狂った夏2016年07月27日 23:00

毎日、外国で、日本でも、無差別殺人が起きている。

犯人は若者で、IFだったりそうじゃなかったり、
「障害者は生きていない方がいい」
という考えに至った元介護士だったりする。

何か、おかしい。

被害者は通りすがりの人や、たまたまホールにいた人や、施設に暮らす人や、神父だったりする。

犯人に何が欠落しているのか。
それは分からない。

世界的な武器の蔓延や、貧富の格差もあるだろう。
(その点日本は「拳火器がポピュラーでない」という点、まだ救われているのかもしれない)

若者のアタマは、善悪の判断の付かないほど沸騰している。

その大きな流れが「ポケモンGO」であろう。
杖をついて、人の半分の速度でしか歩けない私は、この週末何度も危険な目に遭わせられた。
まったく無垢な少年や青年に、である。

「ピュアであること=自分が社会的危険分子だと疑わないこと」はこれらの犯罪にもつながる。

精神的には「子供」の犯罪である。

「子供」が社会を脅かす。

今年の夏は、どこか狂っている。

支援物資の確保と発送(コピー)2016年04月20日 15:46

友人に、東日本大震災の際、首都圏から東北へ物資を送った人がいる。
彼女の、その時の記録が、今後非常に役に立つと思われるのでコピーさせていただいた。なおこれはコピーフリーとするので、それぞれのブログで、広める人は広めて欲しい。


「2011年4月17日のこと ~ 支援物資の確保と発送 ~」

この話は来年にでもまとめようと思っていたが、熊本や大分で大きな地震が発生し、これから道路が通れるようになれば、支援物資を送る方たちが増えるだろう。
2011年の震災で、宮城県気仙沼市で被災されたご一家に、私がお送りした支援物資の事例が何かのヒントになればと思い、書いてみる。

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「やっとつながったよ~。」

2011年4月17日のお昼時、気仙沼から1本の電話が入った。
いつもと変わらない、上品な明るい声。
家族ぐるみでお付き合いのある、気仙沼の三世代ご一家のおばあ様からだ。

「家も職場も車も全部なくなったけど、みんな命だけは助かったのよ~。」

津波警報の中、着の身着のままで避難し、避難先の周辺が全て海になってしまったため、地震発生から数日して救出されたという。

「避難した場所には、非常用の食料も水もあったんだけど、置いておいたのが1階とか2階だったから、全部津波で持って行かれたのよ。だから救助が来るまでの3日間は食べるものも飲むものもなくて、みんなお腹すいたお腹すいたって言ってたわ。」

3月11日の震災発生時には、テレビのニュースに「死亡者」としてお名前が出ていたが、「いや、たぶん生きてるよ。」と、生きていてほしいという期待や願望とは全く違う、淡々とした妙な確証があったので、向こうから連絡が来るのを待っていた。

避難所で生活していらっしゃるのかと思ったが、幸い同じ市内でも山の中の住宅には津波の影響がなかったそうで、息子さんご一家は高台のご親戚の家へ、おばあ様と旦那様は趣味のために買っていた小屋を改造して住んでいるとのこと。

「取引先が東京から来て、歯ブラシとか水とか持ってきてくれてねえ…。私たちは避難場所で生活していないから、避難場所に届く物資はもらえないのよ。」

物資をもらえないなら買うしかない。
が、この時の気仙沼市内は、一番大きなスーパーのイオンが津波で1階が壊滅状態になって、買い物ができない状況だったり(本当は津波が届くような場所ではない)、地元の小さなスーパーが食料品や日用品をいくつか袋詰めにしたものを、1袋1000円としてお店の軒先で販売していたりと、地震から1か月経過した後でも必要なものが買える状況ではなかった。
輸送状況もひどく、ガソリンが不足していて、たとえガソリンスタンドにガソリンがあっても、当時の政府は、
「緊急車両以外の補給は認めない。」
と、一般市民や運送業者に卸さなかったため、なおさら物は届かない。

