「ここのつのメガネを持つ私!!」2009年10月01日 03:45

しかしなんだね、このところ私の日記は
「蚊に刺された」から始まって、「不健康交響楽」みたいになってていかん。
なにしろ昨日も、助けてくれたご近所の方のお名前も顔も知らないのだ。
一番近い歯医者に通う道なのに!しかもインプラントの仕上げには、あと3ヶ月もかかり、その間にちょこまか他の悪いところ治しのため週一で通う道なのに!

とりあえずすれ違う人にはみんなていねいに会釈しよう。
着ていた「コンゴウインコとルリコンゴウインコのアロハは来年までお預け。
帽子も替えよう。もうそろそろ秋物。しかし杖は・・・予備の黒地芥子柄のにすっか。(いつもはなくさないように派手なの。&「サクラ大戦」にひっかけて赤地に黄色い向日葵柄。カンナ&マリアよ♪)

メガネも替えよう、やっとブリッジの金具になれて(なれないと留め具が気になって歌舞伎の団十郎みたいに「より目」になっちゃうのよ!)気に入ってたリムレスもおあずけ。鼈甲風で「小公女のミンチン先生のような」仕事用の一番「お堅い」のにするか、薄いグラサンをレンズ透明に作り替えたのにするか、それと同じ型の薄いグラサンにするか・・・・

そう、私はグラサンを含めて9つのメガネを使い分けるヤツなのだ!

最初は「置き忘れたメガネを探すにはもうひとつメガネ必要」から始まったのだが、根が「人生裏街道(不良に許された数少ない職種)」なので、なんのかんの使い分けで9つになってしまった。1昨年になるか、老眼が入ってきたので全部レンズを入れ替えたら、笑っちゃう額になった。が、目は商売モノなので、これだけはお金をかける。全部で21万だったかな、眼鏡屋さんが下にもおかないおもてなしで、ずいぶん割引もしてもらった。(そらそーだろーね)
乱視が入ってるから5千円のお手軽安売りもんはダメなの。

指のリハビリは毎日続けてるし(まだ人物は描けない・背景と基本線だけ)、描きたい作品はとっくの昔に出来ているし、あとは治るだけ。
と、明るい話をかまそう!!

(いま病気で辛い、頑張ってる友人のためにもね。)

実況中継2009年10月02日 20:22

ただいま窓から部屋に「エサぶら下げたスズメバチ」が飛んできております。
部屋の灯りをひとつずつ消して、となりの灯りともった洗濯室に誘導中。
こんなときに運悪く着替え中だったもんで、
どこ刺されても痛いぞ〜!キャー!!
天上のライトとTV消して、ディスクライト消して、
ほとんど暗闇の中でございます。
果たしてスズメバチは去ってくれるでしょうか!?
もしも明日の日記が書かれていなかったら、
きっと刺されております、わたし。
では〜!!

2009年10月10日2009年10月10日 13:21

ノーベル平和賞が、アメリカの大統領バラク・オバマ氏に決定した。

金色の野原2009年10月11日 06:28

ススキの季節である。駐車場までの途中に少しばかりだがススキが風にそよぐ。

さて、私の女子校時代の同級生には、医者が多い。
歯科医も含めて7人に1人くらいじゃないかな。
なぜかというと「親が医者・歯科医」というのが多かったからである。私学にしては授業料が安くて、ナゼか医者の娘が多かった。それも「1人っ子」だったり「姉妹だけで兄弟なし」だったりした。
親の稼業を継がねばならぬ。
「医者は儲かるから」ではなく、たいていが「ウチが廃業するとこの街には○○医が(たとえば産婦人科だったり)が一軒もなくなってしまうから」という背景を背負っていた。
スキーの名手も、ものすごい文才の持ち主も、どすごいマンガマニアも、髙1〜2年あたりで腹をくくって「理科系志望」になった。

そのなかのひとりに、ふだんは別に仲良しではなくて(といってももちろん面識はあるぞ、1学年150人以下の、6年または12年一緒くたの女子校だもんね、)真面目で公明正大、頭も良くて美少女の、みんなに信頼されてて毎年前期か後期(2期制)の委員長か副委員長には絶対なる(長いこと一緒にいると、もうそのメンバーは決まってしまうのである)」という「まめ」というあだ名の子がいた。その名の通り小柄で利発でイイやつだった。

