小春日和2023年11月24日 22:11

明日には年末並みの寒波が来るそうだが、ウチの町小春日和。
「あ~いいお天気~♪」
と郵便局の出口でのびしたら、歩いてきた紳士に
「本当に、雲ひとつありませんなぁ」
と話しかけられてしまった。
お天気談義に花咲かせて、こんどは坂道で杖付き同士おばあさんとすれ違って、明日からの寒波がコワイともうひと花おしゃべり。
行きつけの調剤薬局にダブって買ってしまった「サザエさん・秋号」待合コーナーに置いてくれませんか?と持っていったら薬剤師さんたちに
「いや~、これは懐かしい!」
とお礼を言われワイワイ、小春日和はなんだかみんな「おしゃべりを楽しみたいモード」でにぎやか。

高齢者の町は、心開けばみんなとても人懐っこい♪

インドは「危ない」そうです2023年05月22日 19:04

近くのインド料理屋、いつもデリバリーを頼むので配達のお兄さんと仲良くなった。
「今日は暑かったけれど、インドも暑いでしょう?」
と聞いたら
「インドでは『暑い』じゃなくて『危ない』ヨ」
ですと。うーん、なるほど…

三社祭で「わっしょい」2023年05月21日 20:04

ニュースを見ていたら四年ぶりに浅草の三社祭だそうで、お神輿担ぐ人たちの映像を見て、「ああ、コロナで辛抱しなくちゃいけなくて大変だったけど、ようやく再開できたのね、よかったよかた」であった。
戦後の集団就職や進学、就職で東京に来た新しい人にはちょっとピンとこないかもしれないが、古い東京人にとっては「お江戸八百八町はお祭り天国」なのである。
このあいだの神田明神・浅草・深川、秋葉神社の「茅の輪くぐり」や王子稲荷の「狐のコスプレして大行列」なんてのまで、春・夏・秋、冬にはあちこちで「酉の市」年が明ければ「七福神めぐり」とめでたい続き。「お祭りがあって東京」という感じ。この春は老いも若きも深呼吸している。

で、三社祭のお神輿を担ぐお兄さんが「わっしょい・わっしょい」と言っていて、私はびっくりしてしまった。
ああ、ついに「わっしょい」復活したか。

いまネットで調べると「東京の神輿は山の手は『わっしょい』下町は『セイャ』。浅草は『セイャ』が正しい」なんてもっともらしく出てくるが、根拠の文献も当事者への取材もないウソッパチである。
故・永六輔さん(浅草のお寺の息子)は常々「神輿は『わっしょい』が正しい。「セイャ』は下品な言葉なので使うべきではない」とラジオで訴え続けていた。
私も実は浅草の何代も続く名門舞台装置会社の社長と以前仲良しで(結婚披露宴に御夫婦で来てくれた)、この人が三社祭の取りまとめ役でもあって、「本来『わっしょい』じゃなくちゃいけないのに、応援に来た担ぎ手さんがどうしても『セイャ』と言っちゃって困っている」とこぼしていた。

「わっしょい」というのは神様の乗り物である神輿を「我背負う」という祈りの言葉、とても神聖なものなのだ。
「セイャ」は力を出して調子を合わせる、単なる肉体労働のかけ声なんだそうだ。

浅草は、浅草寺や六区(演芸街)の「盛り場」があるので、飲食店や演芸関係が多いが、全体を見ると、皮革加工や仏具製造といった代々続く真面目で地味な職人さんの居住エリアであった。
ただ「64年のオリンピックの道路計画でひとつの町内まるごといきなり(ほぼ強制的に)埼玉奥地の団地へ移住」とか、その後も人口流入がすさまじすぎて「仕事は『会社』という形で残すけれど従事者は浅草圏外に移り住まなければならない」という状態になって(社長も社屋は浅草だが住まいは確か杉並あたりだった)「お神輿の担ぎ手がまったく足りない」ありさまになってしまった。

