バタリ ― 2012年05月03日 01:23
ふとんも敷かず畳の上に気絶していた。ひさびさに本格的水彩画を描いていたら、ものすごく疲れた。指が自由に動いた頃とは集中力が違う。集中しすぎ。
で、五時に起きちゃった自分って、どーよ。気がつけばドッコイ氏も芳子さんも起きていて、異様に早起きグッモーニン!
で、五時に起きちゃった自分って、どーよ。気がつけばドッコイ氏も芳子さんも起きていて、異様に早起きグッモーニン!
ヌードモデルさん ― 2012年03月26日 19:53
私の通っていた学校は貧しい実験校なので、(授業料が国立とどっこいだったり、より安かったりしたこともあった)芸術学科の実習費も3千円しかとらなかった。
「学生は放っておいたら自分で何を学び始めるか」観察しているようなところがあった。
なにせ芸術科は基礎の一般教養(語学とか体育のことよ)以外、卒製か卒論かの8単位だけであとは人間関係学科をとるもよし、経済をとるも良し、文学をとるも良し。
私の同級生(経済学部)なんぞ経済の最低必要単位をとっただけで、あとは油絵の具まみれ、聞いたハナシでは、今青森の喫茶店のマスターだそうであるからして。
で、ヌードデッサンとなると金がない。学生が自主的にやるんである。
数日前から一番人数の少ない、しかも制作のために高台のある日本画研究室のドアに「○日○時にヌードモデルが入ります」。
その日は人数の多い教室から丸いすを各自もってきて、モデルさんが入って、それからドアに「立ち入り禁止」と張り出し、内側から鍵をかけ、さてそれからである。
人数を数え、モデル料を頭割りにして、「ひとり何円」と徴収するのである。
しわくちゃの千円札と百円玉、五十円玉、十円玉をじゃらりと渡されて、モデルさんも帰りの荷物はさぞや重たかろ。
しっかーし!問題はアトリエ棟の屋根のペンキ塗り替中だったことである。
モデルさん、ワンポーズとってから
「天窓のガラスに覗いている人がいます」と。
仰ぎ見れば確かにヘルメットかぶった若い職人の「のぞき魔」(昔はこーゆーの「デバカメ」って言ったんですよ~)が、そそくさと足場に逃げていくところだった。
しかしポーズをとっているときは、じっとして声も上げないモデルさん、プロだったわぁ。
「裸婦ばかりじゃなくたまには男性モデルも呼んでよ!」という要求は、
「男ならオレが脱いじゃるわい!金よこせ!」
「冗談じゃないわよ、あんたの裸なんかお金もらっても描きたくないわよ!」
という先輩のケンカで幕を閉じたのでありました(笑)ちゃんちゃん♪
「学生は放っておいたら自分で何を学び始めるか」観察しているようなところがあった。
なにせ芸術科は基礎の一般教養(語学とか体育のことよ)以外、卒製か卒論かの8単位だけであとは人間関係学科をとるもよし、経済をとるも良し、文学をとるも良し。
私の同級生(経済学部)なんぞ経済の最低必要単位をとっただけで、あとは油絵の具まみれ、聞いたハナシでは、今青森の喫茶店のマスターだそうであるからして。
で、ヌードデッサンとなると金がない。学生が自主的にやるんである。
数日前から一番人数の少ない、しかも制作のために高台のある日本画研究室のドアに「○日○時にヌードモデルが入ります」。
その日は人数の多い教室から丸いすを各自もってきて、モデルさんが入って、それからドアに「立ち入り禁止」と張り出し、内側から鍵をかけ、さてそれからである。
人数を数え、モデル料を頭割りにして、「ひとり何円」と徴収するのである。
しわくちゃの千円札と百円玉、五十円玉、十円玉をじゃらりと渡されて、モデルさんも帰りの荷物はさぞや重たかろ。
しっかーし!問題はアトリエ棟の屋根のペンキ塗り替中だったことである。
モデルさん、ワンポーズとってから
「天窓のガラスに覗いている人がいます」と。
仰ぎ見れば確かにヘルメットかぶった若い職人の「のぞき魔」(昔はこーゆーの「デバカメ」って言ったんですよ~)が、そそくさと足場に逃げていくところだった。
しかしポーズをとっているときは、じっとして声も上げないモデルさん、プロだったわぁ。
「裸婦ばかりじゃなくたまには男性モデルも呼んでよ!」という要求は、
「男ならオレが脱いじゃるわい!金よこせ!」
「冗談じゃないわよ、あんたの裸なんかお金もらっても描きたくないわよ!」
という先輩のケンカで幕を閉じたのでありました(笑)ちゃんちゃん♪
バッタもんとムーミソとメッキー! ― 2012年03月16日 17:34
清水ミチコのお楽しみ会2010バッタもん」
というDVDがあって、以前も触れたが、黒柳徹子さんとの対談もあり、(黒柳さんの「お米のない時代なのよ、1合もヘチマもあったもんですか!」という言い回しがいかにも東京っ子である・笑)レンタルで見かけたらお勧めである。
(その前の「清水ミチコのお楽しみ会”リップサービス”もおもしろいです、ハイ、お約束の宣伝・笑。)
この中に、声真似の「ちろちろ動くモザイクアニメキャラ・シアター」がある。
「ドラえもん」ではなく『バッタもん』「ムーミン」ではなく『ムーミソ』、「ミッキーマウスでなく金メッキをしたマウス・『メッキー』」が出てくる!
