エメラルドグリーンのカツラ2011年10月15日 12:01

友人がとある結婚式で出会った親族、幼稚園から小学生まで8人、全員茶髪だったという。
あらら、時代は変ったのね。(しかし幼稚園児は自分の意志か親の趣味か?)
私の知り合いは息子さんが高校入試で、黒く染め直したというから、中学もありなんだわ。
でも義務教育終わると、一応面接の心証よくしときたいワケだ。

私の同級生で、アルビノでどう見ても、髪の色も肌の色も瞳の色も白人の女の子にしか見えない女の子がいたが、彼女が最初に覚えた英語は
「あい・きゃん・のっと・すぴーく・いんぐりっしゅ!」
だったという。可愛らしい面立ちのせいで、幼い頃からやたら英語で話しかけられたらしい。
しかし中味はとっても日本人で
「私、”White”って単語ね、『W引いて』って覚えたの。」
などと「掘った芋いじるな(今何時?)」調で英語を学習していた。

私の母は帯状疱疹になってから、薬の副作用かストレスか、頭の後ろ2ヶ所、地肌が見えるようになった。
しかしウィッグを使う気はなさそうで、帽子で隠している。
お世話になっているバイク屋のおじさんは、誰がどう見ても7:3分けの不自然なカツラなのであるが、頭にのっけているだけで安心なようだ。

一番すごかったのは小学校4年(40年近く前)の担任、チャキチャキパリパリのT先生(女性)である。
小学校の教員というのは、万が一にも子供を傷つけないようにアクセサリーをつけてはいけないなどいろいろ制約があるのだが、T先生はオシャレだった。
いつも白っぽいファンデーションに真っ赤なルージュで、かなりご年配だったために、ちょっと見「魔女」だった。(小柄の猫背で、ワシッ鼻であごが尖っていたせいもある)
着ている物はいつもオシャレで、スカーフなんかたなびかせ、ジャージの上下姿には体育の授業以外絶対にならなかった。

でも私はT先生が好きだった。
一番最初のホームルームの時
「私がどんな先生だったらいいと思いますか?」とみんなに聞き、(私は「明るい先生」と答えたと思う)
「分りました、そういう先生になりましょう」と堂々と宣言したのである。

明るく、気さくで、えこひいきがない。
前の年、3年の時の担任が「陰気で気むずかしくて、カンシャク持ちで、えこひいきが極端」という大ハズレであったので、(ものすごくえこひいきしてもらったが、ちっとも嬉しくなかった)
明るいT先生は、その前の1年分の暗さを吹き飛ばしてくれた。

ある日T先生は、すごい格好で登校してきた。
当時としては町中では絶対見かけない(というかどこで売っているのかも分らない)
「エメラルドグリーンでカールのカツラ」
である!
ロックンローラーもコスプレも「初音ミク」(笑)も見かけない時代、どうやって手に入れたのだろうか。
輸入物だったのかもしれない。

とにかく職員室のドアの外にも窓の外にも、ひと目T先生を見ようという生徒が鈴なり!
T先生はひと嵐吹かせたのであった。

びっくりしたけれど「自由ででいいな!」とみんなを驚かせたエメラルドグリーンのカツラは3日でおしまいになった。
どこぞのカタブツが市の教育委員会に告げ口したのであろう。
しかし、T先生の地毛も、白髪隠しで当時としては画期的に明るい栗色に染められていたのであった。

まだ学級崩壊どころか「先生は特別、えらい!」時代だった。
T先生は「先生だっておしゃれを楽しむ人間なのよ!」
と教えてくれた、風穴を開けた存在だったと思う。
「みんなの望む先生になりましょう」というのは、今にして思えばプロとしてすごいことだ。

離婚して、母ひとり幼い娘ひとりで大変な苦労をされていたと知ったのは、ずいぶん後になってからであった。

T先生は私の心の中で、今もエメラルドグリーンの髪の色で笑って手を振っている。