「あらら、で、4月」 ― 2009年04月10日 18:19
いや、参ったね〜。
薬の処方が変わったと思ったら、3週間で8キロも体重増えちゃった。
私は「薬の副作用」に本当にひっかかりやすい体質で、中学で腎臓悪くしたときは62以上あったし、養母が逝った時には38しかなかった。(さすがに風に足元すくわれそうで困った。)ものすごい勢いで、増えたり減ったりするヤな体質である。
仕方ないから、いまは花粉症の薬飲んで(むくむんだ、コレも)、桜見がてらテコテコ歩いている。
あぁ、地味だなぁ。(いや、桜は華やかだけどさ)
ついでに馴染みのお茶屋さん行って茶飲み話したり、豆腐屋の裏のお稲荷さんにドッコイ無事帰国のお礼参りに行ったり、酒屋のおじちゃんと立ち話したり、ついでにお米屋のおばちゃんに「あきたこまち無洗米5キロ」の配達の伝言のなんか頼んだり、こう、私って「骨の髄まで地味」なのよね。
私を煮詰めても、きっと「醤油だし」しか取れんぞ。
その「醤油」だが、ドッコイさんが糖尿なので、本日ついに「低塩醤油」をハコ買いしました。結構なお値段だけど、まーこれで「健康を買った」と思えば。
政治屋さんが「世の中の景気づけ」になんぼかくれるそうで、我が家では多分「エンゲル係数100」で食べ物に消えるでしょう。レトルトとジャンク抜きの、野菜と豆と魚の生活って食費かかんのよ。
あぁ、もうっ!ビンボウ〜!!(笑)
おとうちゃんの入院はあと1ヶ月半は延びるそうで、おかあちゃんは疲れまくってて、いつ用があってもいいように黒のスーツをタンスから出したままの生活って、ヤだよね。
それが現実だけど。
ドッコイはいつも古い地図には載っていないような、アフリカや東南アジアや中南米の治安の悪い新興国へ行っているか、日本で朝5時半起きして終電で帰ってくるか、どっちかだ。冷蔵庫の中は切らさないようにインシュリンぎっちりだし。
それも現実だけど。
笑って生きてなきゃ、やってらんないわ。
三遊亭圓歌のCD「中沢家の人々・決定盤」でも聴こう!
あ、そのまえに「阿久悠・人間万葉集」のジュリーを聴こう!!
こんな4月でございます。
薬の処方が変わったと思ったら、3週間で8キロも体重増えちゃった。
私は「薬の副作用」に本当にひっかかりやすい体質で、中学で腎臓悪くしたときは62以上あったし、養母が逝った時には38しかなかった。(さすがに風に足元すくわれそうで困った。)ものすごい勢いで、増えたり減ったりするヤな体質である。
仕方ないから、いまは花粉症の薬飲んで(むくむんだ、コレも)、桜見がてらテコテコ歩いている。
あぁ、地味だなぁ。(いや、桜は華やかだけどさ)
ついでに馴染みのお茶屋さん行って茶飲み話したり、豆腐屋の裏のお稲荷さんにドッコイ無事帰国のお礼参りに行ったり、酒屋のおじちゃんと立ち話したり、ついでにお米屋のおばちゃんに「あきたこまち無洗米5キロ」の配達の伝言のなんか頼んだり、こう、私って「骨の髄まで地味」なのよね。
私を煮詰めても、きっと「醤油だし」しか取れんぞ。
その「醤油」だが、ドッコイさんが糖尿なので、本日ついに「低塩醤油」をハコ買いしました。結構なお値段だけど、まーこれで「健康を買った」と思えば。
政治屋さんが「世の中の景気づけ」になんぼかくれるそうで、我が家では多分「エンゲル係数100」で食べ物に消えるでしょう。レトルトとジャンク抜きの、野菜と豆と魚の生活って食費かかんのよ。
あぁ、もうっ!ビンボウ〜!!(笑)
おとうちゃんの入院はあと1ヶ月半は延びるそうで、おかあちゃんは疲れまくってて、いつ用があってもいいように黒のスーツをタンスから出したままの生活って、ヤだよね。
それが現実だけど。
ドッコイはいつも古い地図には載っていないような、アフリカや東南アジアや中南米の治安の悪い新興国へ行っているか、日本で朝5時半起きして終電で帰ってくるか、どっちかだ。冷蔵庫の中は切らさないようにインシュリンぎっちりだし。
それも現実だけど。
笑って生きてなきゃ、やってらんないわ。
三遊亭圓歌のCD「中沢家の人々・決定盤」でも聴こう!
