ドッコイ氏、心筋梗塞2023年05月12日 23:09

いや、参った参った。
夫・ドッコイ氏がなんと心筋梗塞である。

朝4時に
「息苦しい、胸も痛い、狭心症かもしれない」
と、ゆすり起こされて、救急車で病院へ。
ストレッチャーのお世話にもならず自力で乗り込んだので、
「まあ、たいしたことないでしょ」
と思っていたら、さにあらず。
市民病院の救急搬送口にたどり着いたとたん、医師もナースさんも走っている。
いつまでたっても処置室から出て来ない。
やっと呼ばれたら、
「心筋梗塞の可能性が極めて高い(9割以上)なので、心臓カテーテルの手術をしたい。同意の書類にサインを」
と告げられえて、初めてことの重大さに気づいた。

ICU(集中治療室)送りである。
どうなるのかな。
とにかく医師から
「心筋梗塞の場合、3分の1は病院に辿り着く前に、自宅で、救急車の車内で亡くなります。ちゃんと病院にたどり着けて処置を受けられたのは、ラッキーでした」
と言われて、やっと、
「あ、私、未亡人になるか否かの瀬戸際だったのね~」
と気づいた。やれやれ。
還暦で後家さんにならずに本当にヨカッタ。

この先どうなるのかは分からないけれども、まあ、ドッコイ氏が生きているという事は、私にとってものすごく大切なことなので、腹を据えてやっていこうと思う。
人生ってまったく、何がおきるか分からないもんである。

逆さを見る2023年05月16日 11:49

ドッコイ氏はICUから出られて、まあしばらくは個室に雪隠詰めらしいけれども、とにかくヨカッタ。
ベッドの中で「自治会」がどうの(役員だ)「住民一斉草刈り」に出られなかったの言っているのだが、まあ、それはしばらくは諦めなさい。
ホントに律儀なやっちゃ。
三人にひとりは病院辿り着く前に死んじゃうというし、辿り着いたけれどダメでしたというケースも考えると、本当によくぞ命拾いしてくれたんだなぁと思う。いやはや、ラッキーだった。
ドッコイ氏が生きているというのは、私にとって本当に大事なことで、常日頃
「1日でいいから私より長生きしなさい。私を看取ってから死になさい」
と言い聞かせておるので、逆さを見なくて、あぁヨカッタ。

「逆さを見る」、つまり「先に死んじゃう」というのは、戦前の東京ではタブーで、親より先に子供が亡くなった場合最大の親不孝なので、親は葬式を出せなかった。
まあ、ウチは両親共に江戸時代からの「正真正銘江戸の人」なので、そんなせいかもしれないが。
じゃどうしたかというと、ご町内なり親戚なりが葬式を執り行う。親は一切ノータッチである。
母の妹が死んだのは、戦争で空襲が激しくなってから、駅前に住んでいて延焼を逃れるためにご町内一斉に「間引き疎開」といって、「全部空き地にするから住民全員立ち退きなさい」のその日、引っ越した晩であったという。
腸捻転だったらしいのだが、はっきり言ってもう戦争で医者どころじゃなかったらしい。
葬式を出そうにも町内会はその日の朝解散してしまって、親戚も戦争でそれどころじゃなくて、結局母の兄とまだ女学生だった母がリヤカーを借りて葬式を出すことになった。
焼き場にひいていったら、もう燃料がないんで薪を持ってこなければお骨に出来ないと言われた。で、昨日まで住んでいた家に行って(間引き疎開なので町内綱を張って立ち入り禁止である)憲兵に事情を話して、家の玄関やら廊下やらの板をベリベリと引っ剥がして、それをリヤカーに積んで焼き場に行って、これで火葬にしてくださいと頼んだという。
焼き場には「薪探し」で親族出払って、幼い兄妹がぽつんと付き添っている棺桶があって、その棺も板がなかったのだろう隙間だらけで、母親らしい女の人の長い黒髪がぞろりと覗いていた。
「ああ、今は本当に戦争の真っ最中で、東京はとんでもないことになってしまっているのだな」
と我が母が実感した一瞬だったという。
アニメ「火垂るの墓」は幼い妹を火葬にするために特別配給で炭をもらえて、あれはまだ「マシなケース」だったというのだ。
母の家は帝大(東大)生相手の下宿屋で、玄関や廊下を雑巾がけするのは子どもたちの仕事だった。一昨日まで雑巾がけしていたその床板を引っ剥がすのは、どんな気持ちだったろう。
「疲れたろうから、俺がひいてやるよ、乗りな」と兄に言われてリヤカーの荷台に腰掛けて、妹のとても小さい骨壷抱えている母はまだ14歳だった。
見上げる空は、夕焼けだったという。

