ドッコイ氏退院! ― 2023年06月02日 17:20
なんとドッコイ氏、もう退院。
心臓の場合平均入院日数は2ヶ月超える、とも言われているし、覚悟していたのだが、「最短で…」と医師に言われた予定より更に1周間早い「スピード退院」である。
本人も私も、何より担当してくれた医師がビックリしている。
ハッキリ言われた。
「色々調べたのですが、医学的に説明つきません」
ドッコイ氏、入院したときの心臓カテーテル手術画像では、ばっちり「動脈瘤があります」
だった。
私の世代で「動脈瘤」といえば石原裕次郎である。
破裂したら死んじゃう可能性大。
ので、「入院中に『動脈瘤破裂』なんてことになったら、私、未亡人になっちゃうのね」と、覚悟を決めた。
…のだが。
途中経過説明を受けたら、なんと
「動脈瘤、なぜか自分から小さくなっています」
「血管が詰まったところに動脈瘤という『血液のため池』が出来たので、そこから詰まった先の血管に血液が少しづつ流れていて、心臓の筋肉が生きています。血管が詰まった先の筋肉が死んじゃうのが『心筋梗塞』なんですが…なんでなのか…」
入院した時点で
「この先動脈瘤を切除する手術をしなけらばいけなくなるかもしれなくて、その場合入院は延びます」
と告げられていたのだが、
「これなら1週間早く退院しても大丈夫です」
まあ。
で、退院前日に最後の説明があったのだが、
「血液のつまりがとれて、その先の血管も復活しました。病名は『心筋梗塞』で間違いないのですが、心臓の筋肉ほとんど『ノーダメージ』というめずらしいケースです。医師が集まっていろいろ分析したのですが、なんでこうなったのか理屈では説明つきません」
医学用語では「奇跡」という表現はないが、担当の若い女医先生、たぶんおなかの中ではそう思ってるんだろうなあ…というカンジ。
まあ、塩分制限とか毎日の薬が増えたりとか定期的検査とか、今後いろいろあるのではあるが、ひっくり返っちゃったときの
「いったいどうしよう?」
は無事解決、ということで
「メデタシメデタシ」
なのであった。
お騒がせしました。
心臓の場合平均入院日数は2ヶ月超える、とも言われているし、覚悟していたのだが、「最短で…」と医師に言われた予定より更に1周間早い「スピード退院」である。
本人も私も、何より担当してくれた医師がビックリしている。
ハッキリ言われた。
「色々調べたのですが、医学的に説明つきません」
ドッコイ氏、入院したときの心臓カテーテル手術画像では、ばっちり「動脈瘤があります」
だった。
私の世代で「動脈瘤」といえば石原裕次郎である。
破裂したら死んじゃう可能性大。
ので、「入院中に『動脈瘤破裂』なんてことになったら、私、未亡人になっちゃうのね」と、覚悟を決めた。
…のだが。
途中経過説明を受けたら、なんと
「動脈瘤、なぜか自分から小さくなっています」
「血管が詰まったところに動脈瘤という『血液のため池』が出来たので、そこから詰まった先の血管に血液が少しづつ流れていて、心臓の筋肉が生きています。血管が詰まった先の筋肉が死んじゃうのが『心筋梗塞』なんですが…なんでなのか…」
入院した時点で
「この先動脈瘤を切除する手術をしなけらばいけなくなるかもしれなくて、その場合入院は延びます」
と告げられていたのだが、
「これなら1週間早く退院しても大丈夫です」
まあ。
で、退院前日に最後の説明があったのだが、
「血液のつまりがとれて、その先の血管も復活しました。病名は『心筋梗塞』で間違いないのですが、心臓の筋肉ほとんど『ノーダメージ』というめずらしいケースです。医師が集まっていろいろ分析したのですが、なんでこうなったのか理屈では説明つきません」
医学用語では「奇跡」という表現はないが、担当の若い女医先生、たぶんおなかの中ではそう思ってるんだろうなあ…というカンジ。
まあ、塩分制限とか毎日の薬が増えたりとか定期的検査とか、今後いろいろあるのではあるが、ひっくり返っちゃったときの
「いったいどうしよう?」
は無事解決、ということで
「メデタシメデタシ」
なのであった。
お騒がせしました。
ドッコイ氏、心筋梗塞 ― 2023年05月12日 23:09