あ、そのまえに「阿久悠・人間万葉集」のジュリーを聴こう!!
こんな4月でございます。
鬱金桜(うこんざくら) ― 2009年04月12日 13:23
私の住む街ではおとといの強風でソメイヨシノが花吹雪、今朝あたりからベランダに見える濃紅の八重桜がぽてりぽてりと灯りはじめた。
古い(築40年!)団地に住んでいるのだが、一重と八重との美事な桜並木で、3月の終わりから4月半ばまで桜を楽しめる。
一重はソメイヨシノに統一されているのだが、八重はいろいろ、限りなく白に近い淡紅から色混じりの撫子桜、濃紅まである。
中で一本、どう紛れ込んだのか、とってもめずらしい緑色の花を咲かせる「鬱金桜」がある。
中心部に軽く紅を含むが全体は薄緑で、桜の精は男性だというから、これは殿方が居並んでいるなかにひとりまぎれこんだデヴィット・ボウイみたいなものか。
みな四方に枝を伸ばしているのに、この1本だけは「珍しいから」と下の方の枝を手折ってしまう人がいるのだろう、とってもスレンダーである。
この鬱金桜、以前はご近所にも庭に植えている家があって、季節になるとようかんを一棹持って行って、頼んで分けてもらい、西洋画を専攻していた(今は水彩)親しい先輩の所に届けるのが年中行事だった。
気さくな先輩は学年差などまるで気にせず無邪気に喜んでくれたのだが、今にして思えば私はこの「絵を描くことを人生のテーマに決めた」人に、あこがれ、恋をしていたのだと思う。
「桜花 今そ盛りと 人は言へど
我はさぶしも 君としあらねば
(万葉集・18巻・4074/大伴池主)」
・・・桜の花は今が爛漫だとみんな言うけれど、
私はさびしいの、一緒に見るあなたがいないから・・・
父の瞳 ― 2009年04月13日 04:24
父が3日ぶりに目を開けたという。まなざしはまだ戻らないが。
肺の部分が真っ白のレントゲンは変わらないが抗生物質の名前は変わり、
「長い峠を越えた」
というのだろう。
この先家にまた戻れるかは分からないが、もしも意識が戻ったら
私のことを見つめて欲しい。
どうして昔、子供だった頃、父のまなざしを嫌っていたのかは
「父娘だったから」
としか答えようがない。
どうして今、こんなにも見つめ合いたいと思うのかは
「父娘だから」
としか答えようがない。
家事をしながら、食事をとりながら、パソコンの前で考え事をしながら、
半分眠って半分起きているような日々を過ごしたが(いつでも走り出せるように)
今は薬を飲んで、これから「眠る」。
肺の部分が真っ白のレントゲンは変わらないが抗生物質の名前は変わり、
「長い峠を越えた」
というのだろう。
この先家にまた戻れるかは分からないが、もしも意識が戻ったら
私のことを見つめて欲しい。
どうして昔、子供だった頃、父のまなざしを嫌っていたのかは
「父娘だったから」
としか答えようがない。
どうして今、こんなにも見つめ合いたいと思うのかは
「父娘だから」
としか答えようがない。
家事をしながら、食事をとりながら、パソコンの前で考え事をしながら、
半分眠って半分起きているような日々を過ごしたが(いつでも走り出せるように)
今は薬を飲んで、これから「眠る」。
父逝く ― 2009年04月14日 02:23
あまりにも突然に容態が急変し、父は逝った。
お葬式と里芋 ― 2009年04月16日 22:36
よほど日頃の行いがよろしかったのであろう、昨日は、前夜の雨がウソのようにカラリと晴れて、青空のもと父のお葬式であった。
と、いっても故人の希望により
1・誰にも知らせず
2・お金もかけず
3・寺でなく、戒名もいらず
4・後日三宅島の海に散骨
・・・・ということで、斎場で、母とドッコイさん(夫)と私の3人だけ。
棺には使い慣れた英和辞典と、最後に「読みたい」といって取り寄せた正岡子規の「病床六尺」を入れた。お気に入りの帽子も、父の匂いがするのでよく嗅いでからかぶせた。
総額19万8千円の、ほんの1時間ちょっとの葬儀。
煩雑な、年金や相続の手続きはこれからである。
