ふみちゃまと佐和ぴー2009年05月10日 19:48

(下記のお嬢様言葉バージョン)
壇ふみさまと阿川佐和子さまのファンですの。我が家では「ふみちゃま」「佐和ぴー」とお呼びしてテレビの前でキャーキャー言っておりますわ。「NHK教育・新・日曜美術館・ふみちゃま降板」は、4月の一大ニュースでございましてよ(笑)。
なにしろ味の素のサラダ油セットをお持ちになって
「夏目先生へのお歳暮これでいいかしら?」
とふたり灯りのともる商店街を歩いていらっしゃるCMを見たときからノックダウンでございましたわ。
ファン歴長うございましてよ、わたくし。(笑)

で、そのふみちゃまですが、山田太一さまの「日本の面影」のテープを、貸していた人にやっと返してもらいまして(βですのよ!)、DVDに焼き直して、観ましたの。
小泉八雲さま(ラフガディオ・ハーンさま)が「ウェストサイド物語」のジョージ・チャキリスさまで、その奥様の役ですわ。脚本も岩波文庫から出ていましいてよ。このエンディングは何度観ても泣けますわ。ハーンさまの生死観がとっても良く現れておりますの。

亡き父の最後も、ハーンさまのようでございました。なにしろ「人に知らせるな」ですから。
とはいえ何人かの親戚と知り合いにはさすがに黙っているわけにはいきませんで、連絡いたしましたが。あれだけだれにも恨まれずに逝った人もめずらしいのではないかしらん。
「敵を作らない」ということに関しては、才能のある人だったと思いますわ。
19万8千円也の葬儀で、いってしまいました。

自分が死ぬときに夢の中で
「あら、このお方まだ生きていらっしゃるわ。夢枕に立って呪い殺して道連れにしてさしあげましょう。」
なんて思うお相手、いらっしゃいますかしら。
そこまで人を憎めるパワー、たぶんございませんわ、わたくしには。めんどくさうございましてのことよ。

夫とと母が元気でいてくれれば、それでもう充分ですわ。

山火事、ドッグ・オブ・ザ・ベイ2009年05月11日 14:30

ほんのちょっと、ロスアンゼルス に行ったことがある。
     
「居た」じゃなくて「かすめた」程度ね。 でもユニバーサル・スタジオ行って、日本には上陸する 気のまったくなさそうな「アイラブ・ルーシー」のコーナーでルシール・ボールのそっくりさんと肩抱き合ったし、グランド・キャニオンも行ったし、ハリウッドスターのチャイニーズ・シアター「手形足形ストリート」じゃ、 あまりに人数多くて当然ジュリー・アンドリュースのは見つけられないし。
もうずいぶん昔のような気がする。    
     
なんで ロス かって?
知り合いの、そのまた知り合いの大工さんの組合旅行に欠員が出たのさ。
ヘンなところにツテはあるもんである。
大工のオッチャン、オニイチャンとその奥さん、ガキンチョと、辣腕編集者と売れっ子イラストレーターに混じっての格安旅行にもかかわらず、旅行会社の手違いで映画「プリティ・ウーマン」の舞台となったとんでもない格式のホテルの、それもめちゃくちゃいいい部屋だった。
しかし私は旅行にカメラは持ち歩かない主義なのでろくすっぽ覚えていない。
何だか、天井高くてあちこちフカフカした部屋だったなー。 これぐらいのもんである。
      
       
覚えているのは山火事のこと。
もんのすごい規模の山火事が起きてて、何日も燃え続けて、鎮火の見込みなんてまったくたたなくて、ビバリーヒルズの豪邸街にまで火の手は迫って、すごかった。
西海岸の青い空なんてどこのこと?
確かに空は高くて、でもどこまでもどこまでも灰色で、ときどき白い灰が降って雪みたいだった。 街全体がキナ臭かった。
街角々の新聞の販売機、見出しが連日大活字の「FIRE!」「 FIRE!! 」で、 私は自分がヘヴィ・メタのコンサート会場に紛れ込んだのかと錯覚してクラクラした。
      
