私たちは歴史のかけら2010年01月12日 01:12

コンピュータの世界では「ブログ」が一般化して、いろいろな人が、いろいろなことに出会い、いろいろな考えを持ち、いろいろなことを書いている。写真もまたしかりである。

20年、いや10年前、こんな世界が来ると誰が予測しただろう。
いまや日本にはアマチュアエッセイストとアマチュアカメラマンとアマチュア小説家が満ちあふれている。もとより我々日本人は「さりげなく表現したがり、それを互いにめであう」民族である。万葉集を見よ、「詠み人しらず」の多いこと。

宮部みゆきさんだったか、著名な作家が「私はワープロという機械が世に出なかったら、小説家にはなれなかったろう」とどこかで書いていたが、確かにこの、自由に前後入れ替え、修正、辞書機能のあるカラクリ装置の登場は画期的だった。それまで紙の上で大変な労力と集中力を要したプロの作業が、みんなのものになったのだから。
(昔の純文学など、プロは1日3枚書けば「よく書く作家だ」といわれた。)

これらのブログ・写真の数々は、2〜300年後には「貴重な歴史の資料群」として未来人に分析されるのであろう。(うかつなものは書けないぞ・笑)

人が生きて活動しているということは、「歴史を刻む」ことである。
私たちひとりひとりが「歴史」なのだ。
あわてずたゆまず、大切に生きたい。

「敦忠」くんえらいっ!2010年01月12日 08:41

「あいみての のちの心に くらぶれば むかしはものを 思わざりけり」

は、とても好きな歌だが、「百人一首四十三番」とは知らなんだ。
なにが恥ずかしいといって、私は百人一首を「ちはやぶる」と「瀬をはやみ」しか知らないのが恥ずかしい。(どちらも落語のネタである。)
いっとき学業を放り投げていたので(中・髙と長いこと病気していた)、基礎教養がないのだ。取り戻そうにももう脳みそは年寄りモードに突入しているしな。
パソコンという便利な検索機がなかったら、ホントに何も書けないわ、私。

百人一首の四十三番目、三十六歌仙にも選ばれているのだが、訳すれば
「結婚してから、あなたを思う気持ちがますます強くなりました。いまと比べると、昔あなたにあこがれていたころのわたしの想いなど大したものではなかったのですよ。 」
ということで、私は長いこと「これは女性が詠んだうたに違いない」と信じていた。だって心にびんびん響くもん。

大声でのろけさせてもらうが、私はドッコイにこれと同じ感情をいだいている。

いや、「いいところしか目に入らない『恋は盲目』状態」なんてお嬢ちゃんの思想ではなくてね。
【恋は発熱、愛は平熱】ですから、はい。(この格言の言い出しっぺは私)
愛しているからこそ
「あっちゃー、また太りよってからに、腹が出て、こいつ糖尿病のくせにどうするつもりじゃい。」
なんて日々思っているのである。のであるが。
私がぼんやりしていると皿洗ってくれたり洗濯機(ウチのは全自動ではなくていまだに二槽式)回してくれたり、そしてここが最も重要なのだが、それらを一切恩に着せないところがスゴイ。

私は別に「絶世の美女」でも「大資産を持っている」わけでもないのだし、なんだか1日の大半ボーっとしているのを(頭の中はとにかく書くことと描くことでパンパンである)、あんなに忙しいのによくフォローしてくれるなぁ、と思う。
前世というものが本当にあるとしたら、私たぶん相当徳を積んだんだわ、でなきゃこんな聡明で優しい人とめぐり逢うわけないもん。

自分と重なるからこの歌を女性が詠んだと長いこと信じていたの。
まさか「権中納言敦忠 (ごんちゅうなごん あつただ)」とは。
絵札で観ると右向いてちょっと物思いにふけっているような若い公達(きんだち)姿である。なかなかハンサム。
敦忠くん、人生は長くて、どんどん楽しくなってゆくものだよ。
奥さん大事にしなさい。