清水健太郎2015年10月27日 22:43

清水健太郎というと、もう薬物中毒ドロドロのイメージがある。
が、私はDVD「ムー一族」の長男・健太郎役で「しのび逢いのテーマ」をバックに、毎回一条家の若奥さんと「ならぬ仲」でお決まりの「ペアのトレンチコート」に身を包み、雨や霧の中で「しのび逢って」いる、という点でつい見ほれてしまうのである。
ストーリーの流れとはおかまいなしに、いきなり入る大仰なこのシーン。
ドラマに「遊び心」があったね。

邪宗の門2015年05月19日 22:24

2組のTさんが
「私、教会の日曜学校入ってるんだけれど一緒に行かない?」
と言う。私は小6だった。
日曜日はヒマだったので「いいよ」と言って、教会の門をくぐった。
そこは「オ○ム」ほどではなかったが、へんてこな教会だった。
牧師先生が
「さあ、七五三が近づいた来ました、みなさん七五三て知ってますか?」
「知ってます」の声。
「あれは正しい宗教ではありません、鳥居は邪宗の門です、くぐってはいけません。
お父さんお母さんが七五三のことを話したら、断って、教会につれていらっしゃい。それこそ正しいクリスチャンへの道です」
と、大きなビー玉を光らせたような目で言う。
私は実家の寫眞舘のはす向かいが観音堂のある公園なのだ。
東京大空襲で、そこで風向きが変わって、御近所大勢の人の魂を祀った観音堂なのだ。風が変わって、そこで焼け止まって、建てたという。それは「まちがっているだろうか?
中学に進んでもTさんにつきあって日曜学校は続いたが、進んだカトリックの修道院学校と日曜学校はあきらかに毛色が変わった。
カトリックでは七五三のミサがあり、神父さまが千歳飴を祝別してくれるという。なんなんだ、このチガイは。
洗礼式、というのにも立ち会った。
祭壇をのけると中はコンクリプールになっており、春先まだ冷たい水道水をジャージャー注いで、木綿の薄い服一枚の女の子を入れて、頭を押さえてドブン!
「生き返った気がしました」と言っていたが、生き返ったろうよ、そりゃ。

ついに私はこのラスプーチン牧師の悪行を目にする。
長い夜バスの列に、割り込み乗車したのだ。

「Tちゃん、私、日曜学校もう行かない」と電話で連絡して、さて、その教会は建て替えて立派になってまだバス通り沿いにあるのだけれど、まだ「七五三は邪宗の門」「洗礼式は水道水でドブン!」をやっているのだろうか。
宗教はさまざまである。私の知っているP子ちゃんは、なんと28もの宗教を掛け持ちしていた。(勧誘されるままに入っただけで、お布施も集会も1回もなかったが)
少なくとも「邪宗の門」と他を排他する宗教には、近づかないほうがいい。

多くの日本女性にとって、初めて体に触られる相手が痴漢であるという現状について2015年01月11日 01:44

田亀源五郎氏が、非常に深い考察を成された。
そうよ、女子生出会う最初は、たいてい「痴漢」。
通学途中でね、たいがいいたずらされちゃうの。
http://battoh7tenpart2.asablo.jp/blog/2014/11/03/7481848
これって、異常なことなんだろうな。
中には私のような
http://battoh7tenpart2.asablo.jp/blog/2014/11/03/7482200
のよな酷い例もある。
「混雑している交通機関が悪い」というなら、積極的に女子専用列車をもっと増やしなさい、国土交通省。
「日本人の国民性」というなら、改めなさい「文部・科学技術省」。
「少子化問題」を真剣に問うなら、日本人女子の多くが「痴漢される、犯されかかる」から「性人生」を歩みだしているのだということを、心にブチ込みなさい、厚生労働省。

コンダーラ2013年07月25日 01:33

今思い出した、
6年生の学芸会、「演奏」でナゼか「巨人の星」(笑)。担当は複音式ハーモニカ。
ああ、グラウンドならしのローラーのこと、「重いコンダーラ」と全員誤解していたわ。

