5分はなれた恋だった2009年05月12日 18:12

同じ市内の、消防署の裏手に住む人と恋をしていたことがある。
     
なにしろ消防署である、昼も夜もなく四六時中出場で(消防署は「出動」じゃなくて「出場」という)、消防車やら救急車やら、やたらめったらやかましい。
夜中に電話で話している。(私はその恋愛のためにやっとお金を貯めて電話を買ったのだ。それまで仕事には公衆電話や文房具店のファクシミリを使っていた。絵を書く仕事のくせにファクシミリさえ持てない。〜ま、プロの世界にすら普及一歩前夜だったせいもある 〜 本当に昔のこと、私は駆け出しで、「♪包丁一本〜♪晒しに巻いて〜♪」の「月の法善寺横丁」のように貧乏で、ペンと墨汁と若さ以外何も持っていなかったのである。)
   
同じ市内なのに、直接会える機会はなかなかない。
(人生、こんな恋愛もときにはある。 ま、こればかりは「立場」とか「相性」とかの持つ魔法だ。)
せっかく買った電話だが、こちらは料金を抑えるために長話もできない。
深夜大幅割引導入はまだ先のことだ。
真夜中、短い会話の間に向こうに、大音響でサイレンが鳴り響く。
「あ、出場だ。」    
サイレンが遠ざかるまで会話がしばらく途切れたままになる。 
その間も、私の胸は、頭は、心は、体は、そう私のすべてが相手のことを考えている。 
私のすべての細胞が瞬間に沸騰と凍結をくり返すように。
     
    
八百屋お七はどんな気持ちで半鐘を聴いたのかしら。
私はそんなことをぼんやり考えて、待つ。
     
          
サイレンが鳴り終わって、5分後に、こんどはこちらの近くで鳴り出す。「あ、消防車そっち行ったね。」
「大きな火じゃないといいけど。」
夜中の火事だもの、一本道だもの、響くサイレンばかりが、ふたりの距離をつめる。
    
真夜中の消防車全力疾走にして、わずか5分の距離の恋だった。
別れて、相手が引っ越してからも何年か、私は同じ所に住んでいたので、市内でサイレンを聴くのがつらかった。     
      
海鳴りのように、切ない恋の空貝たちが鳴り響くのを聴くのが、本当に、哀しかったのだ。