朝のチンポコ2011年10月17日 01:39

敢えて伏せ字は使わないぞ「チンポコ」のモンダイなのだ。

二十代の時に友人たちと京都と奈良へ旅行した。
遷都千年なんてまだずっと先のことで、ひとり京都マニアがいて、ひとり奈良マニアがいて、何の不自由もなく「穴場」をホイホイ効率よく回り、「観光客の少ない時間帯」なんてのも計算され尽くしていて、ゆったりと、それはそれは楽しい旅だった。
私たちもまだ「若い娘さん」にひっかかるお年頃で、歩いて歩いて観て食べて、歩いて歩いて観て食べて、貧乏だがその範疇で精一杯楽しんだ。
しかし、である。寺の名は隠すが、朝一番の参拝の始まった頃、きらきらしい朝の陽射しの中、お堂とお堂を結ぶ石畳をみんなで歩いていたその時。
向こうから修行僧と一目で分る若いお坊さんがふたり歩いてきた。
ふたりとも少年の面影を残すけっこうな美男子である。

いざすれ違おうというその時。
背の低い方のお坊さんが確かに言ったのだ、
「だからぁ、『チンポコ』なんだよ。」
へっ!?
今確かに「チンポコ」と聞えましたが!?
こういうとき私たちの行動は万事ぬかりなく、前へ前へとバックするんである。
心清らな若いお坊さんがなんということを!
それはお寺の中では「魔羅(マラ)」と言うのではありませんか?(こんなことだけ妙に詳しい)
しかし、背の高い方のお坊さんが言ったのだ、
「チーン…ポコ、じゃないのか?」
「いや、あそこは早くていいの、唱名が始まる直前にチンポコでいいんだよ。」

朝の読経の、お鈴(りん)と木魚のタイミングの話をしているのであった。

開祖・隠元和尚様(これで寺の名は知れる人には知れるね)ごめんなさい。

私たちが悪うございました。