「まあ、缶詰とか、カップラーメンとか食べてるけどね。野菜なんて限られたものしか手に入らないし…。」

そんな食生活が1か月以上続いているのでは、健康状態がとても心配だ。
宅急便やゆうパックは送れない状況だったが、郵便局が頑張っていて、「定形外郵便」だったら被災地でも受取ができることはこの時分かっていた。
定形外郵便なら届くと聞いているから、こちらからぜひ何か送らせてほしい、必要なものはなんでも言ってほしい、と話すと最初は遠慮されていたが、これはあるか、あれはあるかと「具体的に問いかける」(←これが重要)と、ようやくぽつぽつと希望を出してくれ、電話を終えた後は速攻で物資の確保に走った。

<実際に要望されたもの>
◆男性用の防寒下着と靴下◆
3月や4月の気仙沼はまだ寒い。
2011年は震災発生日に雪が降るくらいで、4月になっても低温が続いていた。
暖房もろくに使えない状況で、おばあ様の旦那様は毎日とても寒い思いをされていたため、「あったかい下着や靴下が2枚くらいあれば」という。
サイズや形状の好みを聞き、買いに走ったが、靴下は簡単に見つかったものの、4月の東京はポカポカの春で、冬物の防寒下着が売り場から消えている。
ユニクロもヒートテックを片づけてしまった。
こうなればとにかくお店を回るしかない。
3軒目のイトーヨーカドーで、最終冬物処分のコーナーに、要望どおりのタイプの下着を3点見つけた時は本当にほっとした。
その時の気候に合う下着の確保は、健康を維持するための大切な要素だから。

◆女性用の下着◆
着の身着のままで避難され、着替えも買えない状況だったため、女性用の下着も上下2枚ずつあれば…とのお話で、お安い御用と走ったのだが、これも苦戦した。
女性の皆さんはご存知のとおり、女性用の下着はシャツ1枚とっても種類が細かく分かれる。
普段着なれた形のシャツをと、要望されたフレンチ袖(注:『半袖』にあらず)のシャツを探したのだが、スーパーも百貨店もあれだけ物があるのに、とんと見当たらないのはまいった。
通販ならいくらでも買えるが、待っている時間はない。
下着売り場を処分価格の棚やワゴンまで目を皿にして探して、上下ともに要望よりちょっとだけ多い4枚ずつで確保できた。
被災して大変な時だからこそ、ふだん着なれているものが大事になる。

◆洗濯洗剤◆
「アタック」の液体洗剤が欲しいと言われたが、本体はボトル型で、定形外郵便で出すにはちょっと無理がある。
空き容器があるから詰め替えでも大丈夫と言われ、詰め替えとコンパクトボトル本体をそれぞれ送ろうとしたが、ボトル本体の方は受付不可で、詰め替えだけが届けられた。
水が使え、衣類を手洗いできる状況だったから要望されたのだろう。

<こちらで勝手に追加したもの>
実際に要望されたものを見て分かるとおり、着の身着のままで支援の手もなく、親戚同士の助け合いだけで生活している状況で、要望がこれだけというのはいくらなんでも少なすぎる。
他にはないのかと聞いても、一事が万事控えめで要望を聞き出すことが難しい。
なので、勝手ながらこちらで選んだものも一緒に送ることにした。
その代表的なものがこちら。

◆おすすめその1:明治の「まるごと野菜」!◆
話を聞いて深刻だと思ったのは野菜不足。
葉物野菜やトマトのような日持ちのしない野菜は売っておらず、じゃがいもやタマネギ、にんじんだけでは体が持たない。
幸いこのご夫婦は、「あったかいトマトスープ」がお好きな方たちだったので、明治で出している「まるごと野菜」というレトルトの野菜スープを送ることにした。
この野菜スープはミネストローネやシチュー、シンプルなコンソメ仕立てなど、大体3種類~5種類くらい出ていて、文字どおり野菜がたっぷり入っている(70グラムから100グラム)ため、非常に満足感が高い。
平べったい形なので、定形外の封筒にも入れて送りやすかった。
これはぜひ、普段の生活で使いつつ、日常的に備えておいた方がいい1品だ。

