少女漫画家・内田善美さんとエッセイスト・田辺聖子さん2020年04月22日 01:08

内田善美さんの単行本は、まだAmazonで入手できる。
これはコツがあって、判の小さいものより大きいものを買うこと。
美術大学を出た内田さんの描く世界は、それまでとはまったく異質なものだったので、カラーにせよモノクロにせよ、大きなサイズで見ないとわかりにくいのだ。

いや、ハマったもんだね大学1年の私。
部屋の段ボールひっくり返してて原稿が出てきたら、もうビックリ仰天、ここまで影響受けてたのかー!(笑)

丸ペンという「細い線を書くための専用ペン」(軸が普通のペンと違う)で、エッチングのように人物の影の部分まで紙に「彫り込んでゆく」技法。
細い細い、神経戦である。

それを「若さ」と「好き」にまかせて(近視で乱視なのに~)やっていたのだ。
いっときの「熱」とはいえ、いやはや、若い頃には一生懸命「かいておく(絵も恥も)」もんである。

私にとって生涯の師匠は「手塚治虫さん」で「萩尾望都さん」だが、内田さんの作画技法を学んだことは、無駄ではなかった。

描き込む内田さんから逆転して
「描かない技法」
を追求することによって、自分だけの画法を確立できたのだから。

もちろん大学で私は日本画専攻だったし、「鳥獣戯画・甲巻」が絵本代わりで、安田靫彦先生によって完成された古典的「大和絵」の流れを学んでいたわけだが…
(その点、師・中島千波先生から受けた影響は「素描のみ」というのが、もったいないといえばもったいないが、結果的にはそれで「職業」として成り立ったのだから、まあ良しとしよう)

私は「最低限の輪郭線」「影は線よりもちょっとペン先を動かしてポイントだけつける」という基礎の上に、1本の線を引くところを、わざと切って2本にしたり、浮世絵で言う版擦れ、わざとハーフトーンをずらしたり、輪郭線に「下書きの鉛筆線を消しゴムで消し忘れたかな?」というような細い線を描き添える、という画法を編み出した。

その上で
「三頭身から八頭身まで」、つまり「いしいひさいちから少女漫画、青年劇画まで描けます、ご注文をなんでもおっしゃってください」
という間口の広さでスタートできたのだ。

個性が画風と直結する少女漫画からスタートしたことを考えると、これは「特質」だった。

若いウチは逡巡するに限る。
失敗も恥も、みんな「人生のコヤシ」になる。
そして、どんなに年を重ねても、心の中に「若さ」を生かしておくのはけっこう良いことだ。

突然閉塞された社会で戸惑いは大きいだろうが、いろいろ取り入れてみるのもラッキーチャンスだ。

私はとりあえず「1年間関西にステイする気分」になって、昔から好きだった田辺聖子さんのエッセイをまとめ読みしよう、昔読んだのも改めて読もう、若い頃とは考えることが違うかも知れない…と計画中。

毎日全国の古書店からお安くて保存状態の良い文庫本が(文庫だって、読めるのは目が働く今のうちだ!)新聞受けにドサリと届く。

1年後、私は上方弁になっているやもしれぬ。

「一生懸命心を遊ばせること」は、多分幾つからスタートしても、遅くはないだろう。

あと3週間ちょっとで誕生日だ!

記録用2016年03月21日 02:23

とてつもなく長いので、全部見てくださいとはいえません。

記録用。

でも漫画家の仕事も、こんなもんです。

https://www.facebook.com/junggiking/videos/485606504956624/

受刑者はアシスタント!?2015年12月29日 00:13

なんと浅見光彦シリーズ:その漫画…
背景画は受刑者の苦労作 http://bit.ly/1Pr3AMH
専門技術なだけに、集中力が必要。
ちなみに時給7~48円というが、安すぎ。

