そしてみんな回ってこなくなったんじゃ2016年01月25日 04:03

「ハンセン病隔離施設」だった瀬戸内海の長島愛生園は近接する邑久光明園(おくこうみょうえん)とともに、ハンセン病療養所に残る隔離政策下の歴史的建造物を世界遺産に登録すべく活動を始めた。

養母は明治40年四国生まれ。
子供の頃はお遍路宿の呼び込みなどやったそうだが・・・

「普通のお遍路さんは首からふたつ袋を提げて、
『麦ですかお米ですか』
というて回っとった。
中には破産して四国に渡って来たらしい人もおった。
回り続けている限り、食事と宿は保証されとるから。

その中でな・・・

『らい(ハンセン病)』の人たちもおったんじゃ・・・
脚がひざまでしかない人、指のない人、鼻のない人、助けおうて回っておった。
宿には泊まらず納屋の軒先なんぞを借りて寝起きしとったよ。

それがな、ある日からぱたりと来なくなった。
村や町の入り口に保健の役人がまちかまえておってな

『これからはもう辛い遍路巡りをしなくても、
食べるものも寝るところもみんなお国がしてくれる』
というてな

ひとり残らず連れて行ってしまったんじゃ・・・」


20以上年たっても忘れられない、深いため息。

日本では杉原千畝が有名だが2015年12月05日 20:42

中華民国には駐ウイーン大使の何鳳山、満州国には在ベルリン公使の王替夫、トルコには在ロドス島大使のセラハッティン・ウルクメン、ポルトガルには在ボルドー大使のアリスティデス・デ・ソウザ・メンデスがいて、みんなユダヤ人に「命のビザ」を出してたと知る。
外交官の良心。

ハイジ2015年06月30日 21:51

「アルプスの少女ハイジ」のアニメを立て続け見ている。
本放映’74の時は父の「クラシック鑑賞タイム」と重なって見られなかったもの。
どうしてクラシックマニアというのはこう頑固なのだろう。
家族は1台きりの小さなテレビを観せてもらえなかった。
まだ父権の強かった時代である。
「ハイジ」はリアルタイムで観ておけばよかったなあ、と思うアニメの一つ。
「未来少年コナン」はラッキーにも観れたけれど「ハイジ」は空白である。

少年2015年06月27日 07:28

うなじの細い青年だった。声も高く、まだ「少年」と言っていい位。
ただ、バスに乗るとき、真っ先に
「☆☆町の『○○建設』に就職の面接に行くんだ、時間までに着くか?」
と運転手に聞いた。
中学校は出ているのだろう。
しかし一番前の席、彼の挙動は落ち着きがない。
絶えず手首をフラフラさせたり、頭をユラユラさせたりしている。
「面接がそんなプレッシャーなのだろうか?」
しかし落ち着かない。

☆☆町が近くなると、彼はしきりに運転手に
「○○建設はどこだ」と繰り返し聴くようになった。
バス停すぐである。
「来た道をちょっと戻って、信号渡って、十字路を左に折れる、そこのビル」
と何度聞いても覚えられないようで、質問を繰り返す。
バス席の中に奇妙な緊張感が漂った。
☆☆町のバス停。
彼はもう一度道順を聞いて、両替してバス賃を払った。
10円玉が1枚後ろに転げた。
ひどくあぶなげな態度で彼はコインを追いかけ拾った。
立ち上がった彼の、開いた口元。
歯が乱杭であちこち黒く溶けている。

ああ、末期シンナー中毒。

バス全体に、声にもならぬ低いうなりが走った。
彼はたぶん採用されないだろう。
というか、もと来た道をたどれるのか?
面接の口をきいてくれた人が入るのだ、たぶん親は健在だろう。
しかし、脳をとろかすほどの薬物依存者に就く職はない。