いや、参った参った。
夫・ドッコイ氏がなんと心筋梗塞である。
朝4時に
「息苦しい、胸も痛い、狭心症かもしれない」
と、ゆすり起こされて、救急車で病院へ。
ストレッチャーのお世話にもならず自力で乗り込んだので、
「まあ、たいしたことないでしょ」
と思っていたら、さにあらず。
市民病院の救急搬送口にたどり着いたとたん、医師もナースさんも走っている。
いつまでたっても処置室から出て来ない。
やっと呼ばれたら、
「心筋梗塞の可能性が極めて高い(9割以上)なので、心臓カテーテルの手術をしたい。同意の書類にサインを」
と告げられえて、初めてことの重大さに気づいた。
ICU(集中治療室)送りである。
どうなるのかな。
とにかく医師から
「心筋梗塞の場合、3分の1は病院に辿り着く前に、自宅で、救急車の車内で亡くなります。ちゃんと病院にたどり着けて処置を受けられたのは、ラッキーでした」
と言われて、やっと、
「あ、私、未亡人になるか否かの瀬戸際だったのね~」
と気づいた。やれやれ。
還暦で後家さんにならずに本当にヨカッタ。
この先どうなるのかは分からないけれども、まあ、ドッコイ氏が生きているという事は、私にとってものすごく大切なことなので、腹を据えてやっていこうと思う。
人生ってまったく、何がおきるか分からないもんである。
夫・ドッコイ氏がなんと心筋梗塞である。
朝4時に
「息苦しい、胸も痛い、狭心症かもしれない」
と、ゆすり起こされて、救急車で病院へ。
ストレッチャーのお世話にもならず自力で乗り込んだので、
「まあ、たいしたことないでしょ」
と思っていたら、さにあらず。
市民病院の救急搬送口にたどり着いたとたん、医師もナースさんも走っている。
いつまでたっても処置室から出て来ない。
やっと呼ばれたら、
「心筋梗塞の可能性が極めて高い(9割以上)なので、心臓カテーテルの手術をしたい。同意の書類にサインを」
と告げられえて、初めてことの重大さに気づいた。
ICU(集中治療室)送りである。
どうなるのかな。
とにかく医師から
「心筋梗塞の場合、3分の1は病院に辿り着く前に、自宅で、救急車の車内で亡くなります。ちゃんと病院にたどり着けて処置を受けられたのは、ラッキーでした」
と言われて、やっと、
「あ、私、未亡人になるか否かの瀬戸際だったのね~」
と気づいた。やれやれ。
還暦で後家さんにならずに本当にヨカッタ。
この先どうなるのかは分からないけれども、まあ、ドッコイ氏が生きているという事は、私にとってものすごく大切なことなので、腹を据えてやっていこうと思う。
人生ってまったく、何がおきるか分からないもんである。
前夜 ― 2020年05月13日 15:32
「もうすぐ日付変わって誕生日だな…」
と思った瞬間、不整脈の発作が起きた。
あわてて薬を飲む、が、効かない。
「ああ、死ぬのかな。
まてよ、発見されて医師が死亡診断書を書くのは明日だ。
ということは、ひとつ年を取って死ぬのか…
ああ、享年58…」
などと思ってとりあえず寝床にもぐりこんだら。
誕生日、ぱかっと目が覚めた。
なんのこっちゃない
しっかり生き延びてしまったのであった。
と思った瞬間、不整脈の発作が起きた。
あわてて薬を飲む、が、効かない。
「ああ、死ぬのかな。
まてよ、発見されて医師が死亡診断書を書くのは明日だ。
ということは、ひとつ年を取って死ぬのか…
ああ、享年58…」
などと思ってとりあえず寝床にもぐりこんだら。
誕生日、ぱかっと目が覚めた。
なんのこっちゃない
しっかり生き延びてしまったのであった。
アレルギーとアマレット ― 2020年04月22日 20:25
ご町内の内科がじつは「アレルギー・呼吸器」もやっていると知り、バスで途中下車して行ってきたのが1週間前。
コロナ騒動で誰も居ない待合室、すぐに先生とご対面。
で、一週間、血液検査の結果は…
はい、案の定「スギ・ヒノキ花粉、ハウスダスト、かび(私のスペースは北向き、カビとの戦いである)…」はともかくとして、「バナナ・ごまも要注意」って…あんなに気分悪くなる「キウイ」はOKなんである。よくわけが分からんが、少し体質が変わったのかな?