これが嬉しい。
と、いうのも「ディズニーは著作権の無敵要塞」で、シンデレラ城もミッキーマウスもシルエットすら著作権に引っかかってしまう。
あーもう、この強固な著作権の前に泣かされた私としては、本当に「よくぞやってくださいました!」なのである。
仕事で「デイズニーランドで集団デート(ジュブナイルである)『シンデレラ城の前でみんなミッキーの風船をもってるシーン』を書いて下さい。ただしシンデレラ城はシルエットでもシンデレラ城に見ちゃだめ、ミッキーマウスはシルエットでもミッキーに見えちゃだめです。」
というクライアントの依頼に、クラッときた。が、作家さんの〆切りはとうに遅れているし、出版予定日はがっちり決まっているし、タイトなスケジュールである。
作家さんはまだ完成せず原稿を書いている、書けた分から見切り発車でもうイラストを描き始めて、「エンディングシーンはディズニーランドでデート」とやっと決まったのが2日前。しかも著作権の壁。
結局小さな脳ミソを絞りに絞って、「全トーン貼りのイメージだけ削りだしボカシ」(ものすごく細かい手間の技法)で切り抜けたと思うが、著作権チェックギリギリで、本当に心臓に悪い(笑)仕事だった。
ちなみにシンデレラ城が実際に「城」として機能していたら、尖塔のラセン階段だらけで、とっても息が切れて体に悪いと思う、ひとりおせっかいの私である(笑)。
というDVDがあって、以前も触れたが、黒柳徹子さんとの対談もあり、(黒柳さんの「お米のない時代なのよ、1合もヘチマもあったもんですか!」という言い回しがいかにも東京っ子である・笑)レンタルで見かけたらお勧めである。
(その前の「清水ミチコのお楽しみ会”リップサービス”もおもしろいです、ハイ、お約束の宣伝・笑。)
この中に、声真似の「ちろちろ動くモザイクアニメキャラ・シアター」がある。
「ドラえもん」ではなく『バッタもん』「ムーミン」ではなく『ムーミソ』、「ミッキーマウスでなく金メッキをしたマウス・『メッキー』」が出てくる!
