闘う人2011年03月05日 04:24

映画「あしたのジョー」を観るまですっかり忘れていたのだが、私の母方の叔父は戦後のドサクサの中8回戦ボーイまで行っている。
その息子(従兄弟・会ったことはない)はプロのボクサーで、チャンピオンにはならなかったものの、結構強かったようだ。
叔母の家に行ったらパネル写真が飾ってあった。
だからどうというのでもないが、身内に「闘う人」がいるというのは、不思議な気分である。

ベルマーク火事2011年03月05日 15:21

(たまにはでっかいのを鑑賞して心洗われて下さい)
「ベルマーク運動(ベルマークうんどう)とは、学校などの教育施設、公民館など生涯学習施設の教育環境整備の助成と、交通などでハンデのある僻地の学校や養護、盲、ろう学校などの特別支援学校に対する援助を組み合わせて行われる運動で、朝日新聞社創立80周年記念事業として1960年に始まった。
ベルの形は「国内外のお友達に“愛の鐘”を鳴り響かせよう」との意味合いがある。」(ウィキペディアより)

昨年は「ベルマーク運動50周年」であった、が、書きそびれてしまった。
今年51年目である。

私の女子校時代、何に人気がないと言って、体育館の観覧席の掃除当番と(高くて、冬寒くて夏暑くて、汚れやすい)「ベルマーク委員」のなり手であった。
ベルマークは今よりずっと多くの商品についていて、集める生徒も面倒なら数える委員もちみちみ作業である。
ひたすら「その家のお母さんがマメか」にかかっている。

しかし! 私の在学中、一度だけこのベルマーク集めが白熱化したことがあった。
きっかけは単純で、ベルマーク委員会が、「各学年の今月のベルマーク点数」を掲示板に貼りだしたのである。
共学校の方には分かっていただきにくいだろうが、女子校生なんて、カーッ燃えやすい火の玉みたいなもんだ。(ま、外ヅラはおしとやかなところもところどころあるが。)

最初に乗ったのはお調子者の我が75回生であった。
「いい?マヨネーズはキューピー、キャラメルは森永、ガムはロッテよ!(今はもうはずれてしまったが、当時は5ミリ四方ほどの小ささで0.5点ついていた)」
翌月、我が学年が突出したグラフが掲示板に。
「やったね!」
と想う間もなく上級生がラリーをかけてくる。
あんなに、小さなベルマークに燃えた数ヶ月もなかった。

しかし、下級生がグランドピアノを買って(これもいまははずれているが)、何万点だかたたき出したのだ。
「あー、おもしろかったね。」
消火も早い火の玉ガール達は、「振り袖火事」、じゃない「ベルマーク火事」も急速に沈静化させたのであった。

なんだったんだ、あの騒ぎは(笑)。

試験科目「カンニング」2011年03月05日 22:18

東北の浪人生が京大入試でカンニングして逮捕されたというのが連日ニュース番組に取り上げられている。
リビアはどうしたリビアは!は!とんでもないことになっとろーがっ!、は、こっちにおいといて。
実世界に出ると、学校入試とはまったく別の競い合いが社会を動かしている。
「入試優等生=有能社会人」とはいかないのである。

いっそ産業能率大学あたり、受験科目に「カンニング」というのを科してはどうか。
限られた状況、時間内にどんな手を使うかは自由で「正確な情報」をキャッチする能力を競う。
萩尾望都の「11人いる!」なんか読んじゃうと、今の日本の入試は、絞るところをちょっと勘違いしてるな、と思う。
正直であることは人間の大切な徳であるが、目の前の状況に、どう最短距離で融通を利かせるか、というのはまた別の話。
湾岸戦争が始まる直夜、一触即発のイラクにいたドッコイは、出国できない状況下で、安全な一カ所にとどまらず、各地の病院をまわって(仕事は医療関係)出来る限りの仕事をしていた。

アンフェア、という点では責められるべきだろうが、過去、カンニングをしてパスした受験生がいないとは言い切れない。
単に見破られなかっただけかも知れない。
しつこくニュースになるのは彼が画期的方法を使ったからに過ぎない。

求められているのは学業の秀才たちか、社会に出てから有能な人間たちか。
投じられた石の波紋は、個人ではなく教育制度に、社会のありように、広がるべきであろう。
有名大学出で金の采配がウマいだけの者たちが司る国の出来事である。

点数だけを見るな、人間力を測れ。