最初のひと声2009年03月05日 12:51

これはテストです。ちゃんと書き込みされるかな?
トト師匠、3どうぞ確認してください。

その22009年03月05日 12:56

(2)トト師匠、他の、このブログを読んでくれている方がコメントを
寄せてくれる場合は、「コメント」をクリックしてもらえば良いのですよね。
私からお答えするときも「コメント」で良いのでしょうか?

「空想の翼」2009年03月05日 13:01

「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」
と色紙に書したのは、推理小説の巨匠・故・松本清張(せいちょう)氏である。今年はちょうど生誕百周年にあたる。
昨年だったか、彼の「砂の器」をリマスターして上映、DVDにもなった。
この映画(野村万太郎監督・加藤剛主演)が、ものすごくよくて、
「ああ、これを観て、萩尾望都先生は名作「訪問者」を描いたんだったなあ。」
などと、泣きながらもういちど初版の(ハードカバーのヤツです・笑)を引っ張り出して読み返していたら、また泣けた。
「訪問者」はすごいです。読んでください。

さて、この「空想の翼…」は、というと、日本の中小企業(でも世界でもハイレベル)「義足・義手・指・耳・おっぱい、なんでも失われたものすべてを再生する」中村ブレイス(島根県)という会社の社長(60才)、中村俊郎氏に、当地に取材に来た松本氏が贈った言葉である。

中村氏は若き頃、職人としての留学中アメリカで交通事故に遭い、病院の霊安室で
「生き返った」
という、とても不思議な、奇跡の体験をお持ちである。
(フランスの歌手・ヴェロニク・サンソンのようだ、が彼女の話はいずれまた・笑…「いつもの手」だわ、私のとっ散らかったアタマは)
事故の相手はひき逃げ。しかし、中村氏は
「殺さんといてくれて、ありがとう。僕は故郷のために働くぞ」
と、回復期間中に誓った、そして、中国地方の、人口500人の小さな村から、たくさんの若い、腕の良い職人さんたちを育て上げ、ハイクオリティーな製品を、いま世界に向けて製造し続けている。

「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」
これは、若き職人たちに贈った、松本氏の
「夢を追い、険しい現実を突き破れ!」
というメッセージである。

ついにアメリカで初の黒人大統領が誕生し、しかし世界は「百年に一度あるかないか」の大不況、日本では自動車産業を発端に若いホームレス、いわゆる「派遣切り」の嵐であおりをくらった、若年〜中高年管理職まで「明日は我が身か」の状況である。

築40年の古い公団住宅に住む私。
先日台所の蛍光灯が切れ、換えても明かりがつかず、管理事務所へ。
今日来てくれた業者の職人さんと、作業がてら
「本当に、奥さん、ウチの会社だって来月あるかないかですよー。(笑)」
「まあ、ウチの夫だって外務省の孫請けとはいえ、「湾岸戦争」と「イラク戦争」に巻き込まれて、もう老後の年金どうなるのかしらね−。(笑)」
なんていう会話をしていた。

昨年私は脳を患い、半年近く病院の閉鎖病棟にいた。医師の誤診もあって、果たしてこの先どう生きていったらいいのか、7歳児並の「体力」と、(個人差はあるだろうが、私にとっては)7才からリセットして中学1〜2年、うーん、所によっては高校生レベルかなあ」という「知力」での、「人生のターニング・ポイント」に、今、立っている。

世界も私も、ターニングポイント、
  今こそ『空想の翼で駆け 現実の山野を往かん』
         『夢を追い、険しい現実を突き破れ!』
の心で、おばちゃん年甲斐もなく(笑)人生で初めての「ブログ」ってものに取り組んでみました。まあ「帰ってきた抜刀質店」という掲示板もないスットコドッコイ・サイトの「日々是好日身辺雑記」の仮設と(パソコン壊れて、「GoLive」というソフトの使い方も忘れちゃったんで…あとパソコン通信時代の「お座敷ターザン」というフォーラムのリバイバルということで、(20ン年ぶりよ!)ぼちぼち参ります。

本日はご来店ありがとうございました!


ps.
アメリカのヒラリー・クリントン国務長官が、就任後初めての外遊先として、2月中旬にも日本を訪れることが明らかになっりました。(これを書いているのは1月末ですので、ゴメンね〜。笑)
アメリカの政府当局者によると、クリントン長官は2月中旬にも日本を訪問する方向で調整していて、その後、中国などにも立ち寄る予定だそうです。
今後、日程が変わる可能性はありますが、最初の外遊先を日本にすることで、「日米同盟重視」の姿勢を強く示す狙いがあるとみられてます。
来日が実現した場合、麻生首相らと会談し、アフガニスタン情勢に関して、日本の追加支援や北朝鮮問題などについて話し合われる見通しです。