というわけで、私はなにがなんでもドッコイ氏より先に死のうと思っている。
この年ではもう重量級のドッコイ氏の棺桶積んだリヤカーなんて、どう頑張ってもひけないからね。
葬式なんて、養女になった都合上やたら沢山いまくった親やら兄やらもう人並み以上に出したので、これ以上はまっぴらだ。
ドッコイ氏に看取られて死ぬのが、私の望みである。

三社祭で「わっしょい」2023年05月21日 20:04

ニュースを見ていたら四年ぶりに浅草の三社祭だそうで、お神輿担ぐ人たちの映像を見て、「ああ、コロナで辛抱しなくちゃいけなくて大変だったけど、ようやく再開できたのね、よかったよかた」であった。
戦後の集団就職や進学、就職で東京に来た新しい人にはちょっとピンとこないかもしれないが、古い東京人にとっては「お江戸八百八町はお祭り天国」なのである。
このあいだの神田明神・浅草・深川、秋葉神社の「茅の輪くぐり」や王子稲荷の「狐のコスプレして大行列」なんてのまで、春・夏・秋、冬にはあちこちで「酉の市」年が明ければ「七福神めぐり」とめでたい続き。「お祭りがあって東京」という感じ。この春は老いも若きも深呼吸している。

で、三社祭のお神輿を担ぐお兄さんが「わっしょい・わっしょい」と言っていて、私はびっくりしてしまった。
ああ、ついに「わっしょい」復活したか。

いまネットで調べると「東京の神輿は山の手は『わっしょい』下町は『セイャ』。浅草は『セイャ』が正しい」なんてもっともらしく出てくるが、根拠の文献も当事者への取材もないウソッパチである。
故・永六輔さん(浅草のお寺の息子)は常々「神輿は『わっしょい』が正しい。「セイャ』は下品な言葉なので使うべきではない」とラジオで訴え続けていた。
私も実は浅草の何代も続く名門舞台装置会社の社長と以前仲良しで(結婚披露宴に御夫婦で来てくれた)、この人が三社祭の取りまとめ役でもあって、「本来『わっしょい』じゃなくちゃいけないのに、応援に来た担ぎ手さんがどうしても『セイャ』と言っちゃって困っている」とこぼしていた。

「わっしょい」というのは神様の乗り物である神輿を「我背負う」という祈りの言葉、とても神聖なものなのだ。
「セイャ」は力を出して調子を合わせる、単なる肉体労働のかけ声なんだそうだ。

浅草は、浅草寺や六区(演芸街)の「盛り場」があるので、飲食店や演芸関係が多いが、全体を見ると、皮革加工や仏具製造といった代々続く真面目で地味な職人さんの居住エリアであった。
ただ「64年のオリンピックの道路計画でひとつの町内まるごといきなり(ほぼ強制的に)埼玉奥地の団地へ移住」とか、その後も人口流入がすさまじすぎて「仕事は『会社』という形で残すけれど従事者は浅草圏外に移り住まなければならない」という状態になって(社長も社屋は浅草だが住まいは確か杉並あたりだった)「お神輿の担ぎ手がまったく足りない」ありさまになってしまった。

で、もう30年以上前のこと、頼みの綱は日本全国「お神輿愛好会」みこしを担ぐのが好きで、日本全国どこへでもスケジュールの都合つけて来てくれる人たち。
なにしろ大きなお祭り「浅草のお神輿」である、揃いの祭半纏で喜んで来てくれる。
ただ、問題ははしゃぐのが好きな「若い頃やんちゃした人」つまりヤンキーだったりバイクぶいんぶいん言わせてたお兄さんだったりもありうるわけで、景気づけにとお酒飲んで来ちゃったり、途中で一服と担ぎながらタバコくわえたり、ケンカしたり、なんてことがないように取りまとめるのが大変。
事前に「どうか『わっしょい』でお願いしますね!」と念押ししても、いざ担ぐとテンション上がって「セイャ」になっちゃうので、そこがどうしたもんだか困ってるということだった。
もう、神輿の品位を守れるか・ということである。

