長屋ならぬ「団地の花見」2024年03月27日 19:20

ウチからちょっとの団地内に「福島・三春の滝桜」の子孫が。
樹齢何歳なのかは知らないが、なかなか立派。
小高い丘の上、眼の前道路予定地で広々しているので「一本桜」としてすごく絵になる。
去年初めて見たが、スマホやカメラ構えた人で満員御礼。
しかし地元お年寄り衆はしっかり「お花見宴会」もしているそうで…(笑)

団地は街路樹・植え込みはじめ、一戸建て住宅街よりずっと樹木が多い。
桜も結構ある。
古い団地だとかなりの大木で、サッカーグラウンド脇の数本は、ベンチあり、根元の芝生にシート敷くも良しの「お花見特等席」。
リタイア組のおじいちゃんたちが缶ビールとお惣菜持ち寄って、毎年のんびりひなたぼっこ宴会してる♪

おじいちゃんの「昼飲みお花見」が終わると、下校途中の高校生がペットボトルにお菓子で「お花見お茶会」。
夜は会社帰りの人が「夜桜の通り抜け」。
朝が来ると「早朝ウォーキングみなさんのお花見」と、団地の花見は4交代制。

流行り言葉で言うと「コスパの良いお花見」ってことかしら?(笑)

虎の穴柔道場2024年03月24日 11:12

ちょっと離れた街道筋に柔道場オープン。

入口脇の壁画がなぜか「柔道着姿の丸刈りさんが虎を一本背負い」の図。

ということで夫・ドッコイ氏と「加藤清正・虎退治柔道場」と命名(笑)

…しかし「入門したら稽古相手が虎でした」ってのはヤだわ。

「虎の穴柔道場」の方がイイかしら…?

小春日和2023年11月24日 22:11

明日には年末並みの寒波が来るそうだが、ウチの町小春日和。
「あ~いいお天気~♪」
と郵便局の出口でのびしたら、歩いてきた紳士に
「本当に、雲ひとつありませんなぁ」
と話しかけられてしまった。
お天気談義に花咲かせて、こんどは坂道で杖付き同士おばあさんとすれ違って、明日からの寒波がコワイともうひと花おしゃべり。
行きつけの調剤薬局にダブって買ってしまった「サザエさん・秋号」待合コーナーに置いてくれませんか?と持っていったら薬剤師さんたちに
「いや~、これは懐かしい!」
とお礼を言われワイワイ、小春日和はなんだかみんな「おしゃべりを楽しみたいモード」でにぎやか。

高齢者の町は、心開けばみんなとても人懐っこい♪

Almost no Guard ?「見守りめおと地蔵」なるか?(笑)2023年11月07日 19:33

強風だわ土砂降りだわで、朝はとんでもなかったウチの近辺だが、あらら、昼にはカラリと晴れて風も収まった。秋の嵐ってやっちゃね。

で少し先のセンターに、「市役所分室」「図書館分館」「郵便局」「クリニック」と用事が重なっていたのでテコテコと出かけた。
バスから降りて歩きだしたら、向こうから小柄なおばあさま…
…がニッコリ。こちらもニッコリ。

「こんにちは、本当に気持ちの良い良いお天気で…」
で、立ち止まっておしゃべりが始まって、秋の季節を愛で合う会話。
人懐っこい方なのか、あるいは「ご近所の誰かとカン違い」か?(高齢者地帯ではありがちなんだわさ、これ)
「でね、わたくしとっても腰が痛くって…」
え!?で、立ち止まっちゃったんですか!?(これもありがち以下同文)
「そりゃいけません、そこのクリニックまで、お荷物持ちましょうか?歩けますか?人呼びますか?」
「いえね、今もコルセットをこうガッチリ…夫は冷たいんですよ『年のせい!』の一言で…」
「はあ、ほう、はあ…」
合いの手入れて聞きつつ、激痛で顔が青ざめてはいないようだな…なんてチェック入れてたら、
「で、あっちの郵便局に用がありますの。お話できて楽しかったわ~」
あ、腰痛いんで一服したかっただけなんですね、ヨカッタ…

