「空想の翼」2009年03月05日 13:01

「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」
と色紙に書したのは、推理小説の巨匠・故・松本清張(せいちょう)氏である。今年はちょうど生誕百周年にあたる。
昨年だったか、彼の「砂の器」をリマスターして上映、DVDにもなった。
この映画(野村万太郎監督・加藤剛主演)が、ものすごくよくて、
「ああ、これを観て、萩尾望都先生は名作「訪問者」を描いたんだったなあ。」
などと、泣きながらもういちど初版の(ハードカバーのヤツです・笑)を引っ張り出して読み返していたら、また泣けた。
「訪問者」はすごいです。読んでください。

さて、この「空想の翼…」は、というと、日本の中小企業(でも世界でもハイレベル)「義足・義手・指・耳・おっぱい、なんでも失われたものすべてを再生する」中村ブレイス(島根県)という会社の社長(60才)、中村俊郎氏に、当地に取材に来た松本氏が贈った言葉である。

中村氏は若き頃、職人としての留学中アメリカで交通事故に遭い、病院の霊安室で
「生き返った」
という、とても不思議な、奇跡の体験をお持ちである。
(フランスの歌手・ヴェロニク・サンソンのようだ、が彼女の話はいずれまた・笑…「いつもの手」だわ、私のとっ散らかったアタマは)
事故の相手はひき逃げ。しかし、中村氏は
「殺さんといてくれて、ありがとう。僕は故郷のために働くぞ」
と、回復期間中に誓った、そして、中国地方の、人口500人の小さな村から、たくさんの若い、腕の良い職人さんたちを育て上げ、ハイクオリティーな製品を、いま世界に向けて製造し続けている。

「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」
これは、若き職人たちに贈った、松本氏の
「夢を追い、険しい現実を突き破れ!」
というメッセージである。

ついにアメリカで初の黒人大統領が誕生し、しかし世界は「百年に一度あるかないか」の大不況、日本では自動車産業を発端に若いホームレス、いわゆる「派遣切り」の嵐であおりをくらった、若年〜中高年管理職まで「明日は我が身か」の状況である。

築40年の古い公団住宅に住む私。
先日台所の蛍光灯が切れ、換えても明かりがつかず、管理事務所へ。
今日来てくれた業者の職人さんと、作業がてら
「本当に、奥さん、ウチの会社だって来月あるかないかですよー。(笑)」
「まあ、ウチの夫だって外務省の孫請けとはいえ、「湾岸戦争」と「イラク戦争」に巻き込まれて、もう老後の年金どうなるのかしらね−。(笑)」
なんていう会話をしていた。

昨年私は脳を患い、半年近く病院の閉鎖病棟にいた。医師の誤診もあって、果たしてこの先どう生きていったらいいのか、7歳児並の「体力」と、(個人差はあるだろうが、私にとっては)7才からリセットして中学1〜2年、うーん、所によっては高校生レベルかなあ」という「知力」での、「人生のターニング・ポイント」に、今、立っている。

世界も私も、ターニングポイント、
  今こそ『空想の翼で駆け 現実の山野を往かん』
         『夢を追い、険しい現実を突き破れ!』
の心で、おばちゃん年甲斐もなく(笑)人生で初めての「ブログ」ってものに取り組んでみました。まあ「帰ってきた抜刀質店」という掲示板もないスットコドッコイ・サイトの「日々是好日身辺雑記」の仮設と(パソコン壊れて、「GoLive」というソフトの使い方も忘れちゃったんで…あとパソコン通信時代の「お座敷ターザン」というフォーラムのリバイバルということで、(20ン年ぶりよ!)ぼちぼち参ります。

本日はご来店ありがとうございました!


ps.
アメリカのヒラリー・クリントン国務長官が、就任後初めての外遊先として、2月中旬にも日本を訪れることが明らかになっりました。(これを書いているのは1月末ですので、ゴメンね〜。笑)
アメリカの政府当局者によると、クリントン長官は2月中旬にも日本を訪問する方向で調整していて、その後、中国などにも立ち寄る予定だそうです。
今後、日程が変わる可能性はありますが、最初の外遊先を日本にすることで、「日米同盟重視」の姿勢を強く示す狙いがあるとみられてます。
来日が実現した場合、麻生首相らと会談し、アフガニスタン情勢に関して、日本の追加支援や北朝鮮問題などについて話し合われる見通しです。

この大不況の中、最初に手を握りあう国を「日本(ヨーロッパではなく)まして」
や「中国」でもなく…選んだのは賢明なことだし、日本人にとってはラッキーなことだわ〜。ただし「お迎えする○民党の○○首相がポカやらなきゃいいんだけれど!(笑)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック