ぶらつき棒の高橋孟さん2011年06月01日 09:14

恥ずかしながら私は30になるまで「おんばひがさ」のことを、「お乳母・日傘」とは思わず「おんぶ日傘」のことだと信じていた。
上流階級の、あるいは素封家の子育ての事ね。(まあ、意味的には同じ事を考えていたわけだが)
しかし作家・田辺聖子さんは「星の王子様」の作者サン・テクジェペリを「サン・テクベジェリ」だと信じていたというし、田辺さんと組んでいい仕事をした(「ラーメン煮えたもごぞんじない」など)漫画家・高橋孟さんは「ぶっきら棒」を「ぶらつき棒」だと信じていたという。
「そういえば、オナゴにも使うなぁ。」
って、何とまちがえとったん(笑)。

高橋さんはもう亡くなったが、かつて関西漫画界の重鎮であった。
良い仕事をたくさんしたが、「東京」には弱かった。
何せ仕事で田辺さんと上京する新幹線の中で名刺を手書きしながら「ああ、どないしょう。」とぼやいていたのだから。
帰りの新幹線では「東京なんぞたいしたことないわな。」と、大阪が近づくにつれどんどん元気になったという逸話をのこしている。
ステキなお茶目さんであった。

この人の偉業は「海軍めしたき物語」「海軍めしたき総決算」を書いたことである。
軍艦霧島をかわ切りに、船を転々とし、主計課烹炊兵(炊事係)として、船の中で水兵、将校のごはんを作り続けていたのである。
萩尾望都先生も「まんがABC」で、「私は『海軍めしたき物語』を読むまで海軍にめしたきがいると知らなかった。」とちょこっと書いている。

Wikipediaにも「高橋孟」で出ているし、新潮文庫から「海軍めしたき物語」も出ている。
すごくおもしろい。船が沈没して、漂流中にサメに足を噛まれるなんて大変な体験も語られている。
機会があったらぜひオススメです。

耕せ脳細胞!2011年06月02日 08:32

(リクエストがありましたので、サイトから転載しました・ちょっとお手入れ)


根岸、という東京の地名があって、江戸をちょっと離れた隅田川の向こう側である。
昔は雑木林が広がって、大店の寮(別荘)や、引退したお金持ちの隠居所、文化人の住む、ちょっとハイソな土地だった。
だもんだから俳句の下の句にこれを入れると(江戸時代なら)なんでも一応75点になっちゃうんである。
「初雪や 根岸の里の侘び住まい」
「夕涼み 根岸の里の侘び住まい」

これを川柳にもってくると、75点は「それにつけても金の欲しさよ」である。
「初雪や それにつけても金の欲しさよ」
「夕涼み それにつけても金の欲しさよ」

こんな知恵を私に吹き込んだのは、漢詩から連歌までやっていた我が父である。
私が「武玉川」に興味を持ち始めた頃少し教えてくれたが、事故で脳挫傷、3年間寝たきりで肺炎で亡くなり、宙ぶらりんになってしまった。

「六乳の三味線で、びんほつを弾いて叱られる道楽息子」の話なんかもしてくれたな、「六乳(むつち)」は三味線の皮の最高級品、「びんほつ」は端唄の「鬢(びん・髪型)のほつれは枕の咎よ(とがよ・浮気じゃないのよ)」という、入門唄。
いうなればストラディバリで
「さーいたー、さーいーたー、チューリップーのはーなーがー♪」
と弾いて叱られる、というような話だった。

そう言う時、父はスラスラっと原典を諳(そら)んじて見せて、職業はエンジニアだったけれども「女子校の漢文の教員になる(バンカラな男子校に比べておっとりしてるから)のが夢だった」というのも、あながち冗談ではあるまい。しかし戦後、科学、科学の世の中で、受かった国文を棒に振って、理科系に進まされたのである。祖父は、こうと命じたらてこでも撤回しない人だったからね。
それも大学では蚕の人工飼料の研究、会社では最終的に原子力エンジニア。なんじゃこりゃ。