こどもの頃から「じんましんの嵐」だった。
思えばベランダに迷い込んできたセキセイインコを飼い始めてからで、私は「クチバシで指を噛まれると血が止まらない」のである。犬も猫もだめ。ウズラや熱帯魚を飼ったことはあるが、原則ペットは諦めている。
身につけるものも、昔粗悪製品が多かった「化繊」がダメで、母が縫ってくれた木綿の下着とブラウス、ウールのスカートと上着、手編みのセーターで身を固めていた。
郊外に越して少し良くなったが、中学から6年間は排気ガスモウモウの横浜中心部の女子校に越境通学で、ここの制服が「木綿とウール、以上!」という「戦前女学校スタイル」だったから救われたが、化繊だったら私はじんましんで中退していただろう。
大学は家から2駅の畑と森のど真ん中・田園地帯にあり、そこで私の皮膚は初めて深呼吸した。
化繊も質が良くなり、私はそれなりにオシャレを楽しめるようになった。ただ、肌着だけは絶対綿100%でなければダメ。かゆくなっちゃう。
学生時代から漫画の世界でお金を稼ぐことが出来るようになり、卒業後はいったん駅前で古書店員として働いたが1年8ヶ月で漫画の世界に戻った。
最初のウチはよかった。が器用さが災いして「化粧して表参道や代官山を闊歩して下さい」というビジュアルプランナーなんて仕事を請け負ったら、急に皮膚が苦しくなった。
職種を絞り、横浜の川の畔で「自分の仕事・結婚して夫との生活・55才年の離れた養母とそのパートナーの介護」という3本柱の生活になった時点で、化粧はダメ、肌も木綿とウールに逆戻りしていた。
それでも、安い外国製品は「綿100%」と表示してあっても「縫い糸」が化繊のことがあり、本当に困った。
若い頃のおしゃれ着をどんどん処分し、国産のグンゼの肌着はモノは良いがレースの縁取りがあり、インナーとしてしか着れぬ、困ったな、というときに、新聞広告でふと見つけたのが、繊維の長い柔らかくて張りのある「ベトナム綿」を現地の工場で仕立てている、良心価格のブランドである。
しかも、ボートネックや浅Vネックなんかもあり、色もいろいろ。
助かった。
ベトナム綿はボリュームと遮光性があり、外国製の中でも特に安い品のようなペラペラではないので、ここが女性にとっては大問題であるのだがが「乳首が透けて見えない」!
ベトナムはコロナウィルスの侵入防止に成功し、経済は制約されているものの、死者を出していない。
一時期操業を停止している工場も再開予定が立っており、現在在庫切れの製品もじきに入荷するという。
ほんの数ヶ月前まで世界は「生産の相互依存」状態にあった。
今、安定して供給できる国はどこか。
オーストラリアは森林資源に乏しいため、トイレットペーパーを自国生産できずパニックだという。
どの国が、どんな製品を安定して生産・世界提供出来るのか賢く冷静に見極めなければならない。
日本でも、アルコール消毒液は自国生産できても、プッシュ式のスプレーボトルが実は中国頼みでした、という事態である。
トランプは中国が嫌いだが、中国製品が輸入されなければアメリカの大手スーパーは棚がカラになってしまうということを自覚しているのか。
日本でも、中国とのパイプを「一本調子」でやってきた百均などでは、地方都市で棚がカラ、一時閉店などという現象が起き始めている。
国産品に強い百均、ベトナム・タイとのパイプが太い百均、中国とのパイプが一本ではなかった百均など、生き残りはさまざまである。
どの角度が自分にとって「安心・安全・快適」をもたらしてくれるか。
「世界の中の一消費者」である私たちは、漫然と買い漁るのでは無く、きちんと「見極め」なくてはならないのだ。
とりあえず私は、国内経済が「食品・生活」以外ストップしているイタリアから「アマレット(杏仁リキュール)」が日本に供給されている事実に感謝する。
アマレットは精神安定に良く効く、美味しい薬用酒である。
アイスコーヒーや紅茶、オレンジジュースに垂らすと気分が明るくなる。
イタリア・DISARONNO社の職人さんに乾杯!