これが嬉しい。
と、いうのも「ディズニーは著作権の無敵要塞」で、シンデレラ城もミッキーマウスもシルエットすら著作権に引っかかってしまう。
あーもう、この強固な著作権の前に泣かされた私としては、本当に「よくぞやってくださいました!」なのである。
仕事で「デイズニーランドで集団デート(ジュブナイルである)『シンデレラ城の前でみんなミッキーの風船をもってるシーン』を書いて下さい。ただしシンデレラ城はシルエットでもシンデレラ城に見ちゃだめ、ミッキーマウスはシルエットでもミッキーに見えちゃだめです。」
というクライアントの依頼に、クラッときた。が、作家さんの〆切りはとうに遅れているし、出版予定日はがっちり決まっているし、タイトなスケジュールである。
作家さんはまだ完成せず原稿を書いている、書けた分から見切り発車でもうイラストを描き始めて、「エンディングシーンはディズニーランドでデート」とやっと決まったのが2日前。しかも著作権の壁。
結局小さな脳ミソを絞りに絞って、「全トーン貼りのイメージだけ削りだしボカシ」(ものすごく細かい手間の技法)で切り抜けたと思うが、著作権チェックギリギリで、本当に心臓に悪い(笑)仕事だった。
ちなみにシンデレラ城が実際に「城」として機能していたら、尖塔のラセン階段だらけで、とっても息が切れて体に悪いと思う、ひとりおせっかいの私である(笑)。
乳拓(にゅうたく) ― 2012年02月13日 17:16
(「拓」は「拓本」の拓、「魚拓」の拓である。)
寒い季節だから暑い話でもいたしましょう。
さて私は20歳からひとり暮らしを始めたのであるが、途中まで(貧乏なので)クーラーは持たなかった。
最上階で、前後が空地、川、森、公園と風通しが良く、何とか扇風機で保てる環境だったのだ。
そういえば暖房もなかったな、卓袱台の上に毛布掛けただけ。若かったなー。
ま、それはともかく。
それから何年かして、私はある漫画誌の表紙を描くことになった。
大変な物入りである、カラーインク全色、画板、筆、絵皿がズラリ、机は6人掛けのテーブルで、画材を並べて台所で描いていた。
B5版の表紙を、拡大して、しかも表紙で文字が入るから上下左右動く可能性も含めてA3版の、イラストボードという厚めの紙に描く。
実はその夏、棟のどこかで天井から水漏れがあって、最上階の屋上全域、コールタールがひかれたのだ、突然の黒屋上に、夏は暑く、冬は寒かった。
ま夏、というと描いているのはもう秋の表紙である。緑のセーターにスウェードのジャケット姿の女の子、画題からして暑苦しい。
〆切りは明日である、時刻は真夜中である、汗がだくだく湧いてきてもう服なんか着ちゃいられない、手拭いのねじり鉢巻き一丁で、上半身裸で色を塗っていた。
A3という大きいサイズがまたクセモノで、漫画家はふつう商業誌の原稿は余白も含めて1・2倍、B4の原稿用紙に描く。
こっちは動く可能性も含めて余白に塗る分が倍以上ある。
で、上の方を塗るとなると156センチの私(当時)は、立って、腕をうんと伸ばして筆を使うことになる。
この”156センチで・立って・腕をうんと伸ばして”がまずかった。
一段落ついて、原稿を見ると、あれ、女の子の緑のセーターの下の部分2ヶ所、丸く色が抜けている。
まあ、まず印刷には出ないところなのであるが…小さいドーナツ状である。
中もぷちぷち、白くなってしまっている。
ふ、と私は下を見た。
乳首が緑色。
人体には「汗腺」ってありますね、それ、けっこう乳首と乳輪に集中しているのですよ。
ありゃー、やっちゃったよ!
私は自分の乳首の「乳拓」をとってしまったのであった。
私は自分の「おっぱいの汗腺の数」を知っているオンナである。
だけど誰にも教えてあげません。
寒い季節だから暑い話でもいたしましょう。
さて私は20歳からひとり暮らしを始めたのであるが、途中まで(貧乏なので)クーラーは持たなかった。
最上階で、前後が空地、川、森、公園と風通しが良く、何とか扇風機で保てる環境だったのだ。
そういえば暖房もなかったな、卓袱台の上に毛布掛けただけ。若かったなー。
ま、それはともかく。
それから何年かして、私はある漫画誌の表紙を描くことになった。
大変な物入りである、カラーインク全色、画板、筆、絵皿がズラリ、机は6人掛けのテーブルで、画材を並べて台所で描いていた。
B5版の表紙を、拡大して、しかも表紙で文字が入るから上下左右動く可能性も含めてA3版の、イラストボードという厚めの紙に描く。
実はその夏、棟のどこかで天井から水漏れがあって、最上階の屋上全域、コールタールがひかれたのだ、突然の黒屋上に、夏は暑く、冬は寒かった。
ま夏、というと描いているのはもう秋の表紙である。緑のセーターにスウェードのジャケット姿の女の子、画題からして暑苦しい。
〆切りは明日である、時刻は真夜中である、汗がだくだく湧いてきてもう服なんか着ちゃいられない、手拭いのねじり鉢巻き一丁で、上半身裸で色を塗っていた。
A3という大きいサイズがまたクセモノで、漫画家はふつう商業誌の原稿は余白も含めて1・2倍、B4の原稿用紙に描く。
こっちは動く可能性も含めて余白に塗る分が倍以上ある。
で、上の方を塗るとなると156センチの私(当時)は、立って、腕をうんと伸ばして筆を使うことになる。
この”156センチで・立って・腕をうんと伸ばして”がまずかった。
一段落ついて、原稿を見ると、あれ、女の子の緑のセーターの下の部分2ヶ所、丸く色が抜けている。
まあ、まず印刷には出ないところなのであるが…小さいドーナツ状である。
中もぷちぷち、白くなってしまっている。
ふ、と私は下を見た。
乳首が緑色。
人体には「汗腺」ってありますね、それ、けっこう乳首と乳輪に集中しているのですよ。
ありゃー、やっちゃったよ!
