小さな生活 ― 2011年10月14日 21:37

「滝雨」の予報に、急いで買い物を済ませ、急いで実家に行って、急いで母と夕ご飯を食べて、急いで帰ってきた。
時計を見たらまだ7時前。虫の音が聞える。が、8時になったら予報通りの激しい雨降り。
明日咲く予定の朝顔のつぼみは、はたして開くかな?
ドッコイ氏はあさって長野に「日本一のフランス車のお祭り」に行くのだけれども、ちゃんと晴れるといいな。
海外出張だ、その準備だ、住まいの契約だ、支払いだ、とめまぐるしい毎日、せめて大好きな車の仲間と、出発前に心置きなく遊べると良い。
彼はそのあと用事で実家泊まり、私は留守番。まるで出張の予行演習のようだ。
昨年出版頒布された文部科学省の教材「わくわく原子力ランド」は、事故の後すぐにホームページでの閲覧が中止になって、今日になって180度転換した内容の教材が発表されたけれど、子供たちは何を学び、どう思うのだろう?
私たちの小さな3日間の生活のうちにすらも、世界は、動いてゆく。
時計を見たらまだ7時前。虫の音が聞える。が、8時になったら予報通りの激しい雨降り。
明日咲く予定の朝顔のつぼみは、はたして開くかな?
ドッコイ氏はあさって長野に「日本一のフランス車のお祭り」に行くのだけれども、ちゃんと晴れるといいな。
海外出張だ、その準備だ、住まいの契約だ、支払いだ、とめまぐるしい毎日、せめて大好きな車の仲間と、出発前に心置きなく遊べると良い。
彼はそのあと用事で実家泊まり、私は留守番。まるで出張の予行演習のようだ。
昨年出版頒布された文部科学省の教材「わくわく原子力ランド」は、事故の後すぐにホームページでの閲覧が中止になって、今日になって180度転換した内容の教材が発表されたけれど、子供たちは何を学び、どう思うのだろう?
私たちの小さな3日間の生活のうちにすらも、世界は、動いてゆく。
エメラルドグリーンのカツラ ― 2011年10月15日 12:01
友人がとある結婚式で出会った親族、幼稚園から小学生まで8人、全員茶髪だったという。
あらら、時代は変ったのね。(しかし幼稚園児は自分の意志か親の趣味か?)
私の知り合いは息子さんが高校入試で、黒く染め直したというから、中学もありなんだわ。
でも義務教育終わると、一応面接の心証よくしときたいワケだ。
私の同級生で、アルビノでどう見ても、髪の色も肌の色も瞳の色も白人の女の子にしか見えない女の子がいたが、彼女が最初に覚えた英語は
「あい・きゃん・のっと・すぴーく・いんぐりっしゅ!」
だったという。可愛らしい面立ちのせいで、幼い頃からやたら英語で話しかけられたらしい。
しかし中味はとっても日本人で
「私、”White”って単語ね、『W引いて』って覚えたの。」
などと「掘った芋いじるな(今何時?)」調で英語を学習していた。
私の母は帯状疱疹になってから、薬の副作用かストレスか、頭の後ろ2ヶ所、地肌が見えるようになった。
しかしウィッグを使う気はなさそうで、帽子で隠している。
お世話になっているバイク屋のおじさんは、誰がどう見ても7:3分けの不自然なカツラなのであるが、頭にのっけているだけで安心なようだ。
一番すごかったのは小学校4年(40年近く前)の担任、チャキチャキパリパリのT先生(女性)である。
小学校の教員というのは、万が一にも子供を傷つけないようにアクセサリーをつけてはいけないなどいろいろ制約があるのだが、T先生はオシャレだった。
いつも白っぽいファンデーションに真っ赤なルージュで、かなりご年配だったために、ちょっと見「魔女」だった。(小柄の猫背で、ワシッ鼻であごが尖っていたせいもある)
着ている物はいつもオシャレで、スカーフなんかたなびかせ、ジャージの上下姿には体育の授業以外絶対にならなかった。
でも私はT先生が好きだった。
一番最初のホームルームの時
「私がどんな先生だったらいいと思いますか?」とみんなに聞き、(私は「明るい先生」と答えたと思う)
「分りました、そういう先生になりましょう」と堂々と宣言したのである。
明るく、気さくで、えこひいきがない。
前の年、3年の時の担任が「陰気で気むずかしくて、カンシャク持ちで、えこひいきが極端」という大ハズレであったので、(ものすごくえこひいきしてもらったが、ちっとも嬉しくなかった)
明るいT先生は、その前の1年分の暗さを吹き飛ばしてくれた。
ある日T先生は、すごい格好で登校してきた。
当時としては町中では絶対見かけない(というかどこで売っているのかも分らない)
「エメラルドグリーンでカールのカツラ」
である!