で、「ごめんください」「ごきげんよう」「お気をつけて」で別れた。

その足でクリニック行って、今度は待合ベンチでメガネのおばあさまとおしゃべり。
青森・津軽の人で、なんと舞の海の故郷「鰺ヶ沢」お家は漁師さん。
「NHK鶴瓶の家族に乾杯」で鰺ヶ沢やってましたね~、ってところから話題がハズんで、この季節はタラ、それとタラコ、あと鮭が旬、サメはアブラザメがたくさん捕れるけれど「星ザメ」というのがとびっきり美味しくてめずらしくて
「漁師同士で取り合いするくらいの美味しさなのよ~♪」
なんて「津軽とびっきりグルメ情報」まで聞いちゃった。

津軽にはアマチュアカメラマンの知り合いが住んでいるので、いっぺん行ってみたい所なんだけど、これは地元の居酒屋かお寿司屋さんでゼッタイ注文しなくちゃね♪

以前も書いたけれど、私ほんとにお年寄りに「馴染みが良い」んだわ。
どうにもこうにも「気さくに話しかけやすいタイプ」らしい。
信号待ちで出会ったご夫婦に、散歩途中で摘んできたスミレの花束もらっちゃったり。
86才のおじいさまには、病院の待合室で会って1時間でプロポーズされたこともあったな(笑…「来世生まれ変わったら結婚して下さい!」とのことだったので謹んでお受けいたしましたともさ)

母の話では、もうご近所デビューした幼い頃から「無敵状態」だったそうだから、なにか「ついてる体質」なのかもしれない。小学校でも女子校でも「おじいちゃん先生キラー」とアダ名されたもんだし。(戦前に教職取った世代が、ぎりぎり現役か講師でいた時代なんだわさ)
夫・ドッコイ氏に言わせると、私、お年寄りの前では
「Almost no Guard 」
の状態になるらしい。
ドッコイ氏もこの体質(性格?)で、高齢住人だらけのご町内の役員としてなんだかとっても重宝されているようだし。

なんだか私達夫婦は、このご町内の「見守りめおと地蔵」となりつつあるのかもしれない…
なんか、それって楽しいかも…

ドッコイ氏退院!2023年06月02日 17:20

なんとドッコイ氏、もう退院。
心臓の場合平均入院日数は2ヶ月超える、とも言われているし、覚悟していたのだが、「最短で…」と医師に言われた予定より更に1周間早い「スピード退院」である。
本人も私も、何より担当してくれた医師がビックリしている。
ハッキリ言われた。
「色々調べたのですが、医学的に説明つきません」

ドッコイ氏、入院したときの心臓カテーテル手術画像では、ばっちり「動脈瘤があります」
だった。
私の世代で「動脈瘤」といえば石原裕次郎である。
破裂したら死んじゃう可能性大。
ので、「入院中に『動脈瘤破裂』なんてことになったら、私、未亡人になっちゃうのね」と、覚悟を決めた。
…のだが。
途中経過説明を受けたら、なんと
「動脈瘤、なぜか自分から小さくなっています」
「血管が詰まったところに動脈瘤という『血液のため池』が出来たので、そこから詰まった先の血管に血液が少しづつ流れていて、心臓の筋肉が生きています。血管が詰まった先の筋肉が死んじゃうのが『心筋梗塞』なんですが…なんでなのか…」
入院した時点で
「この先動脈瘤を切除する手術をしなけらばいけなくなるかもしれなくて、その場合入院は延びます」
と告げられていたのだが、
「これなら1週間早く退院しても大丈夫です」
まあ。
で、退院前日に最後の説明があったのだが、
「血液のつまりがとれて、その先の血管も復活しました。病名は『心筋梗塞』で間違いないのですが、心臓の筋肉ほとんど『ノーダメージ』というめずらしいケースです。医師が集まっていろいろ分析したのですが、なんでこうなったのか理屈では説明つきません」
医学用語では「奇跡」という表現はないが、担当の若い女医先生、たぶんおなかの中ではそう思ってるんだろうなあ…というカンジ。

まあ、塩分制限とか毎日の薬が増えたりとか定期的検査とか、今後いろいろあるのではあるが、ひっくり返っちゃったときの
「いったいどうしよう?」
は無事解決、ということで
「メデタシメデタシ」
なのであった。
お騒がせしました。

