忌野清志郎・兄貴 ― 2011年04月01日 18:45

「原発はいらねー、牛乳が飲みてー、ほんの少し考えりゃー、君にも分かるさー♪」
と歌ったのは忌野清志郎兄貴だった。
ホント、牛乳売ってないのよね、ここいら近辺。
カルシウム剤アレルギーの私は牛乳がないと困る。
兄貴、この街はまったく兄貴の歌ったとおりになっちまいやしたぜ。
と歌ったのは忌野清志郎兄貴だった。
ホント、牛乳売ってないのよね、ここいら近辺。
カルシウム剤アレルギーの私は牛乳がないと困る。
兄貴、この街はまったく兄貴の歌ったとおりになっちまいやしたぜ。
難しい東京電力用語 ― 2011年04月03日 00:39

【上方に通常で無い方法で解放された】=【爆発した】(3/12)
【職員を移動させた】=【職員を避難させた】(3/15・読売新聞)
【転進セリ】=【敗走した】(大本営発表)
【総員玉砕セリ】=【全員戦死した】(大本営発表)
ホント、「言葉が恐い(向田邦子)」
【職員を移動させた】=【職員を避難させた】(3/15・読売新聞)
【転進セリ】=【敗走した】(大本営発表)
【総員玉砕セリ】=【全員戦死した】(大本営発表)
ホント、「言葉が恐い(向田邦子)」
三代目 ― 2011年04月04日 01:04

「SB孫社長個人で百億円寄付」のニュースの見出しを読んで「ほー、さすが日本一のカレー粉屋さん、三代目は金持ちだなあ~!」と感心していた30分。老いた。つくづく老いたと。
ご縁切り ― 2011年04月05日 16:53
先日ある人と縁を切った。
「東北関東大震災の前に神様からお告げがあった。」という。
ならば起こる前に堂々と公言すればよい。
事が起きてから自分だけが神様から寵愛を受けているようにあちこち言いふらすのは卑怯である。
人とのご縁は大切なもので、繋ぐのは難しく、切るのは辛い。
特に私のように子供がなく居職の人間は、ほんとうに「縁」というものは宝物で、それを自分から手放すのは身を切る思いである。
それでもあえて、私は縁を切った。
人間として卑怯だからである。
卑怯者に対してニコニコしているほど、自分に対してウソつきではないぞ、私は。
「東北関東大震災の前に神様からお告げがあった。」という。
ならば起こる前に堂々と公言すればよい。
事が起きてから自分だけが神様から寵愛を受けているようにあちこち言いふらすのは卑怯である。
人とのご縁は大切なもので、繋ぐのは難しく、切るのは辛い。
特に私のように子供がなく居職の人間は、ほんとうに「縁」というものは宝物で、それを自分から手放すのは身を切る思いである。
それでもあえて、私は縁を切った。
人間として卑怯だからである。
卑怯者に対してニコニコしているほど、自分に対してウソつきではないぞ、私は。
忍者vs木村拓哉さん ― 2011年04月06日 01:00