私は遠距離通学で町田から横浜のローカル線(なんせ木造の単線である)であったが、何かの用事で「まめ」がウチの方に用事があって、一緒の電車で帰ったことがあった。彼女は横浜の中心に住んでいた。
畑もない金色のススキの原っぱ、遠くに里山が見える、という所を、木造電車はガッコンギッシン揺れながら走ってゆく。学校はえらいにぎやかな都市のなかにぽつんと残った別天地みたいな緑の丘の上にあったので、
「え〜、こんな所から通学してるの?」
と、つり革(本物の革よ)につかまった彼女は驚いたようだった。
「そうだよ、だから朝は5時半に起きて、お彼岸過ぎると朝星夜星だよ。」
と私。ふたりで揺られながら、夕焼けの金色野原を眺めていた。
「あのね、スギウラさん」
「ん?」
「私、将来医師になって、学校に通えないような病気の子供たちのために、『学校の病院』作りたいんだけど、それって高すぎる望みかしら。」
まめはいつも聡明そうな、きりりとした美少女なのであるが、つり革につかまるその横顔が野原の金色の光をあびて、ものすごく真剣である。真面目な、「医者の一人娘」である。
ははぁ、これは親と「将来のこと」でなにか親と意見のくい違いあったな。
「別にそうは思わないよ。そういう子供たちが現実にいて、きっとそういった施設は、これからどんどん需要を増すと思うから。」
『需要を増す』
これはナゼかいつも「世界地理だけ絶対学年1位」の、へんてこなスギウラさんの用語である。(世の中いつも「需要と供給」の食い違いよ。)
「そうかな。」
「うん。聡明なあなたが考えて言ってるんだからそうだと思う。高望みじゃ決してないだろうし、あなたには将来それをやってのける能力あるんじゃないの?」
「そうかなぁ。」
ずーっと続く金色の野原をながめながら、あとはふたり黙っていた。

「まめ」は志望通り医大に受かった。
それから会っていない。金色の野原は今や瓦(いらか)の波である。
「病院作るの」も「学校作る」のもお金と緻密なプランの要る一生の大仕事である。ちょうど30年前の話、私たちは17才だった。
たぶん、「まめ」はそれをそろそろ始めているな、と、私には妙な確信がある。

アルマイトやかんのフタをつまむ2009年10月12日 10:30

私が米オバマ大統領のノーベル平和賞決定について1行だけしか書かなかったのはワケがある。「ノーベル賞くれる側の『勇みあし』じゃないか?」と。

考えて見りゃ、アメリカは今まだタリバーン相手にアフガニスタンで「戦争中」なんである。空爆だから当然民間人も死んでいるんである。それも軍と副大統領は増兵・減兵でケンカ中なんである。
バカブッシュJr. は劣化ウラン弾を使い、小児ガンの発生率は増えているし。

日本の岡田外相がアフガンに行ったが、インタビューに答える市民にゃ「日本には民間の生活を援助して欲しい。」と言われてて、とにかく無差別テロと空爆で困っちゃってるアフガニスタンの人々の「生活の安全」と「物資援助」を各国に呼びかけて、テロリスト・タリバーンの方が行動しにくい全体的な基盤という展開を作っちゃったあたりで、さて
「ではノーベル平和賞を・・・・」
と、後2年「110年待ち望んだ受賞者」としてあげた方がタイミングとしてはいいんじゃないか、「受賞?それはまだ早すぎる」と言ったポーランドのワレサさんの以外の、「世界の有名人みんなが『おめでとうと』しか言わない今」じゃ。

私はこう考える。オバマ氏はまだ演説しただけで、それまでの「京都議定書批准拒否」から画期的な「2009年4月5日・チェコのプラハ演説」で世界を「チェンジムードに持って行き、各国の援助を具体化して、『実際に足場を固めてみせてから』その「世界の希望」の方向性に対して受賞するべきではなかったのではないか?

緑茶は決してかんかんに沸騰しているヤカンから直接茶葉にお湯を注いではいけない。ポットに移し、片口でお湯を受け、急須でひととき間をおいて飲むのが一番美味しい。オバマ氏の渋った表情が(「本人も、重分厚い試験ドリルをを背負わせられて、これから全部100点をとり続けなければならない」という無責任側の無邪気な笑顔に、困惑しているみたいだし。

かんかんにお湯の沸いたアルマイトやかんの黒いつまみ、そのつまみを開けられた時の「あちッ!」が、最近のオバマさんの渋い顔に、私には見える。
これからの切り札も魔球もみんなコミで、いまもらっちゃってもなぁ。

