今だからもう一度言うぞ、女性有権者たちよ!2020年04月06日 02:25

 日本の女性が投票する権利、すなわち「有権者としての権利」を獲得したのは、やっと戦後のことである。(アメリカは今年婦人参政権百周年にあたる)
 昭和20年8月に、あの愚かしい「太平洋戦争」が終結するまで、日本女性は「B級国民」だった。
「産めよ増やせよ」で、玉砕や空襲でどんどん減っちゃう日本の人口を、子供いっぱい産んで育てなさい、それが日本女性の勤めですと、国家から言われたもんだ。
 投票権もないし、夫婦の浮気だって、男はお妾さん(愛人)を持つのが「男の甲斐性」ともてはやされ、女の浮気や、家が決めた夫婦関係から目覚めた自由恋愛は、刑法で「姦通罪」に問われた。
 財産の相続も、当然女性に不利だったし、子供を抱えて未亡人(古い言葉だねこれも…「未だ亡くならない人」だってよ)になった場合、「家を継ぐために弟と結婚しろ、イヤなら子供をおいて実家に帰り『出戻り』として人生再スタートしろ」と舅・姑から宣言されたものだ。

 私の祖母、杉浦静は、平和主義者で平等主義者だったので、戦中、人口密集地「東京下町の商店街のおかみさん」だったのが、地域に乱れを起こさないための見せしめとして「天皇陛下の名の下に」特高警察に「非国民」の烙印を押され、追われて、死んだ。

 戦後の償いなど何もない。女であるから、非国民だから、平和主義者は、殺されてもその無念を歴史に刻まれることはなかった。

 私は、そんな祖母のひとり息子の父と、戦前東京23区の、めずらしく土地持ちの裕福な家に育ち、間引き疎開から焼け出されては転居すること3回、しまいにはもう住むところがなくて「焼け残った銭湯の石炭小屋」で両親兄弟肩寄せ合って生き延びた母によって、育てられた。
 だから、新聞やニュースによる情報を積極的に取り入れ、投票日には投票所へ行くふたりの背中を、当たり前に見て育った。

 しかし。ビックリしたのだが。同世代、後輩、投票には「当たり前に行かない」者が大多数だったのである。

 私が働いた少女漫画家のスタジオでは「投票日は遅刻・中抜けを認めます、さあ投票所に行ってらっしゃい!」という、優れたジェンダー学者でもある漫画家「ぬまじりよしみ」さんによって、投票は励行されていた。
(その頃少女漫画家大御所のスタジオは「1ヶ月タコ部屋」が当たり前で、「少女漫画家志望者」のアシスタントたちは「投票?何それ?」状態でハイティーンからミドルティーンまでを過ごしているのが現状だった。当時の少女漫画家及び予備軍は、大いなる「ノンポリ集団」であった)

 しかし「さあ、投票に行ってらっしゃい」というスタジオでサブアシスタントのSちゃんは、絶対行こうとしなかった。
「だって、私の一票なんかで、日本という国が変わるはずないもの」というのが、彼女の主張だった。それならば日銭稼いだ方がいいと。
 彼女は「胎内被曝2世」で被爆者手帳を持っていた。
「大いなる諦め」がそこにはあり、周囲も何も言えなかった。
彼女(大学の後輩だったのだが)は6年生になって、他の単位は足りているのに卒業論文を書こうとせず、中退した。
「奨学金」を踏み倒そうとした彼女に、後に夫となる婚約者が
「きれいな身になって、結婚しようね。どんな貧しい式でもかまわないから、ね」
と言ってくれ、奨学金を精算させたのはアッパレだった。
私はせめてもの結婚祝いに、と、地方の式場で「司会」を務めた。

 Sちゃんの夫は故郷の企業に勤めた。そこは地元の代議士さんと密接に結びついている、社長にお中元・お歳暮を貢いで当たり前、という前時代的なところであった。
 企業の「夏祭り」「代議士先生を囲む婦人の会」ともなると、美人で声が綺麗で人当たりの良いSちゃんには動員がかかり、ハイハイと出かけていって社長や先生のお隣で写真に納まり返らなければ、有能な夫といえどもクビである。
 その後夫は思うところあってその会社を辞め、今単身赴任、Sちゃんはしゃかりきに働いて娘3人を育て上げ、長女を東京の国立ナンバーワン大学に進学させて、さて、投票に行っているのかいないのか?

