日本画家っておもしろい2015年01月12日 21:37

NHKBプレミアム「東海道五十三次合作絵巻 井浦新がたどる画家4人 箱根・修善寺・京都へ百年前のバンカラ道中」を観た。
いやー、おもしろかった。
横山大観は若い頃から(若いったって三十代なのだが、日本画の世界は四十でヒヨッコ、八十・九十でも現役がウヨウヨいるのである)ぞんべろりんなのだが、端正な美青年、下村観山には頭が上がらず、今村紫紅は、やっぱり天才肌で、小杉放庵はひとり飄々としている。
漫画の世界でいうなら「もしもトキワ荘グループが旅日記をつけたら」といったカンジだ。
若いって、すごいなあ。才能あるって、いいなあ。
百年前のお兄さん(三十代でもおにいさんである)はバンカラで、才気溢れて、酒飲みで、陽気で、真摯なんであった。

揃いのマント着て、山高帽かぶっているっていうのがね、カッコよかった。

しまった、録画しとけばヨカッタ…

ローマのこどもの日2012年05月05日 13:26

貧乏旅行でオフシーズンの1月にローマに行った。
寒い寒い、太陽は遅くに登りトットと沈んでしまう。しかも連日曇りである。

私にとってローマは「空がどんより低く、寒く、フランス語が通用しない街である(これとカタコトの英語しか話せない。フランス語もカタコトですが・笑)
ただ、確か8日だったと思うが「三人の博士がイエスキリストに貢ぎ物を持って来た日」だそうでクリスマスの最終日、細長いトリノ広場で「おもちゃ市」が立っていた。
その日がイタリアでは「こどもの日」だったんである。

もう暮れてきてそろそろおしまいらしく市場にはひとけもほとんどなかったが、道行く親子連れなど、子供たちが「はらぺこあおむし」のぬいぐるみやプラスチックの機関銃を持って、嬉しそうにはしゃいでいた。

露店ではただ一軒、「ファミコン」のソフトを売る店が一番端にあるだけで、閑古鳥が啼いていた頃の話である。
マリオブラザーズのソフトがあった。
その後「世界中の子供たちから貴重な時を何十億時間も奪い取ったピーチ姫」には今の私は文句を言いたいぞ(笑)。
何度さらわれりゃ気がすむんだ、アホめ。(笑)

駅前には大きめな「キリスト誕生」の人形たちがセットしてあって(羊も牛も馬もいたぞ)日毎に少しずつ登場人物を替え、厩の上の流れ星が毎日少しずつ進んでいく、それを取り巻く鎖を繋ぐステンレスのポールが口をちょっと切った貯金箱みたいになっていて、道行く人達はポケットから小銭を入れていく、という、とても気の利いた造りになっていた。
景気はどん底で、移民であふれかえり、治安は最悪、ロマ族の子供たちのかっぱらいが横行していたが、宿でみるお笑い番組などは言葉が分らないのにとても面白く、
「ああ、『ローマの休日』の国だなー。この国は何があっても大丈夫だわ」と思った記憶がある。
つい昨日見たイメージの、あのときトリノ広場の「おもちゃ市」の帰り、買ってもらったおもちゃを大切そうに胸に抱きしめて笑顔で歩いていた子供たちが、今のイタリアを動かしている。

光陰矢のごとし。

朝のチンポコ2011年10月17日 01:39

敢えて伏せ字は使わないぞ「チンポコ」のモンダイなのだ。

二十代の時に友人たちと京都と奈良へ旅行した。
遷都千年なんてまだずっと先のことで、ひとり京都マニアがいて、ひとり奈良マニアがいて、何の不自由もなく「穴場」をホイホイ効率よく回り、「観光客の少ない時間帯」なんてのも計算され尽くしていて、ゆったりと、それはそれは楽しい旅だった。
私たちもまだ「若い娘さん」にひっかかるお年頃で、歩いて歩いて観て食べて、歩いて歩いて観て食べて、貧乏だがその範疇で精一杯楽しんだ。
しかし、である。寺の名は隠すが、朝一番の参拝の始まった頃、きらきらしい朝の陽射しの中、お堂とお堂を結ぶ石畳をみんなで歩いていたその時。
向こうから修行僧と一目で分る若いお坊さんがふたり歩いてきた。
ふたりとも少年の面影を残すけっこうな美男子である。