この大不況の中、最初に手を握りあう国を「日本(ヨーロッパではなく)まして」
や「中国」でもなく…選んだのは賢明なことだし、日本人にとってはラッキーなことだわ〜。ただし「お迎えする○民党の○○首相がポカやらなきゃいいんだけれど!(笑)

いきなり「バトン」が。2009年03月06日 02:07

朋友(笑)「中桐ちゃん」から「カンナ・バトン」来ました。
んじゃいっちょ、答えてみっか〜(笑)
〈指定された【】内について答えるバトン〉


1・最近思う【カンナ】
漫画単行本の最終刊も出たし、あー、やっぱり私にとってはとびっきり「イイヤツ」なのよね〜♪
「サクラ1」ではファースト・ヒロインだったし、好きだわー。

2・この【カンナ】に感動
やっぱり沖縄の「お墓参り」でしょう。
「沖縄言葉」の本当の詳しい意味を知っていたから、びっくりした〜!
あと、ヒロインじゃない場合のファースト・フェードアウトの一言が泣ける。

3・直感的【カンナ】
牝虎

4・この世に【カンナ】がなかったら
かなりの友人が居なかったことになります。

5・【カンナ】を友人に譲渡するなら誰にする?
やらん。やれん。やらんぞ!(三段論法)

6・回してくれた人について何か。
人生色々。西原理恵子の「この世でいちばん大事な「カネ」の話」(理論社・1300円)をお勧めします。わかりやすいよん。

7・次に回す人10人に【】内を指定してください。
スルーでいきまっしょい(笑)。

妹・がま子2009年03月06日 15:28

養母の遺してくれた土地が横浜にあって、「90数段の丘の上」という、とんでもない立地条件ではあるが、寝たきりの父と足を痛めた母と「一緒に暮らす」ということで、廃屋・廃園になっていたのを取り壊し切り払い、1段上の家が「この機会に外壁をリニューアルしたい」というので只今工事待ち状態である。

すぐ近くに腕のいい整骨院の先生がいて、ドッコイの外国出張の後に行ったついでに土地も見てきた。休日なので工事はお休み。半分くらいかな、シートしてあったのは。
鬱蒼と茂る廃園の面影は、すでに、ない。

毎年春先になると決まって玄関先に大きなガマガエルが、のっしのっしとお出ましで、養母は「これ、がま子や」と言って可愛がっていた。
「毎年この季節になるとあたしに挨拶に来るんだよ、この子。」
「じゃ、私と姉妹?」
「ああ、どっちがお姉さんだかねぇ。」
そんな会話も、思い出をいったりきたりしている養母にはいつものことで、私は毎年がま子に
「初めまして。」
を繰り返していた。

すっかりなぎ払ってしまった庭、吹きさらしの、赤土の、ただの「土地」。
私の姉妹「がま子」は、いったいどこへ行ったのだろう。

新しく家を建てたら、とりあえず「ガマカエル」を飼う予定では、ある。
しかし売っているのかな、ペットショップでガマガエル…(笑)

あとね、小さい池を作ってアマガエルたくさん育てたいです。
「カエルの合唱」に、近所から騒音苦情がくるかなー?(笑)

梅にウグイス2009年03月09日 05:00

今年は梅が早いなあ。いたるところ、もう満開である。
「梅」といって思い出すのは神奈川県・大磯にある故・安田靫彦先生のお宅である。確か50本も植えられてあったか。
「それはそれは美事なものであったのよ。」
と死んだ養母(安田先生の弟子)は、よく言っていた。
安田先生は日本画家であると同時に万葉仮名の研究家としても知られているが、これも見事だった。皇居の一室を飾っている。

春になると「あー、奈良行きたい〜!病」(笑)が頭をもたげる。
春日山に向かうあの広いだらだら坂、右手に興福寺、左手に東大寺と万葉博物園。
法隆寺も行きたいな、安田先生のお墓参りもしたい。
ただ、「梅にウグイス」というけれど、今年はまだ初音を聴いていないぞ。
ウグイスや〜い。(笑)