コロナ騒動で誰も居ない待合室、すぐに先生とご対面。
で、一週間、血液検査の結果は…
はい、案の定「スギ・ヒノキ花粉、ハウスダスト、かび(私のスペースは北向き、カビとの戦いである)…」はともかくとして、「バナナ・ごまも要注意」って…あんなに気分悪くなる「キウイ」はOKなんである。よくわけが分からんが、少し体質が変わったのかな?
こどもの頃から「じんましんの嵐」だった。
思えばベランダに迷い込んできたセキセイインコを飼い始めてからで、私は「クチバシで指を噛まれると血が止まらない」のである。犬も猫もだめ。ウズラや熱帯魚を飼ったことはあるが、原則ペットは諦めている。
身につけるものも、昔粗悪製品が多かった「化繊」がダメで、母が縫ってくれた木綿の下着とブラウス、ウールのスカートと上着、手編みのセーターで身を固めていた。
郊外に越して少し良くなったが、中学から6年間は排気ガスモウモウの横浜中心部の女子校に越境通学で、ここの制服が「木綿とウール、以上!」という「戦前女学校スタイル」だったから救われたが、化繊だったら私はじんましんで中退していただろう。
大学は家から2駅の畑と森のど真ん中・田園地帯にあり、そこで私の皮膚は初めて深呼吸した。
化繊も質が良くなり、私はそれなりにオシャレを楽しめるようになった。ただ、肌着だけは絶対綿100%でなければダメ。かゆくなっちゃう。
学生時代から漫画の世界でお金を稼ぐことが出来るようになり、卒業後はいったん駅前で古書店員として働いたが1年8ヶ月で漫画の世界に戻った。
最初のウチはよかった。が器用さが災いして「化粧して表参道や代官山を闊歩して下さい」というビジュアルプランナーなんて仕事を請け負ったら、急に皮膚が苦しくなった。
職種を絞り、横浜の川の畔で「自分の仕事・結婚して夫との生活・55才年の離れた養母とそのパートナーの介護」という3本柱の生活になった時点で、化粧はダメ、肌も木綿とウールに逆戻りしていた。
それでも、安い外国製品は「綿100%」と表示してあっても「縫い糸」が化繊のことがあり、本当に困った。
若い頃のおしゃれ着をどんどん処分し、国産のグンゼの肌着はモノは良いがレースの縁取りがあり、インナーとしてしか着れぬ、困ったな、というときに、新聞広告でふと見つけたのが、繊維の長い柔らかくて張りのある「ベトナム綿」を現地の工場で仕立てている、良心価格のブランドである。
しかも、ボートネックや浅Vネックなんかもあり、色もいろいろ。
助かった。
ベトナム綿はボリュームと遮光性があり、外国製の中でも特に安い品のようなペラペラではないので、ここが女性にとっては大問題であるのだがが「乳首が透けて見えない」!
