タオルの名前 ― 2011年06月07日 00:11

生まれたときから病気だらけの私であるが、入院予定で午前中支度をしていたら午後になって急患が入って自宅療養に変更になったり(毎日お医者が来てくれる)、なんのかんので、入院ラッシュが続くのは四十代になってからである。
まず入院したのは背骨を圧迫骨折した養母である。そのまま退院できず老健、老人ホームと続いたので、タオルには母がマジックで(私は悪筆)名前を書いた。
養母が亡くなって、今度は父が脳挫傷で入院、やはり母が名前を書いた。
父の長期入院中に私が倒れ、さらに交通事故にも遭い、(とんでもねー人生だ・笑)母は私の名前をタオルに書いてくれた。
で、我が家には3種類の名前の書かれたタオルが「お下がり」で来ている。
養母の名前を書いたタオルは、
「認知症とはいえ、11連発も全力ビンタくれよってからに、アリガトー。」
と最初思ったが、今は見てもさほど辛くなくなった。
父の名前は今私のピローケースにも縫い取りがあって、毎日頭を乗せて眠るたびに
「おやすみなさい。」
と思う。
自分の名前が書かれたタオルは、辛いのだが、これも自分の人生の一部であるから使っている。
ドッコイが肩を脱臼骨折して1ヶ月入院、その後も肩を繋いだワイヤーの一部がはずれて再手術、我が家は名前入りタオルがたんとあるぞ。
幼稚園の頃、(引っ越しで中退しているが)ハンカチには母の手で刺繍された私の名前が入っていた。
小学校低学年くらいまでは、落とさないようにハンカチには名前を書いていたろうか。
新学期、新しい教科書が配られると、まだ防水加工なんてしていないので、母は
「さてさて。」
と言って鎌倉彫の硯箱を出してきて、一冊一冊名前とクラスを書いてくれた。
先日実家(団地)の近くの商店街の植え込みに、ちょっとボロけた子供乗りの「自動車もどき」(足で進んだり後ろから押してもらう、アレです、アレ。)を見つけた。
無くした子はさぞや悲しかろうと、届けようと、とっくら返しひっくり返し見たのだが、どこにも名前と号棟室番が書いてなかった。
「自分のものだから、古くても、いとおしく、大切にする時代」は終わっちゃったのだろうか?
(子供が成長したのなら、燃えないゴミに出しましょう!)
まず入院したのは背骨を圧迫骨折した養母である。そのまま退院できず老健、老人ホームと続いたので、タオルには母がマジックで(私は悪筆)名前を書いた。
養母が亡くなって、今度は父が脳挫傷で入院、やはり母が名前を書いた。
父の長期入院中に私が倒れ、さらに交通事故にも遭い、(とんでもねー人生だ・笑)母は私の名前をタオルに書いてくれた。
で、我が家には3種類の名前の書かれたタオルが「お下がり」で来ている。
養母の名前を書いたタオルは、
「認知症とはいえ、11連発も全力ビンタくれよってからに、アリガトー。」
と最初思ったが、今は見てもさほど辛くなくなった。
父の名前は今私のピローケースにも縫い取りがあって、毎日頭を乗せて眠るたびに
「おやすみなさい。」
と思う。
自分の名前が書かれたタオルは、辛いのだが、これも自分の人生の一部であるから使っている。
ドッコイが肩を脱臼骨折して1ヶ月入院、その後も肩を繋いだワイヤーの一部がはずれて再手術、我が家は名前入りタオルがたんとあるぞ。
幼稚園の頃、(引っ越しで中退しているが)ハンカチには母の手で刺繍された私の名前が入っていた。
小学校低学年くらいまでは、落とさないようにハンカチには名前を書いていたろうか。
新学期、新しい教科書が配られると、まだ防水加工なんてしていないので、母は
「さてさて。」
と言って鎌倉彫の硯箱を出してきて、一冊一冊名前とクラスを書いてくれた。
先日実家(団地)の近くの商店街の植え込みに、ちょっとボロけた子供乗りの「自動車もどき」(足で進んだり後ろから押してもらう、アレです、アレ。)を見つけた。
無くした子はさぞや悲しかろうと、届けようと、とっくら返しひっくり返し見たのだが、どこにも名前と号棟室番が書いてなかった。
「自分のものだから、古くても、いとおしく、大切にする時代」は終わっちゃったのだろうか?
(子供が成長したのなら、燃えないゴミに出しましょう!)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。