いざすれ違おうというその時。
背の低い方のお坊さんが確かに言ったのだ、
「だからぁ、『チンポコ』なんだよ。」
へっ!?
今確かに「チンポコ」と聞えましたが!?
こういうとき私たちの行動は万事ぬかりなく、前へ前へとバックするんである。
心清らな若いお坊さんがなんということを!
それはお寺の中では「魔羅(マラ)」と言うのではありませんか?(こんなことだけ妙に詳しい)
しかし、背の高い方のお坊さんが言ったのだ、
「チーン…ポコ、じゃないのか?」
「いや、あそこは早くていいの、唱名が始まる直前にチンポコでいいんだよ。」

朝の読経の、お鈴(りん)と木魚のタイミングの話をしているのであった。

開祖・隠元和尚様(これで寺の名は知れる人には知れるね)ごめんなさい。

私たちが悪うございました。

予防接種と大将のコレクション2011年10月14日 07:46

きのう、都内の国際医療センターにアフリカ風土病の予防注射を打ちに行ってきたドッコイ氏。
これがマイナーな土地のマイナーな病気になるとになるとパリのパスツール研究所になる。さすがパスツール、何でもあるでよ。アフリカにはまずパリ経由で行くので、中継点で助かっている。
予防接種が顔を出すと、「そろそろ出張も近いなー」という感じ。

オーストラリアを除いて全大陸制覇しているドッコイ氏であるから、もう何も言わない。
でも、言葉には出さないけれど、おなかこわしたりしないか、急な温度差で風邪引いたりしないか、という不安は毎回つきまとう。
ましてや、戦争、民族対立、宗教対立、国境紛争、テロ、暴動、山賊、地雷、外国人誘拐、等々のことを考えるときりがない。
行くのはたいてい危険な国である。というか、日本の治安が良すぎる、ということだが。

湾岸戦争にもイラク戦争にも巻き込まれている、という「当たり運」の強さなので、年末ジャンボ宝くじ買ったら当たるかもしれない(笑)。まあ、買わなければ当たらないけど買わないからハズレないものであるからして、我が家では「射幸心の無駄遣い」はしないことにしているのだが。

ところで私には、遠い親戚にお寿司屋さんがいる。奥さんの方が親戚なのだが、そこの大将はかわった人で、変な物のコレクターである。
いっぺんみせてもらったのが、「末尾0番から百枚揃った宝くじの額縁」。
思わず「当たってるのあるんですか?」と聞いてしまって、いやぁ、失敗失敗。あったらとっくに換金しとるがな。
いきなり押しかけたのに、お寿司に天ぷらお腹いっぱい食べさせてもらったお礼に後日送ったのは
「週間大衆ロゴ入り・女体ヌード彫り物テレカ3枚組」(忘年会で引き当てた)
ものすごく喜ばれて、わざわざお礼の電話がかかってきたな。
「こういう『レアもの』だったらいつでも大歓迎ですよ。」
と、大将ものすごく喜んでた。ロゴ入りは「レアもの」なんだそうな。(知らなかったよパトラッシュ…)

ウチのドッコイ氏は「週間大衆ロゴ入り・女体ヌード彫り物テレカ3枚組」よりはるかにレアものだぞ!と、妙なところで気張ってみたりしている、変てこりんな私である。

旅行記・そして大阪編2011年02月18日 21:47

3日目、最後に朝一番で展示を観てから、時間があったので中洲川端の櫛田神社へ行った。入り口がとんでもないことになっていた

神前婚礼式を見物。社務所で、おみくじは「末吉」、「学業成就」のお守りを買った。人生一生修行である。
が、作品を生み出すには「安産」の方が良かったか!?と気付いたのは後になってからである、我ながらうかつなヤツめ(笑)。
ここは博多山笠

みごとな高さ、壮麗さ!