同じペンは同じ釜の飯感覚!2015年12月08日 00:52

で、田亀源五郎先生が、間違いない、タチカワの日本字ペンつかってた!
やっほう~!!
100人漫画家がいてひとりいるかいないか(いないんじゃないか?)のマイノリティー!
使ってるって漫画家初めて知ったわ。

出来レース2015年10月04日 17:01

「出来レース」とは、結果の決まっているレースのこと。
漫画賞なんかでもあるし、建築業界でもあるし、広告業界、特に「電通」「博報堂」が出てくると、まずどんなコンペも「出来レース」である。

いま、Googleの画像検索で「週刊新潮 オリンピック エンブレム 2位3位」で引くと、たぶん2020年東京オリンピックの、例のあの「サノケン一人勝ちが一転盗作騒動で引き下げ」になったエンブレムコンペの2位3位が見られる。

なんじゃこりゃあ。
2位はまだ定規使っているけれども、3位なんてコドモのラクガキである。
佐野氏には電通がからんでいて、これは完全な出来レースであった。
落ちると分かって出した方は、後日ランクの低いもうけ話が入るシステムである。

出来レース、これは私の暮らしたイラストの世界にもよくあって、
「あさってまでにモーツアルトの横顔・3万現金払い」(新聞広告)なんて、やりましたよ、はい。
本番はないので先のスケジュールを押さえておかなくていい、という話。

「博報堂が本命なんだけれど、出来レース、やってくれる?」
と大学時代の同級生でデザイナーのサトちゃんから電話がかかったのは、
「そろそろ次の締め切りの準備しなくちゃ」
と言う時期
「江口寿史調でお願い」
はいはい、私「のらくろからギャグ・青年劇画まで」画風広いよ。
ラフだったらスルスルッと描けちゃう。
「はい、出来たよ」
と郵送したら3日後、夜遅くサトちゃんから明るい声で電話が。
「あのねー、博報堂に勝って、ウチのデザイン事務所の案が通っちゃったの。本番描いて!」
えーっっっっっっっ!
「江口寿史ってとこがよかったみたい、原稿、雰囲気あったし!」
雰囲気は出せても、江口寿史大先生にはなれません。あれは絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。しかもラフは鉛筆画で、本番はカラー。
パソコン時代の前で手描きのナマ原稿は髪の毛一筋のミスも許されない(最初から描き直し)ものすごく時間と手間を喰うものなのだ。
色計算もせにゃならぬ。
しかも「販売促進ツール」なので、ラフは1枚でも、もう時効だから言いましょう「イシイのミートボールで女子高生のお弁当をカラフルに!」です、これはイメージポスターとして寄り添うふたりの女子高生を、売り場にあわせて縦サイズ・横サイズのポスターに、お客様に手にとってもらえる「お弁当レシピのイメージイラスト」まで描かねばならぬ。そのサイズや打ち合わせがまた日にちを喰う。
次の締め切りが迫っているというのに!

で、北向きの窓から自然光の入る昼間はカラー、夜は本来の白黒原稿で、不眠不休の地獄の日々を過ごした私は、
「私、もう絶対出来レースの仕事引き受けない!」
と心に堅く誓ったのでした。

追伸:「イシイのミートボール」は、売り場で見かけるたびに条件反射で胃が縮み上がるので、まだ食べたことありません。

乳児の記憶2015年03月11日 22:39

私はまだ乳児だった。
薄黄緑色をミルクに解かしたような色の乳母車に、母に圧されて乗っていた。
母の日傘はあすきアイス色をもっと白く染めたような色で、あちこちに、刺繍で明けた花柄の穴が空いていた。
穴ごしに、杉やけやきの葉が見えた。
お日さまとその葉々野色越しに、私が観ていた世界は、不思議なことに「鳥獣戯画」なのである。
あるいは当時出た「岩波写真文庫」を見せてくれたのかもしれない。
生まれて初めての記憶は、ここから始まる。
幸せなことだ。
胎児の時にも母の呼びかけ、励ます声を聞いている。
本当に、幸せなことだ。