落語のテープも200本ばかり遺してくれた。
びっくりするほど良いクラシックレコードのコレクションもある。
内田百間も私のとこからかっさらった上に買い集めて、多分全巻あるぞ。
遺さなかったのは金ぐらいのもんかもしれない(笑)。

こんなこと知っていても一文の得にもならないね。ただ、すごく楽しいだけ。
金は遺し過ぎられても困る。
私の知り合いには「大会社の一族で、相続問題決着まで26年かかった」という人もいるぞ。

脳細胞は、耕しても耕しても、無償で、無限だ。

母と子のパチンコ2011年06月04日 21:04

ケロヨンといえば藤城清治さん、藤城清治さんといえばケロヨンだった世代の最期か、私は。

藤城さんは世界的な影絵作家で、今東京目黒のスタジオを公開して作品展をしているというので、TVに出ていらした。
懐かしの安全カミソリの刃を素手でもって紙を切り裂く独特の技法は、初めて映像で観た小学生の頃はビックリしたものだが、さすがプロ、もう親指と人差し指にはタコができていて、滅多なことではケガはしないのだそうだ。

ケロヨンは木馬座の人形劇で、キャラクター、主人公のカエルのケロヨンや友人のモグラのモグタン。悪役はタヌキのギロパチ。
「1966年11月21日~1970年3月28日・日本テレビ系・月~土11:00-11:20」だそうだが、62年生まれの私は、数度しかこの番組を見た想い出がない。
ウチの父がカチコチのNHK主義者だったからだ。
私は「ブーフーウー」と「ひょっこりひょうたん島」で育った。
それでも「ロンパールーム」の2代目うつみ宮土理先生や鉄腕アトム、オバQ、パーマン、スーパージェッターも、宇宙少年ソランも、冒険ガボテン島も、かすかに記憶にある。(しかし残念ながら「怪獣ブースカ」と「遊星少年パピイ」はないぞ。)

閑話休題
小学校に上がる前だから30年以上前の話である。
当時「新原町田駅」の前の2階建てスーパーに行った。(当時2階建てスーパーは、生活用品一通り揃う、現代の5階建てスーパーにも匹敵した。品数の少ない時代だった。)
2階のおもちゃコーナーで、母と私は「新発売!ケロヨンパチンコ」を発見した。
店内は客も店員も近くにいなかった。
母が「のんちゃん、ケロヨンパチンコだって。」と言って、ハンドルをビンッとはじいたら。
玉がみょ~んと飛び出して、コロコロコロ、あっちこっち跳ね回って、チューリップにスポッと入った。
とたんにジャラジャラジャラッと玉が出て…

「ケロケロケロ、ケ~ロヨ~ン♪!!!」

店内に大音声が響いちゃった!
お若い方には分かっていただきにくいと思うが、当時は「笑い袋」くらいしか音の出るおもちゃは無かった。
(「笑い袋」というのは、おじさんの笑い顔がプリントされた赤い袋で、布越しにスイッチを入れると「ワーッハッハ、ワーハッハ」といつまでも笑っている電池式のシロモノ。
ビックリした。というより、軽い気持ちでちょっといじったら大当たり出しちゃって、大音響に驚いて、母と私は罪悪感で猛ダッシュでその場を逃げ出したんである。
思えばシャイな時代であった。

ところで藤城さんの使っている「安全カミソリの刃」はまだ売っているのだろうか?本体を見なくなって久しい。
きっと一生分買ってあるのだろう。
「人間の証明」で一世を風靡した森村誠一さんはガラスペンでなければ執筆できず、すでに製造中止なので1万本を確保して銀行の貸金庫に保管しているという。
文化勲章を受章した木彫刻家平櫛田中(でんちゅう)さんは、なんと百七歳と言う長寿を得たが、百歳の時インタビューで今後の制作について聞かれ、
「大丈夫、あと百年分の木は確保してある。」
と答えたという。実際には三十年分だったらしいが、この人は自分が死ぬという気がしなかったのではないか?(笑)
白寿まで生きた宇野千代先生の「私、なんだか死ぬ気がしないんですよ。」と同じである。
私は、陽気で元気で生活に手間暇惜しまないな我が母が、私より長生きしそうな気がする。

