言葉の不思議2009年05月01日 11:59

「私は退屈だ」とキーボードを打ち込むと、本当に退屈な気分になるから不思議だ。
どうやら気分というものは「言葉」に大きく左右されているらしい。
では「私は退屈ではない」と打ち込むとどうなるか。
いかん、まだ退屈だ。どうやら言葉のパワー(言霊)が不足しているようだ。

古来日本人は言葉に霊力が宿り、それを音にすることで力を発揮すると信じていた。「言霊信仰」である。山上憶良は日本の特性を「言霊の幸はう国」と看破している。
憶良は渡来人、亡命者だった。戦争で母国を追われ、4人に1人は難破する危険な渡航技術の中、命からがら日本に渡ってきた。「写経生」という書記の職を得、中国語、朝鮮半島語、日本語を理解し、太宰府に文学サロンを興し、後に大陸と日本を結ぶ役となった国際人である。彼がいなかったら日本語の方向性は少し変わっていたかもしれない。

ところで「私は退屈だ」であるが、こんな駄文を打っているうちにどこかへ飛んでいってしまったらしい。文章を書き終えるとまた退屈がやって来る。魔の永久機関である。トホホ・・・

あの世寄席2009年05月05日 00:10

ブリキのバケツ
ああ、ついに「海原千里・万里」に手を出してしまった私。

http://www.youtube.com/watch?v=ZqCX_0NJt_E

DVDまで買っちゃった。
上沼恵美子さん好きだけど、映像を見て思うのはお姉さん・千里さんもものすごく上手いってこと。絶妙のコンビネーションで、千里さんの結婚・引退でコンビ解消しちゃったのがとても惜しい。「大阪ラプソティー」も名曲だし。(大阪の友人に聞いたところでは、あの歌詞通りに歩くと靴ずれが出来るそうです・笑)

最近の漫才は「ひげ男爵」くらいしか知らないけど(「ルネッサンース!」)、内海敏江・佳子師匠とか巨人・阪神とか好きです。「やす・きよ」もなぜかCD3枚持っているしな。落語もたんとあるし。(友人にもらった三遊亭圓歌師匠の「中沢家の人々」は家宝だ。)
父の遺品のカセットを整理していたら、百数十本ほとんどが落語だったのでビックリした。あんなにむっつりした人が、聴いていたのね。彦六師匠とか志ん朝師匠とか、出るは出るは。意外な一面だった。

父の遺影は、若い頃の、奇跡的に満面に笑みをたたえているのがあったのでちょっとピンぼけだけど引き延ばしてそれにした。
「ああ、この人でも笑うことがあったんだなぁ。」
と思う。
NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」じゃないけど、お気に入りの師匠はみんな鬼籍に入っているのだから、あの世の寄席で大笑いしてほしい。
私たちは現世ですったもんだしながら、ゆっくり行くからね。

メキシコの豚さん2009年05月05日 08:34


世間じゃメキシコ発生源の「豚インフルエンザ」で大騒ぎだが、「メキシコで仲良く暮らしている子豚の3兄弟・ブーフーウー」の立場はどうなる?

かしわ餅2009年05月06日 00:05

端午の節句だというので、町まで出て柏餅を買ってきた。
地元で有名なのは昔浅草から移ってきた「中野屋」で、さすが行列が出来ていた。
ここのは餅に「日持ちがするように」と砂糖を練り込まないのが特徴で、翌日にはもう皮が固くなってしまう。みそ餡とこし餡を買って、急いで家に戻ってドッコイと食べた。柏餅はみそ餡にかぎる。(個人的見解)
ドッコイはそれから休日出勤。
人混み負けした私は昼寝。目が覚めたらDVDで海原千里・万里。呑気なもんである。
上手いなあ。今の漫才と全然違う。早口だけど何行っているのか分かる。
最近の若手漫才師は何言ってるのか聞き取れない。日本語って難しいなあ。

テレビではタレントさんが世界中を旅している。
若い頃は海外にも行ったけれど、最近は国内でもなかなか移動しない。大阪に行きたいなぁ。新大阪駅のコンコースでたこ焼き買いたいな。明石焼きもいいな。時折発熱するこの「大阪行きたい病」は、なかな叶えられない。

せめて小田原あたりへ行って、カマボコでも買ってくるか〜。

「岩風呂焼けた」(2006年の文章です)2009年05月06日 01:44

私の住む町田市は東京のはしっこ、昔で言うところの「武蔵の国」と「相模の国」の 境目にある。 今でこそJRも小田急線も「町田駅」なのだが、それ以前はそれぞれ「原町田駅」「新原町田駅」と別々の名前だったし、JR原町田駅はもっと南東よりに あった。 駅舎は昭和2年だか4年だか、戦災をまぬがれた木造で、出入り口は北にしかなかった。
なぜか。 南側はもとが遊郭のあったところで、ラブホテル街だったのだ。
いまでこそヨドバシカメラや予備校、結婚式場などなどで賑わっているが、以前は街 灯も少なく、けばけばしいネオンサインだらけ、遠目に見てももう「モロ色街!」な 雰囲気だったのである。
「ヤクザが怖くて警察官もパトロールしない」だの「子供は絶対行ってはいけない」
だのいろいろ言われていたが、原町田駅のプラットホームからは安っぽいコンクリや 木造モルタル2階建てのくすんだ建物の群れがよく見えた。
中でも一番目立ったのはいわゆる「連れ込み宿」、木造モルタルがもう傾きかけているんじゃないかっていう風情「ご休憩・ご商談・ご宿泊に・天然岩風呂あります」と いうネオン看板を屋根の上にでかでかと掲げている二階建ての宿で、
「『ご商談に』って、天然岩風呂とどういう関係があるのかしらん?」
と、ウブな私は首をひねったりしていたのである。

