「ぶり大根不発と夫婦若返りの記」2020年04月11日 04:27

しかしまあ、高級食材が売れないというので、地元スーパーで(もともと生鮮食品は目利き揃い)「天然ぶり一切180円!」なんてチラシが入っていたので、出かけたわけだ。

そしたら1パックだけ、とびっきり新鮮な「ぶりのアラ」。

55才年の離れた養母とそのパートナー、ものすごい「大正グルメ」だった。食がどんどん細っていく時期で、下手なもん出すとご近所にお裾分けしてしまって、食べてくれない。
基本的に「お刺身と天ぷらとご飯さえあれば、もうイイ状態」。

で、いろいろ、昭和7年の「婦人倶楽部の付録本」やら、昔の「食膳のお惣菜」やら彼女たちの若かった頃の料理を研究して、朝・昼・晩と運んでいた。
「ぶりの焼いたの」は翌日には残しても、近所に持っていかないと分かった。
で、「ぶり大根」を何度か試したら、たいそうお気に召して、ペロリと食べてくれるようになった。
こうなりゃチャンスである。

私鉄の隣駅まで足を運ぶと、ダイエーの鮮魚コーナーにものすごい目利きがいる。そこの、商品棚ではなく、「猫ちゃんコーナー」つまり「冷蔵保存もしませんけどペットのご飯にどうぞ」という置きっ晒の棚に、時間になると「ぶりのものすごく新鮮なアラが並ぶ」と分かった。
午後、帷子川沿いの公園遊歩道をテクテク歩いて、隣町商店街のはずれのダイエーまで行き、アラをゲットし、電車で一駅飛んで帰り、ショウガとしょうゆと本みりんで「ぶり大根」を作り、96段の石段駆け上がって、湯気の立つのを夕食に届けた。

仕事と二本柱、夫婦の家事との三本柱だったけれど、私はまだ若かった。
明治生まれの女流日本画家ふたりの「昭和2年から閉ざされた気ままな暮らし」になんとか「食」を運ぼうと、必死だった。
私の「ぶり大根」はその結果である。

とーこーろーがっ!

ドッコイ氏は、なんと「ぶりが苦手」だと昨日になって判明。

長野県中部で干物と塩鮭とエビフライ、時にごちそうでお刺身、川魚、以上!だったと告白。

魚文化が育たない「山間部の『食』文化」が背骨にしみてしまっているのだ。
来月58才である、もう新たに獲得するのは難しい!

「わ、私は『三井の大黒』ですよー!」
と、いきなり三遊亭圓生師匠の噺みたいな世界に突入である。そうなのね、塩ぶりはダメなのね、塩鮭なのね、あなた「逆・左甚五郎」だわ。

分かったわ、私、甚五郎の女房なのね。
せっかく目も手も機能回復したのに、「ぶり大根」を一緒につつけなくて残念だわ。
いいわ、私がひとりで食べるから。

32で結婚、でも国内外出張族人生で、大阪だ・アフリカだ・アラブだ・東南アジアだと飛び回って、一緒に夜過ごせたのは、考えたら26年のうち半分?4分の1?てなもんだ。

こうなりゃふたり「その分13~20年『若返った気分』で生きましょう」じゃないの!

この5月で私たち45~38才になるのね、まあ新鮮だわ♪

よろしくね、ドッコイ!

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