私は自分の乳首の「乳拓」をとってしまったのであった。
私は自分の「おっぱいの汗腺の数」を知っているオンナである。
だけど誰にも教えてあげません。
アダム・スミスさんと私 ― 2012年01月04日 14:14
アダム・スミスの経済学講義を聞いていたのだが、「カゴを作る人担ぐ人、そのまたカゴに乗る人、みんな『利己心』による行動で、それで社会経済は回っているんだよ、見えざる手によってね。」とゆー内容であった。
顧みて、私のやって来たことと言えば「利己(自分の為に稼ぎたい!)心」ももちろんあったが、他人にウケたい!ちょっとでもシアワセになって欲しい、とゆー「他幸心」の部分が大きかったな、と気付く。
居職の職人なんて、みんなそんなもんだと思う。
顧みて、私のやって来たことと言えば「利己(自分の為に稼ぎたい!)心」ももちろんあったが、他人にウケたい!ちょっとでもシアワセになって欲しい、とゆー「他幸心」の部分が大きかったな、と気付く。
居職の職人なんて、みんなそんなもんだと思う。
てっぺん描けたか ― 2011年08月31日 16:45
この暑い中洗濯物を干しながら、気がついたら「夏は来ぬ」を鼻歌でフンフンしていた。
この歌、本当は長いそうだが私は2番までしか知らない。
「夏は来ぬ」
卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
さみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ
ちょっと、涼しい気分になった。
ホトトギスは、「不如帰、杜鵑、時鳥、子規」といろいろな名前がある。
鳴き声は
http://www.youtube.com/watch?v=2F_KfMB5lOs
なのだが、これが、日本の鳥ではナンバーワンではないか、というほど聴きなしが多い。
我が家では昔日本ウズラをつがいで飼っていたが、雄の鳴き声はどう聞いても「アジャパーッ!」であった。(伴 淳三郎ではナイ。)
これも江戸時代には「勝ち鳥」と呼ばれ、武士の間で鳴き合わせが流行って、連れ運ぶのに、腰に下げる小さな「鶉籠(うずらかご)」が作られたくらいである。
この時代の聴きなしは、「御吉兆」「知地快」「帳吉古」「吉幾利快」「嘩々快」とやたらめでたいものである。
ホトトギスはほんの一部をあげると
「ととさへ、かかさへ」(名古屋付近)
「天辺かけたか(テッペンカケタカ)」(江戸)
「トッタンカケタカ」「トッツァンカケタカ」(大分・島根県)
「本尊掛歟(ホンゾンカケタカ)」(「古今要覧稿」に、京師にては本尊掛歟と言う)
「ホゾンカケタカ」(京都付近)
「ホウガンカケタカ、ブクソナヘタカ」(美濃揖斐郡・ブクは仏壇に供えるご飯のこと)
「ホトトギス」(純日本の古来の聞きなしである。)
「ともにちよに」(共に千代に・813年、嵯峨天皇)
「オタタカチョ」山形県)
「オタタカショ」(福島県)
「オトットコイシ」(長野県北信地方)
「弟恋し、掘って煮て食わそ」(能登・越中の境あたり)
「和尚とんでってこい」(不明)
と、まあこんな具合である。
私は両親共に江戸時代からの江戸っ子家系(「まっすぐ行って左」を「まっつぐ行ってしだり」と言ってしまう・笑)なので「テッペンカケタカ」と教わった。
が。
ただ今20歳の時から借りていたスタジオをたたみ、実家で本や物を整理中なのだが、その中には私が小さかった頃に描いた絵も入っている。
私が生まれて初めて描いた生き物は、人ではなく馬なんである。
住まいが成城大学の馬術部の近くだったので、母に連れられて馬を見に行くのがほぼ日課、馬場のところで一休みが常だった。
なもので。
馬はかならず脚から描いた。
人間を描くようになってからも脚から描いた。
普通子供は顔から描き始める。というか、最初は顔を描く。
「父の日コンクール」なんか顔の羅列である。