で、もう30年以上前のこと、頼みの綱は日本全国「お神輿愛好会」みこしを担ぐのが好きで、日本全国どこへでもスケジュールの都合つけて来てくれる人たち。
なにしろ大きなお祭り「浅草のお神輿」である、揃いの祭半纏で喜んで来てくれる。
ただ、問題ははしゃぐのが好きな「若い頃やんちゃした人」つまりヤンキーだったりバイクぶいんぶいん言わせてたお兄さんだったりもありうるわけで、景気づけにとお酒飲んで来ちゃったり、途中で一服と担ぎながらタバコくわえたり、ケンカしたり、なんてことがないように取りまとめるのが大変。
事前に「どうか『わっしょい』でお願いしますね!」と念押ししても、いざ担ぐとテンション上がって「セイャ」になっちゃうので、そこがどうしたもんだか困ってるということだった。
もう、神輿の品位を守れるか・ということである。

それから幾星霜。
今年「わっしょい」の声を聞けたのにはびっくりした。
コロナによる長い中断、祭りから祭りへと渡り歩く事ができない日々に「そもそも祭りって何?」と考える余裕が生じた、ということか。

「なんとなくカッコいいから」というイメージだけで「国家神道復活!」なんてほざく考えなしはとんでもないと思うが、「今年のお神輿、わっしょいでいってみようかな」なんて考えてる「元やんちゃなお兄さんだったおじさん」は、私、好きだったりする。

東京の雪2023年02月10日 23:59

東京で雪が降っている。
この冬初めての積雪である。
東京は雪に弱い。
江戸・明治には人力と(旧江戸はとにかく水路の街だったので)水運でなんとかなったが、電車・自動車頼みの戦後高度成長昭和以降は「雪に対して打つ手なし」になってしまった。東京23区なんて積雪5センチ以下でも「大雪警報発令」騒ぎなんである。10センチ超えると救急車で搬送されるケガ人が軽く200件こえてしまう。
首都高速環状線は片っ端から入り口閉鎖になるし、電車やバスは遅れたり間引いたりストップしたりで、人の流れも物流も大騒ぎである。
乗換駅なんかホームから人がこぼれてしまうので改札を閉鎖して、駅の外まで十重二十重の大群衆で、帰宅ラッシュに重なると、もうとんでもない混乱になってしまう。
東京とそれを取り巻く首都圏は、とにかく人が多すぎるのだ。
大問題なのはこの雪が都立高校の受験スケジュールとかぶってしまっていることで、浅草・新宿・渋谷あたりはすでに雨になって積もらないらしいが、東京の西、八王子や青梅はもう「山」エリア、どんと積もるし溶けない。中3の受験生を交通遭難者にするととんでもないことになってしまうので、受験会場である高校前の坂道の除雪から、昼の弁当を入手できなかった受験生のカロリー補給、試験が終わっっても無事に家に帰りつけるかの心配、と、もう職員総出で大変な状態らしい。
センター入試といい公立高校、私立受験といい、なんで日本列島一番厳しい季節にやるのかなあ。
冬入試は中国・韓国、東アジアには多いけれど、世界全体では「夏前入試で新入学は秋から」が多数派だ。海外から日本への「留学生」は、半年待機しなければならないのが現状で、これが日本の大学への積極的留学を阻む大きな壁になっているという。
桜咲く中、心新たに「ピカピカの1年生」というのはとっても美的ではあるけれど、地球温暖化で「日本は夏猛暑冬豪雪化がますます進むだろう」なんて予測を耳にすると、このままで大丈夫かな、とも思う。

日本人ならお月見しよう!2020年05月05日 01:05

コロナで外出もままならぬ毎日ですが、5月7日(木)は十五夜、8日(金)は十六夜です。

日本は「月」を「おつきさま」と言っちゃうほど「月を愛でて」気持ちをリセットできる文化。

ベランダで、夜なら人出も少ないのでちょっとドアを開けて、ちょっと歩いて。

さあ、7日・8日はお月見しましょう!