景気はどん底で、治安は最悪で、添乗員さんはバスの中で、
「この地域では絶対に一人歩きしないで下さい!」
て言うのに必死で(んなら免税店作るなよ、こんなとこに)肌の色の濃い人たちがたくさん路上にたむろして、白い歯見せて瞳は狩人で、バスの中のうす黄色い人たちをせせら笑っている。
「そのバスから出てきたら、お前さんの有り金も命もちゃんとむしり取ってやるよ。」って。
肉を喰らう獣のような、とてもきれいな白い歯。
     
    
フリー・タイム、何もすることがなかったので海岸に行った。
    
なにしろここは安全なのである、何もないの、誰もいないの。 
前見て、振り返って、十数人ってとこか。 消失点まで海の家一軒もない。
サンフランシスコとも東京湾とも違う「外海・そとうみ」、太平洋がストレートに映画「ビッグ・ウェンズディーよろしくざっぱんざっぱん打ち寄せている。 
なのに、サーファー数人、ウォーカー数人、犬数匹、以上である。
砂はサラサラのパウダーで、空はどんよりと灰色で、吹く風は乾いて何の匂いもしない。
突然、私は発見するのである。
「ああ、ここは日本じゃないや、アメリカだもの。」
日本じゃ砂は足元ジャクジャク、空はお天気次第、吹く風は磯臭くぺったりしている。
プランクトンの豊富な日本の海、湿った空気は、ここにはないもの。       
        
灰色の空の下、暗い海の色、寄せては返す波。 
波打ち際を犬が歩いている。 犬は飼い主を見上げている。
サーフボード抱えて飼い主が歩いている。 飼い主は白い灰の降ってくる空を見上げている。
「ああ、ここは何十万人いようとも孤独な世界なのだ」と、突然私は悟ったりする。
どんなに沢山いようとも、ひとりひとりが孤独なのだ、人も犬も、海も空も。
ビルボード・No1になったオーティス・レディングの「The Dog of The Bay」の意味がいきなり分っちゃったりする。 
その頃ちょうど3年くらいかけて「 Summer Dog Requiem 」ちゅー、「ヴァカンス過ぎたらハイさようなら」の避暑地の愛人関係の物語をこねくりまわしていたのだが、だめだこりゃ、根元からもう一回洗いなおさなくちゃ、などと決意する。(もちろんいまだ未完である)
(サマー・ドッグ:まだ識別チップがなかったので、ニースだけで一夏に5万匹くらい捨て犬があって、夏の終りに郊外で野犬化して問題になっていた。)
     
出勤するドッコイにオーティスのCDを頼む。
中島みゆきの「ばいばい」が付くヴァージョンはだめ、利き腕潰して仲間に別れを告げて去って行くミュージシャンの歌だから。 今はだめ。 
   
あの山火事の日の ロスアンゼルスの海岸が、今でもときどき私の視界をかすめる。
    
寄せる波、犬、歩いて行く人、灰色の空、ちらちら降る白い灰。
      
どこまでも、いつまでも、誰もが、ただ孤独な光景だった。

5分はなれた恋だった2009年05月12日 18:12

同じ市内の、消防署の裏手に住む人と恋をしていたことがある。
     
なにしろ消防署である、昼も夜もなく四六時中出場で(消防署は「出動」じゃなくて「出場」という)、消防車やら救急車やら、やたらめったらやかましい。
夜中に電話で話している。(私はその恋愛のためにやっとお金を貯めて電話を買ったのだ。それまで仕事には公衆電話や文房具店のファクシミリを使っていた。絵を書く仕事のくせにファクシミリさえ持てない。〜ま、プロの世界にすら普及一歩前夜だったせいもある 〜 本当に昔のこと、私は駆け出しで、「♪包丁一本〜♪晒しに巻いて〜♪」の「月の法善寺横丁」のように貧乏で、ペンと墨汁と若さ以外何も持っていなかったのである。)
   
