「敦忠」くんえらいっ!2010年01月12日 08:41

「あいみての のちの心に くらぶれば むかしはものを 思わざりけり」

は、とても好きな歌だが、「百人一首四十三番」とは知らなんだ。
なにが恥ずかしいといって、私は百人一首を「ちはやぶる」と「瀬をはやみ」しか知らないのが恥ずかしい。(どちらも落語のネタである。)
いっとき学業を放り投げていたので(中・髙と長いこと病気していた)、基礎教養がないのだ。取り戻そうにももう脳みそは年寄りモードに突入しているしな。
パソコンという便利な検索機がなかったら、ホントに何も書けないわ、私。

百人一首の四十三番目、三十六歌仙にも選ばれているのだが、訳すれば
「結婚してから、あなたを思う気持ちがますます強くなりました。いまと比べると、昔あなたにあこがれていたころのわたしの想いなど大したものではなかったのですよ。 」
ということで、私は長いこと「これは女性が詠んだうたに違いない」と信じていた。だって心にびんびん響くもん。

大声でのろけさせてもらうが、私はドッコイにこれと同じ感情をいだいている。

いや、「いいところしか目に入らない『恋は盲目』状態」なんてお嬢ちゃんの思想ではなくてね。
【恋は発熱、愛は平熱】ですから、はい。(この格言の言い出しっぺは私)
愛しているからこそ
「あっちゃー、また太りよってからに、腹が出て、こいつ糖尿病のくせにどうするつもりじゃい。」
なんて日々思っているのである。のであるが。
私がぼんやりしていると皿洗ってくれたり洗濯機(ウチのは全自動ではなくていまだに二槽式)回してくれたり、そしてここが最も重要なのだが、それらを一切恩に着せないところがスゴイ。

私は別に「絶世の美女」でも「大資産を持っている」わけでもないのだし、なんだか1日の大半ボーっとしているのを(頭の中はとにかく書くことと描くことでパンパンである)、あんなに忙しいのによくフォローしてくれるなぁ、と思う。
前世というものが本当にあるとしたら、私たぶん相当徳を積んだんだわ、でなきゃこんな聡明で優しい人とめぐり逢うわけないもん。

自分と重なるからこの歌を女性が詠んだと長いこと信じていたの。
まさか「権中納言敦忠 (ごんちゅうなごん あつただ)」とは。
絵札で観ると右向いてちょっと物思いにふけっているような若い公達(きんだち)姿である。なかなかハンサム。
敦忠くん、人生は長くて、どんどん楽しくなってゆくものだよ。
奥さん大事にしなさい。

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