ミレイユ・マチューはやっぱり良い2020年03月09日 20:38

 関西在住のシャンソン歌手・市川民子さんにに
「少女時代聴きまくったミレイユのレコード、処分するのもなんなんで、よろしかったら貰ってやってくれませんか?」
と問い合わせしたのは、いったいいつだったか。

 あるのは「実家」である。父の遺したレコード棚の片隅に居候している…ハズ~?、てなもんである。それでも多分、まだ、ある、はず!と掘ってみたら出てきた。その数8枚。

 でもって私は左手「杖」なんで持てなくて、夫ドッコイ氏に車で運んでもらい、家で一筆したため、
「でもライヴ盤の2枚は私にとって思い出のアルバムなので、できればコピーお願いできませんか?技術とか法律とかいろいろあるから、無理だったらいいです。」
と添えてドッコイ氏に宅急便配送受付まで持っていってもらった。
その頃私は自宅で寝たきりで、利き腕が動かないから全部「口述筆記(檀ふみさんのお父さんの晩年のようだ)アドレス帳引っ張り出して「この住所メモして」と、ドッコイ氏をあごで使った。まったく持つべきものは実直な伴侶である。彼は「めんどくさい」とか「今疲れてるから今度、ね」とか、その美しい口が裂けても言わぬ。
(そうよ、私面食いなの・笑。「美男で聡明で誠実」な伴侶を見つけ出すまで、ずいぶんと待ったわ~)

 で、市原さんから連絡があって
「ありがとうございました、これは『お宝』です。コピーは技術的にちょっと難しいんですけど、ツテを頼ってやってみますのでしばらくお待ちください」
とのことであった。
 
 それから送られてきた手紙
「コロナウィルス騒動であちこちのシャンソ二エ(シャンソン酒場)が休業になって、自宅でやっている音楽教室も休業。こうなゃりゃこっちも腹をくくって、シャンソンの勉強に励みます。もうちょっとお待ちください」
私が電話して
「待ちます、頑張ってください!」
「はい!」

 で、先日届いたのが〒のレターパック満杯。
中身は「レコードジャケットの帯付きカラーコピーA4、解説・フランス語詩、日本語訳「総コピー添」のCD、しかも1枚ずつシステムバインダー入り!。
あとはバインダー本体さえ買ってくればもう棚の一角に「ミレイユマチュー・マイ・コレクション」が出来上がるところまでのお気遣い。
ああ、レコードの文化とはこんなに懐深く、教養に溢れるものだったのか。
熱心なシャンソン歌手の市原さんが「お宝」というのも、なるほど誇張ではないな、と。

 しかも
「あ、『ツテ』は私のフィアンセですので、お心遣いなきよう」
ですって!
まー、歌うことに真摯で、勉強熱心で、村上春樹の「小確幸」と酒蔵訪問を楽しみに生きている貴女のこと、お幸せに、新居に引っ越すならアドレスお教えください、またお手紙書きたいので…とお返事。

 そのついでに思い出したこと、文明と文化の今の度合いなども書いたわけだが。


 CDが、今危機にある。フランス盤で手に入るミレイユマチューはジャケットがペロンと1枚とCDディスクのみ。
「フランス語が分からない人はいいです」
という、文化の中華国家フランスにしてはずいぶんお寒い、「お年寄りのための懐かしのメロディー、日本で言えば、高速のサービスエリアで1枚2千円で売っているから、道中のお供にどうぞ」扱いなんである。
これは「間違っている」と思う。

 音楽は「感性」で始まるもの、これは正しい。しかしその裏には作詞作曲歌手自身の歴史と知的探求がある。それを学ぶことは「知性の持続と向上、人生の本質の向上」である。(こういうとき私「スキルアップ」なんてお安いカタカナで箔付けられない、日本語しか分からないへそ曲がりである)

