前夜2020年05月13日 15:32

「もうすぐ日付変わって誕生日だな…」
と思った瞬間、不整脈の発作が起きた。
あわてて薬を飲む、が、効かない。
「ああ、死ぬのかな。
まてよ、発見されて医師が死亡診断書を書くのは明日だ。
ということは、ひとつ年を取って死ぬのか…
ああ、享年58…」
などと思ってとりあえず寝床にもぐりこんだら。

誕生日、ぱかっと目が覚めた。

なんのこっちゃない
しっかり生き延びてしまったのであった。

アレルギーとアマレット2020年04月22日 20:25

ご町内の内科がじつは「アレルギー・呼吸器」もやっていると知り、バスで途中下車して行ってきたのが1週間前。
コロナ騒動で誰も居ない待合室、すぐに先生とご対面。

で、一週間、血液検査の結果は…
はい、案の定「スギ・ヒノキ花粉、ハウスダスト、かび(私のスペースは北向き、カビとの戦いである)…」はともかくとして、「バナナ・ごまも要注意」って…あんなに気分悪くなる「キウイ」はOKなんである。よくわけが分からんが、少し体質が変わったのかな?

こどもの頃から「じんましんの嵐」だった。

思えばベランダに迷い込んできたセキセイインコを飼い始めてからで、私は「クチバシで指を噛まれると血が止まらない」のである。犬も猫もだめ。ウズラや熱帯魚を飼ったことはあるが、原則ペットは諦めている。

身につけるものも、昔粗悪製品が多かった「化繊」がダメで、母が縫ってくれた木綿の下着とブラウス、ウールのスカートと上着、手編みのセーターで身を固めていた。

郊外に越して少し良くなったが、中学から6年間は排気ガスモウモウの横浜中心部の女子校に越境通学で、ここの制服が「木綿とウール、以上!」という「戦前女学校スタイル」だったから救われたが、化繊だったら私はじんましんで中退していただろう。

大学は家から2駅の畑と森のど真ん中・田園地帯にあり、そこで私の皮膚は初めて深呼吸した。
化繊も質が良くなり、私はそれなりにオシャレを楽しめるようになった。ただ、肌着だけは絶対綿100%でなければダメ。かゆくなっちゃう。

学生時代から漫画の世界でお金を稼ぐことが出来るようになり、卒業後はいったん駅前で古書店員として働いたが1年8ヶ月で漫画の世界に戻った。
最初のウチはよかった。が器用さが災いして「化粧して表参道や代官山を闊歩して下さい」というビジュアルプランナーなんて仕事を請け負ったら、急に皮膚が苦しくなった。

職種を絞り、横浜の川の畔で「自分の仕事・結婚して夫との生活・55才年の離れた養母とそのパートナーの介護」という3本柱の生活になった時点で、化粧はダメ、肌も木綿とウールに逆戻りしていた。

それでも、安い外国製品は「綿100%」と表示してあっても「縫い糸」が化繊のことがあり、本当に困った。

若い頃のおしゃれ着をどんどん処分し、国産のグンゼの肌着はモノは良いがレースの縁取りがあり、インナーとしてしか着れぬ、困ったな、というときに、新聞広告でふと見つけたのが、繊維の長い柔らかくて張りのある「ベトナム綿」を現地の工場で仕立てている、良心価格のブランドである。
しかも、ボートネックや浅Vネックなんかもあり、色もいろいろ。

助かった。
ベトナム綿はボリュームと遮光性があり、外国製の中でも特に安い品のようなペラペラではないので、ここが女性にとっては大問題であるのだがが「乳首が透けて見えない」!

ベトナムはコロナウィルスの侵入防止に成功し、経済は制約されているものの、死者を出していない。
一時期操業を停止している工場も再開予定が立っており、現在在庫切れの製品もじきに入荷するという。

ほんの数ヶ月前まで世界は「生産の相互依存」状態にあった。
今、安定して供給できる国はどこか。

オーストラリアは森林資源に乏しいため、トイレットペーパーを自国生産できずパニックだという。

どの国が、どんな製品を安定して生産・世界提供出来るのか賢く冷静に見極めなければならない。
日本でも、アルコール消毒液は自国生産できても、プッシュ式のスプレーボトルが実は中国頼みでした、という事態である。

トランプは中国が嫌いだが、中国製品が輸入されなければアメリカの大手スーパーは棚がカラになってしまうということを自覚しているのか。

日本でも、中国とのパイプを「一本調子」でやってきた百均などでは、地方都市で棚がカラ、一時閉店などという現象が起き始めている。
国産品に強い百均、ベトナム・タイとのパイプが太い百均、中国とのパイプが一本ではなかった百均など、生き残りはさまざまである。