ロックンローラーもコスプレも「初音ミク」(笑)も見かけない時代、どうやって手に入れたのだろうか。
輸入物だったのかもしれない。
とにかく職員室のドアの外にも窓の外にも、ひと目T先生を見ようという生徒が鈴なり!
T先生はひと嵐吹かせたのであった。
びっくりしたけれど「自由ででいいな!」とみんなを驚かせたエメラルドグリーンのカツラは3日でおしまいになった。
どこぞのカタブツが市の教育委員会に告げ口したのであろう。
しかし、T先生の地毛も、白髪隠しで当時としては画期的に明るい栗色に染められていたのであった。
まだ学級崩壊どころか「先生は特別、えらい!」時代だった。
T先生は「先生だっておしゃれを楽しむ人間なのよ!」
と教えてくれた、風穴を開けた存在だったと思う。
「みんなの望む先生になりましょう」というのは、今にして思えばプロとしてすごいことだ。
離婚して、母ひとり幼い娘ひとりで大変な苦労をされていたと知ったのは、ずいぶん後になってからであった。
T先生は私の心の中で、今もエメラルドグリーンの髪の色で笑って手を振っている。
あらら、時代は変ったのね。(しかし幼稚園児は自分の意志か親の趣味か?)
私の知り合いは息子さんが高校入試で、黒く染め直したというから、中学もありなんだわ。
でも義務教育終わると、一応面接の心証よくしときたいワケだ。
私の同級生で、アルビノでどう見ても、髪の色も肌の色も瞳の色も白人の女の子にしか見えない女の子がいたが、彼女が最初に覚えた英語は
「あい・きゃん・のっと・すぴーく・いんぐりっしゅ!」
だったという。可愛らしい面立ちのせいで、幼い頃からやたら英語で話しかけられたらしい。
しかし中味はとっても日本人で
「私、”White”って単語ね、『W引いて』って覚えたの。」
などと「掘った芋いじるな(今何時?)」調で英語を学習していた。
私の母は帯状疱疹になってから、薬の副作用かストレスか、頭の後ろ2ヶ所、地肌が見えるようになった。
しかしウィッグを使う気はなさそうで、帽子で隠している。
お世話になっているバイク屋のおじさんは、誰がどう見ても7:3分けの不自然なカツラなのであるが、頭にのっけているだけで安心なようだ。
一番すごかったのは小学校4年(40年近く前)の担任、チャキチャキパリパリのT先生(女性)である。
小学校の教員というのは、万が一にも子供を傷つけないようにアクセサリーをつけてはいけないなどいろいろ制約があるのだが、T先生はオシャレだった。
いつも白っぽいファンデーションに真っ赤なルージュで、かなりご年配だったために、ちょっと見「魔女」だった。(小柄の猫背で、ワシッ鼻であごが尖っていたせいもある)
着ている物はいつもオシャレで、スカーフなんかたなびかせ、ジャージの上下姿には体育の授業以外絶対にならなかった。
でも私はT先生が好きだった。
一番最初のホームルームの時
「私がどんな先生だったらいいと思いますか?」とみんなに聞き、(私は「明るい先生」と答えたと思う)
「分りました、そういう先生になりましょう」と堂々と宣言したのである。
明るく、気さくで、えこひいきがない。
前の年、3年の時の担任が「陰気で気むずかしくて、カンシャク持ちで、えこひいきが極端」という大ハズレであったので、(ものすごくえこひいきしてもらったが、ちっとも嬉しくなかった)
明るいT先生は、その前の1年分の暗さを吹き飛ばしてくれた。
ある日T先生は、すごい格好で登校してきた。
当時としては町中では絶対見かけない(というかどこで売っているのかも分らない)
「エメラルドグリーンでカールのカツラ」
である!