ベトナムはコロナウィルスの侵入防止に成功し、経済は制約されているものの、死者を出していない。
一時期操業を停止している工場も再開予定が立っており、現在在庫切れの製品もじきに入荷するという。
ほんの数ヶ月前まで世界は「生産の相互依存」状態にあった。
今、安定して供給できる国はどこか。
オーストラリアは森林資源に乏しいため、トイレットペーパーを自国生産できずパニックだという。
どの国が、どんな製品を安定して生産・世界提供出来るのか賢く冷静に見極めなければならない。
日本でも、アルコール消毒液は自国生産できても、プッシュ式のスプレーボトルが実は中国頼みでした、という事態である。
トランプは中国が嫌いだが、中国製品が輸入されなければアメリカの大手スーパーは棚がカラになってしまうということを自覚しているのか。
日本でも、中国とのパイプを「一本調子」でやってきた百均などでは、地方都市で棚がカラ、一時閉店などという現象が起き始めている。
国産品に強い百均、ベトナム・タイとのパイプが太い百均、中国とのパイプが一本ではなかった百均など、生き残りはさまざまである。
どの角度が自分にとって「安心・安全・快適」をもたらしてくれるか。
「世界の中の一消費者」である私たちは、漫然と買い漁るのでは無く、きちんと「見極め」なくてはならないのだ。
とりあえず私は、国内経済が「食品・生活」以外ストップしているイタリアから「アマレット(杏仁リキュール)」が日本に供給されている事実に感謝する。
アマレットは精神安定に良く効く、美味しい薬用酒である。
アイスコーヒーや紅茶、オレンジジュースに垂らすと気分が明るくなる。
イタリア・DISARONNO社の職人さんに乾杯!
多摩丘陵・風の谷より ― 2020年04月11日 02:54
23区に次いで感染者が多いからか(すぐ隣の県の駅から鉄道で感染したのがイタかった)、市の防災無線がやたら張り切っている。
障がい者の生活のための実験都市で、高齢者も多い事を考えると
「市民の空気読めてないなー…」
なのだが、お役所も役割分担があり、必死である。
静かな田園都市へはなかなか戻れそうもない…
多摩丘陵・風の谷より
障がい者の生活のための実験都市で、高齢者も多い事を考えると
「市民の空気読めてないなー…」
なのだが、お役所も役割分担があり、必死である。
静かな田園都市へはなかなか戻れそうもない…
多摩丘陵・風の谷より
志村けんさんが死んじゃったから ― 2020年03月31日 00:21
今だから言うぞ。
武漢市の作家・方方さんの言葉だ。
「ひとつの国家が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さ、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。
唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」
(朝日新聞夕刊/2020/03/19)
志村さんは、孤独に罹患し、孤独に逝ってしまった。
荒井注さんが去った後、ドリフターズのレギュラーメンバー入りした志村さんには賛否両論いろいろあった。
しかし「ヒゲダンス」の曲を「これ、良いと思う」と持ち込んだのは彼自身で、音楽誌に「アルバム紹介」の評論コラムを連載し続けているほど、知る人ぞ知るインテリで努力家の人だった。
彼が去った「虚脱感」と「喪失感」を、私たちは
「好ましいタレントの死」
ではなく
「偉大なコメディアンの時代からの突然空白」
というショックと共に、思い出し続けなくてはならない。
武漢市の作家・方方さんの言葉だ。
「ひとつの国家が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さ、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。
唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」
(朝日新聞夕刊/2020/03/19)
志村さんは、孤独に罹患し、孤独に逝ってしまった。
荒井注さんが去った後、ドリフターズのレギュラーメンバー入りした志村さんには賛否両論いろいろあった。
