小春日和2023年11月24日 22:11

明日には年末並みの寒波が来るそうだが、ウチの町小春日和。
「あ~いいお天気~♪」
と郵便局の出口でのびしたら、歩いてきた紳士に
「本当に、雲ひとつありませんなぁ」
と話しかけられてしまった。
お天気談義に花咲かせて、こんどは坂道で杖付き同士おばあさんとすれ違って、明日からの寒波がコワイともうひと花おしゃべり。
行きつけの調剤薬局にダブって買ってしまった「サザエさん・秋号」待合コーナーに置いてくれませんか?と持っていったら薬剤師さんたちに
「いや~、これは懐かしい!」
とお礼を言われワイワイ、小春日和はなんだかみんな「おしゃべりを楽しみたいモード」でにぎやか。

高齢者の町は、心開けばみんなとても人懐っこい♪

ドッコイ氏退院!2023年06月02日 17:20

なんとドッコイ氏、もう退院。
心臓の場合平均入院日数は2ヶ月超える、とも言われているし、覚悟していたのだが、「最短で…」と医師に言われた予定より更に1周間早い「スピード退院」である。
本人も私も、何より担当してくれた医師がビックリしている。
ハッキリ言われた。
「色々調べたのですが、医学的に説明つきません」

ドッコイ氏、入院したときの心臓カテーテル手術画像では、ばっちり「動脈瘤があります」
だった。
私の世代で「動脈瘤」といえば石原裕次郎である。
破裂したら死んじゃう可能性大。
ので、「入院中に『動脈瘤破裂』なんてことになったら、私、未亡人になっちゃうのね」と、覚悟を決めた。
…のだが。
途中経過説明を受けたら、なんと
「動脈瘤、なぜか自分から小さくなっています」
「血管が詰まったところに動脈瘤という『血液のため池』が出来たので、そこから詰まった先の血管に血液が少しづつ流れていて、心臓の筋肉が生きています。血管が詰まった先の筋肉が死んじゃうのが『心筋梗塞』なんですが…なんでなのか…」
入院した時点で
「この先動脈瘤を切除する手術をしなけらばいけなくなるかもしれなくて、その場合入院は延びます」
と告げられていたのだが、
「これなら1週間早く退院しても大丈夫です」
まあ。
で、退院前日に最後の説明があったのだが、
「血液のつまりがとれて、その先の血管も復活しました。病名は『心筋梗塞』で間違いないのですが、心臓の筋肉ほとんど『ノーダメージ』というめずらしいケースです。医師が集まっていろいろ分析したのですが、なんでこうなったのか理屈では説明つきません」
医学用語では「奇跡」という表現はないが、担当の若い女医先生、たぶんおなかの中ではそう思ってるんだろうなあ…というカンジ。

まあ、塩分制限とか毎日の薬が増えたりとか定期的検査とか、今後いろいろあるのではあるが、ひっくり返っちゃったときの
「いったいどうしよう?」
は無事解決、ということで
「メデタシメデタシ」
なのであった。
お騒がせしました。

インドは「危ない」そうです2023年05月22日 19:04

近くのインド料理屋、いつもデリバリーを頼むので配達のお兄さんと仲良くなった。
「今日は暑かったけれど、インドも暑いでしょう?」
と聞いたら
「インドでは『暑い』じゃなくて『危ない』ヨ」
ですと。うーん、なるほど…

ドッコイ氏、心筋梗塞2023年05月12日 23:09

いや、参った参った。
夫・ドッコイ氏がなんと心筋梗塞である。

朝4時に
「息苦しい、胸も痛い、狭心症かもしれない」
と、ゆすり起こされて、救急車で病院へ。
ストレッチャーのお世話にもならず自力で乗り込んだので、
「まあ、たいしたことないでしょ」
と思っていたら、さにあらず。
市民病院の救急搬送口にたどり着いたとたん、医師もナースさんも走っている。
いつまでたっても処置室から出て来ない。
やっと呼ばれたら、
「心筋梗塞の可能性が極めて高い(9割以上)なので、心臓カテーテルの手術をしたい。同意の書類にサインを」
と告げられえて、初めてことの重大さに気づいた。

ICU(集中治療室)送りである。
どうなるのかな。
とにかく医師から
「心筋梗塞の場合、3分の1は病院に辿り着く前に、自宅で、救急車の車内で亡くなります。ちゃんと病院にたどり着けて処置を受けられたのは、ラッキーでした」
と言われて、やっと、
「あ、私、未亡人になるか否かの瀬戸際だったのね~」
と気づいた。やれやれ。
還暦で後家さんにならずに本当にヨカッタ。

