フランス国歌2011年09月04日 00:12

「はじめようマイバー」というネットゲームで遊んでいる。
といっても、私以外は最近とんと御無沙汰で、友人のバーへ行っては、グロッキーしている店員さんたちをパワーチャージ(乾杯)して回っているだけなのだが。
これが、私のマウスは少しクリックが硬めなので、カチカチッと打つのにスタッカートが入り時間ががかる。
ちょうどフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の最後の節回し、
” Abreuve nos sillons !”(チャ~ラ~、チャラッチャラッ!)
にぴったりなので、私はラ・マルセイエーズを鼻歌で歌いながらゲームをしていることになる。
多分意味は「田畑を満たすまで」だと思うが…確証持てません、ハイ、こーゆー時に限って辞書は雲隠れするもので。(笑)

このラ・マルセイエーズ、フランスの小学校低学年の教科書には載っていない。
理由は「歌詞があまりにも残酷だから」。

「 敵の汚れた血…獰猛な兵士の怒号が…奴らは来る 汝らの元に汝らの子の喉を掻ききるため…陰謀をめぐらす王とそれに仕える国賊の奴隷連中は…」
と、いった具合。

EUが成立した今、「あまりにも血なまぐさいんで歌詞変えようか」という動きもあるらしいのだが、結局のところ話は進んでないらしい。

でも映画「カサブランカ」や「エディット・ピアフ」で、ここぞというとき出てくる「ラ・マルセイエーズ」は、意味の分らない異邦人にとっては「カッコイイ!」のでありました。

と、いうわけで、さて、一節うなりにカチャカチャやってくるか。(笑)

ハチ公物語2011年09月06日 17:43

いきなり1987年制作のファミリー映画の話で申し訳ないのだが。
友人は確かに見たという。
ハチが左斜め45度で飛んでゆくのを。
これは密林でレンタルビデオ崩れで1円になった「ハチ公物語」を買って確かめるしかない。
わー、加藤嘉さん、殿山泰司さん、浦辺粂子さん、山城新伍さん、菅井きんさん、懐かしい名優勢揃いである。
書生役は尾美としのりさんだし、お手伝いさんは片桐はいりさんだし、主役は仲代達矢さん、その妻に八千草薫さん、何て豪華なキャストなの。
原作と脚本が新藤兼人さんだし。
しかし、秋田から渋谷までチッキで運ばれてくるハチは生後2ヶ月にしちゃでかすぎるんである。
何かの事情で撮影遅れたのね。

は、さておき。
友人はこの心温まるファミリー映画のラストシーン、ハチ公が死を迎えるとき、幻でご主人様が帰ってくるのを見る、そのときに嬉しさのあまり飛びつく、その角度が左斜め45度だったと言うんである。
「投げたのよ!」

こういったバカバカしいことには俄然興味がわく私である。
実際に手に入れました、見ました。
おお、ハチが雪吹きすさぶ渋谷駅の前で力尽きて伏せて、それでもご主人様の帰りを待っているぞ。
と、そこへ幻の仲代達矢、おもわず駆け寄り飛びつくハチ!

左45度ではなかった。しかし、飛びついたらみょ~んと体伸びますよね。

下半身丸まって防御の態勢。こんなポーズじゃ飛びつけないよー。

結局「スタッフがかかえて投げた神話」は覆されなかったのデシタ。(笑)

しかし、駅前の焼き鳥屋台の奥さん役、加藤登紀子さんは上手いなあ。
「居酒屋挑治」のときもそうだけど、好きだわ、わたしゃ。

老女撥ねらる2011年09月08日 16:37

以前、養母の家を片付けていたとき、押し入れから湿気取りの新聞紙が出て来た。
「本日旭区(横浜市)発足」がトップだから40年昔の新聞である。
一面のありがたいことは、ひっくりかえすと社会面になっていることである。
「老女撥(は)ねらる」という見出しで下の方に小さく交通事故の記事が載っている。
さて老女と言うからには腰の曲がったおばあさんかと思ったら、52歳の女性であった。
今だったら婦人団体から抗議が来るな。

私は母方の祖母の顔を長いこと知らなかったのであるが(なにせ戦災で丸焼け)、昨年親戚のつてを頼って、やっとご対面した。
1961年に60歳で、病で逝っているから、それ以前の、50代後半の姿である。
が、これがどう見ても立派な「お婆さん」なのである。
白髪まじりの結った髪、和服、柔和な顔のしわ、パーフェクトに「お婆さん」しているのである。
たぶん初孫が生まれた時だから56~7歳。