が。
ある日学校の帰りにプラットホームに降り立つと。
「天然岩風呂」の宿はばんばかばんばか炎をあげて燃えている真っ最中で、消防車が何台も駆けつけて放水中であった。
翌朝の新聞地方欄にも出ていたが、どうやら持ち主が保険金目当てに自分で火をつけたらしい。
(遠距離通学で新聞部員だった私は、父よりも先に朝一番、新聞に目を通すのである。)
駅に着くと、その「天然岩風呂の宿」は、2〜3本の焼けぼっくいを残すのみで、も ののみごとに全焼だった。 さすがは木造モルタル安普請である。 じゃなくてっ!
黒くぺらりんとした焼け跡には立ち入り禁止のロープが張られていた。
近視で乱視の私は何度もメガネを拭いて真っ平らな焼け跡を見返すのが・・・・・
「・・・・『天然岩風呂』がない・・・・」
おいおいお〜い、岩って燃えちゃうものだったのか〜?

いまだにもってしてナゾである。

「こでまりの花」2009年05月06日 14:59

築40年の団地ともなると、並木も植え込みもそれはもう美事なものである。
こでまりの花がぽてりぽてりと白く灯るように咲いて、ゴールデンウィークもおしまい。
ドッコイは今日も休日出勤で、連休と言ってもあるんだか無いんだか、とにかくよく働く人だ。というか、よくコキ使う会社だ。

花屋で花を買い、酒屋で宅急便を頼み、米屋で米を買い、文房具&本屋で「日めくり万葉集」のテキストを頼み、こじんまりした暮しが過ぎてゆく。特に何か大きな贅沢をするでもなし、遠出も、それをするお金もなし、呑気なもんである。

角館に行きたいな、「秋田比内や」で親子丼食べたいなーと思っても、案内をプリントアウトするだけで、行ったつもりになっておわり。箱根の富士屋ホテルでランチしたいなーと思っても、カタログ見ておわり。「つもり」はタダであるからしてに。我ながら地味だなぁ。

雨の向こうにこでまりの花が白く灯っている。花壇では都忘れがぬれている。
これが終われば紫陽花を待つ季節。山梔子もこれから。桜も海棠も山吹も終わってしまったけれど、夏花の季節はこれからだ。タチアオイにノウゼンカズラ、朝顔、ひまわり、待ち遠しい。

いきなり45万円2009年05月07日 20:25

あいかわらず海原千里・万里にハマりまくっている。だって何度観ても上手いんだもん。

いきなり土地の関係で明後日までに45万円作らなくてはならなくなり、ああ、まだ金策に追われる日々である。もういいかげんうんざりしている。近所からの苦情で
「景観が悪くなるから」
といって勝手に草刈りされて、その代金が9万円だったりする。放火予告とシロアリで古屋を壊したとたん土地の税金は3倍にはねあがり、本当に貧乏なのに、どこまですり減らせばいいのだろう。いい加減疲れた。

ドッコイが買ってきた「BRUTUS」の仏像特集を大笑いしながら読む。
ホント、おもしろいなあ、日本の仏像。お隣の国中国では、ナゼか「腰から下がいいかげん」という法則があり、兵馬俑なんか見ても、上半身はリアルなのに腰から下は短足である。なんでだろう?
私は大学で「中国古代美術」と「考現学」は4年連続してとったので、(32単位ですぜ!)とても興味がある。日本で初めて兵馬俑や楼蘭・敦厚の調査をした先生で、スライドを使った授業は面白かった。ひざまずく弓兵の履き物の裏まで作り込んであるんだもの。

友人の弟さんが私の母校に入学、時代も変わったし、授業も随分変わったろうなと思う。昔は国連・ユネスコの実験校で授業料が国大より安かった。今はそれなりに高いのかな。なにはともあれ、楽しい、充実した学生生活を送ってくれるといいなと思う。
この友人は聡明で働き者なのだが、いきなりやってきた大不況に巻き込まれ、就職活動で大変苦労しているらしい。上手く良い会社に就職できれば良いなと願う。

母が「色鉛筆が欲しい」というので、今は使っていない120色セットのを持って行ったら1万円くれた。今は塗り絵ブームでいいテキストも、たくさん出ているし、楽しんで欲しい。集中力もアップするし、指先の鍛錬にもなるし。
生活からポンッと父がいなくなって、寂しさを癒すものになってくれれば良い。