どの角度が自分にとって「安心・安全・快適」をもたらしてくれるか。
「世界の中の一消費者」である私たちは、漫然と買い漁るのでは無く、きちんと「見極め」なくてはならないのだ。

とりあえず私は、国内経済が「食品・生活」以外ストップしているイタリアから「アマレット(杏仁リキュール)」が日本に供給されている事実に感謝する。

アマレットは精神安定に良く効く、美味しい薬用酒である。
アイスコーヒーや紅茶、オレンジジュースに垂らすと気分が明るくなる。

イタリア・DISARONNO社の職人さんに乾杯!

多摩丘陵・風の谷より2020年04月11日 02:54

23区に次いで感染者が多いからか(すぐ隣の県の駅から鉄道で感染したのがイタかった)、市の防災無線がやたら張り切っている。
障がい者の生活のための実験都市で、高齢者も多い事を考えると
「市民の空気読めてないなー…」
なのだが、お役所も役割分担があり、必死である。
静かな田園都市へはなかなか戻れそうもない…

多摩丘陵・風の谷より

志村けんさんが死んじゃったから2020年03月31日 00:21

今だから言うぞ。
武漢市の作家・方方さんの言葉だ。
「ひとつの国家が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さ、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。
唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」
(朝日新聞夕刊/2020/03/19)

志村さんは、孤独に罹患し、孤独に逝ってしまった。

荒井注さんが去った後、ドリフターズのレギュラーメンバー入りした志村さんには賛否両論いろいろあった。
しかし「ヒゲダンス」の曲を「これ、良いと思う」と持ち込んだのは彼自身で、音楽誌に「アルバム紹介」の評論コラムを連載し続けているほど、知る人ぞ知るインテリで努力家の人だった。

彼が去った「虚脱感」と「喪失感」を、私たちは
「好ましいタレントの死」
ではなく
「偉大なコメディアンの時代からの突然空白」
というショックと共に、思い出し続けなくてはならない。

美しい、クリアな眼球2020年03月10日 19:20

 「このような結果は、私が診察してきた中で、あなたが初めての人です」

 地元医師会の眼科トップ、穏やかな老先生が瞳を輝かせて、言う。
2020年3月4日、お昼前の、「コロナ騒動」ですっかり静まりかえったクラシッカルな眼科(でも検査設備は最新)診察室でのひとときである。

 眼科は常に心にひっかかっていた。駅前の流行っている眼医者、最終的には「新宿から乗り継で信濃町駅前慶応病院」につながる(母の網膜剥離はここで手術した)にかかったが、いつも混雑、たくさんのスタッフに「こんどはこちら」「こんどはそちら」と診査をぐるぐる回しされ、先生にやっと会ったら
「ドライアイですね、目薬受け取りに通ってください、はい終わりです。」
と、やっとの思いでこれっぽっちのお言葉、金何千円也を払って、わたしゃすっかりくたびれ果てた。
老人性ドライアイなんて誰でも通過するもんである。
…もう、目医者はいいや。

 そう思って、メガネは駅前メガネストア(国産レンズと国産フレームなので、それなりにお高いがスタッフが視力検査してくれる)にまかせてやって来た。目は商売モノであるから、レンズには張り込んだ。ドライアイは市販の目薬(これも高くつくが)で乗り越えた。

 が。今更ながら新聞読んでたら
「高齢化の今、日本人も四割が緑内障発症」
の記事。
ウィルス騒動で人出歩かないし、母芳子さんに聞いた近所で評判の名医、ひとつ総点検に行ってきますか~♪と出かけた。

 そして、まず診察室、である。
「この際だから、近視・乱視・老眼、網膜・眼圧・飛蚊症・水晶体・花粉症、全部診てください!」
「はい、分かりました。どうやってここへ来ましたか?」
「バスです、近いです」
「ではまず瞳孔を開く目薬をさしましょう。4時間はまぶしいですが、自力で家に帰れますね?」
「はい、帰れます」
「ではまず測りましょう、ドアを出て右手にどうぞ、○○さんお願い」
そこから始まったコーナー巡り。
みんな「こちらへどうぞ」とスタッフさんが導いてくれる。
各コーナー待合ゾーンは絶対横切らない設計、ここに絵の額が、ここに海水魚の大きな水槽が、ここに鉢植えがと「目休め」がある。

