旅行記・そして大阪編2011年02月18日 21:47

3日目、最後に朝一番で展示を観てから、時間があったので中洲川端の櫛田神社へ行った。入り口がとんでもないことになっていた

神前婚礼式を見物。社務所で、おみくじは「末吉」、「学業成就」のお守りを買った。人生一生修行である。
が、作品を生み出すには「安産」の方が良かったか!?と気付いたのは後になってからである、我ながらうかつなヤツめ(笑)。
ここは博多山笠

みごとな高さ、壮麗さ!

しかし困ったことに、三日間の目の酷使と強風で、目の弱い私は涙が止まらなくなっちゃったんである。特に右目、もうボロボロ状態。
帰りの新幹線でも、窓際でボロボロ、博多で恋に破れた女か、わたしゃ(笑)。
大阪で途中下車、実はここでもう一泊、シャンソン歌手の友人、市原さんのステージがあるのだ。
お茶の時間に着くので、喫茶店で待ち合わせ、「グリコのお兄さんが見たい」のリクエストに、風吹く御堂筋を並んで歩く。
市原さんは元女優さんのすらりとした美女で、涙拭き拭き
「これはもうレズビアンの別れのデートにしか見えませんねー。」
と言ったら「え~」と笑われてしまった(笑)。
はい、大阪名所、「青いグリコのお兄さん」。

雑踏の中、「蟹道楽の動くカニさん」「食い倒れ太郎君」「づぼらやの河豚」などなど、大好きなキダ・タロー先生のCMソングが頭の中に流れる。ファンクラブにに入っております、ハイ。

そして、「法善寺横町」!
わー、来るの16~7年ぶり?!
石川さゆりの十年がかりのプロジェクト「二十世紀の名曲たち」の中でもお気に入りの「月の法善寺横町」が頭の中をぐるんぐるん回る。(マニアックよのう・笑)
小体(こてい)な店ののれんをくぐり、大阪の「粉もん」に挑戦!
筒状にこんもり盛り上がって上でひとつかみのカツオブシが湯気で踊りを踊っている。
「スジ」も「こんにゃく」も「キムチ」も、焼き物の具になるんだなぁ。ハフハフ言って食す。美味なこと美味なこと!

満腹して、しばし別れて、大阪のシャンソニエ「ベコー」へ。
実はその日出演の針生祐子さんが目当てだったのだが、直前になって病気休演、ピンチヒッターが市原さん、という不思議な巡り合わせ。
1年に3度、ひとりのシャンソニエール(女性シャンソン歌手)のステージを聴ける、なんて。
3日後にアトリエの引っ越しを控えていたので、3ステージの内2までしか聴けず宿に戻ったのだが、この未練は家を建ててから解消しよう。
翌朝1番で東京に戻る、お土産は定番「蓬莱の豚まん」でしたとさ。

以上、3泊4日ひとり旅おしまい。東京で引っ越し大騒ぎも昨日で落ち着き、今日は家事とカチャカチャの一日。あー、「日常」がやって来た~。



顔文字禁止のわけ2011年02月20日 00:38

私のところでは「顔文字」はご遠慮願っている。
こんなに小さな掘っ立て小屋なのに!(笑)
理由は単純で視覚に障害がある方がいらしたときに「音声変換装置」が混乱するからである。

学生の頃、私は聾唖の先輩と恋をしていた。
ユネスコの実験校で、当時筑波大と並んで日本二大「障害者受け入れ大学」、二十人にひとりはなんらかの障害者だったんじゃないかな。
「五体不満足」の著者は早稲田だったと思うが、私の頃は「大学のバリアフリー」は法で定められたが、障害者を受け入れる「体制」がないところが多かった。
女子校時代の先輩で名門J大に進んだ人が、そこの名物教授W氏(「知的生活…」の爺さんのこっちゃ)が、新聞に「障害者は大学に来るな」というようなコトを書いたと怒って嘆いた。
「だって、エレベーターももスロープも完備なのに、障害のある学生がひとりもいないのよ!」

私の通っていたところはエレベーターもなかったし、偏差値も低かったけれど(国文なのに「兎に角」を「ウサギにツノ」と読むバカモノがいた位である)、どんな長い階段でも、車椅子の学生が立ち往生していると男子学生ふたりで上手く車椅子を担いで登ったし、そんなときは通りすがりの女子が、ふたりの荷物を持ってついて行った。
学生同士の「無言の相補性」が成立していたのである。

しかし、恋愛ともなると、車椅子を担ぐようにはいかない。
私たちは筆談で話し合った、ああ、言葉は擦れて少しづつ心がずれていく。
形のないものに誰が「心」なんて名付けたのだろう、私たちは分かり合いたくて遠ざかっていってしまった。
接吻ひとつの、切ない恋だった。
その人は、別れの印のように、宝石のように美しい「接吻」の作品を描いた。