ベランダ太平記・2「新領主による荒土開拓」2020年04月28日 01:04

(「園芸家12ヶ月」作者・カレル・チャペック先生に捧ぐ)

(続き)
堕天使ルシフェルが世界に降臨しようとしたそのとき、私には奇跡が訪れた。
大天使ガブリエルが乙女のもとに舞い降りて
「アヴェ・マリア」
と告げたようなものである。

じゃない。

新しい薬の処方が劇的に効いて、長い寝たきり生活から復活したのである。

これには驚いた。
三十代半ばで
「今すぐ入院しないと、あなたは死ぬかも知れない」
と医師に言われてから、公的支援を受けて薬飲んで、ずーっと曇りか雨か嵐か、晴れても夜だったのだ。(それでも介護して親5人看取って、仕事も出来るまでは続けたが)
それが朝目覚めたらパッと
「晴れときどき曇り」
になっていた。
薬が手放せないとはいえ。

まずは台所に立って、包丁握ったりコンロに火をつけてみたりした。
次に洗濯。最初は室内干し。
洗う量が増えたのでベランダに出たら。

あらまあ。

私、瀧廉太郎先生の気持ちが突然分かったんである。
そこは「荒城の月(昼間だけれど)」の世界であった。
写真で言えばパリのウージェーヌ・アッジェ。
「廃園」だったんである。
積んであるプランターと転がっている植木鉢の数々、エアコン室外機の上に大鉢ふたつ。
息をしているのは「いちご」と「ブラック・ベリー」
あと何か分からん枝が芽吹いているのと、緑の葉で棘があるの。そしてなぜか、今にも引っこ抜けそうな枇杷。

私の眠れる「みどりのゆび」がウズウズと疼きだした。

「さぁ、なんとかしなくちゃ!」
9歳児と7歳児と5歳児と3歳児抱えるお母さんがリビングでつぶやくセリフかもしれない。
私は腕まくりした。

そしてドッコイ氏に宣言した。
「今日からベランダは私の陣地です。」

芽吹いたものと緑のものには「目覚め肥」を少しと、土壌改良剤(新聞広告で取り寄せた)を少し加えた水をやった。
下葉の枯れたのと先芽の枯れてしまったのは取り除き、伸びすぎたものは剪定し、枝を誘導し、日差しに向けて鉢の位置を変えた。

こぼれ種で芽吹き、支柱も無いままうろうろと地を這い枯れてしまった朝顔は、水をやらず土を良く乾かしてから、根っこから引っこ抜いた。
土に根や枯れ茎を残してはならぬ。
枯れ葉と一緒にみんな「燃えるゴミ袋行き」。
土に混じってボロボロに劣化しているスーパーの袋(風よけにでも使ったか)も、養分・空気・水分の通りを悪くするので根気よくつまんで取り除いた。

ゴロ土は鉢底へ、細かい土は腐葉土と苦土石灰と竹炭とバーミキュライトを混ぜ合わせ、水をやって細菌の力で生き返らせた。

それを鉢やプランターに戻して、サラダ菜7種や細ネギ、大葉、葉大根などの種を蒔いた。
ベンジャミン、パキラ、パセリ、ローズマリー、スミレの苗を買ってきて、鉢に移した。
ミニバラとアイビーも買った。
まだ埋まらないプランターと鉢のために、二十日大根、にら、ルッコラ、バジルなどの種をそろえて、これはGW開け、もう少し温かくなってから蒔く予定。

で、芽吹いていたり緑だったりしたものの正体をドッコイ氏に聞いたら。
「リンゴ食べたんで種」「夏みかん食べたんで種」「枇杷食べたんで種」「桑の木の前通ったら剪定してたんで、落ちた枝拾ってきて挿した」
以上全部氏の食欲と関係のある物件であることが判明。
この鉢の大きさでは、リンゴや夏みかんが実ったら頭でっかちで確実にひっくり返る。
が、桑くらいだったら何とかなるか、野生の桑の実摘んでジャム作ったこともあるし、今や「マルベリー」とかいって、ちょっとしたブームだし、ま、いっか。

しかし枇杷は…いくら何でもねえ…

そこでドッコイ氏と私との間で一悶着あるのである。

(まだ続く)

ベランダ太平記・1「領主交代の日」2020年04月27日 07:00

(「台所太平記」作者・獅子文六先生に捧ぐ)

私は物心ついたときから団地生活。
しかし両親は文化的な人で、読書、レコード、料理は手作り、服もセーターも母の手縫い・手編み。
そしてベランダには植木鉢と(まだプラスチックの四角いプランターがない時代である)火鉢を「睡蓮池」にみたてた金魚たち…私は水やりを手伝ったり、きれいに咲いた花を眺めながらひなたぼっこしたり、夏の朝、咲いた朝顔の花の数を数えたり。
両親は後に、組み立て式のガラス温室で洋ランやサボテンまで育てていた。