 女子校時代、遠距離通学と宿題の多さに悲鳴をあげながら、それでも私はミレイユマチューを自分で訳した。そして「翻訳家の日本語訳」と読み比べて
「おまえの義務」は「だって伜や、おまえ兵役だってまだだろう?」とか
「この娘はおまえの為ではない」は「この貧乏人の小娘はウチの敷居をまたぐにふさわしくない!」とか、
プロの「技」を発見していった。
今は「ボンジュール」と「メルシー」しか言葉が残っていないフランス語(10年やってもこの有様よ)だが、学んだことに損はなかったと胸を張って言える。

 次のノーベル平和賞第一候補「グレタさん」の目はジャンヌダルクの大天使に導かれた瞳ではない。どこか静かに、冷静に自分自身を高いところから観察している。
スースーする小さなカマボコ板で老いも若きも「情報交換」する時代。

 それでも「じっくり学びたい」という人は、いる。
自分の目で、耳で、指で「感じたい」、視覚刺激だけの情報合戦に突き動かされない人種は、確かにいるのである。

 歌舞伎と同日に休止を決めた「宝塚」が、客席全員マスク着用で再開するという。日本独特の女性文化だが、その歴史は出雲の阿国から続く。
劇場よ、美術館よ、図書館よ。視覚と聴覚の「お祭り騒ぎ」であるライヴハウスはまだ無理としても。そろそろ再開してはいかが?


2020/03/09 22:46

コロナの嵐の真っ最中に

これをもって「華やっ子・復帰最初の文章」とする。

正しい人2016年01月07日 23:50

島倉千代子は59年間の歌手生活において、ステージで一度も口パクはしなかった。
エライ。
今はやすらかに。

ハイジ2015年06月30日 21:51

「アルプスの少女ハイジ」のアニメを立て続け見ている。
本放映’74の時は父の「クラシック鑑賞タイム」と重なって見られなかったもの。
どうしてクラシックマニアというのはこう頑固なのだろう。
家族は1台きりの小さなテレビを観せてもらえなかった。
まだ父権の強かった時代である。
「ハイジ」はリアルタイムで観ておけばよかったなあ、と思うアニメの一つ。
「未来少年コナン」はラッキーにも観れたけれど「ハイジ」は空白である。

ちあきなおみは凄かった!2015年03月27日 05:12

1991年のちあきなおみには、他を寄せ付けない凄みがあった。
最愛の夫にしてプロデュユーサーの「郷鍈治(ごうたつや)の死の1年前である。
(末期ガン・彼の死後、彼女はひと声も唄って居らず、斎場にも「私も燃やして!」と棺にしがみつく)
いつでも病院の枕音に駆けつけれるように、髪はながしでざんばらりん。
衣裳は主に黒のノースリーブ。
の中で。
彼女はファドを歌い、ラストレーベル「赤い花」を発表し、歌劇「ねえ、あんた」を世に出している。
「ねえ、あんた」は赤線が合法だった時代の売春婦の別れの演劇歌謡。
地方に生まれ、センスが良く、でもそれを気付かない「遊び女(あそびめ)」の別れ歌である。
どの曲も丹念に、心のひだをなぞるようにゆるうりと歌い上げられて行く。
「ちあきなおみ集大成」という気がする。
しかし裏には「何時訪れるか分からない」夫の死があった。

元々冒険好きな人で「夜に急ぐ人」
を発表したり、中島みゆきはじめシンガーソングライターの作詩作曲をとりいれ
(1番ヒットは「中島みゆき」の「「ルージュ」だと想うが)
シャンソン、ファドなどどんどん挑戦していたのであるが。

ラストの1年は、特に濃密に走って居たように想う。
「「黄昏のビギン」(永六輔・中村八大のゴールデンコンビだ)、のCMソングで
「これ唄っているの誰!?」と若手層にまで大騒ぎを起こした彼女だが…

歌い納める大物もいるということだ。
ちあきなおみにはいつまでも「歌伝説」であって欲しい。

♪けんかを…(まど・みちおさんへ)2014年03月01日 03:10

昨日、作詞家まど・みちおさんが亡くなった。享年104。
ご冥福をお祈り…したいのだが、わたしはちょっと、生前のまどさんにもの申しあげたかった。
「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね♪」
「しろやぎさんからお手紙ついた♪」
どれも名作である。
が。
私の小学校時代の校歌を「革新的に作詞」してくれたのにはチト困った。