どこからシンナーの誘いを受けたのだろう。
どうして、こうなるまで放っておかれたのだろう。
少年(青年)の来し方行く末を想い、ため息をついた。

もう15年も昔のことだが、
彼が今幸せでいるか、
ふ、と
思い出すときがある。

しょせん人の子2015年06月26日 22:36

「ナポレオンは3時間しか眠らなかった」というのは間違いらしい。
執事の記録によると彼はしょっちゅう「昼寝」しており、トータルは8時間ほど。
ただ単に睡眠障害で「長く眠れなかった」ということらしい。
ナポレオンとて、「しょせん人の子」である。

永田鉄山2015年06月20日 23:01

それにしても「永田鉄山が暗殺されなかったら太平洋戦争は回避できたのではないか?」とゆー話題で盛り上がる夫婦って…

昔のレコードから・22015年04月11日 23:42

もう1枚復元可能だったのは「馬」。

お馬はどうどう、白((ん)馬黒(ん)馬、白(ん)馬黒(ん)馬、
並んで通る列して通る
アオも並んで勇んで通る。
ちょっとよく分からないが、これ軍馬の歌。
「アオ」は昨日まで愛馬ったが
お国のために軍馬になるんである。
その別れの歌。

「わ~ら~にまみれてよ~育てた栗毛~」
の世界である。
三橋三智也、あなたは天才だ。

「軍馬」の時代がもう来ませんように。

昔のレコードから2015年04月10日 22:09

父はひとりっ子で(ホントは妹が居たけれど二才の時病死))溺愛されて育った。
体が弱く小児腎炎などもやり、「とにかく生きてくれ」というのが祖父母の願いだったらしい。
で、戦災を免れた父の遺品からは昔の教科書から、雛軸から、ザラザラ出てくる。
母は今86になって過去の遺品の生理中である。
戦前の子供歌歌、この山はなんだ!?
どれもすり切れて、聴けたのは「ままごと」

「♪ままごとしましょ 花シャベル
坊やはお使い いきましょね
ままごと 砂糖は 銀の砂
お口に入れても 甘うない♪」

なんだー、この歌はー!

砂、口に入れるなー!

私はサトウハチロー先生の孫弟子だったが、教わったのは、ただひたすら「野口雨情の悪口」のみ。
しかし、この詞のまずさはさすは分かるぞ。
唯一画期的なのは「男の家事参加」を歌っているところだろうか。
(男がお使い、というか「ままごと」する歌)

当時のレコード屋には「男の子(ひとりっ子用)」とかあったんですかいね。

川口技研の敷居すべり2015年03月08日 17:52

まったく、その冬私たち家族はテレビの前で凍りついたものだ。
これは悪い冗談かと最初思った。
1本のCM「川口技研の敷居すべり」
「四季の歌」の芹洋子さんが美声を震わしている
「『滑りましょうよ』『滑らせましょう』
敷居を優しくいたわりましょう
敷居に優しい川口技研
川口技研の『敷居〜すべり』・OK〜!」
世は受験シーズンである。
しかし川口技研は「滑りましょうよ・滑らせましょう・OK〜!♪」
なのである。苦情の電話がわんさかかかったようだ。
「敷居さえ滑れば、うっとこの息子滑ってええのんか!?」と
(なにしろ満を持してかけたCMは全国ネットである)

しかし川口技研には当時知恵者がいた。
「『滑って悪い』なら、今度は『絶対滑らない商品』を開発すればいいんです!」

かくして世に出たのが、階段、段差で
「滑らない商品・川口技研の『スベラーズ』」である。

当時CM契約を結んでいた長門勇が
「あ!」
と派手に階段を転けて見せて、
「こんなこと、ありますよね!
でも絶対に滑らない、川口技研の『スベラーズ』!」
これを受験シーズンにジャンジャカかけまくった。

まことに、日本の技術会社は「知恵者」である。

成人の日22014年01月12日 20:14

私はふだんサボりまくっておるのだから、とゴールディークに登校。
藤棚をスケッチして以下同文同文。

今ドッコイ氏の実家におるのだが、余りに寒いので成人式は夏だそうな。県北部と南部は今日なんだけど、寒さは中部のこちらが上。