インドは「危ない」そうです2023年05月22日 19:04

近くのインド料理屋、いつもデリバリーを頼むので配達のお兄さんと仲良くなった。
「今日は暑かったけれど、インドも暑いでしょう?」
と聞いたら
「インドでは『暑い』じゃなくて『危ない』ヨ」
ですと。うーん、なるほど…

東京の雪2023年02月10日 23:59

東京で雪が降っている。
この冬初めての積雪である。
東京は雪に弱い。
江戸・明治には人力と(旧江戸はとにかく水路の街だったので)水運でなんとかなったが、電車・自動車頼みの戦後高度成長昭和以降は「雪に対して打つ手なし」になってしまった。東京23区なんて積雪5センチ以下でも「大雪警報発令」騒ぎなんである。10センチ超えると救急車で搬送されるケガ人が軽く200件こえてしまう。
首都高速環状線は片っ端から入り口閉鎖になるし、電車やバスは遅れたり間引いたりストップしたりで、人の流れも物流も大騒ぎである。
乗換駅なんかホームから人がこぼれてしまうので改札を閉鎖して、駅の外まで十重二十重の大群衆で、帰宅ラッシュに重なると、もうとんでもない混乱になってしまう。
東京とそれを取り巻く首都圏は、とにかく人が多すぎるのだ。
大問題なのはこの雪が都立高校の受験スケジュールとかぶってしまっていることで、浅草・新宿・渋谷あたりはすでに雨になって積もらないらしいが、東京の西、八王子や青梅はもう「山」エリア、どんと積もるし溶けない。中3の受験生を交通遭難者にするととんでもないことになってしまうので、受験会場である高校前の坂道の除雪から、昼の弁当を入手できなかった受験生のカロリー補給、試験が終わっっても無事に家に帰りつけるかの心配、と、もう職員総出で大変な状態らしい。
センター入試といい公立高校、私立受験といい、なんで日本列島一番厳しい季節にやるのかなあ。
冬入試は中国・韓国、東アジアには多いけれど、世界全体では「夏前入試で新入学は秋から」が多数派だ。海外から日本への「留学生」は、半年待機しなければならないのが現状で、これが日本の大学への積極的留学を阻む大きな壁になっているという。
桜咲く中、心新たに「ピカピカの1年生」というのはとっても美的ではあるけれど、地球温暖化で「日本は夏猛暑冬豪雪化がますます進むだろう」なんて予測を耳にすると、このままで大丈夫かな、とも思う。

「良いお年を」と言えるコツ2022年12月13日 17:01

今年最後の病院の日で1年の総めくりをして薬局への細い裏道を歩いていた。ら、難儀をしているお婆さんと出会った。
 年はたぶん80~85。細くて小柄で、杖こそないが足元がつらそう。が、重そうな段ボールを必死に両手で持っていて、転んだりしたら手もつけないでケガすること確実である。で
「お手伝いしましょう」
と杖と反対の空いている手で段ボールの底を支えた。
「夫が車で迎えに来るところ、すぐですのでいいです。すみません」
確かにそれらしい車はあと15メートルくらい、でも前に配送車が止まっちゃってるんでちょっと時間かかるみたい。フタのしていない段ボールの中味は、ちらっと見たらリンゴとジャガイモと玉ねぎとお餅で、確実に重たい。すみませんすみませんとしきりに謝るが、高齢者のサポートの場合
「してあげましょう」「すみません」
では相手の心にいらん負担をかけてしまうんで
「させてください」「ありがとう」
と気持ちよく受けてもらわなければいけない。
すぐそこで運転席にいる夫の方はと見ると、目の前の配送車にハンドル握ってイライラしているらしく、こっちに視線回して、ドア開けて重い段ボールの荷物受け取りに来る、とっさの機転が効かないみたい(おじいさんにはありがちである)。細いとはいえ人通りのある道で、ふたりで動くと危ないんで
「ダンナさまがここへ来るまでの間ここで支えさせてくださいね」
と立って待つことにした。
「すみません、すみません」
とひたすら恐縮モードなんで、方向変えなきゃ、ということで
「気ぜわしい季節になって買い物も大変ですよね。コロナだ物価高だで大変ですけれど、でもお正月は来るんですねえ」
と笑いかけてめでたい方に持っていったら、やっとお婆さんのモードも変わった。ニッコリして
「本当ですねえ、もうすぐお正月なんですね」
「車で迎えに来てくれるなんて素敵なダンナさまですね」
と答えたら、こっちに耳寄せて小声で
「とんでもない、わがままで身勝手、私の事なんてなんにも分かっちゃくれません」
「ああ分かります、男の人ってそういうトコあります、ウチもそうですよ。でも、なにかいいところもおありでしょう?」
「いいえいいえ、いいトコなんてひとつもあるもんですか」
そのとき目の前で車が止まって、渋い顔した、明らかに待たされて不機嫌なおじいさんが降りてきた。こりゃいかん。
「ああ、頼もしいご主人様の登場ですね、お待ちしてましたよ!」
ととびっきりの笑顔を向けたら、おじいさん急にご機嫌になってニコニコ顔で荷物受け取って、トランクに積みにいっちゃった。
私の場合、仕事の性質上クライアント高齢者男性と沢山会った。難しい性格の義父とのつきあいで「しゅうととヨメの良好な関係」を維持することで、はっきりいって「大学院修了」レベルだと思う。明治生まれの養母の介護というのもあって高齢女性とのつきあいも多かった。心ほどくには「男は立てる・女は気持ちよくなってもらう」のが、まず一番の基本である。
お婆さんの耳元で
「ダンナさまのいいところお正月までにひとつ見つけてくださいね」
とささやいたら、私の腕を取って
「あなたのようないい人に会えて今日は本当に良かった。ありがとうございます。良いお年をお迎えください」
と笑顔で言ってくれた。
「私もお会いできてよかったです。ありがとうございます。良いお年を」
と、笑顔で別れる事が出来た。