私は大学で日本画を学んでいて、植物を描くのは基本中の基本、20才で同じ団地の5階に1人暮らしを始めると、ベランダにいろいろな野菜やハーブや花の種や球根、苗を買ってきては育てていた。(食べるためと写生のため)
養母の介護で横浜に引っ越すので全部手放したが。

そう、私は「みどりのゆび」の持ち主なのである。

比べて夫・ドッコイ氏は小学校でも朝顔などの「植物を育てる」という授業がなかった。
山深い信州、どの家の子も「知っててあたりまえ」(田植え休みがあった)なうえに、先輩の代で都会から来た先生が大失敗をやらかしているのである。

学校でひとり1鉢「へちま」の種をまき、育てた。夏休みに各家に持って帰って、庭におろして観察日記をつけるように…
さあ、夏休み初日「緊急連絡網」である。
「へちまは今すぐ引っこ抜いて、捨てなさい!」
各家で植えているきゅうりと交配して、貴重な夏野菜が「苦くなってしまう!」ということに、農家の親が気がついたのだ。

と、いうわけでドッコイ氏は
「植物栽培に関しては真っ白」
であった。

サラリーマン時代は海外出張族だったし、出張がなくても日本で朝星夜星、今の団地に引っ越して、会社を辞めて、失業保険で食いつないだり、公務員補助のアルバイトをしたり、それが4ヶ月ごとに1ヶ月強制的に休まされるので「日給5千円で無収入期が入る」ので辞めたり…(今は病院勤務で安定しているが)の間に、自分の時間がたっぷりあるとき、何もないベランダに降り立ち、ふと
「あ、何か植えてみよう」
と思い立った。
私は病気で、園芸どころではなかったので、氏にまかせていた。

氏はガーデンセンターに車で行って、大きな鉢・プランター・土・季節の種や苗などを買って来た。
園芸本は買わない、氏の知識はインターネット頼みである。
それで、朝顔や、野菜などを育て始めた…のだが。

残念ながら失敗続きである。
ベランダに洗濯機を置く時代が終わって、水道栓がない。
夏は過酷な環境である、枯らしてしまうのだ。
私はまだ「国産銅製じょうろ」を作る職人さんがひとり残っていたので、注文してプレゼントしたのだが、なんとなく持て余している様子。
「先口」も使いこなせないで、種まき用の目の詰まりやすい方のみ使用、大きな目の先は台所の引き出しで眠ったまま。

いろいろやったが、収穫は大鉢に植えた「いちご」が季節終わりまで1日数個、ドッコイ氏が
「はい奥さん」
と流し台に摘んだのを洗って置いておいてくれる、といったところであった。

しかし、今年2月、異変が起きた。

なんと私が「長い寝たきり生活」から復活したんである。

(長いので続く)

根三つ葉、新鮮!2020年04月06日 21:53

脚を見て貰っている整形外科の帰り、根三つ葉のベラボーに新鮮なのが手に入った。

しめしめ、根っこはよく洗ってキンピラ、茎から上はさっと湯がいて水に放って、絞って、ササミの裂いたのと、おしょうゆと味の素で「簡単一鉢」だー!

根三つ葉はここいらへんでは「年に3度会えたらラッキー!」な、旬の短い葉もの野菜。

養母たちの大好物だったな。

う〜ん、「大正の、食膳の味」…

「准・戒厳令2日目」雪です。2020年03月29日 13:15

さて、『准・戒厳令」2日目の日曜日。
私の住む町は雪です。
窓の外、銀世界、まだ降りやまぬ。

ふと思いだす出す…

そう、まるで「2・26」の日。

これで空にアドバルーンが上がっていればカンペキ!

スミレの花咲くころ2020年03月20日 19:58

夕方信号待ちで出会った杖をついているおじいさんとデイパック背負っているおばあさん(夫婦)。
「今日は良い天気でしたね」と話しかけた。
おじいさんニッコリ、おばあさんが
「どうぞ、これ…」
なんと野生スミレの花束。
「私見つけるの得意なんですよ」
おじいさんのリハビリ散歩のついでに摘んできたか。

母宅へおみやげ。

あんまり小さいのでコーヒーカップに添えるミルク入れに生けた。