同級生2013年06月02日 03:31

定年退職した校長先生ご夫妻が、カンボジアに渡り、子供のための「日本語教室」を開いている。んなもんで、現地報告お茶会があって、行って来た。スタッフの同級生たち、卒業の頃とまったく容姿が変らないのでビックリ。もう51歳だぜ、わしら。

乙女の群れにドッコイ氏ひとり2013年05月01日 21:27

お姉さま方、妹たち、ごきげんよう。
わたくし、来月母校の恩師を囲む催しに参加することになりましたの。
ただ脚にちょっとクセがあって杖突きなので、ドライバーの夫・ドッコイ氏と一緒に。
想像できまして?100人近い乙女の中にラウンド髭の♂がひとり!
念のため幹事の方にメールを送りましたわ。

「よろしくおとりはからい下さいませ。」

まー、「おとりはからい」!
日常の中では絶対使わない言葉ですわ!
書いていてうなじがむず痒くなりましたのよ。
でも伝統113年の高い高い壁を乗り越えるためですもの。
113年続くと、どこかで時は止まるもの。
いまのところ大正時代くらいのところでストップしているようですわ。
この同窓会のタイムエポックが現代にまで追いつくには
さらに長い長い時が必要でしょうね。
というわけで、ラウンド髭の夫と、乙女の園へ行って参りますわ!

恩師の名前2013年05月01日 02:00

恩師の名前を思い出そうとして3日ほど悶々としていた。アダ名は「原バア(生徒指導で、とにかく厳しかった)」…「原」がつく苗字を思いだせるだけ思い出していたのだが。今フッと出てきた、「山崎秀子先生」お元気ですか?(で、どこに”原”が?)

言の葉を交わす2013年02月17日 14:27

私、人と仲良くなるの上手な方だとおもいます。
別に「社交的」ってわけじゃありませんが。(むしろその逆かも・笑)
乗ったタクシーの運転手さん、スーパーのレジのおばちゃん、お店のスタッフ、 たまたま道で出会ったお年寄り、こども、ホームレスさん、まず誰とでも。
      
「誰とでも、言葉を交わそう」と積極的に思うようになったのは、15才の冬でした。
     
まだ「国鉄」だった頃の横浜の「桜木町駅」改札口を歩いていました。
朝早く。 バスに乗るために。
なにしろ通っていた学校、朝早かったんです。
修道院の日課にあわせて、7時55分には最初の鐘が鳴っちゃうんですから。
(朝起きるの5時半よ! 今の私からは想像もつかないけど・・・・・我ながら・・・笑)
     
今は明るくきれいな桜木町駅も、当時は古い、暗い、そして横浜特有の「浜風」のせいで
どんより煤けた建物でした。(港ヨコハマは塩を含んだ風が吹くので、全体的にくすんだ街だったのです。 キレイになったのって、割と最近のこと)
冬の曇った早朝、みんな地味なコート姿、手には鞄、白い息、 靴音ばかり。
そのなかで。
    
構内の通路に段ボールを敷いて、4~5人の男の人たちが「酒盛り」してました。
      
「日本3大ドヤ街(がい)」ってご存じ?
東京の「山谷」、横浜の「寿」、関西の釜ヶ崎・いわゆる「あいりん地区」です。 
明治の開国、戦後焼け野原となった横浜、大急ぎで街や港を造らなければならなかった日本の「労務者」の住むところ。 大人の、男の人ばかり。
「手配師」と呼ばれる人たちが、その日その日の「土木仕事」を振り分けて、あっちの工事現場、こっちの荷物積み、働きに行く人を
決めます。 仕事にあぶれたら、その日一日収入はゼロ。
     
