事の顛末2011年10月06日 12:04

人生というものはホント不思議なものである。
人にも家にも状況にも、突然変る瞬間がある。
母が何気なく
「この間からこんなチラシ何度も入っているのよ、なかなか買い手がつかないのね。」
と見せてくれたのが、たった1日の午前・午後でいきなり明暗を分けた一軒目の物件。
母の家からはちょっと遠かった。

で、不動産屋が代わりにと紹介した2軒目は、表札を見て(まだ名義は正式には替わってなかったからね)母が
「あら、○○さん!?」
とビックリ。古くからの友人宅であった。
彼女は『終の棲家に』とこのマンションを買ったものの、急に体が悪くなって、老人ホーム入りして1年半。
結局狭かったからこの物件は流したけれど、まだ老人用柵付きベッドや食器棚が残っており、母にしてみれば、新居に越して、すぐにそこから老人ホームに移らなければならなくなって1年半、会いに行ってはその人が弱っていくのを見ているから、後から考えると辛かったようだ。

で、次の日
「こんどはこんな『新しいチラシ』が来たわよ」
と言って見せてくれたのが3軒目の安打となった。
2アウトからヒット出塁。一目で気に入ってしまい。
ドッコイ氏を連れて行ってもう一度ヒットが出た。

3日前に仮契約を済ませた。
これで満塁である。
今までがずっとああでもないこうでもないの膠着状態だったものだから、こんなにスイスイ話が進んでしまって、不思議な感じだ。

ここで思ったのだが、ドッコイ氏は半休をとって、出勤姿で不動産屋に行ったのだが。

………かっこいいっ!

いや、決して男尊女卑ではないのだが。
スーツ姿で背筋伸ばして、契約内容の読み上げを聞き、質問をし、ビックリするほど多くの書類にサインをし、ハンコを押し。
そのいちいちがキリリとして、「様になる」のだ。
さすが発祥の地ロンドンに「セビロー通り」という地名が残っているわけである、「背広=スーツ」はホワイトカラーの男の戦闘服なのだ。

考えてみたら私は学校を出てから1年8ヶ月の会社勤め(まあカタギってことさ)の間も力仕事と接客業の半々で、『オフィス』という聖域とは無縁、その後は漫画家兼イラストレーターでお行儀も着る物もなんの制約もない世界で食ってきたのであるからして。
(その代わり、原稿料払ってもらえなかったり、勝手に値下げされたり、クライアントに逃げられたり、いきなり連載打ち切られたり、女一匹、生き抜いてきましたよ。ええ。完全にぼけちゃった養母の介護もやったし。)

自分の夫が、こんなにスーツが似合う人だとは思わなかったなあ。

もう少しだけ残っているというリフォームが済んでしまえば本契約、本塁踏めるよ、ってカンジである。
もっとも今のガラクタ御殿を手っ取り早く引き払うのにどんな策があるのかという大問題にはふたりともまだ腕組み中なのだが。(これが一番手強い・笑)


人間どう頑張っても産まれ方と死に方だけは自分の意志では選べない。
(「ホスピス」は別として)

私は頻脈なので、「象の時間ネズミの時間」(中公新書)によると72歳で死ぬことになり、あとは長生きできればそれは人生の宝物の時間だ。
心穏やかに、楽しく生きたいものである。

親は6人おり(養女のため)、そのうち4人は他界したが、5年間老人ホームで過ごした養母、親戚に引き取られた、そのパートナー、2年半実家で寝たきりだった父、一日で逝ってしまった義父、と人生の終わり方はさまざまだった。

しかし、だからこそ「快適に心安らかに生き抜くこと」には積極的に努力したい。
そんな思いで、住まいを選んだ。

日本では福祉の充実した北欧などに比べて、年をとってからの人生に「お金のあるなし」がものをいうのが悩みのタネである。
我が家は裕福ではない上にふたりとも決定的な病気を持っているので、選択肢は限られてしまう。

その限られた状態の中で、最善の人生をまっとうしたいものである。