旅行記・その2 ― 2011年02月18日 10:51
博多物価安~い!
「前髪カットのみ百円」

である。ワン・コインの大きさが違う。
さて、商店街を抜けて、とにかく朝イチと閉館前はアジア美術館の原画展へ。
人の入り3割くらい、東京でやったときの「なるべく早く進んで下さい状態」がウソのよう。
会場が広く、東京よりも何十点か出品作も多く、ビデオコーナーもあり、ソファもあり。
ソファのある「半神」16ページを、休みながら計十回以上観る。ホワイト修正がほとんどないのにビックリ、というか、萩尾先生の作品には、効果以外ホワイトがほとんど入っていない。
これはデビュー作、二十歳の時の「ルルとミミ」からそうで、新人時代こんなに少ない人も珍しい。
かと思うと「ビアンカ」の、少女が森で踊るシーンは自身が納得いかず17回も描いていたりする。
天才だと思うし、天才が努力をしたらどんなに凄いかが、マイペースで回る目の前に繰り広げられてゆく。
やっぱり九州に来て正解だった。
さて、商店街を抜けて、とにかく朝イチと閉館前はアジア美術館の原画展へ。
人の入り3割くらい、東京でやったときの「なるべく早く進んで下さい状態」がウソのよう。
会場が広く、東京よりも何十点か出品作も多く、ビデオコーナーもあり、ソファもあり。
ソファのある「半神」16ページを、休みながら計十回以上観る。ホワイト修正がほとんどないのにビックリ、というか、萩尾先生の作品には、効果以外ホワイトがほとんど入っていない。
これはデビュー作、二十歳の時の「ルルとミミ」からそうで、新人時代こんなに少ない人も珍しい。
かと思うと「ビアンカ」の、少女が森で踊るシーンは自身が納得いかず17回も描いていたりする。
天才だと思うし、天才が努力をしたらどんなに凄いかが、マイペースで回る目の前に繰り広げられてゆく。
やっぱり九州に来て正解だった。

福岡には高2の時修学旅行できている。(九州一周だった)
そのとき食べた水炊き(鳥鍋)の味が忘れられず、商店街唯一の専門店へ。
(店の名をもらったマッチで覚えようとしたのだが、うかつにも長野の仏壇に置いてきてしまった。まーたった一軒の店なので行けば分かるが)

そして最終日の朝、私はルール違反をした。
場内撮影禁止は美術展の基本である。が。
忠実に再現された仕事机を、マフラーの陰からトイカメラ(3×3×5センチくらいで、もちろんフラッシュなんかついていない)で、撮ったのだ。
ものすごいピンボケだが。
指のリハビリが上手くいかず、日に日に思うように引けなくなってくる線に、私は絶望感を抱き始めていた。
脳炎、交通事故、刃物の事故でペンを持つ指の背の腱を切断、と、私は利き腕を何度もつぶしている。
特に脳炎による痙攣は、酷い。
この、意のままにならない腕と弱っていく目で、この先描き続けるべきか、リハビリをあきらめるべきか。
墨汁の横には、指のテーピング用のテープがごっそり積んであった。
描き続けて40年、萩尾先生も、指をテーピングで固めないと線が引けない、ということは以前から知っていた。
が、実際に見るテープの山は、もっと切実に、私に大切なことを訴えかけてきた。
やっぱり、まだ「描く」ということをあきらめるわけにはいかない。
「神様の机」だった。
ここから萩尾望都という人は、これだけの素晴らしい世界を織りなしているのだ。
「そろそろ漫画家をやめたら」と言うご両親に
「なぜ、たいがいのことを犠牲にしてでも漫画を描くことをやめることが出来ないか言葉では説明出来なかった。」
と、ハードカバー版の「メッシュ」の後書きに書いてある。
漫画を「描きたい」という衝動と、完成させるまでの長い手間の道のりは、なぜせねばならないのか理屈では割り切れない。
新人漫画家たちの実質時給は200円位のもんである。
まだ、自分の道を探したい。
そう心を決めて、私は福岡を後にした。
新幹線の駅で舞い始めた風花は、関門トンネルを
越え山口に入ると水墨画の世界のような大雪となった。
白い紙と黒い墨汁があれば、多分私は(上手い下手は別として)何でも描けるだろう。
あきらめない。
そう気付いた旅だった。
旅行記・そして大阪編 ― 2011年02月18日 21:47
3日目、最後に朝一番で展示を観てから、時間があったので中洲川端の櫛田神社へ行った。入り口がとんでもないことになっていた

神前婚礼式を見物。社務所で、おみくじは「末吉」、「学業成就」のお守りを買った。人生一生修行である。
が、作品を生み出すには「安産」の方が良かったか!?と気付いたのは後になってからである、我ながらうかつなヤツめ(笑)。
ここは博多山笠

みごとな高さ、壮麗さ!
しかし困ったことに、三日間の目の酷使と強風で、目の弱い私は涙が止まらなくなっちゃったんである。特に右目、もうボロボロ状態。
帰りの新幹線でも、窓際でボロボロ、博多で恋に破れた女か、わたしゃ(笑)。
大阪で途中下車、実はここでもう一泊、シャンソン歌手の友人、市原さんのステージがあるのだ。
お茶の時間に着くので、喫茶店で待ち合わせ、「グリコのお兄さんが見たい」のリクエストに、風吹く御堂筋を並んで歩く。
市原さんは元女優さんのすらりとした美女で、涙拭き拭き
「これはもうレズビアンの別れのデートにしか見えませんねー。」
と言ったら「え~」と笑われてしまった(笑)。
はい、大阪名所、「青いグリコのお兄さん」。

雑踏の中、「蟹道楽の動くカニさん」「食い倒れ太郎君」「づぼらやの河豚」などなど、大好きなキダ・タロー先生のCMソングが頭の中に流れる。ファンクラブにに入っております、ハイ。
そして、「法善寺横町」!
わー、来るの16~7年ぶり?!
石川さゆりの十年がかりのプロジェクト「二十世紀の名曲たち」の中でもお気に入りの「月の法善寺横町」が頭の中をぐるんぐるん回る。(マニアックよのう・笑)
小体(こてい)な店ののれんをくぐり、大阪の「粉もん」に挑戦!
筒状にこんもり盛り上がって上でひとつかみのカツオブシが湯気で踊りを踊っている。
「スジ」も「こんにゃく」も「キムチ」も、焼き物の具になるんだなぁ。ハフハフ言って食す。美味なこと美味なこと!
満腹して、しばし別れて、大阪のシャンソニエ「ベコー」へ。
実はその日出演の針生祐子さんが目当てだったのだが、直前になって病気休演、ピンチヒッターが市原さん、という不思議な巡り合わせ。
1年に3度、ひとりのシャンソニエール(女性シャンソン歌手)のステージを聴ける、なんて。
3日後にアトリエの引っ越しを控えていたので、3ステージの内2までしか聴けず宿に戻ったのだが、この未練は家を建ててから解消しよう。
翌朝1番で東京に戻る、お土産は定番「蓬莱の豚まん」でしたとさ。
以上、3泊4日ひとり旅おしまい。東京で引っ越し大騒ぎも昨日で落ち着き、今日は家事とカチャカチャの一日。あー、「日常」がやって来た~。
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