♪けんかをしたって友だちだ、あだ名をつけても先生だ、
♪やっほー、やっほー、小学生だ、しゅっぱつだ。
♪あしたへむかって、みらいにむかって、やっほー…

…いきなり「けんか」や「あだ名」をせにゃならんのか。

小学校3年生の時に出来た校歌だが、
世間様では「未来学」なんて学問ができ、
みんなの未来はあかるく輝き、いずれは宇宙に都市ができ、という具合に、どんどこどんどこ、太鼓叩いて、「未来」をあおりたてて。
アポロは月に行って石ひろってきて、大阪万国博来会があって、
大人はバンバカ明るい花火を打ち上げたがっていた。
(ウラでは公害や環境破壊も走り始めていた)

まどさん、当時の小学生はね、「も少しおとな」でしたよ。
冷戦もあったし、ベトナム戦争もあったし、沖縄、小笠原返還前だったし。米ソ両国がスイッチ押せば地球30個壊す分の兵器があるのも知っていた。

♪けんかを♪から始まる曲は、河合奈保子(竹内まりや)の「けんかをやめて」で充分です。(これも非道い内容の歌だけれど…)

ps. 幸い?母校は少子化で廃校になりました。

Adeste2012年11月22日 09:06

問題なのは「Adeste」(アデステ)をクリスマスにラテン語で歌わせてくれる教会がもうほとんどないということだ。年に一度のストレス解消法(?笑)なのに、残念なこっちゃ。

俵星玄蕃を歌っていたら…2012年02月12日 02:00

「大忠臣蔵」は長編歌謡浪曲、三波春夫大先生の代表作で全29曲、CD4枚もある。
中でも「元禄名槍譜・俵星玄蕃(げんろくめいそうふ・たわらぼしげんば)」は9分近くあり、「大忠臣蔵」の中でも聴かせどころである。
(晩年、紅白最後の出場の時もこの曲だった)
俵星玄蕃という槍の名人が、蕎麦屋に扮して吉良邸を探る浪士の杉野と知り合い、浪士のひとりと気付きつつ、名も知らず槍の極意を教えた上で分かれたその夜が討ち入り、雪の中を槍を構えて赤穂浪士の助太刀に行く、というストーリーである。
ドラマチックで、歌いでもあり、…この「歌いで」がくせもので、前半飛ばすと後編息が保たなくなってしまう。

「かかるゥ~ぅ、折りしもォひとり~ィの浪士が、雪をけたてて(ぁ)サク(ぁ)サク、(ぁ)サク、サク、サク、サク~ゥッ!『先生ェッ』『ぅおうッ、そ~ば屋かあァ~ッ』♪チャカ、チャカ、チャ~ン、チャ~ン、チャンッ!」
なのだが。これをおなじく三波春夫ファンのドッコイ氏の前でちょうど後半が来るように台所でお茶を入れて歌いながら歩いてきたら、
「(ぁ)サク(ぁ)サクッ♪」までで息が上がってしまい、

「先生」「おう、蕎麦屋か…」。

サザエさんの御用聞き三ちゃんと隣のイササカ先生のやりとりみたいになってしまった。

肺活量足りなすぎ。カラオケの出る前の、昔のプロは難しい歌を軽々と歌って見せたのである。先日の松山恵子さんの「だから云ったじゃないの」にしても「お別れ公衆電話」にしても難しすぎ。
中島みゆき姉さんも中森明菜ちゃんも、ブレスの難しい歌を歌うのだが、私の場合口笛だと「吹き笛」も「吸い笛」も出来るのでノンブレスでも平気。
が、歌謡浪曲に口笛ってなぁ、聞いたことないなぁ…。
やり直しのきかない一発芸なので、残念無念。