同じ市内なのに、直接会える機会はなかなかない。
(人生、こんな恋愛もときにはある。 ま、こればかりは「立場」とか「相性」とかの持つ魔法だ。)
せっかく買った電話だが、こちらは料金を抑えるために長話もできない。
深夜大幅割引導入はまだ先のことだ。
真夜中、短い会話の間に向こうに、大音響でサイレンが鳴り響く。
「あ、出場だ。」    
サイレンが遠ざかるまで会話がしばらく途切れたままになる。 
その間も、私の胸は、頭は、心は、体は、そう私のすべてが相手のことを考えている。 
私のすべての細胞が瞬間に沸騰と凍結をくり返すように。
     
    
八百屋お七はどんな気持ちで半鐘を聴いたのかしら。
私はそんなことをぼんやり考えて、待つ。
     
          
サイレンが鳴り終わって、5分後に、こんどはこちらの近くで鳴り出す。「あ、消防車そっち行ったね。」
「大きな火じゃないといいけど。」
夜中の火事だもの、一本道だもの、響くサイレンばかりが、ふたりの距離をつめる。
    
真夜中の消防車全力疾走にして、わずか5分の距離の恋だった。
別れて、相手が引っ越してからも何年か、私は同じ所に住んでいたので、市内でサイレンを聴くのがつらかった。     
      
海鳴りのように、切ない恋の空貝たちが鳴り響くのを聴くのが、本当に、哀しかったのだ。

その座標のとなり2009年05月13日 01:28

星座にはまるでうといわたしである。
判別できるのは、せいぜいオリオンと北斗七星くらいであとは全滅だ。
原因は、たぶん近視に乱視の混じったこの目玉と(裸眼だと三日月が3つ4つブッ
て見えたりする)育った環境による。
星が全然見えないか、あるいは見えすぎて、夜空が漆黒を通り越して青みがかった明るさの中に一面米粒をぶちまかしたような、星が多すぎて眩しすぎてどれがどれやら分からない、もうどうでもいいや〜な状態しか知らずに育ってしまったのである。
見えなさすぎるのも、見えすぎるのも考え物で、おかげで「星座占い」というモノなんぞまるで信じない人間に育ってしまった。 12宮、知らない。
なんでもわたしは牡牛座とゆーのになるそうだが、それがどんなものか、他の星座のみなさまととどう人格・運命的に違うとゆーのか、分からない。
         
美川憲一の「さそり座の女」は知ってるけどね(笑)。
    
我が相棒(夫ともいう)は、空気がきれいな土地で、程良く近視で育ったので?いろんな星を見分けるのが上手である。
「ほら、あれがシリウスであれがスバルで・・・」
なんてたまに夜空を指して教えてくれるのだけど
「ふむふむ、ほうほう。」
と感心しながらも、もう片っ端から分からなくなってゆくわたし。 カップルというのはあらゆる意味で「砂の城」である。 わたしの脳ミソはいつも波打ち際にある。
    
会社勤めの友人がいて、彼女は非常に頭が切れる。
何かの事情で手打ちコピーしなければならない書類のチェックの際、2枚重ねてライトに透かして見るという。 これならたとえ句読点ひとつの打ち損じであっても、ものの数秒もかからず一面全部わかる。
「ああ、なるほどなあ、頭脳ってそーゆーふうに使うものなんだなあ。」
と、そんな話を聞いて、ぼんやりもんのわたしは感動する。
     
天体観測の人はどうなのであろう。 新星の発見なんてときたまTVのニュースで見るけれど、ちっちゃなちっちゃな爪楊枝の先で突いたような白点、いったいどうやって見分けるんだろうか。 専門の天文台なら分かるけど、アマチュアが発見したと聞くと、どうしても「昨日の夜空の写真と今日の写真を重ねて透かし見してる」姿を想像してしまう。(いや、じっさいにはもうアマチュア天文家だってコンピュータばんばん使いまくる時代ではあるんだそうだけどね。)
あの白点のとなりの白点、その星の座標。 そのまたとなりの星の座標。
ぜったいわからない、わたし。
    
