スッテンコロリン2012年05月14日 23:42

あーあ、やっちゃったよ。
1日がかりの通院の日。いつもは母が付き添ってくれるのだが用事があって、今日はひとり。
で、良く晴れた日なので帽子を被り、クリニックで処方箋をもらって御近所の薬局へ向かう途中。強い風が私の帽子を後ろに攫(さら)った。
片手に杖、片手に処方箋である。
「あ」
と思ったときには、後ろに体が倒れていく最中だった。
「とにかく頭だけはガードしなければッ!」と必死でお尻から着地して、昼下がりの歩道にばったり大の字。
こんなみごとな転び方、白昼堂々しちゃうから、付き添いが必要だし、杖も持っているのだが、今日はうかつだった。
幸い頭は無事で、向こうから来たサラリーマン風の方に
「だ、大丈夫ですか!?」とかけ寄られた位だから、たぶん傍目から見てもみごとな転びっぷりだったのだろう。
幸い背負ったデイパックとお尻がクッションになって痛くはなかったのだが、柔道で言うならば「背負い投げをくらったような」、きょう日みごとな「大の字」だった。
声を掛けてくれた方は紳士で、飛んだ帽子を拾ってくれた、が……

あー、恥ずかしッ!!(笑)

とにかくとんでもない所でずっこけるから杖を手放せないのである。
引っ越ししたばかりの新居も、それが怖くてしばらくは室内でも杖を突いていて、やっと馴れてスタスタ歩けるようになったのだが。
(どっちに体勢を崩しても手の突きどころが分るようになった。)
そもそも私の本来の歩き方は早くて大またなんであるが。
とんでもないところで、気を抜くとすぐ派手にスッテンコロリンしちゃう。
なんだか自分自身の「来し方行く末」を見ているようで、恥じらいは勝手に倍増するのである(笑)。

お引っ越し日記その五2012年04月30日 07:24

昨夕ついに倒れました。
心臓と痙攣発作。ちょっと無茶しすぎたなぁ…
しかしゴールデンウィーク中になんとかしなければ。
で、今晩たっぷり休んで、朝から行きます。
疲れたら、休みます。(トホホ~)

母は長距離走者2012年04月22日 22:19

新居のダンボールの「妖怪・塗り壁くん」も少しずつ後退し、やっと床の見え始めた今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか(笑)。
と言っても、まだ母の家にイソーローしているのだが。
今日ははドッコイ氏がオフ会から戻って力仕事でどんどん箱をさばいてくれたので劇的に空間が広くなった。
が。
午後から「寒気がする」と言ってドッコイ氏イソーロー部屋の布団の中へ。
南関東地方、今日は寒く、午後からは冷たい雨も降りだしたし。
私はへたってバスで町に用足しに、一番最後までピンシャカしていたのは母・芳子さんであった。

考えてみれば、母は小学校の教員で、毎日ずっと(専科・音楽とか家庭科がない限り)何十人の生徒といっしょに過ごすのである。
これはもう、日曜、休日、土曜の「半ドン(土曜も4時間授業があったのさ)」休みを除いた”つきっきり”で、見せ場の多い「マラソン」と言うより、地道な「クロスカントリー」のポイントをスキップしながら伴走しているコーチに近い。
ピッチが崩れず長時間辛抱強く、このダンボールはどこ、この器具はここ、家に持って帰って洗い直しのカーテンはこれとこれ、と配分して動いている。
私はもっぱら本とCD、DVDと画材、昔来た手紙など、「捨てる、取っておく、売る」の分別作業で、神経と埃がぐっちゃらぐちゃらっで、すぐネを上げて、休憩と称してお茶を飲んで、ガムを噛んで、防塵に紙マスクをして、とにかくピッチをあげないといけない。
のだが、バテる方が早いのである。(トホホ…)
明日も早よから片付けだぁ~!

あいたた、左~!2012年04月04日 14:25

寝違えて体左に傾いたまんまポチポチ。なんかキータッチが左へ左へとミスってばっかり(笑)。仕方ない、ストレッチするか。痛いんだよな~これが(トホホ~)。

春眠暁を覚えず、ってどころじゃない引っ越しですわ2012年03月31日 22:13

というか、眠りっぱなしのここ数日である。
花粉症の薬飲み始めは毎年こうなる。
で、薬で眠たくなくなった頃、花粉症の季節は終わっている、と(笑)。
よかった、大阪行きの時期に重ならなくて。私は杉に弱く檜には強いのである。

先日一泊で大阪まで行って来た。
どうしても「今行かなければ必ず後悔するシャンソンのライヴ」があったのだ。
行って正解、ものすごく良かった。(エスコートしてくださったDさん、ありがとうございました)
帰ってきたその日が私の「杉花粉ボーダーライン」で、東京に着いた途端ハナ水とくしゃみとなみだ目でボロボロ(笑)。
その日から薬を飲み始め、あ~よく寝たなあ、というかこれから数日眠り続けるんだわ、たぶん。
今日は雨降りなので薬1回休みである、ヤレヤレ。

その昔、まだ「花粉症」なんぞポピュラーなもんでない頃、鼻炎持ちの友人がいた。
彼女曰く「普通の人は1年12ヶ月あるけれど私は1年11ヶ月しかない!」
今にして思えば「ごもっとも~!」である。
おまけに彼女は皮膚も敏感で、シモヤケ用に冬はワンサイズ上の靴を履いていた。
なのに暖かい都心から寒い北部へ引っ越した。
冬のご挨拶は「シモヤケどう?」である。今年はすごかったそうだ。

