奈良旅行記その3「母、突如『旅』に目覚める」2009年12月12日 00:40

「今度は中尊寺行ってみたいわ。」
と母は新幹線京都駅内つけもの屋さんの、千枚漬け売り場の前でいきなり言い出した。
脚力はへなちょこな私よりはるかに上である。たぶん来年あたり、また旅するね、この勢いじゃ。

なにしろウチの一家は「泊まりがけ家族旅行」というものをほとんどしたことがない。法事で親戚んち行くついでに寄り道する位である。

両親とも東京生まれで、ふるさとというものがないので、父がいきなり「田舎を『作ろう!』。」と言い出して、当時まだ「離島ブーム」でも何でもなかった伊豆諸島の三宅(みやけ)島の、江戸末期の古民家を別荘に買った。(安かった)
傷んだところに手を入れて、春・夏・冬、休みは全部三宅島だったんである。
おかげで私は小学校〜大学を卒業して自分で金を稼げるようになるまで(画学生は2単位実習の連続のためアルバイトできない)修学旅行以外、別荘一本槍。
父が定年退職後「晴耕雨読の生活をしてみたい」と、いきなり島で農業を始めてしまったので、母は東京と三宅の往復で、新婚旅行(奈良・斑鳩)と法事の寄り道以外、「旅」というのをしたことがないのだ。父が倒れてから逝くまでのここ3年は介護でつきっきりだったし。

母・芳子さんの財布のひもが開けば、お供は当然私である。(母は古風な女性で、一人きりでは、食堂はおろかカフェにすら入れない。)その母が79才にして「旅」に目覚めたのだ。先日のCTスキャンとMRIで、脳にまったくどこにも傷みがないことが証明済み、健脚で好奇心旺盛な人であるからして、きっとあちこち行きたいところはあるだろう。
お供しましょうどこまでも。
足腰鍛えにゃ。

ところで「仏女」には後日談があるので、また続く。

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