それから幾星霜。
今年「わっしょい」の声を聞けたのにはびっくりした。
コロナによる長い中断、祭りから祭りへと渡り歩く事ができない日々に「そもそも祭りって何?」と考える余裕が生じた、ということか。

「なんとなくカッコいいから」というイメージだけで「国家神道復活!」なんてほざく考えなしはとんでもないと思うが、「今年のお神輿、わっしょいでいってみようかな」なんて考えてる「元やんちゃなお兄さんだったおじさん」は、私、好きだったりする。

インドは「危ない」そうです2023年05月22日 19:04

近くのインド料理屋、いつもデリバリーを頼むので配達のお兄さんと仲良くなった。
「今日は暑かったけれど、インドも暑いでしょう?」
と聞いたら
「インドでは『暑い』じゃなくて『危ない』ヨ」
ですと。うーん、なるほど…

描くって…大変!(1)とにかく頑張れ女の子!2023年05月22日 20:26

かつて私は漫画とイラストを描いてご飯を食べていた。
レタリングの勉強もしてオリジナル筆記体を作れたので、南伸坊さん言うところの「イラストライター」もやったし、イラスト抜き、文章だけ、というのもあるが、基本は利き腕である左手でとにかく描く・あるいは書くことのプロでした、ということだ。(信号無視で横断歩道に突っ込んできた車にはねられて、腕含めて左半身潰して一瞬で失業した)

デビューは25歳、当時同世代の女性漫画描きでは相当遅い方で、早い人は高校生デビューがあたりまえ、25ともなると「連載2本で単行本9冊出したし、いま連載中のが終わったら引退して故郷に帰って結婚して、いままでの印税でマンション買うか、実家が広いから庭に一軒立てて新居にしようかなー」なんてケースもあったりする時代であった。今は30代デビューも、一旦引退しけどでもやっぱり描きたくて再デビューも、なんでもありである。いい時代になったなあ。

実は私は小さい頃ほとんど漫画というものを知らなかった。歯医者にある「サザエさん」と床屋にある「週刊少年マガジン」と兄が小さい頃買った「鉄腕アトム」が世の中の漫画の全てだと思っていた。
テレビも父の見るNHKニュースと子供連続人形劇しか見てなくて、アニメも特撮も知らなかった。「テレビはバカになる、特に民放は見ると大バカになる」と信じていた父のせいである。
が、小学校5年生のときクラスに学級文庫を作ることになって、同級生の一人が「お兄さんの本だけどもう読まないっていうから」と石ノ森章太郎さんの「マンガ家入門・続マンガ家入門」を持ってきて、それを読んで「こんなすごい職業があるなら、よし、私は漫画家になる!」と決めてしまったのだ。「なれたらいいな」ではなく「絶対なる!」である。

我ながらたいした自信どころか「おめでたいやっちゃ」だ。
だが、ホントになってしまったあたり、漫画の神様が「めずらしいヤツだ、よしよし」してくれたのかもしれない。
まあ大傑作「寄生獣」の作者・岩明均さんなんて高校卒業まで漫画というものをまったく読んだことなくて、大学入って初めて漫画読んで、大学2年で「描こう」と思って大学の漫画研究会に入って、あれよあれよという間に(卒業前)デビューしてしまったのであるからして、やっぱり「漫画の神様はいる」というのは正しいのだろう。

「マンガ家入門」は「上手な漫画の描き方入門」ではなかった。
実際の「描き方」なんておしまいの方にたった1ページ、しかない。
にっこり笑ったまんまるお月さまと雲を、鉛筆で下書きして、ペンで線を入れて、消しゴムかけて、空を墨で黒く塗って、ポスターカラーの白でちょんちょんと星の点々を入れて、おしまいである。後に色々な漫画のノウハウ本を読む機会があったが、ここまで「描き方」を教えない本は他にない。

内容の99.5%は職業漫画家になるための勉強の仕方やアイディアの出し方、石ノ森さんの実験的傑作少女漫画「竜神沼」全ページの演出法と画像の分析、職業として続けていくノウハウ、著作権問題やプロダクションの作り方、東北の山奥に生まれた石ノ森さんがゼロからどうやってプロになったか、ということを書いてある本で、「さあ、これを読んであなたも漫画家になりましょう!」とは一言も書いていない。
むしろ
「デビューするまでは食えません」
「デビューできてもヒットしなければ原稿料が安いままなので、生活は大変です」
「ヒットしたら仕事が押しかけて、不眠不休になるので寝る間もありません。毎日フラフラでも描かなければなりません」
「ヒットしても、人気にあぐらをかいて勉強を怠ったら、すぐに読者に飽きられて、あっさり潰れておしまいです」
と、本当のことをきっぱり書いているあたり、石ノ森さん正直である。子供向けとしてはものすごく高度な内容で、シビアだ。
シビアだからこそ、小学校5年生になりたての純情少女はいきなり燃えちゃったんである。

