青江三奈・ピンボール2011年02月07日 04:50

(2005年の文章ですが、思い入れがあるのでちょっと手を加えて載せてみました。「ピンボール」をご存じない方は村上春樹さんの「1973年のピンボール」をお読み下さい。)
     
青江三奈が好きだった。
初めて見たのは絶対「紅白歌合戦」だわ、それ以外大人の歌謡番組を見せてもらった 覚えがないから。
髪を金髪に染めて、真っ赤なルージュをひいて、青いスパンコールのタイトなロングドレス着て、なんかくねっとした美しい爬虫類のようなカンジ。ハスキーボイスで、歌っていたのは「恍惚のブルース」だったか「伊勢佐木町ブルース」 だったか、とにかくブルースだった。
大切に持っていたベストCDが引っ越しでどっかいっちゃって、残念無念である。
    
彼女からは「戦後」の匂いがした。
淡谷のり子こそ「ブルースの女王」なのだろう けれども。
淡谷さんが戦争中どんなに国防婦人会に吊し上げくっても電気パーマもお化粧も止めなかったといっても、でも、戦争に負けて、アメリカに占領されて、オキュパイト・ジャパンを経験して初めて出現したのだ、青江三奈という女の人は。
    
若いころ、徹夜明けで出版社に原稿を届けて、よくピンボールを打ちに歌舞伎町に行った。
普通1ゲーム3セットで200円のところを、中古のマシンばかりを集めて50円で打たせてくれる、ピンボール台だけの店が、隅っこにあったのだ。
そこはゲーセン専門ビルの1フロアで、それらしい装飾もけばけばしい照明もない、リノリウムの床のガランとした素っ気ない部屋で、ただずらっと並んだマシンに「絶対営業サボってる」か「仕事がないな、こいつ」 としか思えないおじさん達が黙々とフリッパーを叩いたり「ティルト」(台を揺さぶる反則スレスレの荒技・やりすぎるとマシンが止まる)したりしていた。
女の私はティルトは重すぎて出来ないが、フリッパー・キープ&パスが得意で、上手くいくと六千万点台くらい叩き出せた。
   
ピンボール自体せいぜい1950年代~70年代始めが盛りの、寿命の短いゲームだった からかもしれないが、それはまるで「砂漠の中のジュークボックス」のように、蜃気楼のように、そこにあった。
空気は乾いていて、真昼の歌舞伎町もまだガランとした街で (昼間から風俗でにぎわい始めるのは、もうすこし後のことである)、ほんの少し前の景気の悪さの匂いを、まるで残飯の残り香のように漂わせていた。
くすんだ青春時代の終わりだった。
新大久保寄りの安~い台湾料理屋の、そのなかでも一番安い定食を食べて、(懐が暖かいときにはも少し手前のタイ料理屋に行った。 一番安い定食を食べに。)
「さぁて、ひと打ちして帰るか~」と徹夜明けの赤い目をこすりこすり歩いていた、その時である。
       
「本日・青江三奈ショウ!」
      
それは歌舞伎町のどん詰まり、雑居ビルの最上階にあるキャバレーの立て看板。
そういえば子供の頃は紅白の常連だった青江三奈は、いつのまにかテレビで見なくなっていた。
ドサまわりしていたのか。
マジックで書いてある「ショウは3回、夜7時~」。
貼ってある少し古びたカンジの写真は赤い背景に金髪、白い肌、ルージュ、そして、ああ、やっぱり青いスパンコールの、肩のひらいたドレス。
観たい、聴きたい。
青江三奈の歌を。
      
十分くらいそこにつっ立っていただろうか。
徹夜明けで7時まで体が保たない。 マクドかどこかで仮眠をとろうか。
でも所持金は? 4千円ちょっとだ。
キャバレーって幾らぐらいするのだろう、少なくとも4千円じゃ無理だ。
今から上がっていって、掃除か何かの手伝いでもさせてもらったら、舞台のすそから 見せてくれないだろうか。
たぶんけんもほろろに断られるだろう。
ボサボサ髪、すっぴんにヨレヨレの服じゃ1日ホステスというわけにもいくまい。
そこまで考えに考えて、あきらめた。
キャバレーの敷居をまたげる身分じゃないのだ、私は。
    
しかし、(著作権の問題があるから書けないけれど)「恍惚のブルース」という曲はすごい。
「ムード歌謡」、その中でも「お色気歌謡曲」なんてくくられてしまいそうだけど、カラオケ行ったら歌詞だけでも見て下さい。
しっかり恋をして、しっかり別れた人にしか分らない境地だわー、これは。
その点わたしは、こと恋愛に関しちゃ満身創痍、もうあちこちガタガタのボロボロなので、泣けるね、なんの自慢にもならんけど。    
(思い出すのは『あんときゃバカだったなあ』ってことばかりで、人のお手本にもならん)
     
「惚れる」というのは「ほうける」、つまり「阿呆になる」というのが語源だとどこかで 聞いた。
せちがらいこの世の中、自分から進んで阿呆になれることなんか、いったい 幾つあるだろう。 
恋は「世間の自分」という鎧のすきまからさし出した細い釣り竿にかかった大物である。 
私たちは、恋によって初めて堅い鎧を脱ぎ、自分自身をさらすことが出来るのだから。
相手に対して、そして何より自分自身に対して。
    
コインをマシンに放り込み、ボールをセットして思い切りよくスプリングを引いたら、あとはバウンド、バウンド、フリッパー右、左、右、バウンド、ジャックポットに叩き 込んで、左、右、フリパーパス、レーン通過!
ピンボールのように、恋は走り出す。
    
青江三奈という人は本当にすごい人だった。
あの金髪は、青いスパンコールは、白い肌は、赤いルージュは、いま思えば「自分」というものを写し出す「恋の鏡」だったのだ。
    
「女の命は恋だから」「死ぬほど楽しい夢をみた」「あとはおぼろ」と青江三奈は 歌う、ハスキーな声で。
「あとはおぼろ」な余生をびっくりするほどシリアスに日々生きている私は、
「もしかして本当の私は別の世界で恋をしていて、今いるこの『私』は、その私が見ている夢の中の『私というキャラクター』なのではないかしらん」
と、中国の故事「胡蝶の夢」のようなことを考えたりしている。

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