人物を描くときは頭から描いて手、胴、脚の順で、途中で飽きると脚のない「ユーレイ画」になってしまう。
ところが私は脚から描き始めるので、途中で飽きると顔のない「逆さユーレイ画」になってしまうんである。
「てっぺん描けたか?」
なんとんなく死んだ父の若い声が肩越しに聞えてきそうである。
この歌、本当は長いそうだが私は2番までしか知らない。
「夏は来ぬ」
卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
さみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ
ちょっと、涼しい気分になった。
ホトトギスは、「不如帰、杜鵑、時鳥、子規」といろいろな名前がある。
鳴き声は
http://www.youtube.com/watch?v=2F_KfMB5lOs
なのだが、これが、日本の鳥ではナンバーワンではないか、というほど聴きなしが多い。
我が家では昔日本ウズラをつがいで飼っていたが、雄の鳴き声はどう聞いても「アジャパーッ!」であった。(伴 淳三郎ではナイ。)
これも江戸時代には「勝ち鳥」と呼ばれ、武士の間で鳴き合わせが流行って、連れ運ぶのに、腰に下げる小さな「鶉籠(うずらかご)」が作られたくらいである。
この時代の聴きなしは、「御吉兆」「知地快」「帳吉古」「吉幾利快」「嘩々快」とやたらめでたいものである。
ホトトギスはほんの一部をあげると
「ととさへ、かかさへ」(名古屋付近)
「天辺かけたか(テッペンカケタカ)」(江戸)
「トッタンカケタカ」「トッツァンカケタカ」(大分・島根県)
「本尊掛歟(ホンゾンカケタカ)」(「古今要覧稿」に、京師にては本尊掛歟と言う)
「ホゾンカケタカ」(京都付近)
「ホウガンカケタカ、ブクソナヘタカ」(美濃揖斐郡・ブクは仏壇に供えるご飯のこと)
「ホトトギス」(純日本の古来の聞きなしである。)
「ともにちよに」(共に千代に・813年、嵯峨天皇)
「オタタカチョ」山形県)
「オタタカショ」(福島県)
「オトットコイシ」(長野県北信地方)
「弟恋し、掘って煮て食わそ」(能登・越中の境あたり)
「和尚とんでってこい」(不明)
と、まあこんな具合である。
私は両親共に江戸時代からの江戸っ子家系(「まっすぐ行って左」を「まっつぐ行ってしだり」と言ってしまう・笑)なので「テッペンカケタカ」と教わった。
が。
ただ今20歳の時から借りていたスタジオをたたみ、実家で本や物を整理中なのだが、その中には私が小さかった頃に描いた絵も入っている。
私が生まれて初めて描いた生き物は、人ではなく馬なんである。
住まいが成城大学の馬術部の近くだったので、母に連れられて馬を見に行くのがほぼ日課、馬場のところで一休みが常だった。
なもので。
馬はかならず脚から描いた。
人間を描くようになってからも脚から描いた。
普通子供は顔から描き始める。というか、最初は顔を描く。
「父の日コンクール」なんか顔の羅列である。
人物を描くときは頭から描いて手、胴、脚の順で、途中で飽きると脚のない「ユーレイ画」になってしまう。
ところが私は脚から描き始めるので、途中で飽きると顔のない「逆さユーレイ画」になってしまうんである。
「てっぺん描けたか?」
なんとんなく死んだ父の若い声が肩越しに聞えてきそうである。
つんつん ― 2011年02月26日 22:12
かつて私は鉛筆を2百本使っていた。
一度原稿に入ると削っているヒマがないから。
まだ0.3のシャープペンは製図用で重くて、芯も硬い物しかなかった時代である。
細い線で描くので、OKはこのとんがり具合。
一度原稿に入ると削っているヒマがないから。
まだ0.3のシャープペンは製図用で重くて、芯も硬い物しかなかった時代である。
細い線で描くので、OKはこのとんがり具合。


使い切り(右)と比べるとさほど差がないように見えるのだが、書き味はまるで違う。