プロフィールをば…2009年03月09日 17:06

もののついでにプロフィール(「帰ってきた抜刀質店」の方)を全面的に書き換えてみました。おヒマな方は覗いてやって下さい。

ああ、道路。2009年03月10日 17:25

その信号機までの30メートルが「1キロ」程にも思えるって分かるんだ、おじいちゃん、私も杖だから。
でも、道のそこいらへんじゃなくて、横断歩道を渡ろうよ・
「息子夫婦が買ってくれた編み上げ靴」はヒモを結ぶのにいちいちかがまなくちゃいけなくて、いつもの「つっかけ」の方が楽だって分かるんだ、おばあちゃん。
だけどもうここは昔のように「自動車なんて1日に1度通るか通らないか」の道じゃなくて、信号機見て、青が点滅してたら足もつれちゃうから急がないで(転ぶから)次に青になるの待って横断歩道渡らないと、つっかけじゃ危ないんだよ。
本ッ当〜に危ないんだから!
どうか信号を守って、靴を履いて、安全に歩いてください。

ローマで、夜だった2009年03月14日 09:39

何でそのときイタリアにいたのか、記憶はもう薄れてしまった。
ローマにいて、治安は最悪で、不況も最悪で、ひとめで見て分かる難民がウヨウヨしていた。ひったくりの子供集団もどっさりいたし。

地下鉄の切符は印刷されていたり、白紙だったり、ものすごくいい加減だった。
車中で人形を抱いた難民の女が、脂染みた民族衣装を着ていて、人形と思ったらそれは「赤ん坊」で、ひんやりと冷たいその肌にぞっとした。

細長いトリノ広場では「おもちゃ市」が開かれていて(イタリアの「子供の日」は「東方の三博士来訪の日」)、子供たちが大きなぬいぐるみなんか抱えて、ご満悦で歩いていた。一軒だけ「TVゲームショップ」が出ていて、「マリオ・ブラザーズ」を売っていたが、店の前にひと気はなかった。そんなに昔だったのか。

冬は日が短く、寒く、身の置き所がなかった。
ただホテルのTVで観るバラエティー番組はやたら活気があって、
「あぁ、この国は大丈夫だなぁ。」
と思った覚えがある。

日本のバラエティーは、まだ大丈夫なんだろうか?
「ひげ男爵」好きなんですけど(笑)。

とにかく、ローマで、寒い夜だった。

「養女体質」2009年03月19日 22:30

あぁ寒いっ!
心が?体が?お財布が?
いや、いま全部寒いから、もう、全部(笑)。

今のところ、ドッコイはベトナム、私は定期聴力検査でグロッキー(病院でひっくり返ってしまい、久々に車椅子のお世話になってしまった〜)、しかもこの数ヶ月、親しい友人たちや親戚に、やたら訃報が重なり、何だかもうトホホ・・・な状態で、ああ、もうとっくにどん詰まりに来ている。
実父はもう寝たきり3周年で、また肺炎おこして一時入院中だし、若い頃から「とにかく健康!」だった実母は足腰が急に痛みだし、長野の義父は心臓病で酸素ボンベ引いて歩いてて、義母は脳の血管を詰まらせて半身リハビリ中である。(おまけに兄貴はここ数ヶ月連絡がとれない。まあ、もともと風来坊だからどこかの空の下で生きてはいると思うけど…・苦笑)

何というのかな、私は「身内の絆がほそい質(たち)」である。
戦争での一家離散や祖父の再婚、兄の親離れの下手さetc.....

代わりと言っちゃなんだが、私は「養女体質」の持ち主では、ある(笑)。
「ぜひウチの子に!」という話がころがりこむんである。

2004年に看取った養母とそのパートナー、それ以前にも私が直接知っているだけで2件養女縁組みの話はあった。私を迎えようといきなり家を改築しちゃった夫妻、日曜日にスーツ着て、菓子折もってやってきた夫妻・・・親が私に知らせずにが断ったケースは他にもまだあったろう。

なんでかな?
天然ボケ性格が良かったのか、それとも「神童」といっとき騒がれたからか。何しろ6才で自分から俯瞰図を発見してしまったし、人物を描くときは足から入ってかならず頭までバランス良くキッチリ納めたし、戦前の歯の鈍った重たいハサミで「走っている馬」なんてノーミスで切り絵をやっちゃったり(林屋正楽さんのようだ・笑)して、ちょっと毛色の変わった子供だったのは確かだ。
しかし、いまはただのおばちゃんどころか、とっても非力で弱っちょろいおばちゃんになってしまったのだがな(笑)。

子供の頃の私に尋ねてみよう、「のんちゃん、あなた楽しい?」
「うん!」と片えくぼで笑って答える5才の私が、確かに、そこにいる。