そのドヤ街から流れてきたおじさんたちでした。
当時はペットボトルもなく、「ヤンカラ」と呼ばれる焼酎の2合ビン(えーと、泡盛みた
いなもんよ)を手に手にラッパ飲みしながら通る人たちをののしっていました。
サラリーマン風の人には
「朝っぱらから辛気くせえカオしやがって、この野郎!」
「やめちまえ、『お勤め』なんて!」
女の人には卑猥な言葉。
みんな彼らを〈無視〉して通り過ぎて行きました。 「カタギ」の人は忙しいのですから。
    
その中のひとりと私の目線が合ってしまいました。
紺色の制服、黒い靴、メガネ掛けて、手には分厚い学生鞄(なにしろ教科書ノートに辞書4冊、ふざけていっぺん体重計で量ったら15キロ以上あって、ぶっとんだわな・笑)。
「よ、姉ちゃん! 学校なんか行かねえで、こっちきて一緒に呑めよッ!!」
    
「じゃかましいっ!」
なんでとっさに叫んだのだか。 ま、なにしろ私、いざとなったらチャキチャキ江戸っ子。(の、末裔・笑)
「朝っぱらから酒なんぞ呑んでないで、とっとと仕事しろいっ!!」
    
おじさんたちは一瞬黙って、それからドワッ!と笑いました。
「早く、いいからこっち!」
先輩に腕を掴まれて、私はその場を離れました。
足早に歩く背中にいつまでも、笑い声が響いてました。
     
私は、一番言ってはいけないことを言ってしまったのです。 仕事がないから、呑むのです。
もうドヤの簡易宿(ベッドハウス)に払うお金もないから、段ボール敷いて座ってるんです。
未熟なガキの私には、まだその「世の中のしくみ」がちゃんと見えてはいませんでした。
みんなみんな、おじさんたちを、「いない者」として通り過ぎてゆく。
駅の、場所ふさぎで、お酒臭くてやかましい「備品」として。
そのなかで。
私ひとりが初めて「人」としておじさんたちの「言葉」に「応え」た。
だから一瞬の沈黙。 だから、笑った。 哀しい人ほどよく笑う。
おじさんたちは、泣くかわりに、笑ったのです。
     
バス停まで歩く、冬の風が、不思議とほほに一筋つめたい。
たぶん私は泣いていました。
    
私は人と仲良くなるの、たぶん上手な方だと思います。
誰とでも、積極的に、言葉を交わします。
「社交的」ではないんですけど(笑)。

トリックオアトリート2012年10月06日 17:25

ハロウィンという.ピューリタンのお祭りは、いったいいつ頃から日本に普及したのだろう。
NHKのチャーリーブラウン(チャーリーが谷啓さんでルーシーがうつみみとりさんという豪華さ!)で見ていたが
「わたしチョコレートもらったわ!」「わたしはキャンデー!」チャーリーだけが「ぼくかりんと…」
次の家で「わたしレモンガムよ!」「わたしマシュマロ!」「ぼくかりんと…」と最後までチャーリーは「かりんと…」なのであった。ピューリタンの国アメリカでなんで「万霊節」がはやっちゃてのかワタシにゃわからん。
通っていたカトリック修道院の学校(単にミッションスクールと書かないのは公道からいきなり「ロ」の字の建物があって、その半分は修道院だったから。いまは修道院は移転して、年に東大何人というお進学校になり果ててつまらん。)
で、私達の頃は10月31日に遅くまで校舎に残っているとシスター方に
「万霊節だから早くお帰んなさい。あしたは諸聖人のための御ミサ(万聖節)だから遅刻しちゃダメよ!」
と、まー死んじゃった聖人さん達その他の「お彼岸」なのであった。
「万霊節は悪い霊魂が出てきて人間に悪さをする。」
という考え方で「トリックオアトリート」まではまだまだ遠かった。
10月31日はサッサと眠ることにしている(笑)。

遊泳禁止の赤い旗2012年08月19日 07:56

今朝(5時に)目を覚ましたら、涼しかった。
ああ、子供の頃三宅島の別荘で、15日過ぎると「遊泳禁止」の赤い旗がよろず屋のまえの旗竿に翻っていたのを思い出した。
私は幾つだったろう。