TV関係の仕事をしていた頃、取材は実際のスタジオに入ってスケッチすることだからひときわ神経を遣った。
広いスタジオ内の各セット、喫煙コーナー、大道具さんの装束や消えモノ(撮影に使う食べ物)コーナーなどをスケッチし、あとから俯瞰図(上から全体を見下ろしたアングル)にまとめる。
現場でのワンポイントレポートのネタ拾いもする。全身アンテナである。
しかも、様々なスタッフが行き交う中、その中のアシスタントの一人のように気配を消して、手の平サイズのスケッチ帳にサササッと一瞬で描いて、気分はもう忍者である。
忍者になりきることには自信があった。百人以上入っているスタジオの中、誰も私を気にかけない。
板東英二さんも野際陽子さんも、ほら袴田吉彦君だって私のこと、目の前にいても気付かないでしょ。
なのに遠くから射るような視線を感じた。
振り向いたら、若き日のSMAPの木村拓哉さんが私のことをじっと見ていた。
並外れてカンのいい人だなと思った。
そのあとのインタビューではセットの隣に座って、距離にして50センチくらいなのだが、しなやかな獣のように美しかった。
私は別にSMAPのファンでも何でもなかったのだが、惹かれる人の気持ちはよーく分かった。
TVの仕事は何本もしたが、忍者の面目丸つぶれだったのは、あのとき一回きりである。
広いスタジオ内の各セット、喫煙コーナー、大道具さんの装束や消えモノ(撮影に使う食べ物)コーナーなどをスケッチし、あとから俯瞰図(上から全体を見下ろしたアングル)にまとめる。
現場でのワンポイントレポートのネタ拾いもする。全身アンテナである。
しかも、様々なスタッフが行き交う中、その中のアシスタントの一人のように気配を消して、手の平サイズのスケッチ帳にサササッと一瞬で描いて、気分はもう忍者である。
忍者になりきることには自信があった。百人以上入っているスタジオの中、誰も私を気にかけない。
板東英二さんも野際陽子さんも、ほら袴田吉彦君だって私のこと、目の前にいても気付かないでしょ。
なのに遠くから射るような視線を感じた。
振り向いたら、若き日のSMAPの木村拓哉さんが私のことをじっと見ていた。
並外れてカンのいい人だなと思った。
そのあとのインタビューではセットの隣に座って、距離にして50センチくらいなのだが、しなやかな獣のように美しかった。
私は別にSMAPのファンでも何でもなかったのだが、惹かれる人の気持ちはよーく分かった。
TVの仕事は何本もしたが、忍者の面目丸つぶれだったのは、あのとき一回きりである。
飯粒二重 ― 2011年04月07日 20:47

いまでこそあったりまえー、なのだろうが、私が女子校生の頃、スケ番さんをのぞいてメイクをする女学生などいなかった。
冬のリップクリームと、ソックスがずり下がらないようにする糊「ソクタッチ」くらいのもんではなかっただろうか。
ニキビ対策がテレビコマーシャルでポピュラーになるのは、残念ながらもう一世代あとのことである。
しかし剛の者というのはいるもので、私のひとつ上の彼女は中2の一夏で二重まぶたになったのである。
使用したのは「ご飯粒」。
朝、ご飯粒をまぶたの際に貼り付けて、ヨイショと二重にしてしまう。
一夏続けて、立派な二重に定着した。
女子校生の信念岩をも通す、である。
彼女は後に「美貌と才能」で知られるシンガーソングライターになったが、美貌の二重の秘密を知っているのは当時の同級生を含むごくわずかな者のみである。(笑)
冬のリップクリームと、ソックスがずり下がらないようにする糊「ソクタッチ」くらいのもんではなかっただろうか。
ニキビ対策がテレビコマーシャルでポピュラーになるのは、残念ながらもう一世代あとのことである。
しかし剛の者というのはいるもので、私のひとつ上の彼女は中2の一夏で二重まぶたになったのである。
使用したのは「ご飯粒」。
朝、ご飯粒をまぶたの際に貼り付けて、ヨイショと二重にしてしまう。
一夏続けて、立派な二重に定着した。
女子校生の信念岩をも通す、である。
彼女は後に「美貌と才能」で知られるシンガーソングライターになったが、美貌の二重の秘密を知っているのは当時の同級生を含むごくわずかな者のみである。(笑)
てなもんや交通事故 ― 2011年04月09日 21:47