◆おすすめその2:北海道アンテナショップのかぼちゃ◆
ちょっとこの方法は使える地域が限られてしまうが、もし身近にあるならおすすめしたいのがこの場所。
東京や神奈川もまだ、お店に並ぶ品物に偏りがある時期で、乾物の野菜とか、水煮の野菜などがなかなか買えず、困ったときにひらめいたのが北海道のアンテナショップだった。
東京には様々な地域から、特産品を売るアンテナショップが出店しているが、北海道のアンテナショップは都内以外にも埼玉や仙台、名古屋、と比較的手広く展開している。
海のものも山のものも豊富に取り扱っているが、この時とても助かったのが、一口サイズに切ったかぼちゃの真空パック。
加熱済みなので、そのまま食べても大丈夫だし、調味料を入れて簡単に煮物も作れる。
調理済みの1品としても、食材としても使える汎用性は非常にありがたかった。
ちなみに、真空パックにはイカにたっぷりごはんを詰めたイカメシもあったので、イカがお好きな方にはおすすめしておく。

◆おすすめその3:チューインガムとタブレットミント◆
義歯や詰め物をしている人には、歯に付かない錠剤型のミントの方がいいと思うが、食べられるならチューインガムがあると便利。
災害が起きると、歯を磨く水の確保さえ難しくなるし、先の見えない日が1日過ぎるごとに、イライラもつのるだろう。
そんな時に役に立つのがガム。
噛むことで、口の中がさっぱりするし、イライラの解消や口さみしい感じも和らげることができる。
自分が食べなくても、誰かに気軽にあげられるコミュニケーションツールにもなる。
この時は、大人向けにミント、子供向けにフルーツ味など、いくつか取り混ぜて送った。

◆おすすめその4:りんごやみかんのドライフルーツと、パウチタイプのミックスフルーツ◆
本当は日持ちのする柑橘類を送りたかったのだが、定形外郵便では送れないし、輸送環境を考えると、気温の変化で傷みそうだ。
缶詰も大きなものは無理で、小さな平べったいタイプしか送れない。
そこで助かったのがドライフルーツと、シロップ漬けのミックスフルーツをパウチに詰めたもの。
ドライフルーツは、生の果物を干して、栄養価が高くなっている。
レーズンやプルーンは独特の癖があり、好き嫌いが分かれるが、最近は国産のリンゴやみかんのドライフルーツやセミドライフルーツ(半生)がコンビニでも売られるようになり、それだとドライフルーツを初めて食べる人でも、食べなれた味でホッとすると思う。
シロップ漬けのミックスフルーツは、形がある果物を食べたい時に使え、定形外で簡単に遅れるので便利だ。

◆おすすめその5:文具◆
このご一家は自営業だったため、職場も流されたのでは簡単な事務用品にも困るだろうと、食料と合わせて、ボールペン(黒、青、赤)やメモ帳、蛍光ペン、蛍光色の付箋なども送ったのだが、この判断は後で正解だったと分かった。
非常持ち出し袋では、どうしても水や食料、衣類、電池に目が行きがちだが、いざ被災した時に困るものの1つは文房具。
実際被災した方たちからは、避難所で様々な連絡が流されたり、貼りだされたりしても、書き留めるメモやペンがなく困ったという声が聞かれた。
「着の身着のまま」は、自分の身にその時身に着けているもの以外は、本当に何1つなくなる状態なのだ。
ご要望頂いた品物と、こちらで勝手に選んだ品物は、定形外郵便約10通に分割して送り、幸いにして1つも欠けることなく気仙沼に届いた。

熊本や大分は、現在は企業や自治体、自衛隊などのまとまった組織の、大規模な支援の手が必要とされていて、小回りの利く、外部から個々のボランティアの手を必要とするのは、まだ先になるだろう。
必要とされた時のために、自分が無理なくできることは何か、今考えながら備えるのが良さそうだ。

義母、逝く2016年03月28日 08:20

おはようございます。
義母が逝きました。
夜更けに駆けつけた私たちに、ちょっと持ち直して「家族室」での休息を与え、急変して最期はモニターの心臓の波形がパッとクラッシュするという、まことにあっぱれな最期でした。

夫・ドッコイ氏クビ!どーなる我が家!?2016年03月25日 16:26

「年度末のゴタゴタがあって(本人弁)」
ドッコイ氏、3月末日をもって

「クビ決定」!