ロックンローラーもコスプレも「初音ミク」(笑)も見かけない時代、どうやって手に入れたのだろうか。
輸入物だったのかもしれない。
とにかく職員室のドアの外にも窓の外にも、ひと目T先生を見ようという生徒が鈴なり!
T先生はひと嵐吹かせたのであった。
びっくりしたけれど「自由ででいいな!」とみんなを驚かせたエメラルドグリーンのカツラは3日でおしまいになった。
どこぞのカタブツが市の教育委員会に告げ口したのであろう。
しかし、T先生の地毛も、白髪隠しで当時としては画期的に明るい栗色に染められていたのであった。
まだ学級崩壊どころか「先生は特別、えらい!」時代だった。
T先生は「先生だっておしゃれを楽しむ人間なのよ!」
と教えてくれた、風穴を開けた存在だったと思う。
「みんなの望む先生になりましょう」というのは、今にして思えばプロとしてすごいことだ。
離婚して、母ひとり幼い娘ひとりで大変な苦労をされていたと知ったのは、ずいぶん後になってからであった。
T先生は私の心の中で、今もエメラルドグリーンの髪の色で笑って手を振っている。
血 ― 2011年10月16日 14:12

いつの間にか腕にできものが出来て、気がつかずにひっかいてしまったら血が出た。
ちょっと出が良かったので急いで口で吸ったのであるが、自分の血の味というのは不思議なモノである。
鉄(かな)臭くてしょっぱい。新鮮である。生き物の匂いがする。
「これによって私は生かされているんだな。」
という実感が湧いてくる。
子供の頃はちょっとしたケガが日常茶飯事で、すりむいた腕や指をしゃぶっていたのだが、
「口の中の雑菌が入って良くない。」
と教わってからは、ティッシュか布を押しつける圧迫止血にかわった。
今回の血は、雑菌が伝染するような大きさではなく、というより、自分の怪我の血を見るのが久しぶりで、まったく無意識に口で吸ってしまった。
吸ってすぐにキーを叩き始め、もう乾いている。大事にはなるまい。
自分の血、これは不思議なもので、「命の源」という気がする。
吸ったところでそれは消化されて、再び「自分の血」になるという保証は全くないのだが、何%かは血に戻る気がする。
映画「デンデラ」で猟の得意な山本陽子が主人公・浅丘ルリ子に
「クマの血だ。飲め。精がつくぞ。」
と勧めるシーンがあって、現世からデンデラにやってきたばかりの浅丘ルリ子は躊躇するのだが、考えてみたらアフリカ・マサイの人々は家畜を少しづつ傷つけて採った血を飲んで栄養源としているのである。
日本にも「スッポンの血」(私は飲んだことがない、というかスッポンそのものを食べたことも、出会ったこともないのだが)というものがあり、血は滴(したた)らねど「レバ刺し」が大好物で、「血」というのはやはり心身を沸き立たせるものがあるのだろう。
テレビのチャンバラ劇が大好きで、若い頃は高橋英樹さん主演の「桃太郎侍」を母と観ていた。
(考えてみたら、暗い江戸の闇の中とはいえ、派手な装束に能の般若の面、桃太郎はどこで着替えていたのだろう?)