しかし「ヒゲダンス」の曲を「これ、良いと思う」と持ち込んだのは彼自身で、音楽誌に「アルバム紹介」の評論コラムを連載し続けているほど、知る人ぞ知るインテリで努力家の人だった。
彼が去った「虚脱感」と「喪失感」を、私たちは
「好ましいタレントの死」
ではなく
「偉大なコメディアンの時代からの突然空白」
というショックと共に、思い出し続けなくてはならない。
美しい、クリアな眼球 ― 2020年03月10日 19:20
「このような結果は、私が診察してきた中で、あなたが初めての人です」
地元医師会の眼科トップ、穏やかな老先生が瞳を輝かせて、言う。
2020年3月4日、お昼前の、「コロナ騒動」ですっかり静まりかえったクラシッカルな眼科(でも検査設備は最新)診察室でのひとときである。
眼科は常に心にひっかかっていた。駅前の流行っている眼医者、最終的には「新宿から乗り継で信濃町駅前慶応病院」につながる(母の網膜剥離はここで手術した)にかかったが、いつも混雑、たくさんのスタッフに「こんどはこちら」「こんどはそちら」と診査をぐるぐる回しされ、先生にやっと会ったら
「ドライアイですね、目薬受け取りに通ってください、はい終わりです。」
と、やっとの思いでこれっぽっちのお言葉、金何千円也を払って、わたしゃすっかりくたびれ果てた。
老人性ドライアイなんて誰でも通過するもんである。
…もう、目医者はいいや。
そう思って、メガネは駅前メガネストア(国産レンズと国産フレームなので、それなりにお高いがスタッフが視力検査してくれる)にまかせてやって来た。目は商売モノであるから、レンズには張り込んだ。ドライアイは市販の目薬(これも高くつくが)で乗り越えた。
が。今更ながら新聞読んでたら
「高齢化の今、日本人も四割が緑内障発症」
の記事。
ウィルス騒動で人出歩かないし、母芳子さんに聞いた近所で評判の名医、ひとつ総点検に行ってきますか~♪と出かけた。
そして、まず診察室、である。
「この際だから、近視・乱視・老眼、網膜・眼圧・飛蚊症・水晶体・花粉症、全部診てください!」
「はい、分かりました。どうやってここへ来ましたか?」
「バスです、近いです」
「ではまず瞳孔を開く目薬をさしましょう。4時間はまぶしいですが、自力で家に帰れますね?」
「はい、帰れます」
「ではまず測りましょう、ドアを出て右手にどうぞ、○○さんお願い」
そこから始まったコーナー巡り。
みんな「こちらへどうぞ」とスタッフさんが導いてくれる。
各コーナー待合ゾーンは絶対横切らない設計、ここに絵の額が、ここに海水魚の大きな水槽が、ここに鉢植えがと「目休め」がある。
全部終わってソファで、海水魚が泳ぐ姿ゆったり眺めていたら名前を呼ばれた。
そして、最初に戻る。
「老眼が進んでいるので、メガネがもう合わないでしょう、処方箋を書きますからメガネ屋に持って行ってください。そして、メガネが出来上がったら、ちゃんと合っているかどうか私が調べますから、また来てください。それにしても…」
老先生は私のほうを向いて
「あなたのように『クリアな目』の持ち主というのは、初めてです。ご覧なさい、これがあなたの診察結果です」
はい、と覗くと白い紙におおきな〇、中に目盛の小さな「+」がお行儀良く縦に横に並んでいるが、「それっきり」
「こっちは問題のある例です、これ網膜剥離、これ加齢による緑内障、これ高齢による視野狭窄、このとおり白い部分は中心のほんの一点だけで、お年寄りはこの視野で生活行動しているのです。
あなたの年齢になると、皆さんどこかしら障害、黒い部分が円グラフの中に出てくるものです。しかしあなたは
『何の問題もない真っ白な眼球』
視野の広さも、レンズも水晶体も網膜も眼圧も、まったく完璧です」
「そうですか…私は自分の目を酷使してきました。物心ついたときから22才までは日本画家志望、そのあと漫画とイラストレーションの仕事を30年、ワープロやパソコンも使いますし、そんなに問題ない眼球だとは考えたこともありませんでした。とくに飛蚊症は漫画家の職業病とも言われますし…」
「肢体不自由な人の絵画施設を仕事で訪問したことがあります。手も足も先天的に欠落しているのに絵を描きたいという欲求、それは、訪れる障がい者とその作品を直接目の当たりにするまで、情報としては知っていても根源から理解することは出来ませんでした、あ、これよかったら」
