しゅるしゅるる~2012年02月02日 15:15

人生で一番心がすぼまったとき。
養母(五十五歳年上)がテレホンカードを知り合いからもらった。
当時は5千円のカードなんてのがあった。
お茶の間兼台所でこたつにあたりながら使い方と値段を教えたら、
「まあ、そんなに値打ちのあるものなら、なくさないようにしないといけないねえ。」
と、止める間もなく背後の冷蔵庫にマグネットでぺたり。
「あのね!それはね!」と今さら説明する気力もなく、そっとしておいた、若かった私。

節分豆まき恵方巻き2012年02月03日 22:16

「恵方巻き」は、ついにデパートの特設コーナーにまで進出している東京の冬である。
最初はコンビニと老舗の茶巾寿司専門店だけだったのだがなあ。
しかし今年も我が家は手巻き寿司(ネギトロ)で済ませて、今年の恵方も『父の骨壺と差し向かいで黙って食せ』なので、いつもとかわらず席についておしゃべりしながら食べた。
あっているのは「海苔巻き寿司」だという点くらいである。
恵方巻きについてはチャキチャキの浪花っ子の島村洋子先生も
「昔はなかったなあ」
と回顧しておられるので、元来はよほどピンポイントな風習だったと思われる。

Wikipediaでも
> 商業的に売り上げの落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして、主にコンビニエンスストアを中心とし、スーパーマーケットなどの店舗において各地で展開。ファミリーマートが先駆けであり、1983年(昭和58年)に大阪府と兵庫県で販売が開始された。道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がった。>
とあるしね。

東京の節分「豆まき」は、その家の長男の役割だった。
母の家は、以前も書いたが「下宿屋」なので間取りが広く(回廊形式)紋付き袴姿の伯父が、一升枡(ます)をかかえて、各部屋廻ったという。
江戸時代から続いた「江戸っ子家系」のなごりである。

ウチは、高齢化が進んで豆を蒔く子供もいない団地なので、先日の「でん六福ます」でもって、私が精一杯のアニメ少女声を作って
「♪鬼はァ~そと~ッ♪」と言ってベランダの外の芝生に蒔き(明日にはハトのエサ)、
「♪福はァ~うちィ~♪」と言いつつ、乱雑な「腐海の部屋」には蒔く気にもなれず、豆握りしめたグーのまま。
ポリポリ食べました、豆。いい仕事してるな、美味だわ「でん六」!

これは美術系の、A3のプリンターを持っている友人のブログからなのだが(無断使用ごめんよ、やぎ師匠!)
この季節、修繕に出すと戻る時こんな注意書きが入っているという。

「節分の豆まきには、ご注意ください」

蒔くと、プリンター内部に、入っちゃうのね「豆」(笑)。

土曜の朝はフレンチトースト2012年02月04日 15:24

<材料>
1・卵・六枚斬り2枚につき1ヶ
  牛乳・ちょいと
  グラニュー糖・隠し味に
2・食パン六枚斬り2枚(1人前・2ッ切りもしくは4ッ切り)
3・バタ(ケチらない)
4・メープルシロップ(お好みでジャムでもハチミツでも)

<作り方>
1・を混ぜる。
2・それをボウル(あったら小さいバット)でパンにまんべんなくつける。
3・フライパンにバタを溶かす。(焦げやすいので火は弱め)
4・2を投入、両面焼き色がつくまで焼く。
5・メープルシロップをタポッとたらす。(ポタッではない、タポッとね)
6・暖かいうちに食べる

つながらない日記・その12012年02月05日 23:51

さて、引っ越しの準備は遅々として進まず、あいかわらずガラクタの山に埋もれているわけだが。
風邪を引いた。というか、拾ってきた。バスに乗ったらあちらこちらでゴホゴホゲヘゲヘ、「引いてる人、マスクをつけましょうね~」と思ったら案の定伝染された。
で、胃にくる風邪らしく、胃痛と吐き気で寝ている。
その間にドッコイ氏は新居の電話回線を開いてもらいに行ったのだが、「光ナントカ」にしたらこちらがインターネットと繋がらなくなってしまった。困ったな。
こういう電気カラクリは、私には一切分らず、ドッコイ氏に任せているのだが、ネットに繋がらないと調べ物に困るし、駄文は積もる一方である。
「光」は「変えた当初うまく繋がらなかった」という方から話は聞いていたので、「あー、ウチもかー」ぐらいに思っているのだが。
とりあえず、これをあなたが読んでいるのなら。繋がった証拠です(笑)。

