金色の野原 ― 2009年10月11日 06:28
ススキの季節である。駐車場までの途中に少しばかりだがススキが風にそよぐ。
さて、私の女子校時代の同級生には、医者が多い。
歯科医も含めて7人に1人くらいじゃないかな。
なぜかというと「親が医者・歯科医」というのが多かったからである。私学にしては授業料が安くて、ナゼか医者の娘が多かった。それも「1人っ子」だったり「姉妹だけで兄弟なし」だったりした。
親の稼業を継がねばならぬ。
「医者は儲かるから」ではなく、たいていが「ウチが廃業するとこの街には○○医が(たとえば産婦人科だったり)が一軒もなくなってしまうから」という背景を背負っていた。
スキーの名手も、ものすごい文才の持ち主も、どすごいマンガマニアも、髙1〜2年あたりで腹をくくって「理科系志望」になった。
そのなかのひとりに、ふだんは別に仲良しではなくて(といってももちろん面識はあるぞ、1学年150人以下の、6年または12年一緒くたの女子校だもんね、)真面目で公明正大、頭も良くて美少女の、みんなに信頼されてて毎年前期か後期(2期制)の委員長か副委員長には絶対なる(長いこと一緒にいると、もうそのメンバーは決まってしまうのである)」という「まめ」というあだ名の子がいた。その名の通り小柄で利発でイイやつだった。
私は遠距離通学で町田から横浜のローカル線(なんせ木造の単線である)であったが、何かの用事で「まめ」がウチの方に用事があって、一緒の電車で帰ったことがあった。彼女は横浜の中心に住んでいた。
畑もない金色のススキの原っぱ、遠くに里山が見える、という所を、木造電車はガッコンギッシン揺れながら走ってゆく。学校はえらいにぎやかな都市のなかにぽつんと残った別天地みたいな緑の丘の上にあったので、
「え〜、こんな所から通学してるの?」
と、つり革(本物の革よ)につかまった彼女は驚いたようだった。
「そうだよ、だから朝は5時半に起きて、お彼岸過ぎると朝星夜星だよ。」
と私。ふたりで揺られながら、夕焼けの金色野原を眺めていた。
「あのね、スギウラさん」
「ん?」
「私、将来医師になって、学校に通えないような病気の子供たちのために、『学校の病院』作りたいんだけど、それって高すぎる望みかしら。」
まめはいつも聡明そうな、きりりとした美少女なのであるが、つり革につかまるその横顔が野原の金色の光をあびて、ものすごく真剣である。真面目な、「医者の一人娘」である。
ははぁ、これは親と「将来のこと」でなにか親と意見のくい違いあったな。
「別にそうは思わないよ。そういう子供たちが現実にいて、きっとそういった施設は、これからどんどん需要を増すと思うから。」
『需要を増す』
これはナゼかいつも「世界地理だけ絶対学年1位」の、へんてこなスギウラさんの用語である。(世の中いつも「需要と供給」の食い違いよ。)
「そうかな。」
「うん。聡明なあなたが考えて言ってるんだからそうだと思う。高望みじゃ決してないだろうし、あなたには将来それをやってのける能力あるんじゃないの?」
「そうかなぁ。」
ずーっと続く金色の野原をながめながら、あとはふたり黙っていた。
「まめ」は志望通り医大に受かった。
それから会っていない。金色の野原は今や瓦(いらか)の波である。
「病院作るの」も「学校作る」のもお金と緻密なプランの要る一生の大仕事である。ちょうど30年前の話、私たちは17才だった。
たぶん、「まめ」はそれをそろそろ始めているな、と、私には妙な確信がある。
さて、私の女子校時代の同級生には、医者が多い。
歯科医も含めて7人に1人くらいじゃないかな。
なぜかというと「親が医者・歯科医」というのが多かったからである。私学にしては授業料が安くて、ナゼか医者の娘が多かった。それも「1人っ子」だったり「姉妹だけで兄弟なし」だったりした。
親の稼業を継がねばならぬ。
「医者は儲かるから」ではなく、たいていが「ウチが廃業するとこの街には○○医が(たとえば産婦人科だったり)が一軒もなくなってしまうから」という背景を背負っていた。
スキーの名手も、ものすごい文才の持ち主も、どすごいマンガマニアも、髙1〜2年あたりで腹をくくって「理科系志望」になった。
そのなかのひとりに、ふだんは別に仲良しではなくて(といってももちろん面識はあるぞ、1学年150人以下の、6年または12年一緒くたの女子校だもんね、)真面目で公明正大、頭も良くて美少女の、みんなに信頼されてて毎年前期か後期(2期制)の委員長か副委員長には絶対なる(長いこと一緒にいると、もうそのメンバーは決まってしまうのである)」という「まめ」というあだ名の子がいた。その名の通り小柄で利発でイイやつだった。
私は遠距離通学で町田から横浜のローカル線(なんせ木造の単線である)であったが、何かの用事で「まめ」がウチの方に用事があって、一緒の電車で帰ったことがあった。彼女は横浜の中心に住んでいた。
畑もない金色のススキの原っぱ、遠くに里山が見える、という所を、木造電車はガッコンギッシン揺れながら走ってゆく。学校はえらいにぎやかな都市のなかにぽつんと残った別天地みたいな緑の丘の上にあったので、
「え〜、こんな所から通学してるの?」
と、つり革(本物の革よ)につかまった彼女は驚いたようだった。
「そうだよ、だから朝は5時半に起きて、お彼岸過ぎると朝星夜星だよ。」
と私。ふたりで揺られながら、夕焼けの金色野原を眺めていた。
「あのね、スギウラさん」
「ん?」
「私、将来医師になって、学校に通えないような病気の子供たちのために、『学校の病院』作りたいんだけど、それって高すぎる望みかしら。」
まめはいつも聡明そうな、きりりとした美少女なのであるが、つり革につかまるその横顔が野原の金色の光をあびて、ものすごく真剣である。真面目な、「医者の一人娘」である。
ははぁ、これは親と「将来のこと」でなにか親と意見のくい違いあったな。
「別にそうは思わないよ。そういう子供たちが現実にいて、きっとそういった施設は、これからどんどん需要を増すと思うから。」
『需要を増す』
これはナゼかいつも「世界地理だけ絶対学年1位」の、へんてこなスギウラさんの用語である。(世の中いつも「需要と供給」の食い違いよ。)
「そうかな。」
「うん。聡明なあなたが考えて言ってるんだからそうだと思う。高望みじゃ決してないだろうし、あなたには将来それをやってのける能力あるんじゃないの?」
「そうかなぁ。」
ずーっと続く金色の野原をながめながら、あとはふたり黙っていた。
「まめ」は志望通り医大に受かった。
それから会っていない。金色の野原は今や瓦(いらか)の波である。
「病院作るの」も「学校作る」のもお金と緻密なプランの要る一生の大仕事である。ちょうど30年前の話、私たちは17才だった。
たぶん、「まめ」はそれをそろそろ始めているな、と、私には妙な確信がある。
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