と、先生は引き出しを開けてプリントをくれた。市の広報に「健康の知識」として載ったコラムから、メガネ屋組合の広報、医学雑誌の論文まで、ご自分で発表された「目と共に生きる」というテーマに基づいて書かれた、とても優しい文章。
ああ、私の赤ひげ先生(山本周五郎)は、こんなところにいらしたんだなー、と思った。
帰宅して、保険証の臓器提供欄の「眼球」をマルで囲みながら、自分の目の『来し方行く末」に、しみじみ想いを馳せた。
最後に「あの、花粉症なので目薬を…」の私の一言は
「あなたの目には必要ありませんよ」
と、穏やかな微笑みと共に却下された。
地元医師会の眼科トップ、穏やかな老先生が瞳を輝かせて、言う。
2020年3月4日、お昼前の、「コロナ騒動」ですっかり静まりかえったクラシッカルな眼科(でも検査設備は最新)診察室でのひとときである。
眼科は常に心にひっかかっていた。駅前の流行っている眼医者、最終的には「新宿から乗り継で信濃町駅前慶応病院」につながる(母の網膜剥離はここで手術した)にかかったが、いつも混雑、たくさんのスタッフに「こんどはこちら」「こんどはそちら」と診査をぐるぐる回しされ、先生にやっと会ったら
「ドライアイですね、目薬受け取りに通ってください、はい終わりです。」
と、やっとの思いでこれっぽっちのお言葉、金何千円也を払って、わたしゃすっかりくたびれ果てた。
老人性ドライアイなんて誰でも通過するもんである。
…もう、目医者はいいや。
そう思って、メガネは駅前メガネストア(国産レンズと国産フレームなので、それなりにお高いがスタッフが視力検査してくれる)にまかせてやって来た。目は商売モノであるから、レンズには張り込んだ。ドライアイは市販の目薬(これも高くつくが)で乗り越えた。
が。今更ながら新聞読んでたら
「高齢化の今、日本人も四割が緑内障発症」
の記事。
ウィルス騒動で人出歩かないし、母芳子さんに聞いた近所で評判の名医、ひとつ総点検に行ってきますか~♪と出かけた。
そして、まず診察室、である。
「この際だから、近視・乱視・老眼、網膜・眼圧・飛蚊症・水晶体・花粉症、全部診てください!」
「はい、分かりました。どうやってここへ来ましたか?」
「バスです、近いです」
「ではまず瞳孔を開く目薬をさしましょう。4時間はまぶしいですが、自力で家に帰れますね?」
「はい、帰れます」
「ではまず測りましょう、ドアを出て右手にどうぞ、○○さんお願い」
そこから始まったコーナー巡り。
みんな「こちらへどうぞ」とスタッフさんが導いてくれる。
各コーナー待合ゾーンは絶対横切らない設計、ここに絵の額が、ここに海水魚の大きな水槽が、ここに鉢植えがと「目休め」がある。
全部終わってソファで、海水魚が泳ぐ姿ゆったり眺めていたら名前を呼ばれた。
そして、最初に戻る。
「老眼が進んでいるので、メガネがもう合わないでしょう、処方箋を書きますからメガネ屋に持って行ってください。そして、メガネが出来上がったら、ちゃんと合っているかどうか私が調べますから、また来てください。それにしても…」
老先生は私のほうを向いて
「あなたのように『クリアな目』の持ち主というのは、初めてです。ご覧なさい、これがあなたの診察結果です」
はい、と覗くと白い紙におおきな〇、中に目盛の小さな「+」がお行儀良く縦に横に並んでいるが、「それっきり」
「こっちは問題のある例です、これ網膜剥離、これ加齢による緑内障、これ高齢による視野狭窄、このとおり白い部分は中心のほんの一点だけで、お年寄りはこの視野で生活行動しているのです。
あなたの年齢になると、皆さんどこかしら障害、黒い部分が円グラフの中に出てくるものです。しかしあなたは
『何の問題もない真っ白な眼球』
視野の広さも、レンズも水晶体も網膜も眼圧も、まったく完璧です」
「そうですか…私は自分の目を酷使してきました。物心ついたときから22才までは日本画家志望、そのあと漫画とイラストレーションの仕事を30年、ワープロやパソコンも使いますし、そんなに問題ない眼球だとは考えたこともありませんでした。とくに飛蚊症は漫画家の職業病とも言われますし…」