 全部終わってソファで、海水魚が泳ぐ姿ゆったり眺めていたら名前を呼ばれた。
 
 そして、最初に戻る。

 「老眼が進んでいるので、メガネがもう合わないでしょう、処方箋を書きますからメガネ屋に持って行ってください。そして、メガネが出来上がったら、ちゃんと合っているかどうか私が調べますから、また来てください。それにしても…」
老先生は私のほうを向いて
「あなたのように『クリアな目』の持ち主というのは、初めてです。ご覧なさい、これがあなたの診察結果です」
はい、と覗くと白い紙におおきな〇、中に目盛の小さな「+」がお行儀良く縦に横に並んでいるが、「それっきり」
「こっちは問題のある例です、これ網膜剥離、これ加齢による緑内障、これ高齢による視野狭窄、このとおり白い部分は中心のほんの一点だけで、お年寄りはこの視野で生活行動しているのです。
あなたの年齢になると、皆さんどこかしら障害、黒い部分が円グラフの中に出てくるものです。しかしあなたは
『何の問題もない真っ白な眼球』
視野の広さも、レンズも水晶体も網膜も眼圧も、まったく完璧です」
「そうですか…私は自分の目を酷使してきました。物心ついたときから22才までは日本画家志望、そのあと漫画とイラストレーションの仕事を30年、ワープロやパソコンも使いますし、そんなに問題ない眼球だとは考えたこともありませんでした。とくに飛蚊症は漫画家の職業病とも言われますし…」
「肢体不自由な人の絵画施設を仕事で訪問したことがあります。手も足も先天的に欠落しているのに絵を描きたいという欲求、それは、訪れる障がい者とその作品を直接目の当たりにするまで、情報としては知っていても根源から理解することは出来ませんでした、あ、これよかったら」
と、先生は引き出しを開けてプリントをくれた。市の広報に「健康の知識」として載ったコラムから、メガネ屋組合の広報、医学雑誌の論文まで、ご自分で発表された「目と共に生きる」というテーマに基づいて書かれた、とても優しい文章。

 ああ、私の赤ひげ先生(山本周五郎)は、こんなところにいらしたんだなー、と思った。

 帰宅して、保険証の臓器提供欄の「眼球」をマルで囲みながら、自分の目の『来し方行く末」に、しみじみ想いを馳せた。

 最後に「あの、花粉症なので目薬を…」の私の一言は
「あなたの目には必要ありませんよ」
と、穏やかな微笑みと共に却下された。

45分歩く2017年05月18日 21:20

半寝たきりも15年ともなると足腰が弱る。
歩く速度は人の二分の一である。
涼しい5月のウチにリハビリしておこうと家の周りを歩いていたら45分が限度だった。
腿をあげて、かかとで蹴って、腰から前へ。う〜、疲れた・・・
で、また寝ちゃった。

また尾てい骨骨折2017年01月09日 21:29

御用納めの翌日に、尾てい骨を折った。
風呂上がり、裸でいるところを、貧血を起こしすとんと尻餅をついた、その先にコンセントの角があったというわけだ。
打った瞬間手応えに「やった!」と思った。
しかし御用納めは済んでいる、診療所にも行けない。
前に貼った湿布薬の残りを貼って、痛み止めの薬の残りを飲んで、年末・正月を過ごした。
悪いことは重なるモノで、前回の尾てい骨・肋骨骨折も三連休初日、土日前の金曜日の夜、ときている。
暦は私の体に酷にできているらしい。
フウフウ言って正月を寝てしのいだ。
年賀状はドーナツクッションに座りヨレヨレの字で書いた。
今年の私からの年賀状はある意味貴重品である。

マイコプラズマ肺炎2016年11月25日 05:12

あ~あ、長いこと休んでしまった。

マイコプラズマ肺炎、これにかかってはや1ヶ月、やっと治りかかりである。
マイコと言っても京都の舞妓さんとは何の関係も無い(あたりまえ)。

抗菌剤の効かない悪性の肺炎の一種だそうで、完治まで1ヶ月前後かかる。
38度近い熱が2週間続き、しつこい咳、くしゃみ、鼻水、ひどいときは脊髄炎や脳炎にまでつながってしまうやっかいなもの。
これが全国子供を中心として広がっているそうで、私は夫・ドッコイ氏から伝染された。
「いやに長引く風邪だな?」
と思ったら、マイコプラズマだったというケースが多いそう。