バイトだから退職金も出ないし、4月1日より我が家は無収入。

お義母さんはガンで半月以内に死ぬし、
今までその年金収入と老人ホームの「差額」を「バイト代では足りない生活費」にあててたのが、年金はなくなる、収入はなくなる、坂を転がるように貧乏の淵へ転がってくのが見える。
長野の家は電気切ると水道管凍結して破裂するしな、

「家2件もちの収入なし」

これは痛い・・・

誰かドッコイ氏を雇ってくれませんか、気は優しくて聡明で誠実な人です。

ただ2ヶ月に1度糖尿病で病院通い、その他睡眠時無呼吸症候群の通院、糖尿の眼底検査、と欠席がついて回るのがネック・・・「どうぞ休んでください」なんて企業、そうそう見つからないよね・・・

男は、チャーミング!2016年03月16日 20:46

22年ぶりに大恩人とデート。

彼は80才になったそうで、そうよ私もとっくに50過ぎたんだわ。
(あんまり聞かれないから忘れてた)

22年、ちっとも変わらずダンディーで、服のサイズも変わってなくて、
「男は太るもの」(ドッコイ氏はLからXLになったし、亡き父ちゃんも三宅島での農業を噴火避難待機の間中に
「ほ~ら、おなかポンポコよ~」
とおどけてはマジメな娘を怒らせるくらい太った。
(島に戻って農業再開したらやせたし、最後は脳挫傷で寝たきりで、細いすねだったけれど・・・かじれやしない・笑)

しかし目の前で笑っている「旦那」は、いなせな男(ひと)なんである。
いろいろなこと話した。
久しぶりに「喫茶店のコーヒー」(カフェにあらず)を味わった。
思い出は尽きない。

お土産もくれた。
こういうとこはずさない、江戸前である。

でもね、嬉しかったのは「ビスコ」。

ポケットがさがさやっていて、
「あ、本屋に寄ったらくじやっていてくれた」
と、小さなビスコの包みをポンッとくれたの。
「非常食にします」って笑って受け取ったけれど、ホント、ジャケットの胸ポケットにしまったままよ。

きっと近いうち、寒い中央道のパーキングエリアで食べるんだわ。
長野のお義母さんいまガンで今月いっぱいの命だから、孝行息子のドッコイ氏と、行ったり来たりよ。
ふたりで1枚ずつ食べよう。

ビスコ、嬉しいな。

ひょいっと、くれた。

ドッコイ氏が生きるか死ぬかの戦場になった出張地から
ひょいっと帰ってきて白い歯見せて笑った、あの感覚。

ああ、私はいま宝物をもらったんだわ。

チャーミングな、未来への滋養。

そしてみんな回ってこなくなったんじゃ2016年01月25日 04:03

「ハンセン病隔離施設」だった瀬戸内海の長島愛生園は近接する邑久光明園(おくこうみょうえん)とともに、ハンセン病療養所に残る隔離政策下の歴史的建造物を世界遺産に登録すべく活動を始めた。

養母は明治40年四国生まれ。
子供の頃はお遍路宿の呼び込みなどやったそうだが・・・

「普通のお遍路さんは首からふたつ袋を提げて、
『麦ですかお米ですか』
というて回っとった。
中には破産して四国に渡って来たらしい人もおった。
回り続けている限り、食事と宿は保証されとるから。

その中でな・・・

『らい(ハンセン病)』の人たちもおったんじゃ・・・
脚がひざまでしかない人、指のない人、鼻のない人、助けおうて回っておった。
宿には泊まらず納屋の軒先なんぞを借りて寝起きしとったよ。