しかし困ったことに、三日間の目の酷使と強風で、目の弱い私は涙が止まらなくなっちゃったんである。特に右目、もうボロボロ状態。
帰りの新幹線でも、窓際でボロボロ、博多で恋に破れた女か、わたしゃ(笑)。
大阪で途中下車、実はここでもう一泊、シャンソン歌手の友人、市原さんのステージがあるのだ。
お茶の時間に着くので、喫茶店で待ち合わせ、「グリコのお兄さんが見たい」のリクエストに、風吹く御堂筋を並んで歩く。
市原さんは元女優さんのすらりとした美女で、涙拭き拭き
「これはもうレズビアンの別れのデートにしか見えませんねー。」
と言ったら「え~」と笑われてしまった(笑)。
はい、大阪名所、「青いグリコのお兄さん」。

雑踏の中、「蟹道楽の動くカニさん」「食い倒れ太郎君」「づぼらやの河豚」などなど、大好きなキダ・タロー先生のCMソングが頭の中に流れる。ファンクラブにに入っております、ハイ。

そして、「法善寺横町」!
わー、来るの16~7年ぶり?!
石川さゆりの十年がかりのプロジェクト「二十世紀の名曲たち」の中でもお気に入りの「月の法善寺横町」が頭の中をぐるんぐるん回る。(マニアックよのう・笑)
小体(こてい)な店ののれんをくぐり、大阪の「粉もん」に挑戦!
筒状にこんもり盛り上がって上でひとつかみのカツオブシが湯気で踊りを踊っている。
「スジ」も「こんにゃく」も「キムチ」も、焼き物の具になるんだなぁ。ハフハフ言って食す。美味なこと美味なこと!

満腹して、しばし別れて、大阪のシャンソニエ「ベコー」へ。
実はその日出演の針生祐子さんが目当てだったのだが、直前になって病気休演、ピンチヒッターが市原さん、という不思議な巡り合わせ。
1年に3度、ひとりのシャンソニエール(女性シャンソン歌手)のステージを聴ける、なんて。
3日後にアトリエの引っ越しを控えていたので、3ステージの内2までしか聴けず宿に戻ったのだが、この未練は家を建ててから解消しよう。
翌朝1番で東京に戻る、お土産は定番「蓬莱の豚まん」でしたとさ。

以上、3泊4日ひとり旅おしまい。東京で引っ越し大騒ぎも昨日で落ち着き、今日は家事とカチャカチャの一日。あー、「日常」がやって来た~。



旅行記・その22011年02月18日 10:51


博多物価安~い!
「前髪カットのみ百円」
である。ワン・コインの大きさが違う。

さて、商店街を抜けて、とにかく朝イチと閉館前はアジア美術館の原画展へ。

人の入り3割くらい、東京でやったときの「なるべく早く進んで下さい状態」がウソのよう。
会場が広く、東京よりも何十点か出品作も多く、ビデオコーナーもあり、ソファもあり。
ソファのある「半神」16ページを、休みながら計十回以上観る。ホワイト修正がほとんどないのにビックリ、というか、萩尾先生の作品には、効果以外ホワイトがほとんど入っていない。
これはデビュー作、二十歳の時の「ルルとミミ」からそうで、新人時代こんなに少ない人も珍しい。
かと思うと「ビアンカ」の、少女が森で踊るシーンは自身が納得いかず17回も描いていたりする。

天才だと思うし、天才が努力をしたらどんなに凄いかが、マイペースで回る目の前に繰り広げられてゆく。
やっぱり九州に来て正解だった。

福岡には高2の時修学旅行できている。(九州一周だった)
そのとき食べた水炊き(鳥鍋)の味が忘れられず、商店街唯一の専門店へ。
(店の名をもらったマッチで覚えようとしたのだが、うかつにも長野の仏壇に置いてきてしまった。まーたった一軒の店なので行けば分かるが)