確か東京のアルバイト時給が千円近くいった頃(07年だったかな?)に出版された「少女漫画」(松田奈緒子)という少女漫画界をかなりリアルに描いた大傑作漫画があるが、作中、デビューして5年まったく売れない少女漫画家が「時給換算したら200円ですよ!」と悲鳴を上げるシーンがあって、1週間も10日も不眠不休で描き続けても「食えない」のである。だから、アルバイトしたり、売れっ子のアシスタントしたりする。
2020年代になるともうコンピュータ作画が多数派になって、専門学校でノウハウを勉強しようとすると、バカ高いコンピュータと授業料を払わなければいけないので、プロの友人が「漫画家は紙1枚ペン1本でスタート」から「親が裕福じゃないと目指すことも許されない、お金持ちの子供限定の職業になりつつあります」と嘆いた。
むしろアニメーターのほうが、大都市では就職コースの高校に「アニメ科」を設けるところができて、学校の実習室はコンピュータ完備、就職すれば職場に完備で、全部自腹の自由業・漫画家よりもアニメ制作会社に雇用してもらうアニメーターのほうが、職業としてのハードルは低いと思う。

コロナ前のクリスマス、夫と地元駅前の大きな家電屋へ行った。
7階建てかな?広いので家電以外にもいろいろある。
「マーカーとメモ帳買いましょう」とステーショナリーコーナに行ったらきれいな箱を抱え「これで私も漫画家ね!」とはしゃいでスキップする小学校高学年くらいの女の子とすれ違った。後ろにニコニコ顔のパパとママ。クリスマスプレゼントらしい。

「何買ったんだろう?」と棚を見たら、ありました「マンガ家スタートセット」透明フィルムの向こうに鎮座ましますペン軸1本、それにつけるGとさじとスクールのペン先1本ずつ、丸ペン専門ペン先に丸ペン先1本、黒インクと修正液のボトル、ミニ定規、「マンガの描き方」の冊子。箱の裏を見たら、他に「ネーム用紙16枚・原稿用紙16枚・ミニスクリーントーン3枚」でワンセット。
職業上それぞれの単価はわかるのでその場でざっと計算したら、セットにすることでかなりの金額かぶせているおいしい商売ではある。まあビギナーが新宿の「世界堂」とか大きな画材店へ行って、広い売り場を右往左往こまかいものひとつひとつ買い揃えるのは大変なので、小学生のクリスマスやお誕生日にパパにおねだりするといいかな、というもの。鉛筆と消しゴムと黒いとこ塗る筆とスクリーントーン切るカッターはお家にあるの使ってね、ということらしい。

でも私なりに考えちゃうんである。
ペン先1本きりというのは、筆圧のコントロールの効かないビギナーは力が入りすぎて先のスリットがすぐに割れて(「日和る」と言う)ダメになっちゃう。下手すると1日で日和るぞ。一度日和っちゃったペン先は細い線は絶対引けないし、線がよれよれになるので大丈夫かな。
それにネーム(本番原稿前、鉛筆でセリフとフキダシやコマ割・人物の位置と顔の向きとだいたいの構図を決める)用紙、16枚で足りるんだろうか。セリフや顔の向きは何度も考え直して、消しゴム何度もかけると薄い紙はもたなくて、数ページ全部やりなおしってのもあるし、私の場合本番原稿のページ数の最低3倍は消費するのが常だった。だから80枚とか百枚とじの計算用紙を使う。そのほうが安いし効率的だと思うけど。

…以前の問題として。
この「マンガ家スタートセット」箱のサイズがA4なのだが…

日本の場合商業マンガ誌の基本サイズはB5判なので(「少年ジャンプ」とか「りぼん」とか)プロの本番原稿はB4版である。線がシャープに印刷されるよう、雑誌サイズの枠線内1.2倍の大きさで原稿を描き、枠線から上下左右はみ出す「タチキリ」、その外側には作者と編集者と製版スタッフが確認する通しナンバーとタイトルスペースでB4になる。プロがA4原稿用紙を使うのは、コンビニ売り専門の小型雑誌の仕事のとき。コンビニは並べるスペースが限られるので、目立つところに置いてもらうには判の小さい方が有利なのだ。