鼻炎の薬で眠りまくっている場合ではない、私は12日後に引っ越しを控えているのだ。
この積んだ本とDVDだらけの伏魔殿のように混沌とした部屋をなんとかしなければならない。
まさか神様に「12日間雨降りで引っ越しの日には晴れますように!」と祈るわけにもいかんしなあ(笑)。
さて、今夜は雨なので、夜中まで整理整頓しまくりである、ヤレヤレ、どっこいしょっと。

風邪っぴき2012年03月08日 20:58

昨日お医者さんに行ったら、すごい混みよう。で、待合室でみごとに風邪を伝染されました。
といっても咽と鼻水だけ。発熱・頭痛はないので明日には治してみせるでござる。
胃にこなくてヨカッタ。
最近の風邪は「筋肉痛」とか「胃にくる」とか、いろいろヤヤコシイので、困るのでござる。

迷走タイフーン2012年02月23日 21:29

ハゲが円形になって、どんどん後頭部へ。どこへ行こうというのだ…。

鼻で味わうと…2012年02月19日 01:54

ここ一週間ばかり、風邪のせいか「嚥下(飲み下し)が」上手くいかない。ちょこっと鼻腔に入っちゃう。鼻で味わうおひたし、鼻で味わうイカの煮物。一番困るのはチョコレート、浸透圧の関係でで鼻の内側がイタイ。

誕生日2012年01月28日 07:09

といっても私ではない。
母・芳子さんが昨日82歳になった。
わー見えないー、わー元気だー。
なんでこの人こんなに元気なんだろう?と思うほど元気。
世話の焼ける娘が間近にいるからかな(あわわ)、ま、ありがたいことです。
こないだ
「そういえば久しくケーキを食べていないわ。」
と言っていたので、ケーキ買って家に行きました。

「小さい頃、自分が80まで生きると思っていた?」
「まさか!」
「じゃ、いつ頃そう思った?」
「確さん(父)が倒れたときかしら、この人を残しては死ねないって。」
ずいぶん最近ですな。

祖母が死んだのが、私の生まれる数ヶ月前、60とちょっと。
写真の中の祖母は白髪を結って和服を着て、どこから見ても「おばあさん」。
それから半世紀、目の前の母はピンシャカしてケーキを食べている。

私としてはまだ親孝行していないので、もっともっと長く生きて欲しいのだが。
「あら、私『尊厳死の誓状』もう書いてあるわよ、そこのタンスの一段目。」
あっさりとひと言。ああ、そうですか。

どこまでいってもかなわないなあ、マイ・母(笑)。
この調子で元気で長生きして下さい。

老眼と長寿2012年01月15日 17:10

私は40歳になる直前、それが昔は「初老」と言われていたのだと知って驚いた。
月に数日は満員電車、終電車に大荷物で乗って、ぎゅうぎゅうもまれ、それ以外の日は「ふたりあわせて180歳を超える」養母とそのパートナーの面倒を見るのがるのが日常だったから。
まさに人生真っ盛り!という気持ちでいた。なのに「初老」なんて。(「五八の賀」とも言うらしい・掛け算九九か!)

ということで無視することにした。
ただ、好きな向田邦子さんがエッセイで「最近の新聞はインクが滲んでよく読めない」「針の穴が開いていない不良品が多すぎる」と散々腹を立てた架空の人物、最後に「実はそれが老眼の始まった最近の私ですよ」という種明しのエッセイを読んでいたので、老眼だけは目を使う商売のため構えた気持ちでおり、「来たな」と思ったら即メガネ屋さんに行った。
おかげで手持ちのメガネは都合7本、読書用、運転用、度つきサングラス、それらがどこかにいっちゃったときの「探索用」である(笑)。

ら、昨日ついにドッコイ氏が老眼鏡を誂えることになり、帰宅後、開口一番
「いやあ、乱視が混じっているだけでこんなに手間と時間とお金がかかるとは思っていなかった!」
でしょ。郵便局にサービスで置いてあるのや、バカ安で売っている中国の量産品のようにはいかないのよ。

「老」という言葉を、自分自身の人生に最初に受け入れるのはたいていみんな「老眼」である。否が応でもやって来る。

NHKが近年行った調査では、60歳ぐらいからを「初老」と考える人が全体の42%だった。
それもおもしろいことに、10代の意見では「初老」は平均48.8歳、50代の意見では平均59.1歳と、10歳以上も年齢にひらきがある。

「人生50年」といわれた時代には、60歳以上は長寿と考えられ、40歳で立派な「初老」だった。
当時は「初老の賀」のあと、10年ごとに「五十の賀」「六十の賀」が祝われた。
この「算賀の儀礼」が受け継がれて、60歳の「還暦」、77歳の「喜寿」、88歳の「米寿」が、江戸時代から一般庶民の間でも祝われるようになったという。
今や90歳の「卆寿」、九十九の「白寿」もまれではない。
近年無くなった私の大叔母は103歳の長寿を得たし、その妹の私の養母も九十八、数えで白寿まで生きた。
ふたりとも歌人だったり日本画家だったりしたので、そのせいもあるかもしれない。
映画「楢山節考」や「デンデラ」の「70歳で山に捨てられる」という姥捨て伝説の設定から考えると、嘘のようである。

11の時からメガネをかけ続けた私にとっては、老眼鏡は「人生の折り返し地点」という思いが強かったが、ドッコイ氏は五十を5ヶ月後に控えた今、どんな気持ちなのかな。
訊ねても「別にたいしたことはないですよ。」と言っているが、常用するようになると見慣れたはずの世界が変るのだ。
出来上がったメガネをかけたとき、聞いてみたい、
「あなたは自分のことを初老と思いますか?」
たぶん答えは「わたしはまだまだ『壮年』(厚生労働省の言う40歳から64歳)ですよ。」だと思うけれど。
ちなみに同省が定めた「実年」は50歳代~60歳代だそうで、かぶっていてややこしいのである。