家紋2011年06月21日 22:11




ウチの家紋は「丸に梅鉢」で、天神様、菅原道真と同じである。
あれ、本家には丸はなかったかな?
とにかく父がこの家紋を気に入っていて、勉学一筋の人であったから、よく
「いいか、ウチは菅原道真と繋がっているんだ、よく学べよ。」
と本家・菅原道真さんが聞いたら怒りそうなバチが当たりなことを酒が入ると上機嫌で言っていた。

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

好きな、飛梅(とびうめ)伝説の和歌であるが、道真が藤原一族の謀略で太宰府に左遷されるときに詠んだという。
梅は一夜で京の都から太宰府に飛んだ。

これも現代ではいろんなバージョンがあって「思いおこせよ」だったり「春を忘るな」だったりするのであるが私は「匂ひをこせよ」「な忘れそ」が好き。

以前上野のお山に美術展を母と見に行った帰り、上野の天神さまで
「そうだわ、お隣の玲子ちゃんが受験だわ、お守り買って帰りましょう。」
と参拝してお守りを買っていったら無事合格、えらく喜ばれた。
団地が、まだ棟割り長屋のようなおつきあいだった頃のことである。

さて、私の家紋は養女に行って「違い鷹の羽」になるのだが、これは奇しくも実母の家と同じ(わーい)、結婚したドッコイはなんと「六文銭」で 真田家と同じである。


私の同級生に「上○」というお嬢さんがいて(あえて伏す)
「ウチの家紋なんて頭来ちゃうわよ『○』に『上』なのよ、「マルコメみそ」じゃあるまいし!」
とブーたれていたのであるが、それはそれで分りやすくて書きやすくていいと思う。
世の中には「桜蝶」「桜蟹」なんて、とても難しい、描けやしない紋もあるのだからして。



ある結婚式場で「神宮司家・山田家」の案内看板を見たときには、私は「深い愛」を感じたのである。
私なんて横浜で結婚式を挙げたときは養母の名前「ツダ」で、長野で披露宴をしたときは、義父の「世間体があるから」のひと言で旧姓「スギウラ」だったんだぞー。