 「投票は国民の『権利』」というのは、国家の上成す者の立場から言って、である。
国民にとっては「投票は『国民同士の義務』」であり、それを「積極的に棄権」ではなく「なんとなく、なんとかなるだろうから、自分の票なんか『焼け石に水さ…』とほざいて放棄する者」は、国民として裏切り者である。国民としての「つとめ」を勝手に捨てて、それでも「日本国民でございます」とパスポート取って海外へ旅行して「イエス、アイアム、ジャパニーズ」とか言っている。お気楽なもんである。

 漫画家「ぬまじりよしみ」さんはアッパレだった。あるお昼時間、談笑タイムになって、Sちゃんが
「でも、しょせん今の政府は…」
と言いかけたとき
「お黙んなさい。投票に行かないあなたに、今の政府を云々する権利はないわ」
と断言したのである。(「ぬまじりよしみ」さんに関してはWikipediaやmixiなどでも取り上げられ、今現在Amazonで著作物の多くが入手可能なので、興味ある方はお調べ下さい)

 後に私は(プロだけど)アマチュア活動や、そのファンの女の子達の集団に「おばちゃんだけど、ごめんなさい混ぜてね」と参加するようになった時期がある。
 そこで、お茶会や飲み会の席で(なんせ雰囲気を読んでさりげなく主張するのは小学校から万年クラス委員長だった者の才覚であるので)
「女性こそ投票に行きましょうよ、どこの政党支持でもいいの、国民として投票所に足を運びましょう!」
と年下のお嬢さん(とはいえハタチ過ぎ)に啓蒙運動をしたわけだが。

「生まれて初めて投票所行きましたー!」
「それはエライエライ!」
「で、カッコいいから〇〇に投票しました、だって美人だし頭良さそうだし!」
「(オイオイ、それは極右の女だぞー!)」
「スクールドラマが好きだったんで、元女優の〇〇に投票しました、だって『スケバン役』だったから世の中斜めに見ることができるんじゃないかなーって!」
「(それは大きな右政党の『情婦役』だぞ、玄関先でチンピラに『おだまり!』って言うときのドスが効いているんだー)」

 でも、新聞読まないから選挙公報も目にしない、NHKの立候補演説もテレビ見ないで、スマホで、イイトコ取りの情報しか「つまみ読み」しなくて、それで
「社会全般に私は関わっている、ああ、私ってイイ女性日本国民!」
って、世間に知ったかぶりこいている女の子(もはや年は「子」どころではないが、いつまでたっても「私は女の子」のままである)に、
「いやいや、もっと深く世の中を知ろうとしたら、だね…」
とその先を示そうにも、
「貧乏子だくさんで、新聞代も受信料も払えません、私の世界はスマホとウワサ話だけです!」
と開き直られてしまう。やれやれ…

携帯大手が料金3ヶ月延滞を認めたのは、コロナショックで「情報遮断された愚衆」が暴動を起こさないためであり、当然「お国の依頼」によって、である。

 さて、次の総選挙、日本はどっち向くのか、18才からの若い投票層、もう最後かも知れないから「一票言いたいこと言わせて貰うぞ」の高齢者層、フリーランス、そしてなにより女性票がどう動くか、見物である。

ふぅ、やれやれ…

「ホモォ┌(┌ ^o^)┐」の嫌悪2015年04月04日 18:36

私は生まれながらにしてバイセクシャル(両性愛者)である。
大学に入ってしばらくして、喫茶店で後ろの席で
「お前の××大学経済学科、○○ってのがいるだろ。」
「知らないよ。」
「「まあ、○○ってのがいるんだ。
高校で一緒だったヤツに聞いたんだが、そいつ、ホモだぜ。」
という会話に、
見ず知らずの者にまで「○○はホモ」と、
ゲイとして何で世間に喧伝されなければならないか、と怒って
持っていたコーヒーぶっかけようかと振り向いたら
後ろの席のふたりは立ち上がったところで、ぶっかけそこねた。

ゲイヘイト「ホモォ┌(┌ ^o^)┐」ほど腹の立つことはない。
それは「レズゥ┌(┌ ^o^)┐」にもつながっているし、
「バイィ┌(┌ ^o^)┐」にもつながっているのだろう。
私は私なのに。

魂で生きているのだ。
性差されたくはない。

しかし六〇年代後期に流行った
「陰花植物」というゲイたちの「自称」は
「美的であるな、うむ。」と頷いたりする。
そこいらへん、あいまい。(我ながら…)

世間は思索する人たちにとってはひとつの悲劇であるが、
感情にかられる人たちにとってはひとつの喜劇である。

いまごろ「紅白」観て考える2015年01月17日 00:24

…で、便秘が治ってゆとりが出たので、いきなり昨年の紅白を観直していたのだが。
あら、みゆき姉、「歌詞とちる」どころか「早変わり」なんて大技(彼女にとっては「大技」だ)してたのね。
美輪明宏さんはもう「唄う『妖精のお爺さん』になっちゃって」て、こりゃ手出し無用だな、あ、AKBこんなに後で唄ってたの?え、福山くん2曲?と…
改めていろいろ「ほうほう、ふむふむ」だったのだが、不思議なのはなぜ「アナと雪の女王」が2度歌われているのか。
あれは、妹はノンケだが、お姉さんは妹ラブラブの超能力レズビアンだと思うぞ…と。
雪村の男衆も日本語訳では「みんな」だが英語では「My Family」で、どう考えてもゲイの村だしなぁ…大晦日過ぎて、改めて、煩悩。