もともと鉛筆削りを持っていなくて(兄貴は持っていたが)私の鉛筆は母が削り、後に自分で削るようになった。
こうなると自在に削れる方が機械で削るより書き心地が良い。
絵を描くのが好きで一度描き始めると止まらない私は、次第に手持ちの鉛筆の数を増やしていった。
最高で2百本。芯が丸くなっては換え、丸くなっては換え、私は描き続けた。
たまると、削る。精神を集中させ、一気に百本以上削り上げる。
短くなったのは鉛筆さやにくくりつけて、2センチくらいになるギリギリまで使った。
私は貧しくて、描くこと以外生きるすべがなかった。
やがて0.4ミリのシャープペンがでて、私は自分に会う文明の利器を手に入れた。
0.3ミリのシャープペンも羽のように軽くなり、Bの芯がでた。
鉛筆は私の手元を離れていった。
一心不乱に百本以上の鉛筆を削り上げる至福の時を失ったことに、仕事で忙しい私は気がつかなかった。
六角形の鉛筆は、私の指に一生消えないペンだこを遺した。

オマケはつんつんに刈り上げすぎたドッコイ
当たっちゃった! ― 2011年02月23日 09:25
福岡の「萩尾望都原画展」で「訪問者」の複製原画を買ったら・・・抽選用紙をもらって記入してきたら・・・
当たっちゃいました、サイン付き「狩人は眠らない」!
当たっちゃいました、サイン付き「狩人は眠らない」!



多分不公平がないように複製原画1枚ごとに当たり冊数が決められている者と思われ。
ということは「訪問者」、売れ切れたのね。
昔地元の西友で「金銀砂岸」買ったら、サイン会も何もないのにサイン本だったのでビックリした覚えがあり。
何かの「サイン本の予備」が回ってきたのでしょう。
それにしてもこと萩尾先生に関しては、本当にラッキーだなあ、私。
モンダイは肝心の複製原画がまだ届いていないということなんですが・・・(笑)
旅行記・その2 ― 2011年02月18日 10:51
博多物価安~い!
「前髪カットのみ百円」

である。ワン・コインの大きさが違う。
さて、商店街を抜けて、とにかく朝イチと閉館前はアジア美術館の原画展へ。
人の入り3割くらい、東京でやったときの「なるべく早く進んで下さい状態」がウソのよう。
会場が広く、東京よりも何十点か出品作も多く、ビデオコーナーもあり、ソファもあり。
ソファのある「半神」16ページを、休みながら計十回以上観る。ホワイト修正がほとんどないのにビックリ、というか、萩尾先生の作品には、効果以外ホワイトがほとんど入っていない。
これはデビュー作、二十歳の時の「ルルとミミ」からそうで、新人時代こんなに少ない人も珍しい。
かと思うと「ビアンカ」の、少女が森で踊るシーンは自身が納得いかず17回も描いていたりする。
天才だと思うし、天才が努力をしたらどんなに凄いかが、マイペースで回る目の前に繰り広げられてゆく。
やっぱり九州に来て正解だった。
さて、商店街を抜けて、とにかく朝イチと閉館前はアジア美術館の原画展へ。
人の入り3割くらい、東京でやったときの「なるべく早く進んで下さい状態」がウソのよう。
会場が広く、東京よりも何十点か出品作も多く、ビデオコーナーもあり、ソファもあり。
ソファのある「半神」16ページを、休みながら計十回以上観る。ホワイト修正がほとんどないのにビックリ、というか、萩尾先生の作品には、効果以外ホワイトがほとんど入っていない。
これはデビュー作、二十歳の時の「ルルとミミ」からそうで、新人時代こんなに少ない人も珍しい。
かと思うと「ビアンカ」の、少女が森で踊るシーンは自身が納得いかず17回も描いていたりする。
天才だと思うし、天才が努力をしたらどんなに凄いかが、マイペースで回る目の前に繰り広げられてゆく。
やっぱり九州に来て正解だった。

福岡には高2の時修学旅行できている。(九州一周だった)
そのとき食べた水炊き(鳥鍋)の味が忘れられず、商店街唯一の専門店へ。