「なんでそんなもんが出て来ちゃったのかわからないのよ。」
とMちゃん(友人)は笑いながら言う。
インターネットでアドレスを打ち込んでいて、数字ひとつ打ちそこねたのか、それとも回線がちょっとばかり混線していたのか。
とにかく彼女のモニターに突然開いたのは、全然知らないどこかの主婦の「SM日記」のホームページだったのだそうな。
相手は夫ではない。 浮気でSM。 しかもホテルで撮った写真入り。
人にはどんな隠し事でもどこかに記しておきたいという欲求があるそうだが、そんな秘密日記サイトであったらしい。 ジェームズ三木もびっくりである。
何度も何度もホテルで会って、今日はこんなことをしたのあんなことをしたのと微にいり細にいり、ムチだローソクだ縛りだなんだとあって、そしてある日を境にぷっつり途切れているのだという。
わたしは別にひとさまが浮気してもSMしてもまったく構わないのであるが、その突然の「ぷっつり」が気になる。 まさか阿部定事件みたいにプレイがエスカレートし過ぎて相手が死んじゃったわけではあるまいな。
(あれはお定さんがちょいときつく相手の首を絞め過ぎちゃったんだそうな。)
「きっと家族にバレたんだと思うわ。」とMちゃん。
「別れたんじゃないの、SMの相手と。」とわたし。
その砂の城は、足元をさらう波だけだったのか。 だれも崩れる上から積もうとはしなかったのか。
知恵でもバカさでも愛情でも執着でも、何でもいいからとにかく崩れた分を埋めるだけのもんがなくちゃ、人間の業という押し寄せる波には追いつかないだろう。
脳細胞の足りない私にはこのくらいのことしか分からないのだが。
      
いずれにせよ、そのSMの主婦はサイトを閉じないままで捨ててしまった。
今もたぶんどこかにある、遠い座標のとなりのとなりのそのまたとなり。
夜空の星とおんなじで、わたしにはやっぱりよく分からない。

恋多き2009年05月21日 00:48

そんなに「恋多きヤツ」じゃないのよ、両手の指合わせたくらい。
「惚れっぽいヤツ」じゃないの、いつだって「惚れられるヤツ」なの。

あ〜あ、だけどしょせん「惚れられ上手」は「振られっ下手」なんだわ。
「好きだ好きだ、あなたがいなければ世界が無くなってしまう」と言われた私は
結局は「おまえなんか世界から消えてしまえ」とののしられる運命なのよ。

たいがい「聞き上手だ」ってとこから始まるみたい、みんなどんどんじゃんじゃん自分を語るのよ。他の人には絶対話さないことまで聞かせてくれるの。
で、「じゃ、今度は私の番ね」って私が話し始めると、萎縮しちゃうんだわ。
なんだか、私自身はぼんやり生きてきたのに、はたから聞くと相当毒のある人生みたい。
あたるのね、生きてきた毒気に。
んでもって、後悔するんだわ、たいてい.
みんなものすごい自己嫌悪に陥るパターン。
「自分のことを分かって欲しい」って、あんなに熱く自分を語ったのに。舌は強いのに耳は弱いのね。でも、口はつぐめても耳は自力じゃ閉じられないものね。

山崎まさよしが「One more time」で『桜木町で』と歌うと、泣けるわよ、私。
消防署の裏でも、浜松町でも、新富町でも、四谷駅でも、「町田ジョルナ4階」でも立ちすくむわ。
フリーズドライの心に熱湯注ぐようなものよね、17才でも22才でも27才でも、あっという間にその日の自分に戻っちゃうんだから。
私を去った人たちは、そこんとこまで想像が及んでいたのかしら。

「恋人」というのは人生最大のプロデューサーだと割り切って恋愛できるほど器用じゃないものね。でも、気が付けばその人たちを肥やしに、私は育ってきてはいるんだわ。
過ぎ去った恋は、ひと晩泣いて、3日甘いものを食べて、あとは引きずらないように器用に生きられれば楽なんだけど。

とりあえず、人生の先輩に「清少納言」と「和泉式部」がいる、というのは財産だわね(笑)。「紫式部」?あんまり役に立たない気もするけれども、とりあえずポケットには入れておきましょう。

