「中部ヨーロッパのクリスマス・カレンダー」2010年12月01日 17:34

(挿絵はヨゼフ・チャペック、ナチスの収容所で没後65年)
1960年代末の今日から「訪問者」(「トーマの心臓」の別編、私にっとってはこちらが本編)のオスカー・ライザーは9才のクリスマスカレンダーをめくりはじめたのだ。
実家で、たぶんもう処分してしまったろうが、古いカレンダーがあった。
それは私が東急ハンズで25年くらい前に見つけて母にプレゼントした物で、街のクリスマス市の賑わいを描いた4色刷のものだった。
岩波のケストナー全集「飛ぶ教室」の表紙に似ていた。
古風な手書きの線、着彩で、古き良き中部ヨーロッパの絵柄(ワルター・トリーアやヨゼフ・チャペックの)だった。
翌年も買おうとしたら、コンピュータグラフィックの6色刷(蛍光色入り)で、すっかりアメリカナイズされてて鼻白んで買うのをやめた。
アメリカよ、ここでものさばるのか。(私はアメリカンデザインが、クラシカルなものを除いてほとんど全部嫌いである)
数年、同じカレンダーを貼っていた記憶がある。
中部ヨーロッパのカトゥーンというものは柔らかくて芯のしなる独特の味わいがあった。
この伝統には生き延びてほしい。

ドッコイ1本!2010年12月03日 22:10

ドッコイがユザワヤのマーク見て
「これは鶴の恩返しのヒツジ版ですか?」と聞いた。
さすが私の相棒、ツボははずさない!

「逢魔ヶ時」2010年12月04日 21:42

どうも、苦手だ。
最近だと4時と5時の間くらいね。
街灯のない道を歩いていて、お互いの顔が分からなくなるころ。
ズシーンと欝の発作がやってきて頓服を飲む。

若い頃は好きな時間だったんだけどなあ。

残念無念で、枯れて散ったアオギリの葉が吹きだまったところを狙って
「ガサガサ・バリバリ」と、せめて音だけは景気よく歩く。
シャンパンのあぶくのように、音の香りが足元から立ちのぼってきて、ちょっと酔う。

「伊勢丹の御鍵袋」2010年12月06日 02:33

来年の引っ越しに備えて、母が家の物を整理し始めました。
昭和26年新宿伊勢丹(いまは「ISETAN」)整理ダンス6千円。
小引き出しからこんなものが。
いいデザインだなー。
現代人はどうしてこんないいアールデコやアールヌーボー・デザインを手放してしまったのかしら。

「細川先生にお願い」2010年12月07日 03:04

気持ちは分かる、分かるんです。
まだ仔猫だもの、ひげなんか描きたくありませんよね。
でも猫にヒトのまゆ毛を描かないで~!

12月8日2010年12月08日 22:34

今日はジョンレノンが殺されて30年目の日。
そして太平洋戦争開戦から69年目の日。
人間は何をしてきたのか。
「イマジン」はいつおとずれるのか、私はひとりで考える。
イラクのクウェート侵攻の日も、イラク戦争の開戦の日も、ドッコイはバクダッドにいたからね。

ゴジラとキングギドラの間にあるもの2010年12月11日 10:41

第一作の「ゴジラ」(1948年制作)を観た。
まだアメリカの占領下だった頃の色が強く残っていて、特撮の円谷監督の「円」が旧漢字の「圓」で、モノクロで、美しい。
これは発表当時世界的に大きな評価を得た傑作で、辻邦生の留学生時代の日記にも、パリの映画館で観たこの映画の感想が書かれている。
志村喬がしぶい。(志村喬はいつでもしぶい)河内桃子が昼間見る夢のように美しい。
宝田明はモノクロでこゆさが薄れているし(笑)、平田昭彦はあいかわらずあやしい(笑)。
で。
ついでに宇宙怪獣キングギドラの登場する「地球最大の決戦」も観ちゃったわけだが。
なんでラストが「ローマの休日」になるのか?(笑)
大切な電流調節のダイヤルがなぜ室外にあるのか?(笑)
なんでゴジラとラドンのケンカの仲裁をモスラの幼虫が苦労してするのか?(笑)
ゴジラは岩をつかんで投げるけど、いつの間にか「道具を使えるレベル」まで進化したのか?(笑)
結局キングギドラをやっつけたのはモスラの吐く粘糸で、ヒーローはモスラではないのか?(笑)
などなどツッコミどころ満載であった。
お子さま向き映画になっちゃったのね。
地球を救うために再来したにしては、ゴジさんいろんなもんを踏んづけて壊していたし。
「おまえもう帰ってくんな!」レベルでしたとさ。(笑)