これは久世光彦さんの「夢あたたかき」(現在は「ふれもせで」と合本で「向田邦子との二十年・ちくま文庫」になっている)にも似たようなエピソードが出ている。

私は現在49歳だが、「年」を感じると言えば、車のナビ席日焼けで左側だけできた顔のシミがとれないくらいで、老いたと言う実感はない。
あと半年後、50歳で「老女撥ねらる」なんて新聞に書かれたら、抗議するぞ(笑)。

この40年、いや正確には敗戦後の66年間、日本人は平均寿命を延ばしに延ばしてきた。
「定年65歳説」がとりざたされるくらい、「人間五十年」の余命は長い。

養母の家の跡地に球根を植えに行ったら、スーパーの袋を下げた見知らぬ年配の男性に声をかけられた。
聞けばすぐ御近所、ちょっと奥まったところに住んでいる人だった。
「2ヶ月前に妻に先立たれましてね…」
誰でもいい、誰かと言葉を交わしたかったのだろう。
「むさ苦しいもんです、じじいの一人暮らしなんて」
と、苦笑いした、そのスーパーの袋は透けなくても分る、ペヤングソース焼きそばで一杯。
ああ、この人は自分で料理出来ないんだな、それでは味気ない、寂しい一人暮らしだろうなと思った。
私の周りは、父は三宅島暮らしで料理を覚え、兄は山男なので自然と料理が出来、ドッコイ氏はボーイスカウト育ちなので鳥一羽さばける腕前である。

ツレアイをなくしてからの夫婦の平均余命は、女性が十年、男性はたった二年である。

厳しいものである、生きてくということは。

私は普通の人より心拍数が多いので、たぶん平均寿命まで生きないだろう。
のこされたドッコイ氏が、糖尿病と一病息災、あ、心臓もあるか、二病息災で長生きしてくれることを祈るばかりである。
なんと言っても彼の作るオックステール・スープは絶品であるからして。
老後も「料理名人のじいさん」として長く生きてちょ。

私には夢がある。
私を失ってからの彼の食生活を写真を交えた料理本にまとめ、解説を書き、「男やもめのクッキング入門」という本を企画し、出版することだ。
しかし、その時私はこの世にはいないのである、あぁ!

祇園精舎の鐘の音2011年09月09日 04:34

あー、びっくりした!
夜中の3時、ツレアイ・ドッコイ氏が突然寝言で
「琵琶法師がっ!」
と言ったんである。確かに言った。
どんな夢を見ているのかな、見た夢は全然覚えていない人だから、朝になって聞いても
「知らん。」
のひと言でおわりなんだろうけれども。
この夏気張って三波春夫先生の長編歌謡浪曲「平家物語」全巻セットなんて買っちゃったからかしらん?
もうレム・ノンレムが入れ替わって、ぐうぐうと大きないびきをかいている。
諸行無常の響きあり、である。

いくら何でも2011年09月09日 16:27


人さまのブログで見つけて吹いたので。

この就職難の時代に、庭師で、風水師で探偵で、
しかも洛北の屋敷で起きた密室殺人なのに「事件」はみんな屋外で起きて、
犯人も石灯籠飛ばすは、池に白煙たかせるは、楽じゃないのね、と。


一万円のフタ2011年09月11日 06:00

私はいつもすっぴん、化粧をしない女である。
化粧をしていたのはファッション関連の仕事をしていた短い時期だけで、高いヒールの靴を履き(すぐずっこける)表参道はスパイラルホールのカフェで「次回のコンセプトは…」なんて、慣れない言葉を使いスタイリストさんと打ち合わせをしていた。
もちろん「VOGUE」はフランス空輸便で取り寄せていたし、厳しくて金のかかる仕事であった。(その分報酬もガッチリ頂いたわけだが)

それがなんで1万円のシミよけ、シミ取りクリームを買う気になったかというと、
1・一流新聞に全面広告載せた自信
2・信頼できるメーカーだったから
3・個人的思い入れ
である。

1 新聞の全面広告は、25年前で朝刊2千万、夕刊1千万である。それを載せるとは相当自信があるに違いない。
2 発売したのは「日本全国の皆さまの歯を白くして何十年(もしかしたら一世紀近いかもしれん)のサンスターである。そこが19年かけて開発したというのだから、たぶん効くだろう。
3 サンスターは私の好きなTVドラマ「やっぱり猫がすき」の単独スポンサーであった。あのような実験番組にどんと金を出したその胸板の厚さを買った。

…というわけで、それまでビタミンCのサプリメントをカプセルから出して、粉末を水に溶いてつけていた「2年越しのシミ」を、
「いっちょサンスターにまかせてみるか!」
という気になった次第である。

チューブに入った乳液は、思っていたよりも小さく、ますます
「いい仕事しまっせ!(サンスターは関西のメーカーである)」
と言っているようではないか。
根が小市民な私は「真珠の粒ほどを手のひらにつけて塗ってください」の解説書にも
「真珠といってもいろいろあるからね」
と、ちょいとつけて、(単に脂っぽいのキライというのもあるが)顔と、助手席ナビ焼けした左手の甲につけていた。
おお、さすが老舗の19年、効いてきたぞ、と思った矢先!