式が終わってから実家に戻って、昨日三宅島の知人が送ってくれた里芋の煮っ転がしやおにぎりで昼食。三宅の「赤目」という江戸古来の古品種の里芋はやはり美味しく、父はこの栽培の名人で、伊豆七島最大の会社・東海汽船が「株主へのお歳暮に」と買い付けに来るほどであった。
島の人たちは相変わらず底抜けに親切で、父が倒れた後も畑の手入れをしてくれたり、こうして新芋を送ってくれたり、まるで「親戚通り越して兄弟」のような優しさなのである。東京に出せば高級料亭用なんかで、たまに高級スーパーで見つけると3つで千円くらいする。「あしたば」と並んで、島の貴重な現金収入源なのだが、損得勘定抜きの人づきあいが、三宅島には、ある。
父も父で
「パソコンを覚えたい」
という島の人のためには秋葉原での買い付けから島での毎日指導のアフターケアまで。進学希望の子の家庭教師もして、集落(200人ちょっとしかいない)初の国大合格者を育てたり、まあ、島の「寺子屋の先生」みたいなことを無償でやっていたので、その積重ねが信頼へと繋がっているのだろう。
「良く生きた人だったなあ」
と、今思う。戦争体験や父子家庭、エキセントリックな生活で親子のつきあいは下手だったけれども(見よ、兄はついに葬儀にもこなかったぞ)、善良で聡明な、無駄な欲のない(なさすぎる・笑)人だった。
悲しくはあるけれど、まだ「逝ったのだ」という実感はわかない。
ただ、「ああ、これでもう父は苦しみから解放されたのだ」と思う。
涙の流し方はまだ分からないから、明日の課題としておこう。
と、いっても故人の希望により
1・誰にも知らせず
2・お金もかけず
3・寺でなく、戒名もいらず
4・後日三宅島の海に散骨
・・・・ということで、斎場で、母とドッコイさん(夫)と私の3人だけ。
棺には使い慣れた英和辞典と、最後に「読みたい」といって取り寄せた正岡子規の「病床六尺」を入れた。お気に入りの帽子も、父の匂いがするのでよく嗅いでからかぶせた。
総額19万8千円の、ほんの1時間ちょっとの葬儀。
煩雑な、年金や相続の手続きはこれからである。
式が終わってから実家に戻って、昨日三宅島の知人が送ってくれた里芋の煮っ転がしやおにぎりで昼食。三宅の「赤目」という江戸古来の古品種の里芋はやはり美味しく、父はこの栽培の名人で、伊豆七島最大の会社・東海汽船が「株主へのお歳暮に」と買い付けに来るほどであった。
島の人たちは相変わらず底抜けに親切で、父が倒れた後も畑の手入れをしてくれたり、こうして新芋を送ってくれたり、まるで「親戚通り越して兄弟」のような優しさなのである。東京に出せば高級料亭用なんかで、たまに高級スーパーで見つけると3つで千円くらいする。「あしたば」と並んで、島の貴重な現金収入源なのだが、損得勘定抜きの人づきあいが、三宅島には、ある。
父も父で
「パソコンを覚えたい」
という島の人のためには秋葉原での買い付けから島での毎日指導のアフターケアまで。進学希望の子の家庭教師もして、集落(200人ちょっとしかいない)初の国大合格者を育てたり、まあ、島の「寺子屋の先生」みたいなことを無償でやっていたので、その積重ねが信頼へと繋がっているのだろう。
「良く生きた人だったなあ」
と、今思う。戦争体験や父子家庭、エキセントリックな生活で親子のつきあいは下手だったけれども(見よ、兄はついに葬儀にもこなかったぞ)、善良で聡明な、無駄な欲のない(なさすぎる・笑)人だった。
悲しくはあるけれど、まだ「逝ったのだ」という実感はわかない。
ただ、「ああ、これでもう父は苦しみから解放されたのだ」と思う。
涙の流し方はまだ分からないから、明日の課題としておこう。
それなりにショック ― 2009年04月17日 00:26
父の葬儀の後、歯医者の予約まで数時間があるのでちょっと横になったら、そのまま動けなくなり、今まで寝ていた。
こういうのを
「ショックのあまり寝込む」
というんでしょうかねぇ、その割りにはぞろっぺえだけど(笑)。
そんな中にも人との出逢いがあり、明日には歯医者行かないと・・・。
こういうのを
「ショックのあまり寝込む」
というんでしょうかねぇ、その割りにはぞろっぺえだけど(笑)。