タオルの名前2011年06月07日 00:11

生まれたときから病気だらけの私であるが、入院予定で午前中支度をしていたら午後になって急患が入って自宅療養に変更になったり(毎日お医者が来てくれる)、なんのかんので、入院ラッシュが続くのは四十代になってからである。

まず入院したのは背骨を圧迫骨折した養母である。そのまま退院できず老健、老人ホームと続いたので、タオルには母がマジックで(私は悪筆)名前を書いた。
養母が亡くなって、今度は父が脳挫傷で入院、やはり母が名前を書いた。
父の長期入院中に私が倒れ、さらに交通事故にも遭い、(とんでもねー人生だ・笑)母は私の名前をタオルに書いてくれた。
で、我が家には3種類の名前の書かれたタオルが「お下がり」で来ている。
養母の名前を書いたタオルは、
「認知症とはいえ、11連発も全力ビンタくれよってからに、アリガトー。」
と最初思ったが、今は見てもさほど辛くなくなった。
父の名前は今私のピローケースにも縫い取りがあって、毎日頭を乗せて眠るたびに
「おやすみなさい。」
と思う。
自分の名前が書かれたタオルは、辛いのだが、これも自分の人生の一部であるから使っている。
ドッコイが肩を脱臼骨折して1ヶ月入院、その後も肩を繋いだワイヤーの一部がはずれて再手術、我が家は名前入りタオルがたんとあるぞ。

幼稚園の頃、(引っ越しで中退しているが)ハンカチには母の手で刺繍された私の名前が入っていた。
小学校低学年くらいまでは、落とさないようにハンカチには名前を書いていたろうか。
新学期、新しい教科書が配られると、まだ防水加工なんてしていないので、母は
「さてさて。」
と言って鎌倉彫の硯箱を出してきて、一冊一冊名前とクラスを書いてくれた。

先日実家(団地)の近くの商店街の植え込みに、ちょっとボロけた子供乗りの「自動車もどき」(足で進んだり後ろから押してもらう、アレです、アレ。)を見つけた。
無くした子はさぞや悲しかろうと、届けようと、とっくら返しひっくり返し見たのだが、どこにも名前と号棟室番が書いてなかった。
「自分のものだから、古くても、いとおしく、大切にする時代」は終わっちゃったのだろうか?
(子供が成長したのなら、燃えないゴミに出しましょう!)

義援金が底を尽きる?2011年06月07日 21:05

という話をTVニュースでちらっと聞いた。
「えっ?」
と思ったらもう次のニュースに移っちゃてて、きちんと聴けなかった。

が、未曾有の災害で莫大なお金がかかるのは確かである。
こうなると、頼りになるのはボランティアの力なのだが、このボランティア活動を共同募金会が支援しようという。
(何せみんな手弁当でも、現地へ行く交通費もバカにならない)
この募金のいいところは、日赤が本年9月30日までの所を、再来年(2013年)の3月31日までまで募集しているところだ。
ボランティアは長期戦になるからね

三井住友銀行とみずほ銀行からだと振り込み料はタダ。
近くに三井住友かみずほがあって、ポケットに小銭のある方、募金してみませんか?