「お芝居を観にいざ鎌倉」2010年12月12日 15:12

毎年鎌倉で公演をしている劇団があって、そこの女優さんと仲良しなので、チケットを送っていただいて(I辺さん毎年ありがとうございます)観に行って来ました。
いや~、どん底の状況(笑)から始まってハッピーエンド、この劇団のお芝居は、いつも必ずハッピーエンドで楽しく観られます。
ドッコイと二人、楽しんできました。
少し早くに着いたので鎌倉本店豊島屋(「鳩サブレ」で有名)の甘味処で、「源平汁粉」(小豆と、片方は白インゲンのお汁粉で紅白源平に見立ててある)なぞ食しました。
和服の好きな方でお誕生日も近いのでなので、「和」のファイル各種(奥村土牛と東海道五十三次)と、私が知っている限りで日本一甘い!チョコレートケーキ「霧笛楼の横濱煉瓦」を差し入れ。
ナゼか私までプレゼントをいただいてしまって(写真)なんだか早すぎるクリスマスのプレゼント交換のよう(笑)。
私が「手ぬぐい派」とご存じで、きれいな手ぬぐいをたくさんいただきました。
うずら(これはドライビングのお礼にドッコイに横流し・笑)、桜、纏(まとい)に、トートバッグ。
重宝する品々です。
ご招待いただいて、しかもこんなにもらってしまっていいのかしら~?
大切にします、I辺さん、ありがとうございました。

「ずぞぞぞぞ~~~」の『訪問者』2010年12月13日 01:42

8ミリ映写機よりもっとマイナー、16ミリ映写機をご存じの方、そろそろ五十もつれのお年頃ですね。
8ミリがホーム用だったのに比べ、16ミリは学校・公民館などでの使用が多かった。
で、映写機の貸し出しなんぞを市町村でやっていて、それを貸してもらうには講習を受けなければならなかった。
当時高校生だった私は親友と二人学校をサボってそれを受けたわけだ、いちおう進学校なのに。
いいの、私は学校ではゴーイングマイウェイだったし、親友は後に美大で映像学の教鞭を執る運命にあったから。
ビデオがまだ「U」と呼ばれたプロ用のしかなく(「β」も「VHS」も登場前夜)、上映会なんかの貸し出しはみんな16ミリ。
講習会に来るのは老人会とか婦人会とか、年配の人が多かった。
「海のボーイスカウト・海洋少年団を作りたいから」なんて海軍出身のおじいさんもいたな。
映写機というのはものすごく熱を出す光源を使い、一方のフィルムは熱に弱くて、機械の通し方を間違えると焼き切れてしまう。
で、「講習受講者証免許」がないと借りられない。
それが取りたくて、3日間学校をサボった。
実習用のフィルムはモノクロの、昭和三十年代の「都民ニュース・養老院(昔は老人ホームをこういった)訪問の巻」1本きり。
それを手際よくセットしていってスイッチを入れて、20秒映写できたら合格。
なんだけど。
ちょうど「食事光景」で、場所が「養老院」であるからして、20秒というとちょうどおばあさんがものすごい音を立ててお粥をすすっているところ。
「ずぞぞぞぞ~~~」
「はいもう一度。」
「ずぞぞぞぞ~~~」
「はい合格。」
これを二十人くらいが3日間毎日やるもんだから、夢にまで「ずぞぞぞぞ~~~」が出て来た。

講習の中日が小学館の「プチ・フラワー」創刊の日(80年の2月だった)。
友人と、大好きな萩尾望都先生が百ページ描き下ろすというので喜び勇んでお昼に本屋で買った。
作品は「訪問者」だった。
あのときの衝撃は今でも忘れられない。
奇妙な光景だったでしょうな、喫茶店でランチもほったらかして二人の女の子が同じ雑誌読んで泣いてんの。
「えらいこっちゃ。」
と思った。それまでも漫画は大好きだったけど、本気で「漫画家になろう。」と思った。
本当になってしまった。
萩尾先生が手塚治虫先生の「新撰組」を読んで「漫画家になろう。」と決心したように、私は萩尾先生の「訪問者」を読んで「漫画家になろう。」と決心した。
忘れもしない、「ずぞぞぞぞ~~~」の2日目である。

6千円と6千円2010年12月14日 14:09

さて、本日は私の非力ぶりに哀れを催したバイク屋さんがタダで特訓に来てくれたのだが。
分かったことがひとつ。
「私はまっすぐ走れません。」
どうしよう。これから毎日団地の構内を何周もして特訓、公道へ出られるのは春、かな~~ハハハ。(笑いこっちゃナイ!)

ひとつ誓えるのは、私は「踏切前の一時停止を一生守る」ということだ。

十数年前、生まれて初めて質屋さんに行った。
養母とパートナーの二人暮らしのためにホットプレートを買ったが、結局出番無しで養母は老健に入ってしまって、そのまま老人ホームで、出番がなかった。
新品のホットプレートを、ドッコイとの狭いアパート暮らしでも使えず、さてどうしようというので、線路っぷちの質屋さんに持って行った。
未使用でメーカー品なので6千円で売れた。
「わーい、6千円だよ~ん。」
とはしゃぐ心で、スクーターで線路を越えたら、その場でネズミ捕りにひっかかって、「踏切一時停止左右確認無視」で罰金6千円。
なんと、わずか1分間の6千円長者でしたとさ。
免許はゴールドからブルーに戻っちゃうし。
以来、ドッコイの助手席でも、徒歩でも、踏切前では左右確認している私。
「羮(あつもの)に懲りてなますを吹く」、んである。