みなさまも帰宅時の手洗い、うがいおこたりなく、お気をつけあそばせ。

実家まで5分→30分2016年09月18日 21:18

骨折してから「じっとがまんの寝たきりの人」だったが、久しぶりに実家まで歩いた。
過去徒歩5分だったのが病気で15分、今回はさらに折った肋骨が杖の方の脚だったので歩く姿勢に無理があり、杖を反対側にしてかなりあぶなっかしく30分かかった。
実家がどんどん遠くなる。
とほほ・・・

死について・52016年04月18日 00:00

さて、骨上げである。
喪主とその妻から順番に、「ふたり箸」で焼き上がった骨を骨壺に収めていく。

ここで手首の痙攣が出て、私の持った青竹中節(ふつうの箸は上に節目が来るが、骨上げでは上3分の1くらいに節をつけた青竹の箸を使う)の箸はぶるぶる震えだしてしまうのだが、気づいたドッコイ氏がパッと手首をおさえてくれて、とにかく最初のくるぶし一片を骨壺に入れる。
あとは親戚任せである。

「あー姉さんやっぱりガンだわ、骨がピンク」
と叔母が言うので見たら、肋骨の内側が鮮やかな桃色に染まっていた。
病歴は骨にも出るのだろうか。
長い人生、いろいろな葬儀を体験していくと、見えてくるものもあるらしい。

最後、遺灰を集めるとき斎場の職員は「レレレの叔父さん」と化し、台車の上のお義母さんの遺灰をモウモウとちりとり箒で払い清める。
次に使用する人を乗せる状態にまで戻すらしい。
その場に並んだ兄弟一同ゴホゴホ咳き込み、70にして花粉症になった末の叔父など鼻粘膜がコーティングされ、鼻水の分泌が一瞬止まったほどだ。アビキョウカン。


マイクロバスでホールへ戻って、お坊さんが来るまでの間、昼食におにぎりと漬け物の大皿盛り。

朝食べなかったのと、とりあえず「下界へ降りてきた」安心感で、おにぎりふたつ、漬け物が、これがまた美味なこと、さすが長野は特産品である。
塩分が入って、体の中で滞っていた循環がはじまる。

午後、檀那寺の「殿様の菩提寺」からは、わざわざ総住職(年がいっているのでお経息継ぎ大変)と、年若のお供がひとり、これはよいノドで読経の肺活量も申し分なく、木魚、大小の鐘、鳴らしモノなど大活躍である。
総住職は緋色に金の錦のスリッパ、お供は青に金のスリッパである。
「お坊さん」という商売はコスプレに金がかかる。
1時間ほど、ふたりで読経の後故人を偲ぶ仏の教えなどお話があり、お坊さん退場。

さあ、精進落としである。
義母のすぐ年下の叔父の献杯の音頭で、「ナマグサモノ」を食すのだ。

ドッコイ氏の父方は全員下戸で、こちらはドッコイ氏にまかせ、私は「酒豪揃い」の母方のテーブルに着く。

案の定というかなんと言うか、呑んべえのハナシはおもしろい。
夫婦揃って禁煙に苦労しているハナシ、おばあさんの遺した畑に、最近はシカもイノシシもサルも出没して荒らして行くハナシ、ハクビシンが野生化して、土間のリンゴをかじられたハナシ。
オナカはおにぎりでいっぱいだがハナシは職業柄いくらでも入る。

義母が正月の百人一首の名人だったハナシ、本が好きで、叔父が義母の本棚からゲーテを拝借して、それを丸暗記していまの奥さん(たいそうな美人である)を口説き落としたハナシ・・・

朝鮮半島の大きな商家だった義母の実家が引き揚げるとき、
「女の子に何かあっちゃいけない」
というので、11才の義母は丸刈りにズボン姿で海を渡ったハナシ・・・

知らない義母の世界がどんどん広がる。

「信子さん、家で姉ちゃんの結婚式の時の写真探してみろ、すげえ美人だぞ。」

花嫁姿を想像して、私は義母がますます好きになった。


通夜の最後は、この地方では「食べ残し」は寿司でも煮物でもフライでもエビチリでも、郷土料理「鯉の筒煮」でも、折り詰めにして、ぼたもちといっしょに持って帰ることになっている。

「手が震えるから、ま、いいか」
と思っていたら叔母がいつのまにか「エビの寿司だけ」とか「刺身」とか4折取り分けてくれた。ありがたいことである。

喪主は入り口に行って、挨拶をし、香典返し(海苔とお茶)を手渡す。献花の花をばらした花束は、遠来の客以外はたいがい持って帰る。


最後にドッコイ氏とふたり、家へ帰って義母の遺影を飾る前に花瓶を置くので、ピンクの彩りの多い花束をふたつ選んで、長かった通夜と葬儀は終わった。

(続く)