今年ティファニーはエンゲージリングの広告を「ゲイカップル」にするし、日本では突然「百合ブーム」でユリイカまで「百合特集」組んじゃうし、美輪さんはとっくに市民権得ているし、「アナ雪」はヒットするし、ここ数年で性に関する状況は外見上ずいぶん変った。
外見上はね。
いざとなると出てくる。
恩師・若桑みどり先生について日記を書いたのが1/13、で友人より「千野香織」さんの名があがり、びっくり!
美術史にジェンダー、フェミニズムを取り入れた第一人者である。
景気が、政情が悪くなるとあがってくるのが
「性差別・性的少数者嫌悪(ヘイト)」
で、私は両性愛者だが、結婚に至った異性愛者の夫はものすごく懐の深い人だと、今でも思う。

などと、「紅白」観直しながら考えていたのだが、音楽業界にセクシャルマイノリティーが多いのは確か。
昔の私の恋人(女性)もプロ・ミュージシャンだったし。
そういえば「ジャニーズ問題」はどうなったんだろう?(今さらですが・笑)
今、紅白のマイノリティー、率はどれくらいかしら。

で、若桑みどり「お姫様とジェンダー(アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門)」(ちくま新書)は、読みやすくて、おもしろい。
名作ディズニー映画がスッパスッパ斬られまくり。
書店でも(680円+税)図書館でもお気軽に。


このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。
発覚した場合は提訴します。

オトコの居どころ・オンナのカンどころ2012年09月12日 21:28

大阪で「焼き肉」といったら「鶴橋」、「鶴橋」といったら「焼き肉」である。なんせ高架の「鶴橋・プラットフォーム」に降り立っただけで、もう焼き肉のにおいモウモウ、煙モクモクなのだ。戦後の、コリアンタウン&闇市の家並みがぎっちり詰まっていて、新宿西口の「思い出横丁」よりスゴイ。

今では海外事業部に戻って世界中行ったり来たりなドッコイ氏なのだが、ああ、「湾岸戦争」のおかげで「海外事業部はさておいて、国内事業部に回りなさい」という時期があり、
「大阪帝国ホテル」つー、
「東京の帝国ホテル」とはまったく別モンのビジネスホテルを常宿にしていた。
で、私は仕事の切れ目に遊びに行ったのだ、大阪へ。

鶴橋駅徒歩1分の焼き肉屋。
東京のそれとは違って、肉の厚さが5ミリはあるぞ。しかも東京の焼き肉屋とまったく違って「七輪の炭火で自分で焼いてください」なんである。壁も柱も油煙でヌラヌラしとる。

しかしそこで、私は面白い光景に出会うのである。はす向かいのボックス席に座って、女のほうがテキパキ肉をならべている。向かい合って座る男の方は、サンチェに包んだ肉を、「心ここにあらず」ってな表情で口に運んでいる。
女の方は、藤山直美さんをも~っといじって、太らせて、塗ったくりまくった感じ、絵の具箱をひっくり返したような服、毛皮のショートコート、宝石と衣装の派手な姿で、焼き肉を焼くたびにいっぱい付けた金色のネックレスやブレスレットがジャラジャラ音を立てている。

2人は会話をしていなかった。 お皿に大盛りの肉や野菜を焼きつつ一方的に話し続ける女。
「せやから、アンタがあんとき言うてくれたらよかったんよ!」
「あんときに、あないに上手ぁくやってくれればえかったんや」
「あんた、これからいったいどないする気ぃ~?」

突然男は立ち上がり、口も聞かずに店の出口へむかう。
女は尻が重い分「いきなり立ち」が苦手であるし、バックやらコートやら忙しい。しかし、手使いは遅いが、口は速い。
「ちょとアンタ、なんで肉残すのんっ!?」
男の背中に大声を投げつけて、じゃらりじゃらりと音を立てて、自分の荷物ひっつかんで。
「ねえ、なんで肉残すのんッ!!」
彼女の走るにあわせてアクセサリーを鳴らしつつ、化けすぎた藤山直美さんのように派手な・太い・金色のジャランジャランが小走りに出て行った。

不思議な、夢のようなこの光景を、ところが私と差し向かいで座っていたドッコイ氏はまるで見てないし、聞いてもいないし、覚えてもいないというのだ。

ああ、あんなに残されたお肉の運命やいかに?

カップル?多分別れたでしょう。(あっさり)