この先どうなるのかは分からないけれども、まあ、ドッコイ氏が生きているという事は、私にとってものすごく大切なことなので、腹を据えてやっていこうと思う。
人生ってまったく、何がおきるか分からないもんである。

東京の雪2023年02月10日 23:59

東京で雪が降っている。
この冬初めての積雪である。
東京は雪に弱い。
江戸・明治には人力と(旧江戸はとにかく水路の街だったので)水運でなんとかなったが、電車・自動車頼みの戦後高度成長昭和以降は「雪に対して打つ手なし」になってしまった。東京23区なんて積雪5センチ以下でも「大雪警報発令」騒ぎなんである。10センチ超えると救急車で搬送されるケガ人が軽く200件こえてしまう。
首都高速環状線は片っ端から入り口閉鎖になるし、電車やバスは遅れたり間引いたりストップしたりで、人の流れも物流も大騒ぎである。
乗換駅なんかホームから人がこぼれてしまうので改札を閉鎖して、駅の外まで十重二十重の大群衆で、帰宅ラッシュに重なると、もうとんでもない混乱になってしまう。
東京とそれを取り巻く首都圏は、とにかく人が多すぎるのだ。
大問題なのはこの雪が都立高校の受験スケジュールとかぶってしまっていることで、浅草・新宿・渋谷あたりはすでに雨になって積もらないらしいが、東京の西、八王子や青梅はもう「山」エリア、どんと積もるし溶けない。中3の受験生を交通遭難者にするととんでもないことになってしまうので、受験会場である高校前の坂道の除雪から、昼の弁当を入手できなかった受験生のカロリー補給、試験が終わっっても無事に家に帰りつけるかの心配、と、もう職員総出で大変な状態らしい。
センター入試といい公立高校、私立受験といい、なんで日本列島一番厳しい季節にやるのかなあ。
冬入試は中国・韓国、東アジアには多いけれど、世界全体では「夏前入試で新入学は秋から」が多数派だ。海外から日本への「留学生」は、半年待機しなければならないのが現状で、これが日本の大学への積極的留学を阻む大きな壁になっているという。
桜咲く中、心新たに「ピカピカの1年生」というのはとっても美的ではあるけれど、地球温暖化で「日本は夏猛暑冬豪雪化がますます進むだろう」なんて予測を耳にすると、このままで大丈夫かな、とも思う。

新年・パソコンついに買い替え2023年01月01日 15:01

パソコン、古いのをだましだまし使ってきたが、いよいよ寿命。
いろいろ必要なものはどんどんバージョンアップしてしまったし、最近はもっぱら布団の上での御出座しになっているのだが、バッテリーが2時間半しかもたなくなってしまった。
はっきりいって、これでは「ちょっとした作文」も出来ない。

で、年末ヨドバシへ。
店員さんと延々吟味して、なんとか工面した財布内ぎりぎりの額で、いちばん新しいのを入手。
私はメカに関してはとことんオンチなので、冬の休暇に入ったドッコイ氏に数日がんばってもらって、本日お目見えである。

1月1日デビュー、とってもめでたい。
なんとバッテリーは最長19時間半、文字のポイントもぐんと大きくなって、こんなに使いやすくって、もう一体全体どうしよう状態なんである。(「アラ還」でいきなり目が悪くなって、ものすごく困っていたので助かった)

兄の死のダメージが最期の悪あがきしているのか、鬱がこじれて「離人感出まくり」状態で、ここしばらくえらく大変だったのだが、年も改まったし、パソコンも新しくなったし、元旦の朝晴れて風なし近所の森の公園を散歩して来たしで、ここは自分に活を入れて、踏み出してみるのもいいタイミングかもしれない。

なにしろ兄が死んでからもう2年経っちゃったのだ。
兄は私にとって良くも悪くも絶対的存在だったのだが、そろそろ「引きずられるのも終わりにしましょうね」の時期が来たのかもしれない。