高校で1浪し1留し、大学で1浪し、卒業に6年かかった苦労人である。
お兄さんは東大生だった、頭がよかった、しかし先生がしゃべりながら黒板の方を向いて何か書くと、読唇術でしか言葉を読み取れない者にはお手上げなんである。
生まれた頃に関東と関西では、今のように手話が統一されていなくて、親御さんが読唇術を慣わせたのである。
手話の出来ない聾唖者は、筆談以外に意志をつたえるすべがない。
私の唇の動きは人とは少し違うらしく、読唇術は通用しなかった。

卒業時、「障害者雇用条例」が成立して、就職したものの、「職場の人たちとコミュニケーションがとれないから、と言う理由で退職し、障害者手当で実家での生活を選び。
ひきこもってしまったその人のその後を私は知らない。
知ることが辛い。

というわけで、顔文字はご遠慮ください。

けだるい、「暗い日曜日」2011年02月20日 15:06

シャンソン歌手ダミアで有名な「暗い日曜日」は世界の放送禁止曲第1号である。
当時登場したラジオで流れて、聞いた「苦悩する人たち」が何百人、ハンガリー人だけで157人、(ダミアのおかげでフランスのシャンソンと思われるコトが多いが、もとはハンガリーの曲)コロコロ自殺しちゃったからである。
失恋ソングである。失恋が人の心ふり絞るものであるというのは万国共通であるらしい。

暗い日曜日(日本語訳歌詞)

暗い日曜日
両腕に花をいっぱい抱えた
私は私達の部屋に入った
疲れた心で
だって、私にはもう分っていたのだ
あんたは来ないだろうと
そして私は歌った
愛と苦しみの歌を
私は一人ぼっちでいた
そして声を殺してすすり泣いた
木枯らしがうめき叫ぶのを聞きながら
暗い日曜日

苦しさに耐えかねたら
私はいつか日曜に死のう
生命の蝋燭を燃やしてしまおう
あなたが戻ってきたとき
私はもう逝ってしまっているだろう
椅子に座ったままで
目を見開いて
その瞳は
あなただけを見つめている
でも、どうか怖がらないで
私はあなたを愛しているのだから
暗い日曜日

今にして思うと「え、これで自殺者数百人?」な歌詞なのだが、映画の黎明期、こちらに向かって走ってくる蒸気機関車の映像に、客席の人々は悲鳴を上げて逃げ出した。
ポケモンでアワ吹いた子供も続出したし。
新しい表現の刺激性に対応する受け手の「人間」側は、「慣れる」まで無垢なものだ。
私はいまだに3Dに対応できないでいる。(生理的に気持ち悪くないか?、あれは。)

それはともかくとして、久しぶりに昼まで眠って、昨日の残りモンで遅すぎる朝食を食べ。
長野のお義母さんから
「体は大丈夫だし、そっちも忙しいだろうから、無理して来んでいいだでね。」
と牽制されてしまい、はぁ、向こうがうわて。

久々に自堕落な日曜日を迎え、なんだか久しぶりすぎて落ち着かない、貧乏性の私。(笑)
窓の外はどんよりと曇って、「暗い日曜」である。

早起き肩こり2011年02月22日 07:23

朝も早よからドッコイの弁当作り。
ウチの台所は、(団地なんですが)流し台の規格が、安い「型はずれ」(ついでにスイッチも型はずれ)でちよっと高いものなのでものすごい肩こり。
4時半から台所に立っていたら大肩こり来襲とあいなりました。
葛根湯飲もう、これはもう葛根湯さまにおすがりするしかないわ~!(笑)

当たっちゃった!2011年02月23日 09:25

福岡の「萩尾望都原画展」で「訪問者」の複製原画を買ったら・・・抽選用紙をもらって記入してきたら・・・
当たっちゃいました、サイン付き「狩人は眠らない」!



多分不公平がないように複製原画1枚ごとに当たり冊数が決められている者と思われ。
ということは「訪問者」、売れ切れたのね。
昔地元の西友で「金銀砂岸」買ったら、サイン会も何もないのにサイン本だったのでビックリした覚えがあり。
何かの「サイン本の予備」が回ってきたのでしょう。
それにしてもこと萩尾先生に関しては、本当にラッキーだなあ、私。
モンダイは肝心の複製原画がまだ届いていないということなんですが・・・(笑)


映画版「あしたのジョー」2011年02月23日 10:12

を観に母・芳子さん(81になりました)と橋本へ。
地元・町田は大きい街で若者人口も多いのに、ナゼか映画館がひとつもナイのだ。

目的は香川照之!丹下段平のおっちゃん!!
いや~、役作り、上手い上手い、ホントにおっちゃんになりきっていた。
こないだまで「龍馬伝」やってたのに。
そして伊勢谷友介!力石徹!!
いや~、体作りすごいすごい、ホントに力石になりきっていた。
こないだまで「龍馬伝」やってたのに。(笑)
ジョーどうでもよろし、(山下さんのファンの方ゴメン)この映画はこのふたりのためにあるね。