フタをなくしちゃったんである。

「ハウルの動く城」もまっ青な迷宮の我が家の中で!
まさか「1万円だからフタだけ売って下さい。」とも言えず。
とりあえず本体の口をラップで被って、
「フタや~い、とほほ…」
と探してはいるのだが。

あさましいのはフタを落としたその瞬間
「一万円のフタ」
というタイトルがパッと浮かんだ私の「ネタ拾い欲」なのであった。
ちゃんちゃん♪

中秋の名月2011年09月12日 21:02

実家で、珍しい虎斑のススキ(葉っぱが虎の尾のように白い斑模様入)で母と二人お祝いしました。
といっても肝心要の月は外に出ないと見えないんですけれどね、団地の1階だから。

名月や メタボリックな 乱視かな

乱視の私には満月は横にした卵のように見えるんですね~。ナントモハヤ…

さて、月の歌と言えば「荒城の月」と「炭坑節」なのですが。
あなたは「荒城の月」のメロディーで「炭坑節」が歌えると知っていましたか?

「炭坑節」の歌詞を「荒城の月」のメロディーでどうぞ。
(さん、ハイッ♪)
月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)

そして、ちょっと強引なんですが、合いの手を入れると、「炭坑節」のメロディーで「荒城の月」が歌えます。

荒城の月歌詞
(さん、ハイッ♪)
春高楼(こうろう)の 花の宴(ヨイヨイ)
巡る盃 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ(サノヨイヨイ)

ポイントは「ヨイヨイ」と「サノヨイヨイ」です。

こんなこと知っていても一文の得にもならないんだけど、酒宴の余興にでもどうぞ(笑)。

酔芙蓉2011年09月20日 05:41

よくも付けたり、な名前である。
朝白く咲き、午には桃色で夕方散り際には濃い桃色になっている。
近所の植え込みにひと株あって、そろそろ花が終わる季節である。

酔うと血管が広がって顔が赤くなる。
日本人に多いらしい。そもそも日本人は特に酒に弱いらしく、中国に商談に行った伯父が、
「いや、宴席での『乾杯(カンペイ)攻め』には参った!」というくらい、強い白酒(パイチュウ)を何度も飲み干すらしい。
一昔前の白酒はアルコール分50度位ある。
もっとも故・周恩来氏は足元にバケツを置いて、ほとんど飲まずに捨てていた。という逸話もあるが。

ドッコイ氏も酒は遺伝的に飲めない。肝臓がアルコールを分解できない「天然下戸」である。
たまにホームパーティーなどにお呼ばれしたときはシャンパンを杯に3分の1、ということもあるが、酔態をさらすことはなく、すぐに別室を借りて横になって眠ってしまう。
酒が嫌いなのではなく、単純に飲めないのである。
白いままの酔芙蓉で、これはこれで、人生のツレアイとして私は気に入っている。

濃い桃色ではなく紅に酔ったことがある。
ジュブナイル文庫の仕事をしていたときで、組んでいた作家さんと、出版社のある神楽坂の酒宴に招かれた。
「新シリーズでも始まるのかしら?」
と心ときめかせて行ったら、親会社の都合で文庫そのものがなくなるという。
この日の酒は不味かった。
行った先はお好み焼き屋で、何枚も何枚もお好み焼きが出てくる。
「すみません、すみません。」
と、担当始め、スタッフは詫びるのであるが、親会社の意向とあってはそちらも被害者であることに変わりはない。
ゲーム攻略本も手がけている会社で、そちらの「坊や」もふたり参加したのだが、表情もなく、話がつながらないどころか、話にならない。
「宴席での話芸のひとつも心得てないと、人生損するよ。」
と言いたいところなのだが、グッとこらえて、デクノボーを目の前に飲んでいたら悪酔いした。
当時の私は恐ろしく酒に強かったのであるが、二次会のお誘いを断って帰った。
悪酔いと言っても、端から見れば平然としていて、飲んでいるのかいないのか分らない程なのだが、最後のタクシーの行列でたまらなくなって、物陰に行って吐いた。
しれっとして列に戻ったので、前後の人は何が起きたか分らなかったろう。
後にも先にも小間物屋を開いたのはその一回のみである。
悪い酒だった。
酒、というよりお好み焼き攻めに胃が負けたような感じ。
記憶に残っているのは表情も変えずお好み焼きを黙々と頬ばっているデクノボーふたりである。