交通事故にあった。
といってもごくごく軽いの。
バスに乗っていたら横からワゴン車が突っ込んできた。トロトロ運転だったので、ドンッと一発来ただけである。
終点までひとつ、私一人が最後の乗客である。
運転手は私がまだ乗っているのに気がつかず相手の車に怒って降りていった。
戻ったところで私が
「あの~。私の怪我はどうしましょう?」
である。
「はぁ~!?」
人のまゆ毛とは困るとこんなにも下がるのかと知った。面長の人だったのでまさに草履の鼻緒である。(ちなみに時代劇俳優の高橋英樹さんは「十時十分」という。アナログ時計でお確かめ下さい。)
急ブレーキの際に、持っていた杖の柄で胸をしたたか打った。
痛いが、折った・ひびが入ったという程ではなさそうである。
警察が来て、調べて、時間も迫っていたので「人身ではなく物損事故」ということにした。
ドッコイが危険な中東に「じゃあね。」と旅立って1時間後、「厄落としの身代わり」と思えばこんなん軽い軽~い。
さすがに成田からの電話で「ちょっと交通事故にあった。」とあっけらかんと言ったらビックリしとったが。
バス会社からは「その後変調ありませんか」と電話がかかってきて、(親切な会社だ。また明日電話くれるって。)ちょっと痛いけど明日には治まるでしょう。
てなもんや交通事故の顛末、おそまつさま(笑)。
といってもごくごく軽いの。
バスに乗っていたら横からワゴン車が突っ込んできた。トロトロ運転だったので、ドンッと一発来ただけである。
終点までひとつ、私一人が最後の乗客である。
運転手は私がまだ乗っているのに気がつかず相手の車に怒って降りていった。
戻ったところで私が
「あの~。私の怪我はどうしましょう?」
である。
「はぁ~!?」
人のまゆ毛とは困るとこんなにも下がるのかと知った。面長の人だったのでまさに草履の鼻緒である。(ちなみに時代劇俳優の高橋英樹さんは「十時十分」という。アナログ時計でお確かめ下さい。)
急ブレーキの際に、持っていた杖の柄で胸をしたたか打った。
痛いが、折った・ひびが入ったという程ではなさそうである。
警察が来て、調べて、時間も迫っていたので「人身ではなく物損事故」ということにした。
ドッコイが危険な中東に「じゃあね。」と旅立って1時間後、「厄落としの身代わり」と思えばこんなん軽い軽~い。
さすがに成田からの電話で「ちょっと交通事故にあった。」とあっけらかんと言ったらビックリしとったが。
バス会社からは「その後変調ありませんか」と電話がかかってきて、(親切な会社だ。また明日電話くれるって。)ちょっと痛いけど明日には治まるでしょう。
てなもんや交通事故の顛末、おそまつさま(笑)。
とりかえばや物語 ― 2011年04月13日 23:11

古典に弱い私が読めたのは「角川ソフィア文庫」のおかげである。(さすが国文学の角川)
程よくダイジェストで程よく対比訳、解説付き。やれありがたや。
おもしろかった。
訳者は「著者は男女不明」と言っているが、女性ではないだろうか。男君が途中からステレオタイプになってしまうのに、女君の心理描写は最後まで細やかだ。
「乱れさせ給うに、せん方なく、恥ずかしうわりなくて、声も立てつばかり思い足る様なれど、人目をあながちに憚るべきにもあらず、聞きとがめて寄り来る人ともいかがはせん、驚かぬ御気色なるに、せん方なし」
・・・エッチだなあ・・・(笑)
程よくダイジェストで程よく対比訳、解説付き。やれありがたや。
おもしろかった。
訳者は「著者は男女不明」と言っているが、女性ではないだろうか。男君が途中からステレオタイプになってしまうのに、女君の心理描写は最後まで細やかだ。
「乱れさせ給うに、せん方なく、恥ずかしうわりなくて、声も立てつばかり思い足る様なれど、人目をあながちに憚るべきにもあらず、聞きとがめて寄り来る人ともいかがはせん、驚かぬ御気色なるに、せん方なし」
・・・エッチだなあ・・・(笑)
回避睡眠 ― 2011年04月18日 21:06