「我々は108年待っていた」とノーベル委員会が言ってもさあ、「108」ったって「除夜の鐘」じゃないんだから、ホレ。

割り箸・プラ箸・焼き鳥の串2009年10月14日 05:16

街へ出て「あぁ、不況だな」と思うのは、食事の時の割り箸である。
ファミレスから結構なランクの店でも割り箸から使い回しのきくプラ箸になっている。
割り箸は間伐材から作るのである。割り箸製造業者が潰れれば、林業にもお金が廻らなくなり、森が荒れる。森が荒れれば林業そのものが荒れる、地上の緑が荒れれば海洋情況も荒れる(これを落語で言うと「風が吹けば桶屋が儲かる」になるのだが。)。

なにしろ「日本企業の3分の1がが契約、派遣労働者、3分の2が正規雇用」というところまで来ているのだ、なんかおかしい。

昔、景気の良かった頃、神楽坂の有名料亭の税金調査で税務署員が出されるゴミのバケツから割り箸の本数を調べて、
「もっと客が来ているはずだ。」
と迫ったところ、女将(おかみ)は
「ウチは高級料亭でございます。お刺身をお出しした後、お肉を召し上がるお客様に、「魚臭いお箸を使ってもらうわけには参りませんので、新しい割り箸をお出ししております。」
と反論して、税務署が負けたという。女将あっぱれ。

しかしなあ、せめて割り箸とプラ箸、半々で出して「お好みで」と言えるくらいに景気が回復すれば良いのだが。

行きつけの焼鳥屋の(夫婦ふたりでやっている小体な、すっごく美味い店)、休業日が1日増え、訊いたら「予約宴会のお客が減って、実は夫(板さん)と私、店賃確保のために『牛丼の○○』でバイトしてるんですよ。」と気心知れた奥さんの耳打ち。
ひえ〜、厳しすぎます、底冷え不況!
焼き鳥の串が竹から使い回しのバーベキュー串になったら・・・・どうしましょう、困るわ私(トホホ笑)

ミセス・ジョンソンと走ろう!2009年10月19日 23:09

私の夫、ドッコイは、気は優しくて力持ちな人であるが、お金をどこから調達してくるのか(あ、一応会社員です、G務省の関連機関の下請け会社員で、海外出張族)私の知らない銀行とクレジットを利用しているようです)突然でかい「買い物」をしたり、する。
17年間乗り切った「PAO」・日産)の後、いきなり外車、しかもマイナーなフレンチ・ルノーの「カングー・kangoo」という、後ろがアシンメトリー(左右同じじゃない)の観音開きで、本棚2棹軽く入る。フランスでは黄色いこれは郵便配達のご指定車であるし、日本の「赤は郵便局か消防かフェラーリか」ってカンジそのままである。だからお金持ちは2台目(物運び用)以外乗買わない。

コレを購入して以来ドッコイは変わった!
PAOの時は、父の譲り物だったのでわりとプレーンに使って、洗車も滅多にしなかったのに、カングーに替えたら、せっせと洗い、ガソリンはハイオク、前代からの「ピングーのぬいぐるみ」をシートベルトにつけ、後ろ席には鉄っちゃんを泣かせる汽車の木の座席札をさりげなく磁石で飾り、後ろなんて「SANMA・脂がのってます」のバック・カードと「リサ&ガスパール」の小さいのをちょこっと吸盤で止め、空間はみんな「私のご自慢の部屋です!」状態なのだ。

帰省したとき両親からお年玉をもらってさっさとECTに加入し、いままで地図帳頼りで「いいんです、私(ドッコイは自分のことを『私』という)は迷うのもドライブのひとつ主義ですから」と購入しなかったあのドッコイが・・・!

先週用があったためふたり車に乗ったら・・・・いきなり若い女の子の声が!
先客は声優さんにしたいくらいステキな声で「おねだり」をする『直子』!!

ドッコイが、ああ、このドッコイが浮気をしやがって、直子ちゃんを先にさっさと乗せていやがったんである、ガッテム!!宗旨替えしてカーナビ買い寄ってからに!!
とにかく直子ちゃんは甘えんぼで走っている最中「エルメス買って〜♪、ニューボトル入れて〜♪」じゃなくて、「左2キロ先、右折ですぅ〜」とか「左、信号左折ですぅ〜。」とか、やたらべたべたしゃべりたがるのだ!!恐るべし『カーナビ直子!!』なにが「迷うのもドライブのひとつ主義」だい!!
どこかでヘソくったな〜!!