これは「血のでない」殺陣で、次第にチャンバラシーンが増えていき、最終回、野川由美子さん扮する「燕太夫」が命を落とし、桃太郎の怒りが最高潮に達したとき、四十八人斬った。
母とふたり「ひとーり、ふたーり、三人、四人…」と数えていたので(ヒマな母娘だ・笑)、間違いないと思う。
今は時代劇といってもNHKの大河ドラマとBS時代劇「塚原卜伝(ぼくでん)」くらいになってしまったが、血は最小限に抑えられている。
特に「卜伝」は、剣豪ドラマなのに「これだけ派手に斬り合って、血しぶきが飛ばないのはウソでしょう!」というくらい血が出ない。
ま、血しぶきは、ボツになると衣装からなにから全取っ替えになるので、出ない方がよろしいのであろう。
時々、血を吸いすぎて満腹で動けない蚊をパチンとやると、「ティッシュ、ティッシュ!」と大騒ぎになる。
自分の血といい、テレビの血といい、あんまりドバ-ッと出ない方がよろしい。
ちょっと出が良かったので急いで口で吸ったのであるが、自分の血の味というのは不思議なモノである。
鉄(かな)臭くてしょっぱい。新鮮である。生き物の匂いがする。
「これによって私は生かされているんだな。」
という実感が湧いてくる。
子供の頃はちょっとしたケガが日常茶飯事で、すりむいた腕や指をしゃぶっていたのだが、
「口の中の雑菌が入って良くない。」
と教わってからは、ティッシュか布を押しつける圧迫止血にかわった。
今回の血は、雑菌が伝染するような大きさではなく、というより、自分の怪我の血を見るのが久しぶりで、まったく無意識に口で吸ってしまった。
吸ってすぐにキーを叩き始め、もう乾いている。大事にはなるまい。
自分の血、これは不思議なもので、「命の源」という気がする。
吸ったところでそれは消化されて、再び「自分の血」になるという保証は全くないのだが、何%かは血に戻る気がする。
映画「デンデラ」で猟の得意な山本陽子が主人公・浅丘ルリ子に
「クマの血だ。飲め。精がつくぞ。」
と勧めるシーンがあって、現世からデンデラにやってきたばかりの浅丘ルリ子は躊躇するのだが、考えてみたらアフリカ・マサイの人々は家畜を少しづつ傷つけて採った血を飲んで栄養源としているのである。
日本にも「スッポンの血」(私は飲んだことがない、というかスッポンそのものを食べたことも、出会ったこともないのだが)というものがあり、血は滴(したた)らねど「レバ刺し」が大好物で、「血」というのはやはり心身を沸き立たせるものがあるのだろう。
テレビのチャンバラ劇が大好きで、若い頃は高橋英樹さん主演の「桃太郎侍」を母と観ていた。
(考えてみたら、暗い江戸の闇の中とはいえ、派手な装束に能の般若の面、桃太郎はどこで着替えていたのだろう?)
これは「血のでない」殺陣で、次第にチャンバラシーンが増えていき、最終回、野川由美子さん扮する「燕太夫」が命を落とし、桃太郎の怒りが最高潮に達したとき、四十八人斬った。
母とふたり「ひとーり、ふたーり、三人、四人…」と数えていたので(ヒマな母娘だ・笑)、間違いないと思う。
今は時代劇といってもNHKの大河ドラマとBS時代劇「塚原卜伝(ぼくでん)」くらいになってしまったが、血は最小限に抑えられている。
特に「卜伝」は、剣豪ドラマなのに「これだけ派手に斬り合って、血しぶきが飛ばないのはウソでしょう!」というくらい血が出ない。
ま、血しぶきは、ボツになると衣装からなにから全取っ替えになるので、出ない方がよろしいのであろう。
時々、血を吸いすぎて満腹で動けない蚊をパチンとやると、「ティッシュ、ティッシュ!」と大騒ぎになる。
自分の血といい、テレビの血といい、あんまりドバ-ッと出ない方がよろしい。
朝のチンポコ ― 2011年10月17日 01:39

敢えて伏せ字は使わないぞ「チンポコ」のモンダイなのだ。
二十代の時に友人たちと京都と奈良へ旅行した。
遷都千年なんてまだずっと先のことで、ひとり京都マニアがいて、ひとり奈良マニアがいて、何の不自由もなく「穴場」をホイホイ効率よく回り、「観光客の少ない時間帯」なんてのも計算され尽くしていて、ゆったりと、それはそれは楽しい旅だった。
私たちもまだ「若い娘さん」にひっかかるお年頃で、歩いて歩いて観て食べて、歩いて歩いて観て食べて、貧乏だがその範疇で精一杯楽しんだ。
しかし、である。寺の名は隠すが、朝一番の参拝の始まった頃、きらきらしい朝の陽射しの中、お堂とお堂を結ぶ石畳をみんなで歩いていたその時。
向こうから修行僧と一目で分る若いお坊さんがふたり歩いてきた。
ふたりとも少年の面影を残すけっこうな美男子である。
いざすれ違おうというその時。
背の低い方のお坊さんが確かに言ったのだ、
「だからぁ、『チンポコ』なんだよ。」
へっ!?
今確かに「チンポコ」と聞えましたが!?
こういうとき私たちの行動は万事ぬかりなく、前へ前へとバックするんである。
心清らな若いお坊さんがなんということを!