大笑いしたのは「マンモス西」役の勝矢さん。
原作の「西のうどん」が見られるとは!!(大笑)
スミマセンマニアックで。漫喫で原作本お読み下さい。

「あしたのジョー」というのは、登場人物の過去が一切でない作品で(映画では出しちゃってるけど)、ひたすら登場人物達の「成熟拒否」に焦点があっている。
原作者「高森朝雄」は「梶原一騎」の別名で、同じ時期「梶原一騎」で「巨人の星」を手がけていたので名前を変えたんである。
「巨人の星」は血縁血縁また血縁のドラマで、「一切無縁」のジョーと比べるとおもしろい。
満喫でお読み下さい、濃ゆい「粘着質の涙」に笑えます。


でも!
「葉子お嬢さん」は茶髪じゃないんだよ、ドヤ育ちの過去なんか持ってちゃいけないんだよ、ストレートのロングヘアで不自然なまでの富士額じゃなくちゃいけないんだよ!
なんか間違っとる。(詳しくは満喫で・・・笑)

それにしても、驚いたのは、復元された60年代後半のドヤ街の雰囲気が自分にとってそう違和感のあるモノじゃなかったってことね~。
その頃の写真集は好んで集めている私ですが、とーちゃんの実家の向島は、もうちょっとマシな街だったような…五十歩百歩ですか…。

料理のカン2011年02月24日 04:34

が最近一時的に戻ってきているらしく、朝食とお弁当三昧である。(晩は母のボケ防止に実家へ行く)
このまま「料ること」を取り戻せるといいのだが…
作っているときは何も計画しない。下ごしらえして置いた肉や魚と、野菜料理と漬け物で彩りよく仕上げるだけ。
それでなんとかなっている。不思議なモンである。
以前はものすごい離人感で素通りだった野菜売り場や魚売り場で商品が「私を買って」「私はおいしいよ」と呼びかけてくる。
そうなると、スーパーは楽しい。おいしい素材の宝庫である。買い物が楽しい。

離人感、コレに私は長いこと苦しめられてきた。世界をガラス越しにしか認識できない感覚である。
野菜売り場に行って赤ピーマンやブロッコリーの山を見ても「ああきれいだな」とは思うが「ああ、おいしそうだな、どう料ろうか」という思考に直結しないで素通りしてしまっていた。
ましてや調理前の肉や魚は、どう料るのか見当がつかない。
やっかいな病である。
私は冷凍食品を買わないので(ドッコイが糖尿病で、油制限、塩分制限があり)、会社近くの「ナチュラル・ローソンへ」行ってもらっていた。
しかし、躾が良すぎて「最後の一口が残せない」ドッコイは太った。悪くはなっても良くはならない病気なので、これには困った。

今の料れる状態がいつまで続くかは分からないのだが、出来る限りやってみようと思う。

リビア動乱2011年02月24日 05:28

先週書いたとおり、強烈な独裁国家リビアで動乱が広がっている。
自国軍も民衆に加勢するなどの動きが見られ、明日の金曜礼拝の後に民衆がどう動くか、が焦点だろう。
死者は三百人を超えた。
場合によってはカダフィ独裁政権の終結もありうる。
ただ、リビアは強力な外国人傭兵部隊を持っている。
自国軍が民衆に味方しても、これらの部隊は平気で殺戮を繰り広げるだろう。
自国の人間は殺せなくても、他国の人間なら容赦なく殺せる。
人間心理の不思議である。

焦がすの!2011年02月25日 05:18

ドッコイの朝と、午・夕の弁当をこしらえている。
が、コンロの間近にいるのに、私は魚でも肉でもついうっかり焦がすんである。
ボーッとしているのが原因と思われる。
ああ、1つ口コンロと七輪で全部まかなっていた頃の手際の良さはもう無い。
あの頃はゲームのような感覚で作っていた。朝、ひげをあたるお湯沸かしから始まって、ご飯、汁物、おかず、そして弁当。
なんであんなにてきぱき作れたのか、長い中断の後にはひたすら謎である。
焦げには発がん性物質が作られると知っているので、戦々恐々であるが、換えもないし、作り直す時間もないしで、
「今日もこんがりローストよ~♪」
と言ってごまかしている。
どうしたもんだかアンニャモンニャ。
早いとこカンを取り戻さなければなぁ。

「すえっ子台風」2011年02月26日 10:35

ついに1巻目だけ手に入れた。(上下2巻)。
300円。
これ甘損では4.500円が相場である。
昭和51年の出版である。講談社フレンドコミックス。
作者のあべりつこさんは、当時としては驚異的に絵が上手い。内容もいい。
確かちばてつやプロの秘蔵っ子と聞いた記憶がある。
バスケット部を中心とした青春漫画なのだが、心の機微も表情や構図構成、キャラクターの動きも、ものすごく上手い。
この人が何で埋もれてしまったか分からない。
2巻目と、「でっかいちゃんと集まれ」を探すことが目下の目標である。
「双子で片方はアンドロイド」という設定の作品もあったと思うのだがタイトルを失念してしまった。
しかし、おもしろい漫画って、時を超えておもしろいなあ。