「桜の左手」2010年04月06日 23:59

今年は桜の大当たり年であった。
東京・大阪・長野。山梨では樹齢2千年(人様のところで千年と書いてしまったが、調べ直したら倍でした。Mさんゴメンナサイ)の神代桜まで観た。

写真は私が小学校に植えた卒業記念樹、学校は廃校になっても桜は残っている。
で、突然だが2005年、6年前の文章にちょっと手を入れてみた。



「セナの右手、桜の左手」
   
F1ドライバーの名レーサー、アエルトン・セナが亡くなってもう何年になるのだっけ。
あの時は、何となく胸騒ぎがして、ホイとTVをつけたらいきなり訃報の第一報が入った。 (どうしたわけか、私はこーゆーことに妙にカンがいい体質らしく、阪神淡路大震災の時もNY貿易センタービル爆破の時も、「何だか胸騒ぎが・・・」でテレビのスイッチをつけた 直後が臨時ニュースの第一報なのである。 このような予知?能力は別にオカルティックなものではなく、生物学的にきちんと説明できる現象なのだが、それはまた後日ね。)
レース中のクラッシュでセナの車は大破、即死だった。
なにしろ無敵の王者の突然の死に、TVはくり返し、その一瞬の映像をスローモーションで流し続けた。 カメラはずーっと走る車体の後ろをとらえている。
クラッシュ、後ろの座席シートからヘルメットがガクンッと見え、そして彼の右手がハンドルを離れ、肩のあたりで左右にただ一度、振れた。
     

♪咲いた桜にーぃなぜ駒ぁつなぐ、ヤレ、駒が勇めばエーェ花が散る♪

好きな、詠み人知らずの俗謡である。      

私の住む東京南部、今年の桜前線は小学校の入学式とかさなるいいタイミングであった。
というわけで、これをカチャカチャやっている今は、桜前線おしまいの週末である。
といっても、「桜前線」って、ほとんど江戸時代の園芸品種「ソメイヨシノ」が九州から北海道まで咲き上がっていくほぼ一ヶ月のことなんだけどね。
沖縄の「寒緋桜」は1月だし、遅咲きの吉野山上、5月になってからの青森・弘前城のしだれ桜などなど、日本は本当に「桜天国」である。
     
まったく、西行法師(「願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」)と本居宣長(「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」)がなかったら、そして江戸時代という長い平和の期間に起きた観賞用園芸の新品種大ブームがなかったら、日本はここまで「サクラサクラ」した国だったろうか。
「万葉集」は梅が中心、染め物屋さん用の「日本家紋便覧」(あるのよ、そーゆーのが。)を見ても、そのほとんどが植物文様なのに、桜の紋はびっくりするほど少ない。 (有名なのは「日本大相撲協会」の紋章くらいじゃないかしらん。)
桜は日本の園芸史上からみると、まだ実はスターになって浅い花なのだ。
人気品種のソメイヨシノは、雨にも風にもウィルス病にも弱く、樹齢も80年ほどしかない。

養母の庭に植えられた「斜め桜」もソメイヨシノである。
しかし彼は(「桜の精」は男だそうな・それも美男子)その樹齢さえ全うできない。
遺産相続の都合で、切り倒されるからである。
森を背に、日差しを求めて斜めに長く伸びるほどユニークな根性の持ち主なのに。

なまぐさい話はしたくないが、私はかなりやっかいなケースの相続を背負ってしまった。
下手をしたら複数の裁判沙汰、しかもこちらが訴訟人・ 見も知らぬ相手を訴えなければならず、勝訴しても現実問題として
「じゃあハイ。」
なんて即払えるような弁護士報酬額ではない。
こうなったら、あるいはもう全面的に「相続放棄」になるかもしれない。
いずれにせよ荒れ果てた養母の家と庭は、近いうちに更地にしなければならない。