つながらない日記・その22012年02月05日 23:55

つれづれなるまゝに日ぐらしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ
書いても回線が繋がらないのでアップできない。
風邪も治らないし。
ちょいとした調べ物でも(たとえば冒頭の「徒然草」のイントロなど)分らないものが宙ぶらりんになってしまうので、自分がいかにネットに依存していたのか驚き、あきれる有様である。
インターネットの無い時代の「書き物商売」の人の博覧強記はすごかったなあ、と、今さらながらに思う。
あ、繋がったんで、やっと今、検索できました「徒然草」のイントロ。

つながらなかったよ日記・その32012年02月06日 01:25

書いちゃったので載せる「その3」。
さて、ネットのない博覧強記な文筆業の時代。
神田の古書店街には「司馬遼太郎現象」なるものがあった。
バルチック艦隊ならバルチック艦隊の、モンゴルならモンゴルの、関係書籍が一斉に姿を消してしまうのだ。
買い手は司馬遼太郎さんである。
「重なってもかまわないから、読みもらしのないように関連書籍を『全部』買う」、これ、すごいお金持ちじゃないとできない。
それと同時に、神田の古書店主は
「あー、司馬センセ、今度はこれ書くなー。」
と知ることができたのである。汗牛充棟。

つながったよ日記2012年02月06日 21:23

無線なのでムチャクチャ重いんですけれども(笑)。

インターネットの初期の時代、20年くらい前だったか、立花○さんが週刊文○だったか週刊○ストに、関連の記事を連載していた。
しかし立○隆さん、当時の「サイトを紹介するサイト集・アダルト版」で「ペルシア人ケイティ」って…(笑)
それは「ペルシアン・キティ(ペルシャの仔猫ちゃん)」ですわよ○花さん、アシスタントに素訳させたのをそのまま使っちゃったのね~(笑)。
タチバナさん、インターネット情報とアシスタントに頼りすぎです。

教えて、道真さん!2012年02月07日 18:08

2月と言えば大学受験シーズン、受験生の皆さんがんばって下さい。
で、受験と言えば天神さま、天神さまと言えば菅原道真さんなのだが。

「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なきとて 春な忘れそ(菅原道真)」

だと思っていたのだが、ネットで調べると、「東風→こち」だったり「吹かば→ふかば→ふかは」だったり「匂い→におい→におひ」だったり「梅の→むめの」だったり「花→はな」だったり「主→あるじ→あるし」だったり「なき→なし」だったり「春→はる」だったり「な忘れそ→を忘るな→をわするな」だったり、まぁー大変っ。
これがごっちゃに混じり合って、どれが本歌なのか分らなくなっちゃう。共通語は「おこせよ」と「とて」くらいなモンか。あ~、ここまで書いて疲れたわ。

で、ったらWikiったら
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」”初出の『拾遺和歌集』による表記。後世、「春な忘れそ」とも書かれるようになった)”
ですって。

じゃ、私バージョンは「な忘れそ」でお願いします(笑)。


これを書くにあたって、ドッコイ氏が(勤務中に・笑)ものすごい文献録を探し出してくれました。
ありがとう、ドッコイ!

しかしこうバリエーションがあり過ぎると混乱して、この歌、入試問題には使えないわねえ、受験生諸君…

俵星玄蕃を歌っていたら…2012年02月12日 02:00

「大忠臣蔵」は長編歌謡浪曲、三波春夫大先生の代表作で全29曲、CD4枚もある。
中でも「元禄名槍譜・俵星玄蕃(げんろくめいそうふ・たわらぼしげんば)」は9分近くあり、「大忠臣蔵」の中でも聴かせどころである。
(晩年、紅白最後の出場の時もこの曲だった)
俵星玄蕃という槍の名人が、蕎麦屋に扮して吉良邸を探る浪士の杉野と知り合い、浪士のひとりと気付きつつ、名も知らず槍の極意を教えた上で分かれたその夜が討ち入り、雪の中を槍を構えて赤穂浪士の助太刀に行く、というストーリーである。
ドラマチックで、歌いでもあり、…この「歌いで」がくせもので、前半飛ばすと後編息が保たなくなってしまう。