明日は町へ、金策に。
いつまでこんな日々が続くのだろう。

脳は再構築する2009年05月07日 23:19

脳を壊したことがある。脳炎で、言葉が不自由になってしまった。
名詞と動詞は分かるのだが、助詞や形容詞がメチャクチャ、文法が支離滅裂になってしまう。また、入院中そうなった男の人から話しかけられたことがあるが、返事に困った。こちらが理論的に話しても、向こうに通じないからだ。

私のリハビリは「言葉を取り戻す」ことから始まった。
しかし。自分に感覚が確かにあり、50兆の細胞が「自分」として生きているのだという事実は嬉しくもあった。感覚は一部ぼやけ、一部研ぎ澄まされ、失われた脳の神経回路は別の道を探して再び繋がり始めた。

まだ繋がらない部分もあって、日常生活はもどかしさの連続だが、少なくとも私はこの程度の文章なら、思考し、構成することが出来るようになった。
左右の脳のアンバランスはあいかわらずだし、体も思うようには動いてくれないが、まあ日常生活(だいぶん手抜きだが・笑)は送れる。

とぎれた脳神経は再び別の場所で繋ぎ直すことが出来る。
ところによっては以前よりも明確に冴え渡り、ところによってはまったくだ。(たとえばレジでの釣り銭のやりとりなんかはまったくダメになってしまった。これにはとても困っている。トホホ・・・)

脳は、再構築する。多少の不自由はあっても「取り戻す」という喜びは、まったく新鮮な感動をもたらすものである。

お姉さまソング2009年05月10日 14:34

5/9は「アイスクリームの日」だったそうな。
今の価格で八千円!
まあ、日頃は慎ましく「50円玉貯金」に精を出す私も、こういうときにこそ散財しなければ!
私は昨日はお医者に止められているにもかかわらず、炭火焼きの店でドッコイとふたり「焼酎・猫また」の梅サワーを呑んでしまった。んまかった〜。まだ2本の尻尾は生えてこないが。

今日はとびっきりにかっとばしている(あらはしたない)「お姉さまソング」の歌詞をご紹介。
私はフランス系修道院学校の出身である。そこで毎年終業式に歌われていた式歌で作詞は誰だか分からないし、曲ももう伝わっていない。
最初が在校生パート、次が卒業生パートあろう。

   万歳万歳 あゆの風そよぐ
   のどけき春の日 めでたくも華の世に
   栄えあるかの月の桂 たおりていでます姉君たち
   されど長く姉君たちに ねんごろにも導かれて
   同じ庭に学びこしを 惜しきは今日の別れよ
      
   万歳万歳 百鳥(ももとり)と共に
   声をば合わせて 今日のこのめでたさを
   祝え祝え 桜は笑いて 胡蝶も舞うなり 祝え祝え
   されど長く妹たちと 教えぐさを共に摘みし
   文の園生(そのお)別れいづる
   いとも惜しき 今日の日よ

まー、居並ぶ修道女たちも神父様もすっとばして、「我が師の恩」も何のその、ひたすら「お姉さまと妹」だけのお歌。ビバ!女子校!吉屋信子先生が生前この歌をご存じだったら、どんなにか素晴らしい少女小説が生み出されたことか!

あ、イラストは昔たわむれに描いたラガーメン。
やっぱり「お姉さま」に対抗するのは「アニキ」だわさ。

こういうろくでもないモノ描いているから「売れない」んだな。トホホ・・・

ふみちゃまと佐和ぴー2009年05月10日 19:45

(上記の標準語バージョン)
壇ふみさんと阿川佐和子さんのファンである。我が家では「ふみちゃま」「佐和ぴー」と呼んでテレビの前でキャーキャー言っている。「NHK教育・新・日曜美術館・ふみちゃま降板」は、4月の一大ニュースであった(笑)。
なにしろ味の素のサラダ油セット持って
「夏目先生へのお歳暮これでいいかしら?」
とふたり灯りのともる商店街を歩いてゆくCMを見たときからノックダウン。
ファン歴長いよ、私。(笑)

で、そのふみちゃまであるが、山田太一の「日本の面影」のテープを、貸していた人にやっと返してもらって(βですぜ!)、DVDに焼き直して、観た。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)が「ウェストサイド物語」のジョージ・チャキリスで、その妻の役。脚本も岩波文庫から出ている。このエンディングは何度観ても泣ける。ハーンの生死観がとっても良く現れている。

亡き父の最後も、ハーンのようだった。なにしろ「人に知らせるな」である。
とはいえ何人かの親戚と知り合いにはさすがに黙っているわけにはいかず、連絡したのだが。あれだけだれにも恨まれずに逝った人もめずらしいのではないのかな。
「敵を作らない」ということに関しては、才能のある人だったと思う。
19万8千円也の葬儀で、いってしまった。

自分が死ぬときに夢の中で
「あ、あいつまだ生きてやがる。夢枕に立って呪い殺して道連れにしちゃろ。」
なんて思う相手、いるのかなあ。
そこまで人を憎めるパワー、たぶんないね、私にゃ。めんどくさい。

ドッコイと母が元気でいてくれれば、それでよい。