とんでもなく長い(96段!)石段の途中という立地の不自由さはそりゃもう大変だが、それなりに風雅な家屋と庭だったと思う。
今は廃屋・廃園だが。
右手に唐子椿、左は山梔子の大きく茂った入り口、黒土に青みのある飛び石を数歩踏むと銅葺き屋根の格子戸門。
カラリと開ければ、右手に庭に続く枝折戸(しおりど)、左は御影石敷きで、母屋へと続く。
家はアトリエばかりを中心にびっくりするほど狭く、220平米の敷地のほとんどが庭。斜め桜、白梅、青桐に楓、姫柚、牡丹、あやめ、水仙、浦島草。 描くための、絵描きの庭だった。
これを維持するために、養母の年金はその2ヶ月分、庭師への払いで飛んでいったほどだ。
中学生のころだったか、
「この庭の木を1日1本描いても1ヶ月はかかるね。」
と言った私に
「それを一枝一枝描いているから、1年あっても足りやしないのさ。」
と、養母は笑った。
実際アトリエの天袋には草花の素描帳がぎっしり、いったい何十冊あるのかまだ数えていない。
思いおこせば養母は、声楽家の発声練習のように、毎日庭の草花を描いていた。
その庭が、もうすぐなくなる。

先週の土曜日、夫とふたり車で養母の家に向かった。
せめて最後の「斜め桜」の花の盛りを、愛でたかった。
丘の裏のコンビニで、「お花見用に」と桜餅とペットボトルの緑茶を買って・・・・・
突然車が駐車場で動かなくなった。 買って15年、故障知らずだったのが。
すぐそばの車屋に連絡して、レッカー車の到着を待って移動。
夫は、故障の原因探しやら書類手続きやらでそのまま残ることになった。
今の私の脚力では、杖をついても丘に登れない(というか、平地でも無理)

「斜め桜の精」は、最期の花見を拒んだのだ。

アエルトン・セナはブラジル人だが、その中ではマイノリティーのイタリア系移民だった。
だから面長で色白、美男子だがすこしクセのある、ひょろりと長い鼻の持ち主だった。
「斜め桜」も本来なら日当たりのいい場所に植えられるはずの華やかな園芸品種が、庭北に植えられてしまった「庭のマイノリティー」だったのかもしれない。ひょろーりと長い長〜い斜めの胴を持つ美男子?な桜の精というべきか。

セナが亡くなって、本当に何年になるのだろう、私は何度も事あるごとに、彼の右手を思い出していた。 スローモーションのそれは、左右にただひと振り
「じゃあな」
のさよならに思えてならないのだ。

車屋からタクシーを呼んで、一人で帰った。
「国道16号線、回って行って下さい。」
愛宕・白根不動尊の入り口、Y字路の信号が変ってタクシーは速度をゆるめた。
右側の車窓の外、急な丘の途中、養母の家。 屋根は前に建つ家に遮られて見えない。
が、家の右手、広い針葉樹林の森を背に、「斜め桜」はふわりと白く咲いていた。タクシーがアクセルを踏み込んで再び加速し、後部シートがゆらっと揺れた。

「じゃあな」

「斜め桜」は私に、左手を振った。



後日談

と、いうわけで6年目の今、「廃屋・廃園」を「更地」にしたら9万だった税金がいきなり25万、今年で150万めの金策です。我ながら毎年よくやるなあと思います。
早いとこ2世帯住宅建てにゃ。
車はそのまま廃車になり、
「20年保たせる!」
とドッコイが誓ってくれたので、ルノーのカングーになりました。

この文章を書いてから、もう5度目の桜です。
素直に観て嬉しい年もありましたし、父の死でうつむいてばかりいて八重の盛りを見逃しちゃった年もありました。

人間、生まれて何回花を愛でることが出来るのか。
鉢植え、花壇、植え込み、里山、どこででも、花を観るたび心の中で
「こんにちは」
と思う今日この頃です。