「鬱、ですね。」
「鬱、でしょうね。」
「まあ、この状況では。」
「ですねえ。」
診察室での会話。
ここで、「なんのこれしき」といきり立てるほどのパワーがあれば、十数年難治性鬱病なんてやっていない。
ただ困るのは、その外側に「ものすごく冷静な私」もいることで、新聞を読み、ニュースを見、現状とこれからを考えているのだ。
そして、その「冷静な私」の外側に「えらいこっちゃ!」とパニックの私がいて、そのまた私を一回り外からまた「冷静な私」が観察していて…。
入れ子細工の箱のように、人格が多層化していく。
これを止めるには眠るしかないわけで、私は最近薬の力も借りて眠ってばかりいる。正式には「回避睡眠」というらしい。(ウロオボエ)
眠るのにも、ものすごい体力と気力がいる。
医師に言わせれば「寝るのも大仕事」なんだそうだ。
まあ、そうでなくても「冷静とえらいこっちゃの繰り返し」でものすごく疲れるし。
無駄なパワーだなぁ、と思いつつ、生活のタイムキーパー役ドッコイが日本にいない今、私は「月の輪熊の冬眠」のように眠ってばかりいる。
「鬱、でしょうね。」
「まあ、この状況では。」
「ですねえ。」
診察室での会話。
ここで、「なんのこれしき」といきり立てるほどのパワーがあれば、十数年難治性鬱病なんてやっていない。
ただ困るのは、その外側に「ものすごく冷静な私」もいることで、新聞を読み、ニュースを見、現状とこれからを考えているのだ。
そして、その「冷静な私」の外側に「えらいこっちゃ!」とパニックの私がいて、そのまた私を一回り外からまた「冷静な私」が観察していて…。
入れ子細工の箱のように、人格が多層化していく。
これを止めるには眠るしかないわけで、私は最近薬の力も借りて眠ってばかりいる。正式には「回避睡眠」というらしい。(ウロオボエ)
眠るのにも、ものすごい体力と気力がいる。
医師に言わせれば「寝るのも大仕事」なんだそうだ。
まあ、そうでなくても「冷静とえらいこっちゃの繰り返し」でものすごく疲れるし。
無駄なパワーだなぁ、と思いつつ、生活のタイムキーパー役ドッコイが日本にいない今、私は「月の輪熊の冬眠」のように眠ってばかりいる。
二十四の瞳 ― 2011年04月23日 14:55

BSで高峰秀子の特集をやっていたので見たら、やっぱり出て来た。
1954年キネマ旬報賞1位(「7人の侍」が3位)、日本人の大好きな映画で、小豆島には銅像もある。(原作では島の名は出てこないのだが、ここでロケをやった)
すっきり心洗われる映画で、おとなも子供も楽しめ、たしかに傑作である。
でも私は原作の方が好き。
エピソードが多く、後半の自転車のくだりなんかもっと細かく大人の事情が絡んでいるし、全体に流れるテーマも、もっと濃厚に感じられるからだ。
もっとも、子供には映画の方が分かりやすいだろうが。
大人になったら原作読んで下さい、ときどき考察の深さにギョッとさせられます。
光文社60周年記念復刻版がよくて、帯に坪田譲治が「壷井栄さんは日本の女流児童文学者で初めて、実際に子育てしながら執筆した人。」とあって、驚いてしまう。
文学では岡本かの子も与謝野晶子もいたが、女性児童文学というのはそんなに困難な場だったのかと思う。
まこと、「二十四の瞳」というのは大人になってからがおもしろい作品である。
おすすめです。
1954年キネマ旬報賞1位(「7人の侍」が3位)、日本人の大好きな映画で、小豆島には銅像もある。(原作では島の名は出てこないのだが、ここでロケをやった)
すっきり心洗われる映画で、おとなも子供も楽しめ、たしかに傑作である。
でも私は原作の方が好き。
エピソードが多く、後半の自転車のくだりなんかもっと細かく大人の事情が絡んでいるし、全体に流れるテーマも、もっと濃厚に感じられるからだ。
もっとも、子供には映画の方が分かりやすいだろうが。
大人になったら原作読んで下さい、ときどき考察の深さにギョッとさせられます。
光文社60周年記念復刻版がよくて、帯に坪田譲治が「壷井栄さんは日本の女流児童文学者で初めて、実際に子育てしながら執筆した人。」とあって、驚いてしまう。
文学では岡本かの子も与謝野晶子もいたが、女性児童文学というのはそんなに困難な場だったのかと思う。
まこと、「二十四の瞳」というのは大人になってからがおもしろい作品である。
おすすめです。
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