それはお寺の中では「魔羅(マラ)」と言うのではありませんか?(こんなことだけ妙に詳しい)
しかし、背の高い方のお坊さんが言ったのだ、
「チーン…ポコ、じゃないのか?」
「いや、あそこは早くていいの、唱名が始まる直前にチンポコでいいんだよ。」
朝の読経の、お鈴(りん)と木魚のタイミングの話をしているのであった。
開祖・隠元和尚様(これで寺の名は知れる人には知れるね)ごめんなさい。
私たちが悪うございました。
二十代の時に友人たちと京都と奈良へ旅行した。
遷都千年なんてまだずっと先のことで、ひとり京都マニアがいて、ひとり奈良マニアがいて、何の不自由もなく「穴場」をホイホイ効率よく回り、「観光客の少ない時間帯」なんてのも計算され尽くしていて、ゆったりと、それはそれは楽しい旅だった。
私たちもまだ「若い娘さん」にひっかかるお年頃で、歩いて歩いて観て食べて、歩いて歩いて観て食べて、貧乏だがその範疇で精一杯楽しんだ。
しかし、である。寺の名は隠すが、朝一番の参拝の始まった頃、きらきらしい朝の陽射しの中、お堂とお堂を結ぶ石畳をみんなで歩いていたその時。
向こうから修行僧と一目で分る若いお坊さんがふたり歩いてきた。
ふたりとも少年の面影を残すけっこうな美男子である。
いざすれ違おうというその時。
背の低い方のお坊さんが確かに言ったのだ、
「だからぁ、『チンポコ』なんだよ。」
へっ!?
今確かに「チンポコ」と聞えましたが!?
こういうとき私たちの行動は万事ぬかりなく、前へ前へとバックするんである。
心清らな若いお坊さんがなんということを!
それはお寺の中では「魔羅(マラ)」と言うのではありませんか?(こんなことだけ妙に詳しい)
しかし、背の高い方のお坊さんが言ったのだ、
「チーン…ポコ、じゃないのか?」
「いや、あそこは早くていいの、唱名が始まる直前にチンポコでいいんだよ。」
朝の読経の、お鈴(りん)と木魚のタイミングの話をしているのであった。
開祖・隠元和尚様(これで寺の名は知れる人には知れるね)ごめんなさい。
私たちが悪うございました。
寺と骨 ― 2011年10月19日 18:04
またお寺の話。
私は中高一貫の女子校出身であるが、『女子校』というのは「男子のいない女子ノリ過剰」と「男子なしでも何とか解決するバンカラさ」との入り交じった世界である。
さて、2年生の時だったと思うが、社会科見学は「鎌倉の歴史巡り」であった。
「先生、現地集合でいいですか?ウチ円覚寺の隣なんです。」
という子もいて(許可された)横浜の学校だから、鎌倉は「お隣さん」という感じ。
歴史の授業の延長で、大仏様や覚寺や建長寺、とにかくやたら寺を巡りまくった。
「ここは北条氏の権力争いの集結地、無念の思いを抱いて逝った人達の墓が並んでいる。」というお寺(名前忘れた)でのこと。
みっしりとそびえる木立は緑したたる影をつくり、細くさす光が無念の墓石を照らす。
と。
墓の前に何か小さい白いものが…
「骨」であった!
「キャ~、骨よ、骨ッ!」
「恐~い!」
「北条の祟りだわ!」
「ヒエ~!」
とパニックになったのであるが、その中でひとり、学年で一番美少年(笑)で沈着冷静なH嬢がつかつかと歩み寄り…
それを手に取った!
あまりのことに周囲は沈黙である。
「骨だわ。」
ザワッ。
「…コロモがついている。」
「だれよお寺でケンタッキーなんか食べたの~っ!!」(4倍角)
乙女らの大ブーイングで一件落着。
「古刹巡りでケンタッキーフライドチキンの食べ歩きはやめましょう。」
という教訓を残して、社会科見学は終わった。
後日のレポート提出で、「骨」の印象があまりにも強すぎて、みんなさんざんな成績だったのは言うまでもない。
私は中高一貫の女子校出身であるが、『女子校』というのは「男子のいない女子ノリ過剰」と「男子なしでも何とか解決するバンカラさ」との入り交じった世界である。
さて、2年生の時だったと思うが、社会科見学は「鎌倉の歴史巡り」であった。
「先生、現地集合でいいですか?ウチ円覚寺の隣なんです。」
という子もいて(許可された)横浜の学校だから、鎌倉は「お隣さん」という感じ。
歴史の授業の延長で、大仏様や覚寺や建長寺、とにかくやたら寺を巡りまくった。
「ここは北条氏の権力争いの集結地、無念の思いを抱いて逝った人達の墓が並んでいる。」というお寺(名前忘れた)でのこと。
みっしりとそびえる木立は緑したたる影をつくり、細くさす光が無念の墓石を照らす。
と。
墓の前に何か小さい白いものが…
「骨」であった!