「かかるゥ~ぅ、折りしもォひとり~ィの浪士が、雪をけたてて(ぁ)サク(ぁ)サク、(ぁ)サク、サク、サク、サク~ゥッ!『先生ェッ』『ぅおうッ、そ~ば屋かあァ~ッ』♪チャカ、チャカ、チャ~ン、チャ~ン、チャンッ!」
なのだが。これをおなじく三波春夫ファンのドッコイ氏の前でちょうど後半が来るように台所でお茶を入れて歌いながら歩いてきたら、
「(ぁ)サク(ぁ)サクッ♪」までで息が上がってしまい、

「先生」「おう、蕎麦屋か…」。

サザエさんの御用聞き三ちゃんと隣のイササカ先生のやりとりみたいになってしまった。

肺活量足りなすぎ。カラオケの出る前の、昔のプロは難しい歌を軽々と歌って見せたのである。先日の松山恵子さんの「だから云ったじゃないの」にしても「お別れ公衆電話」にしても難しすぎ。
中島みゆき姉さんも中森明菜ちゃんも、ブレスの難しい歌を歌うのだが、私の場合口笛だと「吹き笛」も「吸い笛」も出来るのでノンブレスでも平気。
が、歌謡浪曲に口笛ってなぁ、聞いたことないなぁ…。
やり直しのきかない一発芸なので、残念無念。

乳拓(にゅうたく)2012年02月13日 17:16

(「拓」は「拓本」の拓、「魚拓」の拓である。)

寒い季節だから暑い話でもいたしましょう。

さて私は20歳からひとり暮らしを始めたのであるが、途中まで(貧乏なので)クーラーは持たなかった。
最上階で、前後が空地、川、森、公園と風通しが良く、何とか扇風機で保てる環境だったのだ。
そういえば暖房もなかったな、卓袱台の上に毛布掛けただけ。若かったなー。

ま、それはともかく。
それから何年かして、私はある漫画誌の表紙を描くことになった。
大変な物入りである、カラーインク全色、画板、筆、絵皿がズラリ、机は6人掛けのテーブルで、画材を並べて台所で描いていた。
B5版の表紙を、拡大して、しかも表紙で文字が入るから上下左右動く可能性も含めてA3版の、イラストボードという厚めの紙に描く。

実はその夏、棟のどこかで天井から水漏れがあって、最上階の屋上全域、コールタールがひかれたのだ、突然の黒屋上に、夏は暑く、冬は寒かった。

ま夏、というと描いているのはもう秋の表紙である。緑のセーターにスウェードのジャケット姿の女の子、画題からして暑苦しい。
〆切りは明日である、時刻は真夜中である、汗がだくだく湧いてきてもう服なんか着ちゃいられない、手拭いのねじり鉢巻き一丁で、上半身裸で色を塗っていた。
A3という大きいサイズがまたクセモノで、漫画家はふつう商業誌の原稿は余白も含めて1・2倍、B4の原稿用紙に描く。
こっちは動く可能性も含めて余白に塗る分が倍以上ある。
で、上の方を塗るとなると156センチの私(当時)は、立って、腕をうんと伸ばして筆を使うことになる。

この”156センチで・立って・腕をうんと伸ばして”がまずかった。
一段落ついて、原稿を見ると、あれ、女の子の緑のセーターの下の部分2ヶ所、丸く色が抜けている。
まあ、まず印刷には出ないところなのであるが…小さいドーナツ状である。
中もぷちぷち、白くなってしまっている。

ふ、と私は下を見た。
乳首が緑色。

人体には「汗腺」ってありますね、それ、けっこう乳首と乳輪に集中しているのですよ。

ありゃー、やっちゃったよ!
私は自分の乳首の「乳拓」をとってしまったのであった。

私は自分の「おっぱいの汗腺の数」を知っているオンナである。
だけど誰にも教えてあげません。