポスターに、お客様に手にとってもらえる「お弁当レシピのイメージイラスト」まで描かねばならぬ。そのサイズや打ち合わせがまた日にちを喰う。
次の締め切りが迫っているというのに!

で、北向きの窓から自然光の入る昼間はカラー、夜は本来の白黒原稿で、不眠不休の地獄の日々を過ごした私は、
「私、もう絶対出来レースの仕事引き受けない!」
と心に堅く誓ったのでした。

追伸:「イシイのミートボール」は、売り場で見かけるたびに条件反射で胃が縮み上がるので、まだ食べたことありません。

乳児の記憶2015年03月11日 22:39

私はまだ乳児だった。
薄黄緑色をミルクに解かしたような色の乳母車に、母に圧されて乗っていた。
母の日傘はあすきアイス色をもっと白く染めたような色で、あちこちに、刺繍で明けた花柄の穴が空いていた。
穴ごしに、杉やけやきの葉が見えた。
お日さまとその葉々野色越しに、私が観ていた世界は、不思議なことに「鳥獣戯画」なのである。
あるいは当時出た「岩波写真文庫」を見せてくれたのかもしれない。
生まれて初めての記憶は、ここから始まる。
幸せなことだ。
胎児の時にも母の呼びかけ、励ます声を聞いている。
本当に、幸せなことだ。

「白銀のカナリヤ」最後の弟子2015年01月18日 02:28

昨日が「便秘騒動」でものすごく変則睡眠だったせいか、今日は「眠り病」のようにひたすら眠り続けてしまった…
そういえば明治42年生まれの師・岡本彌寿子先生(1男9女の女系家族)は、「玉子姉さんは『眠り病』で死んだの…」と言っていたが、今で言えば「脳炎の一種」かなにかだろうか。

岡本先生はお母さんが二人で「9女、やっと1男」というスーパー女系家族である。
一度「ウスバカゲロウのように透き通って美しい妹がある日突然きたけれど、スゥッと死んじゃった。
本当はお妾さんの子だったの。」と言っていた。
大正、戸籍いかげん。

「本当に絵の才能があったのは龍子姉さんよ。
ずっと美人だったし。
でも「味の素」(当時の世界ウルトラヒット企業)の研究員に見そめられて結婚、嬉しかったわ。
まさか、あんなに突然死んでしまうなんて…
私が絵を描いてい生きているのは、龍子姉さんのお導き。
龍子姉さんが画家を目座しいていたら、私なんてかなわなかったわ。

しかし岡本先生は日本画世界で「白銀のカナリヤ」と呼ばれるほどの美人だったのである。
再興日本美術院同人(幹部クラス)、日本女流画家協会理事、大きな勲章もらい、神奈川名誉県民、お歳暮お中元ザックザク、でも常になかったのは「現金」。

「売り絵」(生活のために画商に売る絵)を描かなかったからである。
昔の作品のリトグラフ化企画にも「色が落ちるので」と首を縦に振らなかった。
年収は、実質四百万だった。(代理で税務署行ったから知っている。)
その中で、高価な絵の具買って、美容室行って、和服を仕立てて、服は全部馴染みの洗濯屋さん。

盆暮れに、米、味噌、しょう油を贈ってくれた弟子には「ありがたう」とすらすらと流れるような文字でお礼状を書き、「かに缶」だと「飽きるのよ…」と電話で済ませていた。
「高級石鹸(soap)」は「高級スープ(soup)の素」と思い、鍋で煮て台所を泡の海にしていた、ウルトラ天然おばあちゃん。

お世話は大変だったけれど、憎めず、大好きだった。
私は他のお弟子とはうんと年の離れた最後の弟子だけれど、上の弟子達に報告する気にもならず、古径先生門派の研究会に名乗り出る気もない。
日本画家になる気もなく(万が一夫が先に逝ったら1部屋空くので趣味で描くか)「貧乏だけれど自由な『白銀のカナリヤ』」の後継者だ。


このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。
発覚した場合は提訴します。

「コミケ特集」の番組がNHKであったそうだが…2015年01月13日 03:50

ドッコイ氏、録画に失敗。あら、残念。
ビッグサイトには2回「サークル参加」した記憶があります。
(しかも1回は「お誕生日席」だ!)

「広いなー、人がたくさんいるなー」とお上りさん気分の参加。
サポートしてくれる方あればこそです。
たくさんスケッチブック描いたなぁ。
「赤箱・レカン」のケーキを差し入れられるも、フォークがなく、その晩ドッコイ氏のお里へ帰省だったので、駐車場で仲間と手づかみで喰った記憶が…
これって、史上最低の「レカン」だな〜(笑)。

成人の日2014年01月13日 04:53

私はふだんサボりまくっておるのだから、「この日くらい勉強しよう」と学校に行って池の鯉を素描していました。そしてこの日、自分の才能の無さを痛感したのでした。