乳母車2011年02月08日 14:28


昔の「乳母車」は対面式だった。
四輪で、電車にもバスにも乗れず、乳飲み子の頃はおんぶだっこ出来たが、やや大きくなるとバスにも電車にも乗れない。
母親の行動範囲は狭まり、大変な苦労をした。
折りたたみ式ベビーカーの発明は画期的だった
折りたためば電車にも乗れる。すごい機動力である。しかし当時は構造上の問題で、赤ん坊は先頭を向くしか無かった。
現在は改良されて対面式のものがある。
友人がこれ購入したとき、「ああ、賢い買い物をしたな。」と思った。
赤ん坊にとっては、母親の顔を見ず、ただひとりで外界を運ばれていくのはどんなに不安だろう。
ただ、幼児の環境適応力というのはすごいものであるから、それが当たり前になってしまっているのだが、深層心理はどうだろう。
と、いうのは「まなざしの人間関係」(講談社現代新書)という本を昔読んだからで、母と子のまなざしというのはものすごい力を後々もたらすと知っているからである。
ひとりきりで外界を運ばれてゆくのがあたりまえの世代が成年になってから、世間の人間関係にひずみを持つ人が増え、異常犯罪・凶悪犯罪も増えたと思うのは私だけだろうか。
ともあれ、母親の笑顔と後ろに流れてゆく風景を見ながら乳幼児期を過ごせた最後の世代だというのは、私にとって宝物である。(おかげですごいマザコン)

コメント

_ タグチ ― 2011年02月08日 22:00

三好達治の「乳母車」という詩が好きだったのですが、
ずっと子供が前を向いている様子をイメージしていました、
そう、確かに昔の乳母車は対面なのですね、ちょっと目からウロコです。
ちなみに貧乏な我が家では、乳母車はなくて、うちの兄弟はもっぱらおんぶされて育ったのでした。

_ 抜刀質店・ヤジマ ― 2011年02月09日 21:06

なるほど、この詩では「前へ前へとバックした」状態ですね。
ハナシは変わりますがマニアが数えたところではサザエさんは全編で柄の違う「ねんねこ」を26枚持っていたそうで、これは年の離れたカツオとワカメを産んだフネさんのおさがりと、マスオさんのお母さんがねんねこマニアで贈ってくる、としか。夫婦の部屋の押し入れは、枕棚までねんねこでギッシリでしょう。
タグチ先生もお母様のうなじごしに世界を観、広げていったのですね。
それはそれで、ベビーカーとだっこが主流の今の赤ん坊には出来ない体験ですね。

_ タグチ ― 2011年02月10日 00:25

ええ、母の背中で東京オリンピックの聖火リレーを見たというのが自慢です。
・・・本人は覚えてないけど。

_ 抜刀質店・ヤジマ ― 2011年02月14日 10:37

ウチの夫・ドッコイの最初の記憶は聖火ランナーの真似をして座敷を竹の物差し持って走り回ったことだそうです。しかし人間記憶がつくのは4才くらいから。当時2才のドッコイ、「神童」だったのかもしれません。今は「常識的な優しいオジサン」ですが。

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