それがな、ある日からぱたりと来なくなった。
村や町の入り口に保健の役人がまちかまえておってな

『これからはもう辛い遍路巡りをしなくても、
食べるものも寝るところもみんなお国がしてくれる』
というてな

ひとり残らず連れて行ってしまったんじゃ・・・」


20以上年たっても忘れられない、深いため息。

義母の老人ホーム2015年07月21日 07:07

義母の暮らす老人ホームは駅から徒歩5分の所にある。しかし、それだけだ。箱物としては小さく、3階建て、庭無し、低い廊下に各室の扉が並び、ちょっと刑務所のような印象を受ける。
義母は毎日個室でテレビに向かい、この1年半でずいぶん小さくなった。
声もひっそり、ひそひそ声で話す。
洗濯は福祉を使い「洗剤は切らさないよう補充して下さい」、「病院へは親族が連れて行って下さい」「何か起きてからでは遅いのでそちらの責任でやって下さい」、と万事事なかれ主義である。
2ヶ月に一度の高地の病院通いに、仕事やすみをとり、それでも間に合わないときは85歳になる私の母が東京から電車に乗って長野に行ってつきそっていた。
2科、採血して、血圧と脈を測って、胸を開いて、いつもの薬をもらう、だけにである。
1日かかる。

特別養護老人ホームの300人待ちの順番が来て、少し駅から離れたところへ行って来た。

内装は木造平面建て、天井が高く採光窓があり、開放感ある定員80人施設の、広さはひ一人あたり6畳から8畳になる。
10人ごとに生活ブースがあり、そこで毎食ご飯を炊き、みそ汁を温め、食事を摂る。
高い天井、坪庭、一日一度の体操タイムの広いスペース。
クラブ活動で書道や読書、手芸(義母は書道で雅号を持っている)。
医師は契約しており週3日訪問し、看護師が5人いる。
もう真冬に車椅子で寒い思いをして(本州一寒い)1日がかりで通院しなくて良い。
春はお花見、秋は紅葉狩り夏祭り。にぎり寿司の日もあるという給食システム。
それらが、約1万円の差額で手に入る。

ずいぶん中味に差があるモノだが、行ってみないとわからないものだ。
私は子がいない。親戚も、私の代には絶える。
足腰が利かなくなったら、自分の老後のためにここまで動けるかなと思う。

ハイジ・22015年07月08日 18:45

「アルプスの少女ハイジ」を全巻観終えた。
あーすっきりした。

実はこれは閉鎖病棟に入院していたときに、朝食のあと、知恵遅れのKくんと仲良く並んで再放送を観ていたもの。
Kくんには、リストカット常習犯で長期入院ののKちゃんという恋人がいて、あんまり仲良すぎるもんだから、途中で引き裂かれて老人病棟に移されちゃったんだ。
閉鎖病棟にコンドームはないからね。というか、セックスは、禁止だからね。
監視のため、ドアもカーテンもない(首つり防止のため)、通路一つ隔てて男病室と女病室に分けられているだけの、スリリングな空間(ただし巡回はしょっちゅうある)。
Kくんは、もう、見た目で、しぐさで、知恵贈れと分かる青年だったが、善良な人だった。
入院してしばらくしたら挨拶に来て、
「こ、こんな、い、いい新聞があるんだけれど読む…?」
と聖教新聞の切れっ端をくれた。
なにしろホールに読売と報知1部ずつしかなくて回し読みだったので、活字に飢えていて、とにかく「新鮮な読み物」だった。
Kくんに誘われて、毎朝テレビの前に陣取り、最後の食事者が終わると途中からハイジを観た。「食事中はテレビ禁止」の規則があって、いつも食べるのが遅いSさんが食べ終えるのを待って、スイッチを入れた。
私のハイジは、だから今回全編観直すまで、全部頭5分欠けていた。
途中から観だして、Kくんが老人病棟に移されるまで、ハイジは続いた。
私は早くに食べ終えるし、Sさんはくちゃくちゃ遅いし、いつの間にかワイドショーにチャンネルを合わせる者が出て、(チャンネルは先に見ている者優先という規則があった)だから私は、ハイジがフランクフルトにいる、「夢遊病騒ぎ」のあたりまでしか知らなかった。
今回全編通しで観て、
「ああ、こういう物語か」
と得心がいった。よかった、クララ立てて歩けて。