とりあえず2023年は「前向きモード」からスタートしてみます。よろしくおねがいします。

「良いお年を」と言えるコツ2022年12月13日 17:01

今年最後の病院の日で1年の総めくりをして薬局への細い裏道を歩いていた。ら、難儀をしているお婆さんと出会った。
 年はたぶん80~85。細くて小柄で、杖こそないが足元がつらそう。が、重そうな段ボールを必死に両手で持っていて、転んだりしたら手もつけないでケガすること確実である。で
「お手伝いしましょう」
と杖と反対の空いている手で段ボールの底を支えた。
「夫が車で迎えに来るところ、すぐですのでいいです。すみません」
確かにそれらしい車はあと15メートルくらい、でも前に配送車が止まっちゃってるんでちょっと時間かかるみたい。フタのしていない段ボールの中味は、ちらっと見たらリンゴとジャガイモと玉ねぎとお餅で、確実に重たい。すみませんすみませんとしきりに謝るが、高齢者のサポートの場合
「してあげましょう」「すみません」
では相手の心にいらん負担をかけてしまうんで
「させてください」「ありがとう」
と気持ちよく受けてもらわなければいけない。
すぐそこで運転席にいる夫の方はと見ると、目の前の配送車にハンドル握ってイライラしているらしく、こっちに視線回して、ドア開けて重い段ボールの荷物受け取りに来る、とっさの機転が効かないみたい(おじいさんにはありがちである)。細いとはいえ人通りのある道で、ふたりで動くと危ないんで
「ダンナさまがここへ来るまでの間ここで支えさせてくださいね」
と立って待つことにした。
「すみません、すみません」
とひたすら恐縮モードなんで、方向変えなきゃ、ということで
「気ぜわしい季節になって買い物も大変ですよね。コロナだ物価高だで大変ですけれど、でもお正月は来るんですねえ」
と笑いかけてめでたい方に持っていったら、やっとお婆さんのモードも変わった。ニッコリして
「本当ですねえ、もうすぐお正月なんですね」
「車で迎えに来てくれるなんて素敵なダンナさまですね」
と答えたら、こっちに耳寄せて小声で
「とんでもない、わがままで身勝手、私の事なんてなんにも分かっちゃくれません」
「ああ分かります、男の人ってそういうトコあります、ウチもそうですよ。でも、なにかいいところもおありでしょう?」
「いいえいいえ、いいトコなんてひとつもあるもんですか」
そのとき目の前で車が止まって、渋い顔した、明らかに待たされて不機嫌なおじいさんが降りてきた。こりゃいかん。
「ああ、頼もしいご主人様の登場ですね、お待ちしてましたよ!」
ととびっきりの笑顔を向けたら、おじいさん急にご機嫌になってニコニコ顔で荷物受け取って、トランクに積みにいっちゃった。
私の場合、仕事の性質上クライアント高齢者男性と沢山会った。難しい性格の義父とのつきあいで「しゅうととヨメの良好な関係」を維持することで、はっきりいって「大学院修了」レベルだと思う。明治生まれの養母の介護というのもあって高齢女性とのつきあいも多かった。心ほどくには「男は立てる・女は気持ちよくなってもらう」のが、まず一番の基本である。
お婆さんの耳元で
「ダンナさまのいいところお正月までにひとつ見つけてくださいね」
とささやいたら、私の腕を取って
「あなたのようないい人に会えて今日は本当に良かった。ありがとうございます。良いお年をお迎えください」
と笑顔で言ってくれた。
「私もお会いできてよかったです。ありがとうございます。良いお年を」
と、笑顔で別れる事が出来た。

日本の人間関係というのは、どんなに難しい状況設定でも、互いに
「会えてよかった、ありがとう」
と、めでためでたしで別れるのが一番である。

ましてや年の瀬の場合、絶対である。

告別式の貼り紙2022年07月04日 01:38

自治会の掲示板に告別式の告知がぺらんと貼ってあった。

年寄りの多いご町内、亡くなったという話は年に何度かあるが、今は葬儀社のスペースで行うのが普通で、昔のように「狭い自治会館の和室を借りて、家族とご近所さんでお通夜」というのは絶えて久しい。告知も電話連絡で、貼り紙はまずめったにない。
告別式は駅そばの葬儀会館とのことであった。
90のおじいさんである。
夫ドッコイ氏が自治会の役員なので訪ねたら、
「ああ、もうとっくに引退したけど,以前毎年自治会の役員つとめて、『遣り手の自治会長』として有名人だった〇〇さん。
引退後はすぐそこの小学校の前で子供達のために黄色い旗ふってたおじいさんだよ」
あ、それなら知ってる人だ、毎朝ニコニコ子供達を渡らせてた横断歩道の、あのおじいさんかー。
雨の日も風の日も大変だったよな。
私が渡るとき
「おはようございます、ありがとうございます」
って挨拶したらニッコリいい笑顔だったよな。

しかし、私は彼のもう一つの顔も知ってるんだ。
子供の登校時間を過ぎてバスに乗ったとき。
最初はわかんなかった、旗も黄色いキャップも安全ベストもないから。
ただ「妙に似たおじいさんだなあ」と思った。
顔がね、エンマ様そっくり、おっかないの。
で、ものすごく不機嫌そうにふんぞり返って席に座った。
でも、やっぱりあの「横断歩道ではニコニコえびす顔の黄色い旗持ったおじいさん」に間違いなかったの。