「キャ~、骨よ、骨ッ!」
「恐~い!」
「北条の祟りだわ!」
「ヒエ~!」
とパニックになったのであるが、その中でひとり、学年で一番美少年(笑)で沈着冷静なH嬢がつかつかと歩み寄り…
それを手に取った!
あまりのことに周囲は沈黙である。
「骨だわ。」
ザワッ。
「…コロモがついている。」
「だれよお寺でケンタッキーなんか食べたの~っ!!」(4倍角)
乙女らの大ブーイングで一件落着。
「古刹巡りでケンタッキーフライドチキンの食べ歩きはやめましょう。」
という教訓を残して、社会科見学は終わった。
後日のレポート提出で、「骨」の印象があまりにも強すぎて、みんなさんざんな成績だったのは言うまでもない。
ディズニー映画 ― 2011年10月21日 04:12

Googleでアクセスした方はもうご覧になったろうが、今日はメアリー・ブレア生誕百年だそうな。
1950年 シンデレラCinderella
色彩設計
1951年 ふしぎの国のアリスAlice in Wonderland
色彩設計
1953年 ピーター・パンPeter Pan
色彩設計
1959年 眠れる森の美女Sleeping Beauty
色彩設計
(以上Wikipedia調べ)
まさにディズニー映画の黄金期の人である。素晴らしい色彩感覚の持ち主で、どの作品も華やかでありながら程よくシックにまとめられており(最近のディズニー映画はちょっとなんだかネジがとっぱずれているように思うのは私だけ?)今見ても傑作である。
後にアニメ制作を手がけた手塚治虫氏は、修羅場を脱走して「不思議の国のアリス」を「50回以上観た」と語っている(エッセイ「ボクは漫画家」だったかな)。
この頃のディズニー映画は品がよろしい。
(だれだ、元は薄茶のテディベアをまっ黄色にして、しかも派手な真っ赤ポロシャツ着せたのは!)
「色感が程よい」というのは難しい事で、私は全体に薄くなる悪い癖がある。雑誌の表紙を連続して描いていたときだけである、濃い色を思い切って使えたのは。(しかも創刊号は薄すぎ)
才能のある人が一流の舞台で活躍していた、という事実は、あらゆる分野で「ただ今修行中」の若い人々にとっては希望のもてる事だと思う。
目指せ、メアリー・ブレア!
1950年 シンデレラCinderella
色彩設計
1951年 ふしぎの国のアリスAlice in Wonderland
色彩設計
1953年 ピーター・パンPeter Pan
色彩設計
1959年 眠れる森の美女Sleeping Beauty
色彩設計
(以上Wikipedia調べ)
まさにディズニー映画の黄金期の人である。素晴らしい色彩感覚の持ち主で、どの作品も華やかでありながら程よくシックにまとめられており(最近のディズニー映画はちょっとなんだかネジがとっぱずれているように思うのは私だけ?)今見ても傑作である。
後にアニメ制作を手がけた手塚治虫氏は、修羅場を脱走して「不思議の国のアリス」を「50回以上観た」と語っている(エッセイ「ボクは漫画家」だったかな)。
この頃のディズニー映画は品がよろしい。
(だれだ、元は薄茶のテディベアをまっ黄色にして、しかも派手な真っ赤ポロシャツ着せたのは!)
「色感が程よい」というのは難しい事で、私は全体に薄くなる悪い癖がある。雑誌の表紙を連続して描いていたときだけである、濃い色を思い切って使えたのは。(しかも創刊号は薄すぎ)
才能のある人が一流の舞台で活躍していた、という事実は、あらゆる分野で「ただ今修行中」の若い人々にとっては希望のもてる事だと思う。
目指せ、メアリー・ブレア!