http://www.akaihane.or.jp/er/

もちろん普通の義援金も募っています。
共同募金会のサイトトップはこちら

http://www.akaihane.or.jp/

私が義援金・支援金にこだわるわけ2011年06月08日 20:11

中国の昔話にこんなのがある。

昔ある皇帝が山裾の村を行幸していたら、石を背負った老婆に出会いました。
「お前は何をしているのだ?」と聞くと老婆は
「あの山の影になるせいで私の畑は実りが少ないのです。
一族郎党毎日暇を見つけては、山の石をむこうに移しております。」
「そんなくだらないことをしておるのか。」
と皇帝は笑いました。
「山ひとつ、人間の手で動かせるものか。」
しかし皇帝が変わって、また変わって、また変わって、また変わったころ、
老婆の一族の子孫たちの手によって山は動き、畑は実り豊かになりましたとさ。

めでたしめでたし。


日本人全員が1円募金すれば約1億2千万円になる。(実際はもっと多い)
コンビニの募金箱でもファミレスでも、おつり銭の中からチャラッと1円2円を入れる日常を繰り返していれば、山は、動く。

成長点2011年06月11日 00:20

毎日新聞ニュースより

【福島第1原発:7人の母乳から微量の放射性セシウム検出】2011年6月7日 20時57分

原発事故の母乳への影響を探る厚生労働省研究班は7日、母乳中の放射性物質の調査結果を発表した。
福島県など8県の108人を調べ、福島県在住の7人から微量の放射性セシウムを検出したが、主任研究者の欅田(くぬぎた)尚樹・国立保健医療科学院生活環境研究部長は「非常に低いレベルで、母体や乳児への影響はない」としている。

調査は福島県と周辺の宮城、山形、茨城、栃木、群馬、千葉の各県と、比較のため原発事故の影響がないとみられる高知県の女性を対象に実施。
福島県内の21人中、いわき市などの7人から最大1キログラム当たり1・9~13・1ベクレルの放射性セシウムを検出。
大気中の放射性物質を吸い込むことで被ばくしたとみられるという。【石川隆宣】

私の友人の両親は広島で体内被曝している。W被爆者2世の友人も被爆者手帳を持っている。
胎児は、母乳は、放射能の「最終集積所」である。

毎日新聞ニュースより

【放射性物質:静岡の製茶からセシウム検出】

静岡県は9日、静岡市葵区の藁科(わらしな)地区の工場で作られた製茶「本山(ほんやま)茶」から、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出されたと発表した。
県がサンプル調査した主要19産地の製茶は全て暫定規制値以下だったが、業者の自主検査で検出された。同県の製茶の検査で、暫定規制値を超える結果が判明したのは初めて。
通信販売業者が取扱商品を自主検査し、同地区など2カ所で製造された製茶で、暫定規制値(1キロあたり500ベクレル)を超えたことが判明し、県に報告した。県が改めて検査したところ、1キロあたり679ベクレルの放射性セシウムが見つかった。
県は該当する工場に出荷自粛を要請する一方で、同地区内にある約100カ所の工場で、製茶の放射能検査を週明けにも実施する。
県はこの日主要19産地のうち、未発表だった11産地の製茶の放射能検査結果を発表。放射性セシウム値は1キロあたり128~413ベクレルだった。
県は「飲用茶にすれば放射性物質は約85分の1に薄まり、679ベクレルは健康に問題がない数値」として、出荷制限の範囲を現在の自治体単位から工場単位などに狭めるよう国に求めている。【仲田力行】

放射性物質を含んだ風は、福島から静岡まで飛んでいる。
新芽を使って作る茶も、「最終集積所」である。

私は「向日葵・タラントマリ」に書いたヒマワリたちの最終処分場も心配している。
問題は、「成長点が放射能物質の最終集積場になる」というゆるぎない事実である。
「安全基準」「安全神話」というものが、いかに儚く崩れ去るものかということを、私たちは考えなければならない。
福島で被災して他県に避難した若い世代ほど「地元に帰れない」という意識を高めているという。
地殻変動による地震や、伊豆、霧島の活火山のレベル変動が続いている今、本当に、学ばなければならないのだ。