私は即刻
「直子ちゃんと別れて!」
「それはもう買っちゃったからダメです。」
「じゃ、チェンジして!」
と、ドッコイにせまった。

で、言語操作して「英語で話すミセス・ジョンソン」に換えさせてしまった。
一般に日本のアナウンサー、ウグイス嬢は高めの発声をする。「若いほうが良い文化」、これは日本の考え方で、英仏だとこれが「年齢を重ねた方が良いが大人文化、アナウンスも電話も「低めの声が大人の声」なのだ。
ミセス・ジョンソンも」例に漏れず、綺麗なアルトである。
幸いドッコイは国際免許を持っていて、ミセス・ジョンソンの言っている言葉が分かる。私も彼女の声なら許せる。なんたって「ミセス」だし。

てなワケで、ドッコイは車に乗るとき、左から私のしゃべり、真ん中からカーラジオ(TBS派)右からミセス・ジョンソンの英語を聴きつつ、走るのである。

ちなみにミセス・ジョンソンの経歴は「1950年、カナダケベック州モントリオール出身で、フランス系。英国人のヘンリー・ジョンソンと結婚したので
正確な名前は「フランソワーズ・マルタン・ジョンソン」である。趣味は「日本の任侠映画」とガーデニングである。カーナビは教会のボランティアでやっている。
髪は少し白い物が混じりはめたロマンチック・ゴールドでシニョンにしていている。瞳の色は青とグレーの中間。好きな食べ物は「チーズケーキ」、甘党で、太るのを気にして水泳とヨガをやっているぽっちゃり型。A型、双子座である」

と、こんなもんでいかがでしょ(笑)。

「今日」2009年10月24日 21:45

あなたがむなしく生きた 今日は

昨日 死んでいった人が

あれほど“生きたい”と願っていた 明日

新・山種美術館2009年10月26日 22:23

この週末は、渋谷区広尾へお引っ越しした「山種美術館」へ「速水御舟(はやみぎょしゅう)―日本画への挑戦―」展を観に行ってきました。すごい迫力でした。40才で逝っちゃうなんて、そりゃないよ速水さん。

いやー、それにしても、この美術館は穴場!!
広い!二双一曲の屏風絵でもゆったり展示できちゃう!移転以前より天井も高くて、「あー、いいなー」とのんびり回れます。最近の美術館の中でも超Aクラスなんじゃないかな。ロビーもミュージアムグッズ売り場もティールームもゆったり。ドッコイとふたりでたっぷり楽しんで来ました。

かつては「幻の画家」と呼ばれた速水御舟。その一大コレクションを、ここは持っているんですね。ほかにも、小林古径ら、日本画のコレクションは、私設技術館としては日本でも有数のものじゃないかしらん。
私は、出が日本画なもんで、油彩画も彫刻も版画も造形も好きだけれど、一番しっくり来るのは日本画(それも昭和20年代くらいより前の)です。
養母のパートナーの作品もかなり買い上げてもらっているので、そのうち出るかも。山種証券は無くなってしまったけれど、その所蔵する日本画だけは、きちんとこういう形で残して、展示する場があって、本当によかった。

美術館の揮毫は故・安田靫彦先生で、私は孫弟子に当たります。(全然サボりっぱなしで描いてないけど・苦笑)

ティールームもゆったりしゃれた空間で、ランチもあるけど、お茶菓子がまた。
抹茶と「寿の鈴(妙に可愛かったのだ)」をいただきますした。抹茶美味しい。
和菓子は季節に応じて3点くらい、季節のお茶とのセットもあります。

「お茶飲みに」だけでも、価値があるぞ、ここは。

また行こうっと。

静かすぎるのも・・・2009年10月29日 22:44

ただいまHDDもDVDもCDも壊れちゃって修理中、かろうじて小さな音でMDだけ、の日々を送っております。いつ直るんだろ。

私はTV(特に民放)をほとんど観ません。耳と目に病気があって、いきなりボリュームアップとか、カッと光る、とかに健康体の人より反応が出やすいんだそうで、もう民放のCMタイムなんて最悪。
コンサートホールのスピーカー前もだめだなー。
過去、ひどいときには痙攣発作おこして倒れたり、吐いたりしました。
我ながらなんぎなやっちゃ(苦笑)。

その点DVDはね、楽。気に入ったのは何度も観るし、CMないし、音小さくして、「ん?」と思ったら後戻りできるし。

で、ビクターの機種(生産中止になっちゃったよ〜)を使っていたのですが、HDDの記録が一瞬にして消えました。毎回録画していた「日めくり万葉集」、改めてDVDで買うと8万円〜!(泣くよ、そりゃ。)

まだ修理から帰ってこないので、部屋が静かです。
ドッコイがカンボジアに出発する前に直ってきてくれないと、クリスマス頃までNHKニュースと天気予報と「鶴瓶の家族に乾杯」しか観られないわ。どーしましょ。