にんじんと山芋の「源平煮」の作り方 ― 2011年10月22日 00:55

1・にんじんは(皮付きで宜しい)3センチ角(イチョウ切り)にする。
2・薄め目の白だしに入れ、串がちょっと抵抗あるぐらいに煮る。
3・山芋は皮をむき、3・5センチ角くらい(イチョウ切り)にする。
4・2と3をあわせ煮る。落としぶたを忘れずに。
山芋のシャキシャキ感がなくなり、ほっこりしたら出来上がり。
山芋とにんじんは3:2くらいの割合が煮上がったとき、きれい。
(落語を聞きに東京會舘に行ったとき出てきた料理の一品に手を加えたもの)
2・薄め目の白だしに入れ、串がちょっと抵抗あるぐらいに煮る。
3・山芋は皮をむき、3・5センチ角くらい(イチョウ切り)にする。
4・2と3をあわせ煮る。落としぶたを忘れずに。
山芋のシャキシャキ感がなくなり、ほっこりしたら出来上がり。
山芋とにんじんは3:2くらいの割合が煮上がったとき、きれい。
(落語を聞きに東京會舘に行ったとき出てきた料理の一品に手を加えたもの)
はじいちゃうので。 ― 2011年10月22日 01:46
先の「ディズニー映画」はナゼかコメントをはじいちゃうのでここに。
「特に「Mary Blair メアリー・ブレア ディズニー顧問アーティストとして、母として生きたイラストレーター」http://www.albatro.jp/birdyard/illustration-art/mary-blair/index.htmが作品、活動などを詳しく紹介しています。」っと。
「特に「Mary Blair メアリー・ブレア ディズニー顧問アーティストとして、母として生きたイラストレーター」http://www.albatro.jp/birdyard/illustration-art/mary-blair/index.htmが作品、活動などを詳しく紹介しています。」っと。
めまぐるしい1週間 ― 2011年10月31日 19:23
1週間が、やっと終わった。
先頭とおしまいの方に法事を2件挟み(1件は長野である)、その支度に追われ、木彫作家さんの個展がひとつ、山の絵を描く絵描きさんの注文した作品と送られてきた作品が違うので連絡を取って郵便局に走り、通院2件(ひとつは1日がかり)、その間に「ふたつ文字盤のある時間差時計」を探し(見つかりました)ドッコイ氏をアフリカに送り出して、ハイ、ゴール!
その間私の心臓は最低最悪で頻脈の発作をおこしまくり、薬でなんとかつなぎ、法事の精進落としでは、脳炎の後遺症と薬の飲み合わせで箸が上手く使えないので「ナイフとフォークで寿司を食す」なんて考えようによっては「もっと器用な事」をやってのけ、おみやげのぼた餅(これが長野では必ず出る)を翌日の朝ご飯にし、お寺さんでくれる巨大な「葬式最中」と格闘し、やせるヒマもなく(笑)何とか去年の喪服に袖を通し、ああ、くたびれた。
あとは喪服をクリーニングに出して、おしまい。
ふぅ~、まいったまいった(笑)。
先頭とおしまいの方に法事を2件挟み(1件は長野である)、その支度に追われ、木彫作家さんの個展がひとつ、山の絵を描く絵描きさんの注文した作品と送られてきた作品が違うので連絡を取って郵便局に走り、通院2件(ひとつは1日がかり)、その間に「ふたつ文字盤のある時間差時計」を探し(見つかりました)ドッコイ氏をアフリカに送り出して、ハイ、ゴール!
その間私の心臓は最低最悪で頻脈の発作をおこしまくり、薬でなんとかつなぎ、法事の精進落としでは、脳炎の後遺症と薬の飲み合わせで箸が上手く使えないので「ナイフとフォークで寿司を食す」なんて考えようによっては「もっと器用な事」をやってのけ、おみやげのぼた餅(これが長野では必ず出る)を翌日の朝ご飯にし、お寺さんでくれる巨大な「葬式最中」と格闘し、やせるヒマもなく(笑)何とか去年の喪服に袖を通し、ああ、くたびれた。
あとは喪服をクリーニングに出して、おしまい。
ふぅ~、まいったまいった(笑)。
最近のコメント