「飲んだら吐くな、吐くなら飲むな」が学生時代の合い言葉であったが、時々酒に負ける人もいた。
「吐くな-、酒がもったいねぇっ!」
と、これまた泥酔した先輩が怒鳴るのであるが、
「吐いたのは食ったもんで、酒じゃねえやいっ!」
と腰をふらつかせながら言い返す方も強者。
山賊の巣のような大学だった。
酔芙蓉だらけだった。
中で一人、ドッコイ氏と同じ体質の先輩がいて、宴会の前にチーズ食べさせるわ、つぶれたら
「ハナ~(当時の私のアダナ)オレもうダメ~」
といって膝枕せまられるわ、(二つ折りにした座蒲団をあてがっておいた、私も飲んでいたからね)、水だ頭痛だバファリンだと大騒ぎだった。
彼は最初が「カ」から始まる名前なのだが、あんまり懲りないので口の悪い先輩は「バカ○○」と呼んでいた。

しかし、卒業後、彼は私にプロポーズしたのである!

返事をしようとしたデートのその朝に、彼の母親が脳内出血で倒れ、一ヶ月後に亡くなった。
プロポーズの答えは宙ぶらりんのまま、それからいろいろあって、私たちは静かに別れた。

ように見えてっ!

結婚式の3日前に、べろんべろんに酔った彼は夜中にウチに電話をかけてきたんである。
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
オンドリの時の声のように3回繰り返して
「そうか、聞えないか…。」
と、夜中のがなり合いは終わった。
「あなたも、私みたいなヤクザな女に未練持たずに、体大事にして(彼にはものすごく辛い持病があった)いい相手見つけなさいよ。」
「うん…」
「じゃあね、切るわよ。」
「幸せにな。」
「ありがとう。」
あの日、プロポーズを受けるつもりだったことは、永遠の秘密である。

しかし、彼は本当に紅芙蓉だったのだろうか。

紅のふりして、本当は「白」だったのかもしれない。

東日本大震災の義援金受け付け延長2011年09月23日 16:51

(写真はタコ取りカゴ)

日本赤十字社の義援金受付期間が今月の9月30日から来年の3月31日まで延長されました。

いや、絶対「9月終わり」じゃ早すぎると思っていたのですが。

日本赤十字社のアドレスは http://www.jrc.or.jp/index.html

Googleで「日本赤十字社」でも検索できます。


義援金窓口
■ 通常払込み(ゆうちょ銀行・郵便局)
口座記号番号   00140-8-507
口座加入者名   日本赤十字社 東日本大震災義援金(手数料無料)

また「赤い羽根共同募金会」では「災害ボランティア・NPO活動サポート募金」としても、再来年の3月31日まで受け付けています。こちらも検索してみて下さい。

「復興市場」で検索すると、「こちらでお金を出して、地元の商店から被災者に商品が届く」、という「地元の商店街と組んだ支援」が、粉ミルク1缶・紙おむつ1パックからできます。

画面では「あと○個」と出ますが、1個から入金できます。現在秋冬に向けての暖房用具、避難住宅用の調味料セットなどがよく出ます。漁の道具なども出始めて(タコ取りカゴなんて)確実に復興の手応えが感じられます。
(しかしクリネックスティッシュの5個パックがホントは定価1050円・税込みだとは知らなかったよ、パトラッシュ…)
こないだお小遣いがちょっと浮いたのでミルク鍋ひとつ、900円ちょいを支援しました。

お気軽にどうぞ。支払い法はいろいろですが「PayPal決済」でも送金できます。

お彼岸と台風一家2011年09月26日 04:38

恥をさらすようでナンだが、私は二十歳を過ぎるまで「台風一過」を「台風一家」だと思っていた。
だって「寺内貫太郎一家」とか「あばしり一家」とかあるんだもの(笑)。
台風の目はお父さん、雲はお母さん、風はお兄さん、雨は弟だと思っていた。

さて、おとついは、お彼岸の中日をずらしてドッコイ氏のお里(信州)へお参りに行って来たのだが。
朝4時起きして、5時半過ぎにに出発、途中休み休み行ったのだがあっさり10時頃に着いてしまった。
お義母さんとお墓参りして、おそば屋さんで早めの昼食を食べ、徒歩ではちょっと離れた所にある大型スーパーに行ってお義母さんの買い物につきあったわけだが。
売ってたのがこれ。

スティックのすあまって初めて見た。
味はフツーの「すあま」だった。
で、隣村のよろず屋さんがこの看板「バナナ屋」。バナナ専門店では決してないの。

帰りは行きと違う通り道を通ったのだが、これがいけなかった!
山肌が所々小さく土がむき出しになっていて、峠の土砂崩れで片道通行の「大渋滞」に巻き込まれちゃったのである。
結局家にたどり着いたのは10時過ぎ。(予定では6時半)
改めて自然災害の怖さが身にしみた1日であった。

ふう、やれやれ