KくんとKちゃんはお熱かったけれど(いつも腰に手を回してふたりでいた)Kちゃんはイイトコのお嬢さん、サイドボードに差し入れの漫画本を1メートルも積み上げて(長期入院組)
「あ~、リタリンって飲んでみたいなあ~♪」
などと言って、おばちゃん(私)に
「こらっ!」
と怒られてきょとんとしている世間知らずの、ただリストカット癖のあるお嬢さんだった。口グセが
「(手首を)切りた~い、切りた~い」
で、それを唱えている限り退院の許可は出るはずもなく、Kくんの方が先に退院したと情報があった。
退院してKちゃんを待っているという彼の住まいは横浜の中心関内で、
「あら、いいところの坊ちゃんじゃないの」
という私は、同室者から
「でも3畳一間だって」
と教えられ、
(あ、施設入居者か、じゃ、この恋愛はちょっと無理だな)
と思うほどには、私は閉鎖病棟に馴染んでいた。

Kくんは仔ヤギのユキちゃんのファンだった。
施設の中ででも、Kちゃんを振り切れる、ユキちゃんのような恋人が出来ていたらいいなと思う。

ハイジを観て思い出したこと。

少年2015年06月27日 07:28

うなじの細い青年だった。声も高く、まだ「少年」と言っていい位。
ただ、バスに乗るとき、真っ先に
「☆☆町の『○○建設』に就職の面接に行くんだ、時間までに着くか?」
と運転手に聞いた。
中学校は出ているのだろう。
しかし一番前の席、彼の挙動は落ち着きがない。
絶えず手首をフラフラさせたり、頭をユラユラさせたりしている。
「面接がそんなプレッシャーなのだろうか?」
しかし落ち着かない。

☆☆町が近くなると、彼はしきりに運転手に
「○○建設はどこだ」と繰り返し聴くようになった。
バス停すぐである。
「来た道をちょっと戻って、信号渡って、十字路を左に折れる、そこのビル」
と何度聞いても覚えられないようで、質問を繰り返す。
バス席の中に奇妙な緊張感が漂った。
☆☆町のバス停。
彼はもう一度道順を聞いて、両替してバス賃を払った。
10円玉が1枚後ろに転げた。
ひどくあぶなげな態度で彼はコインを追いかけ拾った。
立ち上がった彼の、開いた口元。
歯が乱杭であちこち黒く溶けている。

ああ、末期シンナー中毒。

バス全体に、声にもならぬ低いうなりが走った。
彼はたぶん採用されないだろう。
というか、もと来た道をたどれるのか?
面接の口をきいてくれた人が入るのだ、たぶん親は健在だろう。
しかし、脳をとろかすほどの薬物依存者に就く職はない。

どこからシンナーの誘いを受けたのだろう。
どうして、こうなるまで放っておかれたのだろう。
少年(青年)の来し方行く末を想い、ため息をついた。

もう15年も昔のことだが、
彼が今幸せでいるか、
ふ、と
思い出すときがある。

駆け落ち・夢2015年04月23日 12:46

気鬱な夜には「駆け落ちする夢」を考える。

そう、天皇陛下大好き大日本帝国大好きの
「日の丸、君が代の大切さを考えねばならん!」
が口グセだったお義父さんから
かっさらうように
私は夫と結婚したのだった。
ここは自由な東京です、お義父さん。
あなたの大切な息子は東京人
もう因習しがらむ田舎へは骨を埋めません。

駆け落ちするのだ、手に手を取って。
産まれて来た街をふたり同時に捨てるの。
もう帰れない。

とりあえず
小さな不動産屋に飛び込んで
独り者のふりをして
狭い北向きの部屋を借りるんだわ、私たち。
それから
コンビニに飛び込んで
「植物物語。リンスインワン」なんてシャンプー買って、
「とりあえず、私銭湯行くわ」なんて
(風呂のない部屋なのだ、銭湯のある街なのだ)
湯船につかって
ぼんやり明日からのことを
考えてしまうけれど、考えないふりをする。
「出ます、出します、パーラー○○」
なんて看板を、
ぼんやり観ている。
捨て去った親のことは
考えると泣いてしまうから、考えない。

脱衣所に戻って
ドライヤーで濡れ髪を乾かし、

きっと今夜
彼は私を抱くんだわ刹那的に。

駆け落ちの夢
ああ、こんなにも
私はひとりぼっちだ。

愛されているのに。

今夜は薄い毛布にくるまって
ふたりで
見えない未来のこと夢語るの。

駆け落ちの夢
こんなの観るのは

私が年とってしまったからか
まだ若いからか。

とにかく私は夢見る
ままならない現実を
リセットするために。