日本の人間関係というのは、どんなに難しい状況設定でも、互いに
「会えてよかった、ありがとう」
と、めでためでたしで別れるのが一番である。

ましてや年の瀬の場合、絶対である。

告別式の貼り紙2022年07月04日 01:38

自治会の掲示板に告別式の告知がぺらんと貼ってあった。

年寄りの多いご町内、亡くなったという話は年に何度かあるが、今は葬儀社のスペースで行うのが普通で、昔のように「狭い自治会館の和室を借りて、家族とご近所さんでお通夜」というのは絶えて久しい。告知も電話連絡で、貼り紙はまずめったにない。
告別式は駅そばの葬儀会館とのことであった。
90のおじいさんである。
夫ドッコイ氏が自治会の役員なので訪ねたら、
「ああ、もうとっくに引退したけど,以前毎年自治会の役員つとめて、『遣り手の自治会長』として有名人だった〇〇さん。
引退後はすぐそこの小学校の前で子供達のために黄色い旗ふってたおじいさんだよ」
あ、それなら知ってる人だ、毎朝ニコニコ子供達を渡らせてた横断歩道の、あのおじいさんかー。
雨の日も風の日も大変だったよな。
私が渡るとき
「おはようございます、ありがとうございます」
って挨拶したらニッコリいい笑顔だったよな。

しかし、私は彼のもう一つの顔も知ってるんだ。
子供の登校時間を過ぎてバスに乗ったとき。
最初はわかんなかった、旗も黄色いキャップも安全ベストもないから。
ただ「妙に似たおじいさんだなあ」と思った。
顔がね、エンマ様そっくり、おっかないの。
で、ものすごく不機嫌そうにふんぞり返って席に座った。
でも、やっぱりあの「横断歩道ではニコニコえびす顔の黄色い旗持ったおじいさん」に間違いなかったの。

人は何かしら複数の顔を持っているもんだ、多かれ少なかれ。
伝説の「遣り手の自治会長」とは、そういうことでもあるのかもしれないし。
「立場が変われば人格も極端に変わる人」というのは、決してめずらしいものではない。
それがいいのか悪いのかは、一概には言えない。

池波正太郎の「鬼平」だったか、裕福な篤志家の商人が捕まえてみれば大盗族のボスというのがあったな。
まったくもって、人は一面では測れない。

テントウ虫2020年05月11日 23:35

今朝ベランダでテントウ虫を見つけた。

「あらあら、お久しぶりねナナツボシテントウさん…」
と言い終わる前に
プ~ンと飛んで行ってしまった。

人が自然に優しくても、自然は人にそうでもないんである。