(店の名をもらったマッチで覚えようとしたのだが、うかつにも長野の仏壇に置いてきてしまった。まーたった一軒の店なので行けば分かるが)

そして最終日の朝、私はルール違反をした。
場内撮影禁止は美術展の基本である。が。
忠実に再現された仕事机を、マフラーの陰からトイカメラ(3×3×5センチくらいで、もちろんフラッシュなんかついていない)で、撮ったのだ。
ものすごいピンボケだが。
指のリハビリが上手くいかず、日に日に思うように引けなくなってくる線に、私は絶望感を抱き始めていた。
脳炎、交通事故、刃物の事故でペンを持つ指の背の腱を切断、と、私は利き腕を何度もつぶしている。
特に脳炎による痙攣は、酷い。
この、意のままにならない腕と弱っていく目で、この先描き続けるべきか、リハビリをあきらめるべきか。
墨汁の横には、指のテーピング用のテープがごっそり積んであった。
描き続けて40年、萩尾先生も、指をテーピングで固めないと線が引けない、ということは以前から知っていた。
が、実際に見るテープの山は、もっと切実に、私に大切なことを訴えかけてきた。
やっぱり、まだ「描く」ということをあきらめるわけにはいかない。
「神様の机」だった。
ここから萩尾望都という人は、これだけの素晴らしい世界を織りなしているのだ。
「そろそろ漫画家をやめたら」と言うご両親に
「なぜ、たいがいのことを犠牲にしてでも漫画を描くことをやめることが出来ないか言葉では説明出来なかった。」
と、ハードカバー版の「メッシュ」の後書きに書いてある。
漫画を「描きたい」という衝動と、完成させるまでの長い手間の道のりは、なぜせねばならないのか理屈では割り切れない。
新人漫画家たちの実質時給は200円位のもんである。
まだ、自分の道を探したい。
そう心を決めて、私は福岡を後にした。
新幹線の駅で舞い始めた風花は、関門トンネルを
越え山口に入ると水墨画の世界のような大雪となった。
白い紙と黒い墨汁があれば、多分私は(上手い下手は別として)何でも描けるだろう。
あきらめない。
そう気付いた旅だった。
旅行記・その1 ― 2011年02月14日 11:55
はい、私はどこにいるのでしょう。
(写真はクリックすると例のごとく大きくなります)
福岡は中洲川端商店街、3泊4日のひとり旅でゴザイマス。
(写真はクリックすると例のごとく大きくなります)
福岡は中洲川端商店街、3泊4日のひとり旅でゴザイマス。

ついたとたん強烈な肩こりで、はい、整骨院。トホホ、ディパックがいつもより重かったせい。しかし、30分1500円は安いぞ、東京の半額だ~。

目的は「萩尾望都原画展」福岡アジア美術館。

昨年東京では、狭い、日にちも限られたデパート展で押すな押すなの混雑っぷり。
気の済むまで観られなかったので、最終、ロング期間の広い会場で(作品は東京より出品点数多い)思いっきり鑑賞しようではないか、と。
ヘソクリはたきました、ハイ(笑)。
友人知人との旅行は何度もあるけれど、ひとりで2泊以上というのは18の時、三宅島の別荘でひとり半月過ごして以来かなー。
インターネットで飛行機の手配をしたり、ネット特割のホテルをとったり、パソコンのお世話になった旅でした。
しかし、旅行中は重くてパソコン持って行けな~い。
ホテルでパソコン無しの生活というのを味わうのは久しぶりで、ちょっと新鮮、かなり禁断症状(笑)。
TVはニュース天気予報とドキュメントと映画以外ふだんあんまり見ない(「NHK大河の「江」は見てるゾ♪)私ですが、TVしか見るモノない!
ローカル局のワイドショー見てたら、「突撃・隣の晩ごはん」やってました、ローカル版の。
農村編で、屋敷は広いは食卓は自家製野菜でてんこ盛りだは。
でも、農村だから、大しゃもじ持って走る距離が遠い、街灯ナイから真っ暗。
キー局にはない苦労を見たのでした。
さて、その2に続く。
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