佐藤史生先生逝去 ― 2010年04月14日 02:38
漫画家・佐藤史生(しお)先生のお名前で「ああ!」と思われる方も、この日記ではいらっしゃるかと思います。「夢見る惑星」ファンの方もいらしゃるでしょう。
生前交友のあった坂田靖子先生のサイトからつながせていただきました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/spys/100406dosato.htm
いわゆる「大泉サロン組」で、決して多作ではいらっしゃいませんでしたが、一度読むと「たちまちとらわれる」作家の1人でした。
「死せる女王のためのパヴァーヌ」が、親子二代、兄の娘と弟の娘、その複雑な人間関係と「芸術」を追求する人々の葛藤を描いていて、私は大好きでした。
坂田先生が私的に中編漫画を描こうかどうか悩んでらしたときに、(たぶんシリトー原作の「誇り高き戦場」だと思うのですが、間違いかも・・・)
「私を誰と心得る、『佐藤史生』ですよ!」と、金沢のスタジオにひとっ飛び、1日でトーンを全部貼っちゃった、という伝説の持ち主でもあります。
飄々としたお人柄で知られていました。
ご冥福をお祈りいたします。
ps. いま、引っ越すために以前のスタジオを片付けているのですが、佐藤先生の御本のある部屋まで掘り進むのに、あと3メートルです。
ああぁ、本の山〜っ!!
生前交友のあった坂田靖子先生のサイトからつながせていただきました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/spys/100406dosato.htm
いわゆる「大泉サロン組」で、決して多作ではいらっしゃいませんでしたが、一度読むと「たちまちとらわれる」作家の1人でした。
「死せる女王のためのパヴァーヌ」が、親子二代、兄の娘と弟の娘、その複雑な人間関係と「芸術」を追求する人々の葛藤を描いていて、私は大好きでした。
坂田先生が私的に中編漫画を描こうかどうか悩んでらしたときに、(たぶんシリトー原作の「誇り高き戦場」だと思うのですが、間違いかも・・・)
「私を誰と心得る、『佐藤史生』ですよ!」と、金沢のスタジオにひとっ飛び、1日でトーンを全部貼っちゃった、という伝説の持ち主でもあります。
飄々としたお人柄で知られていました。
ご冥福をお祈りいたします。
ps. いま、引っ越すために以前のスタジオを片付けているのですが、佐藤先生の御本のある部屋まで掘り進むのに、あと3メートルです。
ああぁ、本の山〜っ!!
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