そして最終日の朝、私はルール違反をした。
場内撮影禁止は美術展の基本である。が。
忠実に再現された仕事机を、マフラーの陰からトイカメラ(3×3×5センチくらいで、もちろんフラッシュなんかついていない)で、撮ったのだ。
ものすごいピンボケだが。

指のリハビリが上手くいかず、日に日に思うように引けなくなってくる線に、私は絶望感を抱き始めていた。
脳炎、交通事故、刃物の事故でペンを持つ指の背の腱を切断、と、私は利き腕を何度もつぶしている。
特に脳炎による痙攣は、酷い。
この、意のままにならない腕と弱っていく目で、この先描き続けるべきか、リハビリをあきらめるべきか。

墨汁の横には、指のテーピング用のテープがごっそり積んであった。
描き続けて40年、萩尾先生も、指をテーピングで固めないと線が引けない、ということは以前から知っていた。
が、実際に見るテープの山は、もっと切実に、私に大切なことを訴えかけてきた。

やっぱり、まだ「描く」ということをあきらめるわけにはいかない。

「神様の机」だった。
ここから萩尾望都という人は、これだけの素晴らしい世界を織りなしているのだ。
「そろそろ漫画家をやめたら」と言うご両親に
「なぜ、たいがいのことを犠牲にしてでも漫画を描くことをやめることが出来ないか言葉では説明出来なかった。」
と、ハードカバー版の「メッシュ」の後書きに書いてある。
漫画を「描きたい」という衝動と、完成させるまでの長い手間の道のりは、なぜせねばならないのか理屈では割り切れない。
新人漫画家たちの実質時給は200円位のもんである。

まだ、自分の道を探したい。

そう心を決めて、私は福岡を後にした。
新幹線の駅で舞い始めた風花は、関門トンネルを
越え山口に入ると水墨画の世界のような大雪となった。
白い紙と黒い墨汁があれば、多分私は(上手い下手は別として)何でも描けるだろう。

あきらめない。
そう気付いた旅だった。



旅行記・その12011年02月14日 11:55

はい、私はどこにいるのでしょう。
(写真はクリックすると例のごとく大きくなります)

福岡は中洲川端商店街、3泊4日のひとり旅でゴザイマス。


ついたとたん強烈な肩こりで、はい、整骨院。トホホ、ディパックがいつもより重かったせい。しかし、30分1500円は安いぞ、東京の半額だ~。


目的は「萩尾望都原画展」福岡アジア美術館。


昨年東京では、狭い、日にちも限られたデパート展で押すな押すなの混雑っぷり。
気の済むまで観られなかったので、最終、ロング期間の広い会場で(作品は東京より出品点数多い)思いっきり鑑賞しようではないか、と。
ヘソクリはたきました、ハイ(笑)。
友人知人との旅行は何度もあるけれど、ひとりで2泊以上というのは18の時、三宅島の別荘でひとり半月過ごして以来かなー。
インターネットで飛行機の手配をしたり、ネット特割のホテルをとったり、パソコンのお世話になった旅でした。
しかし、旅行中は重くてパソコン持って行けな~い。
ホテルでパソコン無しの生活というのを味わうのは久しぶりで、ちょっと新鮮、かなり禁断症状(笑)。
TVはニュース天気予報とドキュメントと映画以外ふだんあんまり見ない(「NHK大河の「江」は見てるゾ♪)私ですが、TVしか見るモノない!
ローカル局のワイドショー見てたら、「突撃・隣の晩ごはん」やってました、ローカル版の。
農村編で、屋敷は広いは食卓は自家製野菜でてんこ盛りだは。
でも、農村だから、大しゃもじ持って走る距離が遠い、街灯ナイから真っ暗。
キー局にはない苦労を見たのでした。

さて、その2に続く。