人は何かしら複数の顔を持っているもんだ、多かれ少なかれ。
伝説の「遣り手の自治会長」とは、そういうことでもあるのかもしれないし。
「立場が変われば人格も極端に変わる人」というのは、決してめずらしいものではない。
それがいいのか悪いのかは、一概には言えない。

池波正太郎の「鬼平」だったか、裕福な篤志家の商人が捕まえてみれば大盗族のボスというのがあったな。
まったくもって、人は一面では測れない。

白い切符2022年06月15日 04:31

ローマで地下鉄に乗ったのは、もう前世紀末のことだ。
不況も不況、もう国家破産するんじゃないかってくらいの不況のどん底で、イタリアは溢れる難民と失業者の群れでどうしようもなくなっていた。
道を歩くと難民の子供スリ集団がウロウロしていて、観光客の日本人、気が抜けない。
買い物しても、当時の貨幣リラ、小銭のコインが不足していて,細かいお釣りの端数はキャンデー1つ2つで渡される始末である。

地下鉄に乗った。
券売機で切符を買って唖然とした。
駅名も料金も記載されていない、ただの白い紙っぺらである。
だがそれでみんな平然として改札を通っていく。
日本の切符をご存じの方ならお分かりでしょう。
まず地紙に偽造防止の薄い印刷がある。そこに印字がある。それが交通切符。
しかし,なんにも無いんである。
ただの白い紙っぺら。
それで通ってちゃったんである、当時のイタリアって国は。

しかし。
ホテルに戻ってキヨスクで買ってきた「TVガイド」片手にテレビを見た。
新藤兼人監督・乙羽信子主演の映画「鬼婆」なんかやってる。
日本のアニメ「シルバニアファミリー」なんかもある。
で、ふとコメディー番組に目がとまった。
言葉はまるで分からない。
けれど、ものすごくおもしろい。
何と言っていいのか,間合いが絶妙で目が離せなくなっちゃうんである。
これがイタリアという国のセンスかと思った。
ああ、この国は大丈夫だ。たとえ今どん底だろうと。
案の定,今イタリアは大丈夫である。しっかり立ち直った。

日本は今とんでもない危機にある。
ものすごい額の国家赤字を抱えて,これで世界大恐慌とか大地震とか、来ちゃったらどうするの?与党の皆様よ、日銀よ。

でもまあ、駅の切符が白い紙で出ようが、立ち直れるときは大丈夫。
なんとなれば駅の自動改札は無条件で人を通すセキュリティー機能がある。
これは「駅の自動改札システム」を発明して特許取ったエンジニアの娘だから、自信を持って言っちゃう。
白い切符が発券されても,胸を張って改札を通りなさい。
互いにウソをつかない、信頼し合う、というルールの下に、日本人はあるのだ。
「日本でわざと財布を落とすと50回が50回とも返ってくる」
という実証実験をしたアメリカの学者さんがいたが。
守るべきモンを守ってりゃ、社会秩序は保たれるんである。

ただね。
無収入なのに「去年からコロナでこれだけ損益がありました」って申告して、「だから給付金下さい」って申告しちゃった人。
それはウソだから止めなさい、もらっちゃたら返しなさい。
みんなが納めた税金の、ウソつきドロボーだから。

スイスイスイ2015年07月22日 17:17

私は杖使いで、靴を履くと片足痛い。

昔は健脚で毎日7キロ、多いときには14キロ歩いていたのがウソのようだ。
この「痛い足」というのは私を歩かせないし(杖を使ってもへっぴり腰で姿勢の悪さからますます悪くなっていく)、歩かないと足指の筋肉が逃げてますます歩けなくなるので、とんだ悪循環である。

しかし、この「痛む足の裏」には特技があって、バスで座っていて運転手さんのテクが一発で分かるのだ。荒っぽい運転手さんだと足も痛いし、上手い運転手さんだと痛くない。

今日乗ったバスの運転手さんは、いや、湖を泳ぐ白鳥のようにテクニシャンだった。
発信、停止、まったく無駄な力が入っていない。
上り、下り、右折、左折もスイスイとすべるようにいっちゃって、いつものバス道があっという間だった。
そう、上手いと時間も感じさせないの。
逆に下手だと、どんなに飛ばしても荒っぽくて痛くて疲れるので困る。
上手い運転手さんが、途中渋滞なんかで時間がなくなって、ラスト飛ばすときは、
「あー、おしい!あとちょっとで無痛で着けたのに…!」
なーんて、
若くて健康な脚力で、混んだバスにがっしと立って乗っていた頃には思いもしなかったようなことを、私は考えている。