2009年05月24日 02:44

蚊一匹殺せなくなったことがある。
丁度生物で「遺伝子」を習った頃だ。
「と言うことは何ですかい、この羽虫一匹にも、もしかしたら私のご先祖様のDNAがあり得るってことですかい?」
と、思ったら、もう叩けなくなった。刺されて痒いのなんのって。
しかし、思い直した。私が蚊になったら
「おーおー、おもいっきりしばきよる。元気な子孫で良かったのう。」
と思うだろうな、と考えて以来蚊は盛大に叩くようにしている。
公団の住宅に住んでいるが、網戸がない。
すぐに引っ越す予定が、気が付けば5年目、公団はサイズが特殊なので、新居を建てても使い回しできないからだ。
家が建つ見込みはまったく立たず、ああ、今年も盛大に刺されまくるんだろうな。
少し手加減してください、ご先祖様。

山口百恵さんの出身地です(年バレ2009年05月25日 00:06

描いた絵を額装しようと横浜の画材屋へ行ったら、残念定休日。
突如思い立って、ドッコイさんとふたり、横須賀へ「ネイビーバーガー」を食べに。地理カンが全然無いので、駅前のローソンのお姉さんにドブ板通りの店を教えてもらって(ありがとうございました)レッツラゴー!

出てきたのは・・・
「クォーターを」と頼んだのにでっかい!
「挽肉」というより「引きちぎり肉」と言った方が良いほど荒い!!
ポテトてんこ盛り。サンデー頼んだら「ミルクシャーベット」みたいに、これまた荒い!・・・んまかったです。
しかし、これ毎日喰ってたらオソロシイ事になるな(笑)。
と思いつつすれ違った外国人さんは、腰が私の顔の高さにありました。
「カンナ〜!!」
と横須賀の海にむかって叫んで帰って参りました。
(のぼり旗があるのは分かるけど、店内に「横須賀市長のサイン色紙」があるのには笑ったぜ。)

もつれ2009年05月26日 02:50

あー、ビックリした。
いきなり「アラサー」とか「アラフォー」とか言い出すんだもの、日本国中UFOに悪い病気もらったのかと思った。
んなこといわなくたって日本には「○十もつれ」という美しい言葉があるじゃないの。(わたしゃ「四十もつれ」です、ハイ)
私が許すのは、還暦の「アラカン(鞍馬天狗じゃないのよ・笑)」だけである。
尊敬する萩尾望都先生が先日5/12に「アラカン」を迎えられた。
めでたいことである。(オキュパイテッド・ジャパン生まれよ。)

とりあえず来週の予定は市民ホールに「小林幸子コンサート」を聴きにいくこと。
(アラフィーなのだろうか?)
「紅白の衣装も登場!」だそうで、楽しみである。

雨の音が聞こえる2009年05月28日 13:44

彼女が
「今夜は雨になるかも知れませんね」
と言ったのが夕方6時。日銭稼ぎの客商売だもの、雨はしんどかろ。
「まだツバメが低く飛んでないから大丈夫。」
と、私。
私たちは別れ、私は家に帰った。
夜9時を過ぎて、雨の音が聞こえだした。

アルペンホルン2009年05月31日 01:51

あー、長かった!
何がと言って、アルペンホルンである。あの傾斜地で育った杉や檜の曲がった木の根元を生かして一本の木をまるまるくりぬいて作るスイスの木管楽器のことさ。
ドッコイの叔父さん夫婦が信州のアルペンホルンクラブに属していて、厚木で各地同好会の合同コンサートがあるというので、行ってきた。
大舞台を半円形にずらりと並ぶホルン50本は迫力であった。叔父さんの奥さんはカウベル振ってたしな。ホルンはお手製である。3ピースくらいには別れるらしいが、私がドッコイに言ったのはただ一言、
「頼むからアルペンホルンにだけはハマらないでね。」
収納しきれるもんか。

あ、音?最高でした。
スイス大使も来ていたけれど、日本語スピーチ上手かったわ。