そんな中にも人との出逢いがあり、明日には歯医者行かないと・・・。
寝込むにもほどがある ― 2009年04月21日 17:46
なんのこっちゃない、水曜日の葬儀の後、いままで寝込んでいて、ここに私のファザーコンプレックスは立証されるわけである。
なにしろ月曜日、行ったら死んでたからな。
「危篤です、すぐ来てください」の報に駆けつけたわりには、医師もナースもいなくって、とりあえず「おはよう」のチウをしてからナースステーション行ったら
「亡くなられましたよ。」
だもんな。知らないでチウしちゃったよ。(まだあったかかった。)
(もっとも、養母の時にも、友引を挟んで私は毎日葬儀場にキスしに通っているのであるが。)アカデミー賞を受賞した映画「おくり人」は、絶対観なければ。
実は養母を送った後、「喪」の仕事に興味があって、何回か巣鴨にあるビジネススクールの特別講習に行ってはいるのである。最初の
「まず正座が出来なければなりません。」
の一言で、あきらめたのだが(笑・あ、お会いしたことのない方へ:私は杖を使って歩いております)。
足腰は立たんわ、歯は痛むわ、目はかすむわ、食欲ないは(これはこれでダイエット?・笑)古い盲腸まで今になって痛み出して、もう「不調てんこ盛り」状態である。
困ったモンだ。
なにしろ月曜日、行ったら死んでたからな。
「危篤です、すぐ来てください」の報に駆けつけたわりには、医師もナースもいなくって、とりあえず「おはよう」のチウをしてからナースステーション行ったら
「亡くなられましたよ。」
だもんな。知らないでチウしちゃったよ。(まだあったかかった。)
(もっとも、養母の時にも、友引を挟んで私は毎日葬儀場にキスしに通っているのであるが。)アカデミー賞を受賞した映画「おくり人」は、絶対観なければ。
実は養母を送った後、「喪」の仕事に興味があって、何回か巣鴨にあるビジネススクールの特別講習に行ってはいるのである。最初の
「まず正座が出来なければなりません。」
の一言で、あきらめたのだが(笑・あ、お会いしたことのない方へ:私は杖を使って歩いております)。
足腰は立たんわ、歯は痛むわ、目はかすむわ、食欲ないは(これはこれでダイエット?・笑)古い盲腸まで今になって痛み出して、もう「不調てんこ盛り」状態である。
困ったモンだ。
まことにもって申し訳ございません! ― 2009年04月21日 18:08
たった今さっきまで、自分の文章にコメントが付いていることを知りませんでした〜。(ひょえぇぇぇっ!)でもって、どうやってそのいただいたコメントをアップしたらいいもんだかガチャガチャやっておりまして、やーやっと、書き始めます。待っててね。
自由に書きたい ― 2009年04月27日 20:02
このブログ、「123」と打つときの『「』と『1』の間隔が0.2ミリ広すぎる。妙なクセである。これが気になって仕方ない。
色の付いた文字を使いたい、書体を替えたい、ポイントを替えたい。
こんな不平、並べても仕方ないけれど、早くブログではなくサイトに戻りたい。
色の付いた文字を使いたい、書体を替えたい、ポイントを替えたい。
こんな不平、並べても仕方ないけれど、早くブログではなくサイトに戻りたい。
「大阪ハムレット」 ― 2009年04月29日 02:25
観たい「おくり人」の上映館を調べてみたら、なんと「大阪ハムレット」と2本立て。しかもキャパの小さい飯田橋の映画館であった。ゴールデンウィークは混むぞ〜、くわばらくわばら。少しずらして行こう。
「大阪ハムレット」これは「少年アシベ」の森下裕美さんのマンガである。手塚治虫文化賞と文化庁メディア芸術祭ダブルどりしている。
まあ、とにかく1巻目を読んでごらんなさいな。すっごくおもしろいです。
「大阪ハムレット」これは「少年アシベ」の森下裕美さんのマンガである。手塚治虫文化賞と文化庁メディア芸術祭ダブルどりしている。
まあ、とにかく1巻目を読んでごらんなさいな。すっごくおもしろいです。
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