私たちは歴史のかけら2010年01月12日 01:12

コンピュータの世界では「ブログ」が一般化して、いろいろな人が、いろいろなことに出会い、いろいろな考えを持ち、いろいろなことを書いている。写真もまたしかりである。

20年、いや10年前、こんな世界が来ると誰が予測しただろう。
いまや日本にはアマチュアエッセイストとアマチュアカメラマンとアマチュア小説家が満ちあふれている。もとより我々日本人は「さりげなく表現したがり、それを互いにめであう」民族である。万葉集を見よ、「詠み人しらず」の多いこと。

宮部みゆきさんだったか、著名な作家が「私はワープロという機械が世に出なかったら、小説家にはなれなかったろう」とどこかで書いていたが、確かにこの、自由に前後入れ替え、修正、辞書機能のあるカラクリ装置の登場は画期的だった。それまで紙の上で大変な労力と集中力を要したプロの作業が、みんなのものになったのだから。
(昔の純文学など、プロは1日3枚書けば「よく書く作家だ」といわれた。)

これらのブログ・写真の数々は、2〜300年後には「貴重な歴史の資料群」として未来人に分析されるのであろう。(うかつなものは書けないぞ・笑)

人が生きて活動しているということは、「歴史を刻む」ことである。
私たちひとりひとりが「歴史」なのだ。
あわてずたゆまず、大切に生きたい。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック