酔芙蓉2011年09月20日 05:41

よくも付けたり、な名前である。
朝白く咲き、午には桃色で夕方散り際には濃い桃色になっている。
近所の植え込みにひと株あって、そろそろ花が終わる季節である。

酔うと血管が広がって顔が赤くなる。
日本人に多いらしい。そもそも日本人は特に酒に弱いらしく、中国に商談に行った伯父が、
「いや、宴席での『乾杯(カンペイ)攻め』には参った!」というくらい、強い白酒(パイチュウ)を何度も飲み干すらしい。
一昔前の白酒はアルコール分50度位ある。
もっとも故・周恩来氏は足元にバケツを置いて、ほとんど飲まずに捨てていた。という逸話もあるが。

ドッコイ氏も酒は遺伝的に飲めない。肝臓がアルコールを分解できない「天然下戸」である。
たまにホームパーティーなどにお呼ばれしたときはシャンパンを杯に3分の1、ということもあるが、酔態をさらすことはなく、すぐに別室を借りて横になって眠ってしまう。
酒が嫌いなのではなく、単純に飲めないのである。
白いままの酔芙蓉で、これはこれで、人生のツレアイとして私は気に入っている。

濃い桃色ではなく紅に酔ったことがある。
ジュブナイル文庫の仕事をしていたときで、組んでいた作家さんと、出版社のある神楽坂の酒宴に招かれた。
「新シリーズでも始まるのかしら?」
と心ときめかせて行ったら、親会社の都合で文庫そのものがなくなるという。
この日の酒は不味かった。
行った先はお好み焼き屋で、何枚も何枚もお好み焼きが出てくる。
「すみません、すみません。」
と、担当始め、スタッフは詫びるのであるが、親会社の意向とあってはそちらも被害者であることに変わりはない。
ゲーム攻略本も手がけている会社で、そちらの「坊や」もふたり参加したのだが、表情もなく、話がつながらないどころか、話にならない。
「宴席での話芸のひとつも心得てないと、人生損するよ。」
と言いたいところなのだが、グッとこらえて、デクノボーを目の前に飲んでいたら悪酔いした。
当時の私は恐ろしく酒に強かったのであるが、二次会のお誘いを断って帰った。
悪酔いと言っても、端から見れば平然としていて、飲んでいるのかいないのか分らない程なのだが、最後のタクシーの行列でたまらなくなって、物陰に行って吐いた。
しれっとして列に戻ったので、前後の人は何が起きたか分らなかったろう。
後にも先にも小間物屋を開いたのはその一回のみである。
悪い酒だった。
酒、というよりお好み焼き攻めに胃が負けたような感じ。
記憶に残っているのは表情も変えずお好み焼きを黙々と頬ばっているデクノボーふたりである。

「飲んだら吐くな、吐くなら飲むな」が学生時代の合い言葉であったが、時々酒に負ける人もいた。
「吐くな-、酒がもったいねぇっ!」
と、これまた泥酔した先輩が怒鳴るのであるが、
「吐いたのは食ったもんで、酒じゃねえやいっ!」
と腰をふらつかせながら言い返す方も強者。
山賊の巣のような大学だった。
酔芙蓉だらけだった。
中で一人、ドッコイ氏と同じ体質の先輩がいて、宴会の前にチーズ食べさせるわ、つぶれたら
「ハナ~(当時の私のアダナ)オレもうダメ~」
といって膝枕せまられるわ、(二つ折りにした座蒲団をあてがっておいた、私も飲んでいたからね)、水だ頭痛だバファリンだと大騒ぎだった。
彼は最初が「カ」から始まる名前なのだが、あんまり懲りないので口の悪い先輩は「バカ○○」と呼んでいた。

しかし、卒業後、彼は私にプロポーズしたのである!

返事をしようとしたデートのその朝に、彼の母親が脳内出血で倒れ、一ヶ月後に亡くなった。
プロポーズの答えは宙ぶらりんのまま、それからいろいろあって、私たちは静かに別れた。

ように見えてっ!

結婚式の3日前に、べろんべろんに酔った彼は夜中にウチに電話をかけてきたんである。
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
「愛してるぞーッ!」
「聞こえねーなーッ!」
オンドリの時の声のように3回繰り返して
「そうか、聞えないか…。」
と、夜中のがなり合いは終わった。
「あなたも、私みたいなヤクザな女に未練持たずに、体大事にして(彼にはものすごく辛い持病があった)いい相手見つけなさいよ。」
「うん…」
「じゃあね、切るわよ。」
「幸せにな。」
「ありがとう。」
あの日、プロポーズを受けるつもりだったことは、永遠の秘密である。

しかし、彼は本当に紅芙蓉だったのだろうか。

紅のふりして、本当は「白」だったのかもしれない。