「白銀のカナリヤ」最後の弟子2015年01月18日 02:28

昨日が「便秘騒動」でものすごく変則睡眠だったせいか、今日は「眠り病」のようにひたすら眠り続けてしまった…
そういえば明治42年生まれの師・岡本彌寿子先生(1男9女の女系家族)は、「玉子姉さんは『眠り病』で死んだの…」と言っていたが、今で言えば「脳炎の一種」かなにかだろうか。

岡本先生はお母さんが二人で「9女、やっと1男」というスーパー女系家族である。
一度「ウスバカゲロウのように透き通って美しい妹がある日突然きたけれど、スゥッと死んじゃった。
本当はお妾さんの子だったの。」と言っていた。
大正、戸籍いかげん。

「本当に絵の才能があったのは龍子姉さんよ。
ずっと美人だったし。
でも「味の素」(当時の世界ウルトラヒット企業)の研究員に見そめられて結婚、嬉しかったわ。
まさか、あんなに突然死んでしまうなんて…
私が絵を描いてい生きているのは、龍子姉さんのお導き。
龍子姉さんが画家を目座しいていたら、私なんてかなわなかったわ。

しかし岡本先生は日本画世界で「白銀のカナリヤ」と呼ばれるほどの美人だったのである。
再興日本美術院同人(幹部クラス)、日本女流画家協会理事、大きな勲章もらい、神奈川名誉県民、お歳暮お中元ザックザク、でも常になかったのは「現金」。

「売り絵」(生活のために画商に売る絵)を描かなかったからである。
昔の作品のリトグラフ化企画にも「色が落ちるので」と首を縦に振らなかった。
年収は、実質四百万だった。(代理で税務署行ったから知っている。)
その中で、高価な絵の具買って、美容室行って、和服を仕立てて、服は全部馴染みの洗濯屋さん。

盆暮れに、米、味噌、しょう油を贈ってくれた弟子には「ありがたう」とすらすらと流れるような文字でお礼状を書き、「かに缶」だと「飽きるのよ…」と電話で済ませていた。
「高級石鹸(soap)」は「高級スープ(soup)の素」と思い、鍋で煮て台所を泡の海にしていた、ウルトラ天然おばあちゃん。

お世話は大変だったけれど、憎めず、大好きだった。
私は他のお弟子とはうんと年の離れた最後の弟子だけれど、上の弟子達に報告する気にもならず、古径先生門派の研究会に名乗り出る気もない。
日本画家になる気もなく(万が一夫が先に逝ったら1部屋空くので趣味で描くか)「貧乏だけれど自由な『白銀のカナリヤ』」の後継者だ。


このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。
発覚した場合は提訴します。

「コミケ特集」の番組がNHKであったそうだが…2015年01月13日 03:50

ドッコイ氏、録画に失敗。あら、残念。
ビッグサイトには2回「サークル参加」した記憶があります。
(しかも1回は「お誕生日席」だ!)

「広いなー、人がたくさんいるなー」とお上りさん気分の参加。
サポートしてくれる方あればこそです。
たくさんスケッチブック描いたなぁ。
「赤箱・レカン」のケーキを差し入れられるも、フォークがなく、その晩ドッコイ氏のお里へ帰省だったので、駐車場で仲間と手づかみで喰った記憶が…
これって、史上最低の「レカン」だな〜(笑)。

成人の日2014年01月13日 04:53

私はふだんサボりまくっておるのだから、「この日くらい勉強しよう」と学校に行って池の鯉を素描していました。そしてこの日、自分の才能の無さを痛感したのでした。

成人の日22014年01月12日 20:14

私はふだんサボりまくっておるのだから、とゴールディークに登校。
藤棚をスケッチして以下同文同文。

今ドッコイ氏の実家におるのだが、余りに寒いので成人式は夏だそうな。県北部と南部は今日なんだけど、寒さは中部のこちらが上。