母・芳子さんの天ぷらと「3人」の食膳2020年04月19日 04:14

母・芳子さんは「揚げ物名人」であった。
ご近所の、市販の春巻きを食べられない偏食の女の子が
「杉浦さんのおばちゃんの春巻きなら…」
と言って、もりもり食べたのだ。

市内産休ピンチヒッター教員として忙しく走り回っていた母だが、とにかく手際が美事だった。
夜7時には食卓に着いている父親(「残業とは馬鹿者のやることだ!」と公言して、忙しいエンジニアセクションでも自分だけは「時間だから」と部下を置き去りにして帰宅してしまう協調性のない男だった)、近所の公立校に通う兄、遠距離通学だがなんとか7時には家に辿り着く私。
市内の、どんな山奥の学校に赴任しようと、母は帰宅し、買い物を済ませ、手際でサッと暖かい料理を作って出すのである。

いきおい、揚げ物が多かった。
新鮮な食材に衣つけてジュウゥッ、一丁上がり!である。
天ぷら、とんかつ、ミックスフライ、春巻き、揚げ餃子。
ワンタンですら我が家は「揚げワンタン」だった。
大人になって、「雲を呑むような『雲呑』」を初めて食したときはビックリした。(なので、今でも好物だ)

兄が家を離れ、夫・ドッコイ氏が糖尿病になり、父は三宅島の坂道で転んで脳挫傷・寝たきりになり、母・芳子さんの食膳からは次第に揚げ物が消えていった。

決定打は昨年「転倒して手の薬指骨折、1ヶ月包帯グルグル巻き」である。
母・芳子さんの握力は急速に衰えた。
非常災害用の2リットルのペットボトルの蓋がひねれない。
1ヶ月分の新聞を、5段の階段持って玄関に出せない。
みんなドッコイ氏にお呼びがかかるようになった。

さて、ドッコイ氏である。
舅存命の頃は、春になると「山で採ってきたから」と「たらの芽」が山のように届いた。段ボール箱一杯である。お裾分けに苦心した。
しかしドッコイ氏は、田舎社会での立ち回りは上手いが愚鈍で見栄っ張りな「権威主義者の父」のことを嫌っていた。舅が死んだら
「いいよ、たらの芽は食べたくない」
である。

だが芳子さんは、ドッコイ氏が好きなのである。
好物のなすの天ぷらとかき揚げを揚げるからいらっしゃいと言う。行ってみたら、どこで調達したのか「たらの芽の天ぷら」が真っ先に揚げてあった。

ドッコイ氏と私と芳子さん、3人で揚げたての天ぷら食べ放題。さすが揚げ物名人の芳子さん、おいしかった。
ドッコイ氏はたらの芽の天ぷらを真っ先に食べた。

あと何度、3人で「たらの芽の天ぷら」を楽しめるのだろう。

「家族」というのは「大いなる日常」ではあるが同時に「移動祝祭日」のような巡り合わせの運命も持っている。
残されたメンバーはもうこの3人。
また天ぷらの食膳を囲みたい。