なので、A4原稿用紙に作品を描いて漫画雑誌の編集部に送っても、まず入門の「新人漫画賞」の投稿規定に外れて、入選・落選以前に受け付けてもらえない。プロにはなれない。(まあ、まったくのビギナーということで、アドバイスと「これからはB4判でトライしてね」の一言は添えてくれると思うが)

A4判の原稿用紙が通用するのは同人誌、コミケとかコミックシティーとかいった、自費出版した漫画本の即売会である。アマチュアは学生だったり社会人だったりで漫画執筆の時間が限られてしまう。が、年に2回開催の世界最大の即売会コミケにどうしても好きなアニメの二次創作(つまりパロディー)とか、押しのタレントのコンサート・レポートとか、自分のオリジナル作品とか出したかったりする。で、漫画雑誌より一回り小さい(短時間で24ページとか36ページの執筆ができる)A5判の本を、同人誌専門のオフセット印刷会社で刷ってもらう。印刷所も心得ていて、指定のイベント開催日の朝までに、会場の指定ブースに届けてくれるし、大量に売れ残ったら次のイベントまで倉庫に格安で預かってくれたりもする。アマチュア向け商売はそれはそれでちゃんと成り立っているんである。

だから画材店の漫画コーナーではB4判は「プロ用」A4判は「同人誌用」ときちんと表記して並べてある。
A4判原稿用紙を「マンガ家スタートセット」として売るのは、まあ箱がB4だと店頭に並べるのに場所くうし、でかいといってもその分価格に持ってくととても高くしなくちゃいけないし、「まずは同人誌で腕試ししてね」ということなんだろうなあ。

今年の春、今の小学校高学年の将来なりたい職業アンケート結果が発表になった。男女とも「会社員」が上位に入っていて、ああ、時代は堅実路線なんだなあ。
で、なんと女の子の3位が「マンガ家・イラストレーター」で、マンガ家は昔人気だったが久々のランキング入りである。イラストレーターは私の知る限り初めてのはず。
コロナ禍で外出できない間、おうちでのお楽しみだったのかしら。今はネットで本取り寄せられるし、スマホでも名作から最新作まで気軽に読めるし。

漫画も根気のいるマラソン職業だが、イラストは更に、ものすごく細かいところをちみちみとつつき続ける視力と集中力がとんでもなく必要なので、物語性が優れていれば絵は少し雑でも「それもまた個性」と許される漫画と違って、絵に関する天賦の才をさらにずっと磨き続けなければならない。
あっさりサラサラッと仕上がっているように見えるものほど緻密な構図・色彩計算を事前にみっちりしなければならず、失敗は許されないので自分の持っている技術のどれとどれを組み合わせたら上手くいくかとことん考えねばならず、ホントに「思いつきでチャチャッと描いたらハイ大金」の美味しい仕事では絶対ない。
小学生女子、がんばってね。

まあ今は、小学生でも白い紙に水性ボールペンで描いた線画をスマホに取り込んで、アプリで色つけてSNSにのせて「私の作品見てください」できるので、わりと簡単に「イイネ」もらえて嬉しいかも。
そこから職業にするまでの長い道のりと、職業にした以上「まったく描きたくないもの」でもクライアントに「描いてください」と注文されたら絶対締め切りまでに描きあげなきゃならない大変さにめげないでね。
ジャニーズっぽいの描きたくてプロになっても「芸能人描くの上手い人がいる」と聞きつけたクライアントが「演歌歌手の村田英雄お願いします」って来ちゃったりするのよ。しかも「3日以内に」とか無茶言うのよ。にっこり笑って引き受けて、愛を込めてステキな村田英雄描いてね。
プロになる・職業にするって、そういうこと。

今の日本ではもうとっくに漫画もイラストも「芸術」として認められてはいるけれど、職業としてはアーチストでもありクラフトマン(職人)でもあり、という感じだと思う。まったくアートではない漫画家もいる(例・柳沢きみおなど)
小学校5年の女の子に「それは職人仕事ね」と言っても、まだピンとこないでキョトンとされちゃうとは思うけれど。
幼くても志したからには、くじけずコツコツ励んでほしい。