「肢体不自由な人の絵画施設を仕事で訪問したことがあります。手も足も先天的に欠落しているのに絵を描きたいという欲求、それは、訪れる障がい者とその作品を直接目の当たりにするまで、情報としては知っていても根源から理解することは出来ませんでした、あ、これよかったら」
と、先生は引き出しを開けてプリントをくれた。市の広報に「健康の知識」として載ったコラムから、メガネ屋組合の広報、医学雑誌の論文まで、ご自分で発表された「目と共に生きる」というテーマに基づいて書かれた、とても優しい文章。
ああ、私の赤ひげ先生(山本周五郎)は、こんなところにいらしたんだなー、と思った。
帰宅して、保険証の臓器提供欄の「眼球」をマルで囲みながら、自分の目の『来し方行く末」に、しみじみ想いを馳せた。
最後に「あの、花粉症なので目薬を…」の私の一言は
「あなたの目には必要ありませんよ」
と、穏やかな微笑みと共に却下された。
45分歩く ― 2017年05月18日 21:20
半寝たきりも15年ともなると足腰が弱る。
歩く速度は人の二分の一である。
涼しい5月のウチにリハビリしておこうと家の周りを歩いていたら45分が限度だった。
腿をあげて、かかとで蹴って、腰から前へ。う〜、疲れた・・・
で、また寝ちゃった。
歩く速度は人の二分の一である。
涼しい5月のウチにリハビリしておこうと家の周りを歩いていたら45分が限度だった。
腿をあげて、かかとで蹴って、腰から前へ。う〜、疲れた・・・
で、また寝ちゃった。
また尾てい骨骨折 ― 2017年01月09日 21:29
御用納めの翌日に、尾てい骨を折った。
風呂上がり、裸でいるところを、貧血を起こしすとんと尻餅をついた、その先にコンセントの角があったというわけだ。
打った瞬間手応えに「やった!」と思った。
しかし御用納めは済んでいる、診療所にも行けない。
前に貼った湿布薬の残りを貼って、痛み止めの薬の残りを飲んで、年末・正月を過ごした。
悪いことは重なるモノで、前回の尾てい骨・肋骨骨折も三連休初日、土日前の金曜日の夜、ときている。
暦は私の体に酷にできているらしい。
フウフウ言って正月を寝てしのいだ。
年賀状はドーナツクッションに座りヨレヨレの字で書いた。
今年の私からの年賀状はある意味貴重品である。
風呂上がり、裸でいるところを、貧血を起こしすとんと尻餅をついた、その先にコンセントの角があったというわけだ。
打った瞬間手応えに「やった!」と思った。
しかし御用納めは済んでいる、診療所にも行けない。
前に貼った湿布薬の残りを貼って、痛み止めの薬の残りを飲んで、年末・正月を過ごした。
悪いことは重なるモノで、前回の尾てい骨・肋骨骨折も三連休初日、土日前の金曜日の夜、ときている。
暦は私の体に酷にできているらしい。
フウフウ言って正月を寝てしのいだ。
年賀状はドーナツクッションに座りヨレヨレの字で書いた。
今年の私からの年賀状はある意味貴重品である。
マイコプラズマ肺炎 ― 2016年11月25日 05:12
あ~あ、長いこと休んでしまった。
マイコプラズマ肺炎、これにかかってはや1ヶ月、やっと治りかかりである。
マイコと言っても京都の舞妓さんとは何の関係も無い(あたりまえ)。
抗菌剤の効かない悪性の肺炎の一種だそうで、完治まで1ヶ月前後かかる。
38度近い熱が2週間続き、しつこい咳、くしゃみ、鼻水、ひどいときは脊髄炎や脳炎にまでつながってしまうやっかいなもの。
これが全国子供を中心として広がっているそうで、私は夫・ドッコイ氏から伝染された。
「いやに長引く風邪だな?」
と思ったら、マイコプラズマだったというケースが多いそう。
みなさまも帰宅時の手洗い、うがいおこたりなく、お気をつけあそばせ。
マイコプラズマ肺炎、これにかかってはや1ヶ月、やっと治りかかりである。
マイコと言っても京都の舞妓さんとは何の関係も無い(あたりまえ)。
抗菌剤の効かない悪性の肺炎の一種だそうで、完治まで1ヶ月前後かかる。
38度近い熱が2週間続き、しつこい咳、くしゃみ、鼻水、ひどいときは脊髄炎や脳炎にまでつながってしまうやっかいなもの。
これが全国子供を中心として広がっているそうで、私は夫・ドッコイ氏から伝染された。
「いやに長引く風邪だな?」
と思ったら、マイコプラズマだったというケースが多いそう。
みなさまも帰宅時の手洗い、うがいおこたりなく、お気をつけあそばせ。
最近のコメント