復興市場2011年06月14日 18:40

「復興市場」というサイトがある。(戦後なつかし闇市ではナイ)

http://fukkoichiba.com/

こちらから支援物資を送ってばかりでは、地元の商店街が廃れてしまう、というので、地元で買って、こちらで払って、地元の人が受け取るシステムである。
考えた人は頭いいなあ、地域社会の循環というものそのものを援助するシステムなのだから。
今でこそ「ありがとうございました、無事お買い上げいただきました。」が並んでいるが、これが長く続けば、いつかきっと役に立てる日が来るのだと思い、アドレスをブックマークの「ボランティア欄」に記しておいた。

いま一番みたい映画2011年06月15日 05:54

「デンデラ」

http://dendera.jp/movie.html

主演:浅丘ルリ子
山本陽子・倍賞美津子(アイパッチがキュート)・草笛光子…他、ベテラン豪華キャストが、ホンモノの雪山の中体張って迫真の演技!
今、語り明かされるもうひとつの「姥捨山伝説」!!
6/25より上映!

その名はゲイバー「砂かけばBAR」2011年06月16日 18:44

(画像とは無関係ですが「ゲイバー」で検索したら出て来たんで美川さんのブロマイドが欲しい方はどうぞ)

さて、先日(5/27)書いた「復活!恐れいるのスギウラさん」だが。

このパソコンゲーム、どこか変な雰囲気なんである。
店の3人座りの長椅子に、ツレでも待ち合わせでもない雰囲気で金髪の少年(日世のアイスクリームコーン、キャラクターのニッ君に似ている)とバニーガール姿のチョビ髭のおぢさんがなんの違和感もなく身をすり寄せるようにして座り、いきなり片っぽは時計マークの吹き出しに怒りを表す茶色のウ○コのような煙を上げて帰っちゃうんである。
一応「バー経営のゲームなので、「待っていたけど酒が来ない!」ってことなんだけど。
なんかアヤシイ。

客も、泣き濡れてマスカラが溶けちゃったおかまさんのようなおじさんや、派手な帽子をかぶったドラァグ・クィーンのような人、エリートっぽいサラリーマン風、海賊スタイルのヴィレッジピープル風、日焼けサロンでこんがり焼いたマッチョのようなお兄さんetc.。
(ドラァグ・クィーンについては、森奈津子先生の「西城秀樹のおかげです」(早川文庫)で知って下さい。あれは快作です。)
女性客も来るのだが、髪をピンクに染めて真っ赤なルージュをひいていたりして、なんか女装っぽくてアヤシイ。
そこで私は自分の店「砂かけばBAR」を勝手に新宿二丁目にあるゲイバーに設定しちゃったんである。

フツーのお嬢さんも来るのだが、これはゲイの追っかけ、通称「おこげ」(アメリカで言うところの「フルーツバスケット」ね)と思うことにした。

そう考えると、私を悩ませてきた「申し訳ありません」の原体験もすり替えかなうではないか。
私は「T書店のクレーム係、通称『恐れ入るのスギウラさん』」ではもはやない。
ゲイバー「砂かけばBAR」のマスター、「おかまのシンコちゃん」でいられる。
(シンコちゃんについては小松政夫さんのDVD「楽屋の王様・小松政夫・ギャグこそマイウエイ」で知って下さい。吉田照美さんのインタビューで出て来ます(これがまた快作で。)

私を恐れさせていた緑の字幕「申し訳ありません」ボーン!も、もてなかったゲイの皆さまに帰り際にそっと渡す、涙拭く緑のハンカチーフで,「申し訳ありません」も客のセリフかと思えばもうT書店の忌まわしい記憶もまっさらさ!

というわけで、私はおのれの妄想力でこのゲームを楽しんでいる。
ねがわくは、この妄想が,ゲームを楽しんでいる皆さんのファンタジーに伝染しませんように。
(いや、5人連続「マスカラ流れおかまさん」にハンカチを手渡したときにはさすがに笑った。和むなあ,このゲーム。)

ちなみにBGMは「大河ドラマ・江(ごう)」のサントラ盤であります。